夢の浮橋

下記3点に内容を絞って一から出直しです。 民俗・文化風俗や伝承音楽の研究に寄与できればと思っています。 ・大分県の唄と踊りの紹介 ・俚謡、俗謡、新民謡の文句の蒐集 ・端唄、俗曲、流行小唄の文句の蒐集

Category:大分県の唄と踊り > 作業唄(作業分類別>曲種別)

19、藁打ち唄
 漁につかう縄を綯うために、砂浜で藁を叩くときに唄った。子供からお年寄りまで、村中の者が浜に集まって根気強く叩いたそうだ。

●●● ワラ打ち唄(伊勢音頭) ●●●
 最もオーソドックスな節の伊勢音頭で、さして特筆することもない節である。

ワラ打ち唄 佐賀関町一尺屋
☆一つエー 出しましょ(ヨイヨイ)
 ヤブから笹を(ヨーイヨーイ ソーラセーイ)
 つけてくだんせ ヤンレ 短冊を(ソラヨーイヤセー ヨーイヤセ
 ヤレ打てナー ソラ打てナー ナーンデーモセー)
☆わしは 親なし 磯辺の千鳥 汐が干りゃ泣く 満つりゃ泣く
☆親の すねをば 離れてみたが 日々の暮らしは 楽じゃない
☆俺は 船なし 磯辺の千鳥 海を眺めて 鳴くばかり
☆わしの 音頭に ハマチや鯛も 浜の藻ぎわで 舞い踊る
☆さあさ 打て打て 縄ないましょよ 沖にゃイワシが 寄せて来る
☆千秋 万歳 思うこと叶うた 一両小判が 舞いを舞う
「アラヨーイヤセー ヨーイヤセ ホイ ホイ ホイ



20、マテ突き唄
 大分は磯の食べ物に非常に親しんだ土地で、春先になると、しじみやあさり、はまぐりはもちろん、石蓋、シッタカ、石畳、タバコニシなどたくさんの種類の「にいな」やスベタ、亀の手や陣笠も食卓を彩ってきた。ひじきやカジメの類を拾うこともある。家族でとりに行くこともあれば、浦辺の集落では子供の遊びの傍らにとることもあった。中でもおもしろいのはマテ貝採りで、熊手や鍬で浅く掻き、菱形の穴に塩をひとつまみ落とせばニョキニョキと顔を出すのを、切らないようにスッと引き抜いていくのが愉快だし味もよく、時季になれば今でもマテ採りの姿をよく見かける。
 しかしこの採り方は非効率的で、生活の糧として採る場合は全く違う方法で行っていた。舟を出し、たくさんのカギ爪のついた漁具を海底の砂地に下ろしては引き上げるという漁法で、昭和30年代まで行われていた。寒風の中で重い漁具を上げ下げするのは非常に骨の折れる仕事だったという。半農半漁の地域では、農閑期の副業としてはそれなりの儲けだったそうだが重労働なので「漁師のクドロ(苦労)」と言われた由。

●●● マテ突き唄 その1 ●●●
 マテ突きの作業の傍らに唄われた節である。ゆったりとしたテンポで、陰旋の節で唄われる。3拍子(8分の6拍子)に近いリズムが独特で、国東半島の俚謡としては姫島の盆踊り唄と並んで最もよく知られている。国東、安岐、大田、田染、国見辺りの盆口説のうち、「六調子」「杵築踊り」「二つ拍子」「豊前踊り」も「マテ突き唄」と同じく3拍子に近いリズムで唄われているが、他地域には全く見られない。この地方独特のリズム感である。実際に作業に伴って唄われることはなくなったが、昔の生活を思い出させる唄、ふるさとの唄として大切に唄い継がれている。

マテ突き唄 国東町北江
☆アリャ嫌じゃかかさんヨイ
 マテ突きゃ嫌じゃヨイ(アリャドコイショードコイショ)
 アリャ色も黒うなりゃ腰ゃかがむヨーイ
 (アリャヨイコラヨーイヨーイヨーイ)
☆豊後北江のマテ突き音頭 あとが続けば皆勇む
☆寒い北風 冷たいあなじ 吹いて温いのがまじの風
 ※あなじ=冬に吹く北西の風 まじ=南風、南東の風



●●● マテ突き唄 その2 ●●●
 こちらの唄い方は、3拍子の節を早間にして2拍子に整えたものである。実際に作業をしながら唄うにはテンポが速すぎる。おそらく作業から離れて、生活の中で口ずさまれたものなのだろう。これをさらに編曲し伴奏をつけたものが昭和40年代以降に数回レコード化されステージ民謡としても唄われるようになった。そのため民謡愛好者の中ではこちらの方が普及している。

マテ突き唄 国東町北江
☆アリャいやじゃかかさんヨイ マテ突きゃ嫌じゃヨイ
 アリャ色も黒うなりゃ腰ゃかがむ
 コリャサッサノヤレコノヨーイヨーイヨーイ
☆豊後北江の突き音頭 あとが続けば皆勇む
☆泣いてくれるな出船の時は 烏鳴きでも気にかかる



21、エビ打ち唄
 長洲で盛んに生産されている「カチ海老」の殻を剥ぐ作業のときに唄われた。従業者は作業小屋(エビシャ)に集まって、干し上げたエビを木槌でトントントンと素早く叩き続け、カラを外していく。たいへん根気のいる作業だったので、気晴らしに唄った。カチ海老は県内外で消費されるばかりか、大陸までも運ばれ中華料理の材料に重宝されたので、網元や「エビシャ」の親方は大変に潤ったという。特に戦前は「カチ」が「勝ち」に通じるためゲン担ぎに喜ばれ、最も景気のよかった頃には長洲だけでは作業が追い付かず、美濃崎(杵築)でもカチ海老の生産を行っていたとのことである。長洲から来た「親方」が現地の漁師の妻や娘を期間雇用していたそうで、実際に美濃崎で「エビ打ち」をしたことのある方に尋ねてみたところ、美濃崎ではエビ打ちをしながら唄うことはなかったとのことだ。

●●● エビ打ち唄 ●●●

エビ打ち唄 宇佐市長洲
☆ヤーレ 打てど叩けどこの海老ゃはげぬヨ(打瀬のノーヤレ 涙海老ヨ)
 打瀬の 打瀬のこれがヨ(打瀬のノーヤレ涙海老ヨ)
 ※打瀬=打瀬船
☆鳥も通わぬ玄界灘は(ヤレそじゃ 通うて来る)
 ヤレそじゃ そじゃそじゃそれが(ヤレそじゃ 通うて来る)
☆風呂屋の看板にゃシャッチョコバイと書いて(うめうめ 温か焚け)
 うめうめ うめうめ熱か(うめうめ 温か焚け)
 ※シャッチョコバイ=松竹梅
  うめうめ=(水で)うめると梅の掛詞
  たけたけ=焚けと竹の掛詞
   〇ドンドン節などの文句に、風呂屋がどうのこうので梅王松王桜丸の掛詞の替え唄があり、おそらくその文句を知っている人が即興で唄ったものだろう)
☆沖の鴎に汐時ゅ問えば(立つ鳥 波に問え)
 立つ鳥 立つ鳥 私ゃ(立つ鳥 波に問え)
☆波に問やまた荒瀬に問えと(なければ 波ゃ立たぬ)
 なければ なければ荒瀬(なければ 波ゃ立たぬ)
☆波に問うのはいと易けれど(白波ゃ 物言わぬ)
 白波ゃ 白波ゃ沖の(白波ゃ 物言わぬ)
☆豊前長洲のエビ打つ音が(ますぞえ 向こうが島)
 ますぞえ ますぞえ聞こえ(ますぞえ 向こうが島)
☆船が来たぞえ三ばい連れで(新造が わしが様)
 新造が 新造が中の(新造が わしが様)
☆寒の師走も日の六月も(勤めも せにゃならぬ)
 勤めも 勤めも辛い(勤めも せにゃならぬ)
☆七つ下がればわしゃ目が見えんど(殺した その咎か)
 殺した 殺した鳥を(殺した その咎か)
☆松の葉のよな狭い気を持つな(芭蕉葉の 気を持ちゃれ)
 芭蕉葉の 芭蕉葉の広い(芭蕉葉の 気を持ちゃれ)
☆思い出しゃせんか泣きゃせんか殿御(出しゃせぬ 泣きもせぬ)
 出しゃせぬ 出しゃせぬ思い(出しゃせぬ 泣きもせぬ)
☆月夜月夜にわしゅ連れ出して(捨てるか 闇の夜に)
 捨てるか 捨てるか今は(捨てるか 闇の夜に)
☆エビシャ小屋では色事ぁでけぬ(碁盤で 目が多い)
 碁盤で 碁盤で将棋(碁盤で 目が多い)
 ※エビシャ=カチ海老の作業小屋
  将棋碁盤で目が多い=将棋盤や碁盤の目(格子の交叉点)と人の目の掛詞
メモ:長洲で唄われたものは、小刻みに木槌を動かす作業なのでテンポの速い、軽快な唄になっている。下句の頭3字を伏せるのは宇佐地方の俚謡によく見られる特徴で、特にこの唄では、最初伏せて唄っていた3字が返しのところで初めてあらわれるというところに面白味がある。あまり知られていないが、レコード化されたり、ステージ民謡として取り上げられたこともある。ところが三味線等の伴奏をつけたためか、作業唄として唄われたときの威勢のよさや軽やかさが失われてしまい、凡庸な曲になってしまっている。この種の唄を「民謡」として取り上げるときは、下手に三味線や尺八などを加えるよりも、無伴奏か、せいぜい鳴り物だけの伴奏にした方がずっとよいだろう。



22、酒造の唄
 各地の酒造で杜氏によって唄われた一連の作業唄。その作業工程には明るくないので詳述は控える。

●●● 酒造の唄 その1 ●●●
 高調子に間を詰めて唄い始めて、節尻を引っ張る。「よしこの節」の類と思われる。

米踏み唄 緒方町
☆ハー 今が始まり始まりました(ハヨイヨーイ)
 大阪芝居の寄せ太鼓ヨ(それもそうでござる)
☆寒の米踏み寒しゅてならぬ 氷に浮き寝の草もある
☆朝は三時から唄いとはないが 皆御連中の機嫌取る

米洗い唄 日田市
☆ハー 奈良の大仏さんをやっこらやと抱いて(ヨイヨイ)
 お乳飲ませた親見たやヨ(飲ませた親見たや ソラヨイヨイのヨイ)
☆あなた百までわしゃ九十九まで
 ともに白髪の生えるまで(白髪の生えるまで)



●●● 酒造の唄 その2 ●●●
詳細不明

米とぎ唄 臼杵市津留
☆アラヨイナーヨイナーヨイナー アーヨイヨイ
 祝いめでたのネ 若松様よ
 枝が(ショイショイ) 栄ゆりゃ葉もしげるヨ



●●● 酒造の唄 その3 ●●●
 「木挽き唄」とよく似たような節だが、節を引っ張って細かく揺すりながら唄うので情趣に富んだ印象を受ける。

米すり唄 臼杵市津留
☆お米五升すりゃへこすり破る(ハーショッショコ ショッショコ)
 二度とするまや五升米を(ハーショッショコ ショッショコ)
 ※へこ=褌  するまや=するまい
☆津留の前には瀬が二つある 思い切る瀬と切らぬ瀬と
☆思うて通えば主さんがとこよ 五里も十里も変わりゃせぬ



●●● 酒造の唄 その4 ●●●
詳細不明

もとすり唄 豊後高田市
☆祝いめでたの若松様よ 枝も栄えて葉も茂る ハーギッコンギッコン
☆酒屋蔵子は乞食にゃ劣る 乞食ゃ夜も寝りゃ色もする



●●● 酒造の唄 その5 ●●●
 のろまなテンポで、節を長く引っ張って唄う。技巧的な節で、唄い方がなかなか難しい。

そえつき唄 緒方町
☆ヤレー いつもヨー そえばつきゃ(アドーントコイコイ)
 お風呂のあがり(ヤレいつもヨー 心が アラなどやかに)
☆酒と いう字は さんずい偏に(つくりゃ 清めの 酉と書く)

そえつき唄 日田市
☆ハー 祝いヨー めでたの(ハーコイコイ)
 若松様よ(ハードーントコイコイ) ハヤーレ枝もヨ
 栄ゆりゃ(ハーコイコイ) 蔵繁盛(ハードーントコイコイ)
☆鶴が 舞います お蔵の上で 鶴は 御繁盛と 言うて遊ぶ



23、鉱山の唄
 県内では鯛生金山、尾平鉱山、木浦鉱山、草本金山、馬上金山などをはじめとして、小さい山も含めるとたくさんの鉱山があった。そうした鉱山で唄われた作業唄で、作業内容によっていろいろな節を唄い分ける。鉱山の作業員は出替わりで人の移動も多く、方々の山で共通の節をもつ唄が唄われていたようだ。
 発破のためダイナマイトを詰める穴をあけるときにノミを打ちながら唄った「石刀唄」、水をろくろでくみ上げるときの唄などいろいろある。

●●● 鉱山の唄 その1 ●●●
 この種の節は県内はおろか、県外でも方々で唄われたようだ。特に筑豊方面で唄われたものが著名と思われる。節が細かくて情趣に富んでいる。

石刀唄 山国町草本金山
☆様を持つなら川越しにゃ持つな 水に降る雪たまりゃせぬ
 (アーチンカポイ チンカポイ)
☆あんた正宗わしゃ錆び刀 あんた切れてもわしゃ切れぬ
☆死んでしまおか髪ゅ切りましょか 髪は伸べもの身は大事
☆添えばわが妻 離るりゃ他人 胸の大事は語られぬ

石刀唄 宇目町木浦鉱山
☆ハーエ 発破かければエー(ハコリャナー ドッコイナート)
 キリハが進む 進むキリハでカネが出る(ハコリャナー ドッコイナート)
☆朝から晩まで 叩かにゃならぬ(ハコリャナー ドッコイナート)
 叩かにゃ食えぬとかかが言うた(ハチンカン チンカント)
 「も一つ負けちょけ かかが言うた ハチンカン チンカント
☆坑夫々々と 見下げてくれな 家に帰れば若旦那
☆妹なるなよ 坑夫さんのかかにゃ 妹だまして姉がなる
 「ま一つだまして 姉がなる ハチンカン チンカント
☆かかの丸髷(ハコリャナー ドッコイナート)
 鼠がかじる 親父ゃ泣く泣く猫を呼ぶ(ハ三毛来い タマ来い)
☆好きと嫌いが(ハコリャナー ドッコイナート)
 一度に来れば 箒立てたり倒したり(ハそうじゃよく言うた 倒したり)
 ※長っ尻の客を早く返したいときのおまじないとして箒を立てる
☆石刀はカネでも 棒は千草でも 叩かにゃ食われんとかかが言うた
 「ハ叩かにゃ下がらん正直穴だよ チンカンチンカン チンカンチンカン

石刀唄 宇目町木浦鉱山
☆ハー 一つ出しましょ藪から笹を
 つけてくだんせ短冊を ハチンカンチンカン
☆何と化けたよ三つのサイは かわい殿御を丸裸
☆妹なるなよ木挽きさんのかかにゃ 仲のよい木を挽き分ける
☆堅いようでも女はやわい やわいようでも石ゃ堅い
☆山陽鉄道神戸がもとよ 九州鉄道門司がもと
☆それじゃ主さん行こではないか ここで照る日はよそも照る
☆ここも旅じゃがまた行く先も 旅の先ならここがよい
☆かかの古べこ質屋へ入れて 親父ゃ酒屋で酒を飲む

石刀唄 緒方町尾平鉱山
☆ハーエ 上り下りのヨー 石の目も知らず
 鉱夫さんとは名がおかし(アドッコイサ ドッコイサ ヨーヤルナ)
☆朝も早うから カンテラさげて 坑内下がるも親の罰
☆トロッコ押しさんはトロッコの陰で 破れ襦袢の虱とる



●●● 鉱山の唄 その2 ●●●
詳細不明

水引き唄 山国町草本金山
☆草本金山ヨ かねつく音はヨ 聞こえますぞえ守実にヨ
☆あなた鉱夫でわしゃ水引きで 同じ山にて苦労する
☆鉱夫女房にゃなれなれ妹 米の飯食うて楽をする
☆花の草本まわりの山は ここもかしこも金が出る
☆唄じゃ小屋川仕事じゃ吉野 花の草本御所どころ



●●● 鉱山の唄 その3 ●●●
 高調子のゆったりとした節で、情趣に富んでいる。これも唄い方が難しい。

フイゴ唄 宇目町木浦鉱山
☆祝いめでたの若松様よ 枝も栄えるヨーヤ 葉も茂る アー ドードー
☆フイゴさすさす居眠りなさる カネの流れる 夢を見た
 「アー何でも千銀千銀
☆トコヤ上には二股榎 榎の実ゃならいで カネがなる
 ※トコヤ=精錬所
  ならいで=ならずに
☆トコヤ大工は鬼かな蛇かな 大の鉄の棒を 振り回す
☆錫を見つけた井筒屋さんは 国を富ませる 福の神
☆竹田中川侯は情ある殿よ 年に一度は 駕籠で来る
☆錫は出る出る大平坑に 今日もカネ吹き フイゴ差し
☆錫で名所の木浦の山は 日向豊後の 国境
☆岡のお城と櫓の壁は 錫と銅とで できている
☆行こか延岡 戻ろか岡へ ここが思案の 田近山
☆豊後木浦はカネ吹き名所 竹田中川侯の お抱え鉱
☆鳥が舞う舞うトコヤの上を 鳥じゃないぞえ カネの神
☆新造フイゴにあら皮巻いて さぞやきつかろ 手子の衆は
☆木浦銀山カネ吹く庭に 夏の夜でさせ 霜が降る
☆霜じゃござんせぬ十七八の 恋の涙を 霜とみる



●●● 鉱山の唄 その4 ●●●
 近隣で唄われた木挽き唄の転用。

坑夫唄 米水津村
☆ヤーレ 坑夫さんにはヨ どこ見て惚れた
 現場帰りの千鳥足 アドコイショ ドコイショ
☆妹なるなよ 坑夫さんの嫁に 山がどんと来りゃ若後家じゃ 
☆十日叩いて 一度にドンと あの娘にやる金欲しゅはない



●●● 鉱山の唄 その5 ●●●
詳細不明

鉱石揺り唄 宇目町木浦鉱山
☆ここは豊国 木浦の山よ 嶺に花咲き谷に砂金
 「ハー 掘りて尽きせぬ宝の山だよ 千斤 千斤
☆山も良かれや キリハも良かれ 頼む親方なおよかれ
 「ハー 千斤かければお金は万両 千斤 千斤
☆呑めや大黒 唄えや恵比寿 間の酌婦は福の神



●●● 鉱山の唄 その6 ●●●
詳細不明

錫吹き唄 緒方町尾平鉱山
☆祝いめでたの若松さまよ(枝も栄える葉もしゅげる)
 栄える枝も(枝も栄える葉もしゅげる)
☆栄え栄える千代万世の(金の尽きせぬ尾平山)
 尽きせぬ金の(金の尽きせぬ尾平山)
☆トコヤ前には井戸掘り初めて(水は湧かいで金が湧く)
 湧かいで水は(水は湧かいで金が湧く)



●●● 鉱山の唄 その7 ●●●
 節がわからないが、おそらく流行小唄の転用だろう。

石刀唄 宇目町木浦鉱山
☆ア坑夫さん お酒はいかがと両手をついて
 盃ゃ畳の模様じゃない そうじゃよく言うた模様じゃない
☆寒紅梅 雪に閉ざされまだ芽も出らぬ
 さぞや鶯待つであろ アリャサ コリャサ ドッコイサ
☆七転び 八起き世界に何くよくよと
 牡丹 菰着た冬ごもり ま一つ負けちょけ冬ごもり



●●● 鉱山の唄 その8 ●●●
 岡晴夫の唄った「パラオ恋しや」の替唄。気晴らしに唄ったもので、元唄の年代を考えてもそう古いものではない。

鉱夫唄 中津江村鯛生金山
☆山で暮らすなら鯛生におじゃれ 北は矢部郷 南は津江よ
 光るカンテラ響くはストパ 金を採るにも鼻唄唄うて
☆山に来るならお乗りはガソリンカー 金の花咲く坑道の中を
 躍るエンジンにゃ親しみ湧いて 浮かぶあの娘の愛しの顔が



●●● 鉱山の唄 その9 ●●●
 流行小唄「ズンドコ節」の替唄。

鉱夫唄「ズンドコ節」 中津江村鯛生金山
☆金山々々とおっしゃいますな 黄金なくして何できまする
 男一匹生まれたからにゃ 来たれ鯛生の金山へ トコズンドコ ズンドコ
☆津江の部落に処女がおれば 蝶々蜻蛉も小鳥とやらや
 焼いた魚が踊り出すよ アイスキャンデーで火傷する
☆人生は五十年くよくよするな あくせくしたとて鶏ゃ裸足
 落ちて流れて行く身じゃないか ほんに金山はよいところ



●●● 鉱山の唄 その10 ●●●
 流行小唄「草津節」の転用。

鉱夫唄「草津節」 中津江村鯛生金山
☆金山よいとこ一度はおいで ドッコイショ
 お湯の中にもコリャ 金が光るヨ チョイナチョイナ
☆もしもあなたが金山に来たら 金の茶釜で お茶沸かす
☆草津温泉で治らぬものは 金山に来たなら すぐ治る

14、道中唄
 秣刈りなどのために馬を連れて入会地に行くときに唄ったものと、農閑期の副業として「駄賃取り」の道中で唄ったものとがある。後者は馬を連れて荷を運ぶ仕事で、方々で行われていた。道中の唄は何でもよく、盆口説や流行小唄を練習しながら歩いた人も多かったようだ。

●●● 道中唄 その1 ●●●
 流行小唄「よしこの節」のテンポを落として、節尻を投げて唄う類のものをあつめた。テンポも間もまちまちで、文句も節も自由奔放である。唄い手がめいめいに、自分の節で唄ったためだろう。

道中唄「山行き小唄」 山国町中摩
☆様が来たじゃろヨー 上野の春にヨー 駒のいななく鈴の音ヨー
☆駒は七匹 馬方一人 駒の沓打つ暇はない

道中唄「山行き小唄」 山国町守実
☆わしとお前と立てたる山を 誰が切るやら荒らすやら
☆逢うて話しましょ小松の下で 松の葉のよにこまごまと
☆松の葉のよな細い気を持つな 芭蕉の葉のよな気を持ちゃれ
☆ちょいと行ってくる豊後の湯まで あとに花おく枝折るな
☆枝も折るまい折らせもすまい 早くお帰れしぼれます
☆思うて通えば千里が一里 逢わで帰ればまた千里
☆虎は千里の山さえ登る 小障子一枚がままならぬ
☆思いはまれば石の戸も開く 金の鎖も切れまする
☆岩に松さえ生ゆるじゃないか 思うて添われぬはずがない
☆富士の山ほど登らせおいて 今は釣瓶の逆落とし
☆花の奥谷流れちゃならぬ 植えた木もありゃ花もある

馬方節 山国町守実
☆ハー 唄の上手のヨ お一人よりもヨ
 下手の連れ節ゃおもしろいヨ ホイホイ
☆歌の段かよ仕事の段か 様は病気で寝てござる
☆雨は降り出す殿御は山に 蓑をやりたや笠そえて
☆恋の音を出す力弥が笛は さすが都の竹じゃもの

山行き唄 耶馬溪町山移
☆今去ぬるぞなあの山越えて 生まれ在所の親がとに
☆親に逢うのな厭いはせねど 様に別れりゃ辛うござる
☆置いてお帰りてのごいなりと これを印にまたおいで

馬方唄 耶馬溪町山移
☆一代後家でも駄賃取りゃ厭だよ 朝は早う出る夜戻るヨ
☆恋に焦がりょか照る日に灼きょか 同じことなら焦がれ死に
☆死んでしまえば何もかもいらん 死ぬりゃ野山の土となる

駄賃取り唄 耶馬溪町川原口
☆ハー 駄賃取りちゃあヨーホー 聞く名も恋しヨー
 いつも小銭の 絶えがないヨー
☆わしのスーちゃんの 引かしゃる駒は 紺の前だつ 白の駒
☆白の駒引く あの馬子さんに 契こめたぞ 深々と

馬子唄 豊後高田市草地
☆野でも山でもヨ 子を持ちなされ 千の倉よりゃ子が宝ヨ

草切り唄 山香町山浦
☆小石小川のヨ 鵜の鳥ゅ見なれ 鮎をくわえて背をのぼる
 「ホイ駒 ホイ駒 左はホキじゃよ
☆千夜通うたらヨ 一夜はなびけ 一夜情けは誰もある
 「寄れ寄れ 右寄れ 左はホキじゃよ 危ないとこじゃよ
 ※ホキ=崖、または断崖を通した難所
メモ:草切り唄とあるが、草を切りながら唄ったのではない。飼料などに使う草を切りに山に行き帰りする道中で唄ったようだ。

駄賃取り唄 日出町豊岡山口
☆駒よ励めよ ホイ、ホイ、ホイヨ この坂道を ホイ、ホイ
 登りついたら 上は見渡すまんでえら ホイ、ホイ、ホラ
 ※まんでえら=真っ平
☆駒よそれ見よ はや海ゃ見えた 下がりついたら つぼ外す
 ※つぼ外す=つば(馬具の一種)を外す

馬追い唄 大分市坂ノ市
☆竹田通いすりゃ 雪霜かかる いぬりゃ妻子が 這いかかる
 シャガン、シャガン、シャガン
☆竹田々々と 名は高けれど 城がなけらにゃ 山いなか
☆別府浜脇ゅ 啼いて通る烏 金は持たいで 買お買おと

草切り唄 弥生町
☆堅田行くならお亀にゃよろしゅ 行けば右脇高屋敷 トコススヤ
☆川に立つより立ち聞きしよと ごめんなされと寄るがよい
☆川に立たせて待たしておいて 内でダツ編みゃ手につかず
 ※ダツ=割り竹などで編んだ袋

駄賃取り唄(弥生町切畑)
☆アー 惚れた惚れたよ駄賃取りい惚れた
 馬が小便ひりゃ地が掘れた ヒヤヒヤ
 ※駄賃取りい=駄賃とりに

馬子唄 湯布院町
☆嫌でござんす ホイ 馬方嫌じゃ ホイ、ホイ
 朝は早う出て ホイ 夜戻る ホイ、ホイ
☆峠越すなら 由布院は見える お馬きつかろ 家ゃすぐぞ
☆嫁に行くなら 湯平がよかろ 夏は涼しゅて お湯が湧く

駄賃取り唄 湯布院町荒木
☆嫁に行くなら 由布院がよかろ 夏は涼しゅて お湯が湧く
☆今か今かと 波止場に立てば 舟は風波 寄り付かぬ

駄賃取り唄 挾間町挟間
☆おごじょ出て見よ浅間の岳で
 今朝も煙が三筋立つ ホイ、ホイ、ホイ
☆竹田通いすりゃ雪降りかかる 帰りゃ妻子が這いかかる

追分節 清川村臼尾
☆西は 久住山 南は 祖母よ 中を 取り持つ 大野川ヨ

追分節 直入町
☆やがてお別れ 豊後とお別れヨー また逢う日まで達者でな
☆ここが追分 府内に八里 三里下れば岡の藩
☆この山越えて あの山越えて わしらの里が懐かしや

駄賃取り唄 天瀬町出口
☆馬よ勇めよ ホイ、ホイ この坂一つ ホイ、ホイ
 「アト馬どうしたこつか はみゃ三升打ち喰ろうち 下つばけえ垂れち
 登りつむれば 上は三里のまんでえら ホイ、ホイ、ホイ
☆馬が勇めば 手綱も勇む 手綱勇めば 鈴が鳴る
☆いちで後家とて 駄賃取りゃするな いつも夜で出て 夜で帰る

馬方節 中津江村
☆馬方さんには どこ見て惚れた ハイヨ、ハイヨ
 手綱持つ手の しおらしさ ハイヨ、ハイヨ
☆馬方女房にゃ なるなよ妹 妹だまして 姉がなる
☆鯛生通いは もうやめなされ 鉄のわらじも たまりゃせぬ
メモ:鯛生金山までの車道がなかった時代に、馬の背に荷物をかけて運ぶ際に唄われていた。

朝草切り唄 上津江村川原
☆なんぼ通うても 青山もみじ 色の
 色のつかぬが 是非もない ホイホイ
☆あんたよう来た よう来てくれた わしの わしの思いの 届いたか
☆様は来る来る 栗毛の馬で 私ゃ 私ゃ逢お逢お 黒毛の駒
☆私ゃあなたに 惚れてはいるが 二階 二階雨戸で 縁がない
☆七里墓わら 栗山道を 様は 様は夜で来て 夜で帰る
 ※墓わら=農村部の集落墓地
  夜で来て夜で帰る=「寄(ら)で来て寄(ら)で帰る」をかける
☆草の中にも 三度は寝たが 草が 草がなびかにゃ 人知らぬ
☆親は樋竹 子は樋の水 親が 親がやる先ゃ どこまでも
☆あんたゆえなら わしゃどこまでも 奥州 奥州仙台の 果てまでも
☆なんぼ思うても まだ親がかり 親が 親が許さにゃ 籠の鳥



●●● 道中唄 その2(出雲節) ●●●
 節回しに、流行小唄「出雲節」の面影が色濃く残る。75調のイレコを挿んでおらず、或いは「さんこ節」の類かもしれないが、ともかく海路にて流入した浦辺の騒ぎ唄を転用したものだろう。

道行唄 臼杵市津留
☆竹田往還道ゃ広けれど 人の通りはさらにない
メモ:農閑期の副業で、馬子衆が唄ったもの。

駄賃取り唄 臼杵市
☆竹田通ゆすりゃ雪霜かかる
 家に戻りゃ妻子がはいかかる ホイホイ
 ※竹田通ゆ=竹田通い
☆駒よ勇めよこの坂越ゆりゃ 岩の清水飲ましょかハミやろか
☆岩戸川より沈堕の瀬より 浅い野尻が気にかかる
☆駒の腹巻、主の名を入れて 臼杵と竹田に名を残す
☆一棹二棹緒方のミサオ ミサオなけらにゃ通やせぬ
 ※ミサオ=水棹と人名「ミサオ」をかける。緒方にいた有名な別嬪さんとのこと。

馬追い唄 犬飼町
☆駒よ勇めよ この坂越えりゃ 荷物下ろしてはみをやる
☆馬がよければ 馬方様の つけた葛籠のしなのよさ
☆馬はやせ馬 男は小なり 長の道中で苦労する
メモ:昔は犬飼港まで船が上がっていたので、各地の港町で流行した出雲節が犬飼にも伝わり座興唄として唄われていたものを、馬追いの道中唄として唄ったのだろう。



●●● 道中唄 その3 ●●●
 間合いが詰まっており、音引きが少ないので唄い易い。起伏に富んだ特徴的な節だが、これをずっと間延びさせて唄うと、安心院町下市の盆踊り唄「大津絵」にそっくりになる。宇佐方面で流行した節なのだろう。

草刈り唄 宇佐市麻生
☆アー待つがよいかよ別れがよいかヨ(ア別れよ待つがよいヨ)
 ア別れが嫌なヨ(ア別れよ待つがよいヨ)
☆待つの辛さに出て山見れば(かからぬ山はない)
 かからぬ霧のヨ(かからぬ山はない)
☆声はすれども姿が見えぬ(深野のきりぎりす)
 深野の様は(深野のきりぎりす)

草刈り唄 宇佐市横山
☆アー今宵さ行くぞと目で知らすれどヨ(ア接ぎ穂で木はつかぬヨ)
 ア接ぎ穂で竹のヨ(アー竹の接ぎ穂で木はつかぬヤヨ)



15、茶山唄
 自家用のお茶を栽培したり、または小希望の茶園等はどこの地域でも見られたが、日田周辺から八女方面にかけては山を一面お茶畑にして手広く栽培することが多かった。繁忙期には近隣在郷から人を雇い、方々の山から茶摘み唄、また茶揉み唄が賑やかに聞こえてきたという。茶摘唄、茶揉み唄を区別した例もあるがその節は同じで、囃子を区別する程度である。そのためここでは両者をひとまとめにして「茶山唄」として紹介する。

●●● 茶山唄 ●●●
 有名な「八女の茶山節」と全く同種のものである。今は福岡県民謡のように思われているが、大分県内でも広範囲で唄われていた。頭に「ヤーレ」をつける節とつけない節があるが、両者が明確に区別されているわけではないようだ。

茶摘唄 久住町
☆茶山戻りは皆菅の笠 どれが姉やら妹やら
☆姉が二十に妹が十九 どんど妹が十二でござる 

茶揉み唄 玖珠町
☆ハーヤーレ 茶山茶山と楽しゅで来たら 上り下りの坂名所
 ハーヤレ揉めヤレ揉め
☆あなた帰るならついて行きましょか ついて行きましょかどこまでも
☆様の手拭ゃ山形ヤの字 どこの紺屋で染めたやら
☆様は三夜の三日月様よ 宵にちらりと出たばかり

茶摘み唄 耶馬溪町大野
☆泣くな嘆くな三月の恋 社日茶の芽の目立つまで
☆来いと呼ばれてその日が来れば 足の軽さや嬉しさや
☆好いた花茶に咲かれて差され 飲まぬうちから赤い顔

茶山節 天瀬町五馬市
☆ヤーレ 茶山茶山とみな言うて登る
 津江は茶どころ縁どころ(アーやれ揉めやれ揉め)
☆茶山帰りのみな菅の笠 どちら姉やら妹やら
☆揉めた揉めたは柴茶が揉めた 揉めた柴茶の味のよさ

茶揉み唄 大山町上野
☆茶摘み茶摘みとみな言うて来たが お茶の摘み道ゃまだ知らぬ
☆お茶の摘み道ゃ知らんならおそゆ 古葉残して新芽摘む
 ※おそゆ=教える
☆ヤーレ 茶山だんなんさんなガラガラ柿よ 見かきゃよくても渋うござる
 ※だんなんさん=旦那さん

茶摘み唄 前津江村大野
☆ハヤーレ 茶山だんなんさんなガラガラ柿よ
 見かきゃよけれど渋うござる
☆お茶は揉め揉め揉みさよすれば どんな柴茶も濃茶となる
☆矢部がよいかな星野がよいか 矢部で妻持ちゃ矢部がよい

茶山節 前津江村大野
☆ハーヤーレ 縁がないなら茶山にござれ(トコサイサイ)
 茶山、茶どころ、縁どころ(ハー揉ましゃれ揉ましゃれ トコサイサイ)
☆今年初めて茶山に来たら お茶の摘む道ゃまだ知らぬ
☆今年ゃこれぎりまた来年の 八十八夜のお茶で逢お

茶揉み唄 前津江村星払
☆ハーヤーレ 縁がないなら茶山にござれ(トコサイサイ)
 茶山、茶どころ、縁どころ(ハー揉ましゃれ揉ましゃれ トコサイサイ)
☆今年ゃこれぎりまた来年の 八十八夜のお茶で会お
☆茶山戻りにゃみな菅の笠 どちが姉やら妹やら

茶山節 中津江村合瀬
☆ハーヤーレ 一つだしましょかはばかりながら 声の悪いのはみなごめん
☆茶山戻りはみな菅の笠 どれが姉やら妹やら
☆お茶を摘ますりゃ八百目かそこら 粟飯、芋だご汁ゃ腕まくり
 ※摘ますりゃ=摘ませたら
☆茶摘みゃしまえるじょうもんさんな帰る ここに残るは渋茶園
 ※じょうもんさん=娘さん
☆姉も妹も縁づくしたが 私ゃ中子で縁がない
☆茶山々々とみな行きたがる なんのよかろか坂ばかり
☆声のよさよさ細谷川の 芒小藪の蝉の声
☆鯛生金山しまえたならば 連れて帰ります鹿児島に
☆茶山だんなんさんとねんごろすれば 決めた給金よりゃ袖の下
 ※茶山の持ち主と深い仲になって、袖の下をもらっているのでは?の意。悪口唄。
☆決めた給金よりゃ袖の下よりも 私ゃごりょんさんの眼がえずい
 ※ごりょんさん=おかみさん
  えずい=怖い
☆あんたみたよな牡丹の花が 咲いていました来る道に
☆お茶は揉めたか釜の上はまだか 早く揉まねば遅くなる
☆わしとお前は焼け野の葛 蔓は焼けても根は残る
☆四月は茶山に夏は筑前に 秋は豊前の櫨に山
 ※年中、出替わりで方々に奉公に出ていることの自嘲。
☆お茶を揉んでくれと足取り手取り しまゆりゃご苦労じゃと戸をつめる
 ※茶揉みの手伝いにかこつけて近隣の若者が娘と仲良くなりたくて寄ってみたら、手伝いが終わった途端に冷たくあしらわれたといった程度の意。

茶山節 中津江村栃野
☆アーヤーレ 茶山茶山と楽しゅで来たが(アーやれ揉めやれ揉め)
 アーなんのよかろか坂ばかり(アーやれ揉めやれ揉め)
☆茶山だんなんさんなガラガラ柿よ 見かきゃよけれど渋うござる
☆姉がさすなら妹もささにゃ 同じ蛇の目のからかさを

茶山節 上津江村川原
☆インヤーレ 茶山戻りのあの菅の笠 どれが姉やら妹やら
 (やれ揉めやれ揉め その気でやるなら石でも瓢箪 ドッコイドッコイ)
☆茶摘みゃしまゆるじょもんさんな帰る 私一人が残される
☆あんた帰るかと袂にすがる 離せまた来る来春は
☆どうせ帰るなら日田まで送ろ 日田から互いに泣き別れ

茶山節 上津江村上野田
☆イヤーレ 声のよさよさ細谷川の(コラサイサイ)
 すすき小藪の鴫の声(アーやれ揉めやれ揉め)
☆茶山戻りはみな菅の笠 どれが姉やら妹やら
☆姉がさすなら妹もささにゃ 同じ蛇の目のからかさを
☆こんなやわい茶は五貫どま摘まにゃ 様のかんざしゃ何で買う

茶揉み唄 上津江村
☆ヤーレ 今年初めて茶山に来たら(トコサイサイ)
 お茶の摘みようがまだ知れぬ
 「アーやれ揉めやれ揉め)
☆お茶の摘みようを知らぬならおそうよ 古葉残して新芽摘む
 「アー押さされ引かされしっかり揉まされ)
☆お茶を揉むときゃ腰う折りかけて 腕に力を入れて揉め
 「アー揉まされ揉まされ、その気で揉むなら石でも粉になる)
☆お茶は揉め揉め揉まねばよう出ぬ 揉めば柴茶も濃茶となる
 「アー揉まされ揉まされ、常にゃ来んけん来たときゃ寄らさい
  道端じゃあけん団子して待っちょる

茶揉み唄 日田市
☆ヤーレ 縁がないなら茶山においで 茶山、茶どころ、縁どころ



16、油しめ唄
 手作業で油絞りをしていた時代は、たいへん骨が折れる仕事だった。そのため木遣唄に類似するものを調子付けに唄った。

●●● 油しめ唄 ●●●
 ほとんど地口に掛け声を添える程度のもので、テンポが速くて勢いがよい。

油しめ唄 大分市
☆一丈五尺の サンフンナンエー かねの柱に サンフンナンエー
☆猿つなぎに つなぎつないで
☆それの周りに バイラ積み重ねて
☆四方の隅から 火をつければ
☆お七さんこそ 恋に無情の



17、青海苔とり唄
 農閑期に、山国川の河口で青海苔とりをしながら気晴らしに唄った。あくまでも副業だったが、「何の因果やんで青海苔とりゅ習うた」の文句の通り、冬の川に入って青海苔をとるのはたいそう身にこたえる作業だったという。そのわりに儲けは薄かったそうだ。今は作業の傍らに唄うことはなくなったが、ふるさとの唄として唄い継がれている。

●●● 青海苔とり唄(ソレソレ節) ●●●
 文句を見てみると、作業の辛さを嘆くものよりも色恋のものが目立つ。これは盆踊りの口説や都々逸、二上りその他の流行小唄の文句を勝手気ままに転用したものである。節は、字脚をかっちりと乗せておいて節尻を引き延ばす程度の簡単なもので、近隣のものすり唄や田植唄にもこれと同種と思われるものが見られる。
 ところで、この唄をよく注意して聴いてみると、節回しがずいぶん変化しているも「下津井節」と似通った点が多い。何らかの関係があるのだろう。「下津井節」の類の節はかつて瀬戸内海沿岸部で広く行われたそうで、大分県内でも沿岸部に転々と伝わっていた。

青海苔とり唄 中津市
☆何の因果やんでヨー 青海苔取りゅなろうたヨー(寒の師走も川の中ヨー)
☆寒の師走も 日の六月も(辛い勤めもせにゃならん)
☆七つ下がれば わしが目は見えんぞ(鳥を殺したそのとがか)
☆思い出しゃせんか 泣きゃせんか殿御(思い出しもせにゃ泣きもせぬ)
☆今朝の寒さに 笹やぶ越えて(笹の露やら涙やら)
☆小石小川の 鵜の鳥ゅ見やれ(鮎をくわえて瀬をのぼる)
☆浅い川じゃと 小褄をからげ(深くなるほど帯をとく)
☆沖のかもめに 潮時ゅ問えば(わたしゃ立つ鳥波に問え)
☆波に問うのは いとやすけれど(沖の白波ゃもの言わぬ)
☆沖のとなかに お茶屋を立てて(上り下りの船を待つ)
☆山は焼けても 山鳥ゃたたぬ(子ほどかわゆいものはない)
☆こんな苦労も せにゃ食われんか(思や涙やんが先に出る)
☆かわい鴉は かわいちゃ泣かんど(野辺の団子が欲しゅて泣く)
☆好いて好かれて 添うこそ縁じゃ(親のやる先ゃ無理な縁)
☆松の葉のよな 狭い気は持たで(広い芭蕉葉の気をもちゃれ)



18、櫓漕ぎ唄
 船で櫓を漕ぐときに唄ったもので、大分では海の漁船または伝馬船ばかりで、川舟で唄われたものは採集されていない。夫婦船頭の小さな舟もあれば八丁櫓などの大きな船もあったが、息を合わせるためというよりは、景気づけに唄ったと思われるものが多い。

●●● 櫓漕ぎ唄 その1 ●●●
 この種の節回しをもつ唄は瀬戸内一円に広く残り、特に「音戸の船唄」が著名である。大分県内でも、宇佐市から佐伯市にかけての沿岸部で広く唄われていた。エビ打ち唄、櫓漕ぎ唄など海に関連する作業で唄われたものはおろか、池普請唄やものすり唄なども採集されている。この種の節回しの流行のほどが伺われる。

櫓押し唄 臼杵市
☆ヤレー 器量の悪いのに声なと良けりゃヨ
 (コラサッサーコラサノショッショとコリャ)
 声で一夜のノーヤレー なびかしょにヨ
 (アーコラショのショッショ ヨイコノショッショとコリャ)
 ※声なと良けりゃ=せめて声でもよければ。「~なと」は「~なっと」とも言い、「(せめて)~だけでも」や「~でも」の意で使う。後者は「お饅頭でもどうぞ」のときの「でも」で、「それでもいいよ」の「でも」ではない。
☆船は新造で乗りよいけれど(マカショ マカショのマカショで)
 田舎造りで あかがいる(ショッショ ショッショのショッショで)
☆男情なし寝たときばかり(コラセ コラセ)
 起きて帯すりゃ ふたごころ(アードッコイ ドッコイショとドッコイ)

櫓漕ぎ唄 臼杵市津留
☆ヤレー押せ押せ船頭さんもかかもヨ(ハーねじ込め ねじ込め)
 押せば港はノーヤレ 近くなるヨ(ハーねじ込め ねじ込め)
☆津留はよいとこお城を前に 臼杵あらせを そよそよと
 ※類歌「土佐はよい国南をうけて、さつまおろしがそよそよと」
☆あらせまともに今朝出した舟は どこの港へ 着いたやら
 ※まとも=追い風(帆掛け船の進行方向に向かって後ろから吹く風)
☆瀬戸にゃ瀬はない音戸の瀬戸にゃ 一丈五尺の 櫓がしわる
 ※類歌「船頭可愛や音戸の瀬戸に、一丈五尺の櫓がしわる」

上荷唄 佐伯市東灘
☆ヤーレ 私ゃ佐伯の灘村生まれヨー(ハーヨイサノサッサイ)
 朝も疾うからノーヤレ 上荷取りヨー(ハー ゴトリンゴトリン)
 ※上荷取り=大きな船の荷を、伝馬船で陸に運ぶ仕事
☆沖の暗いのに白帆が見ゆる あれは佐伯の 宝重丸
 「ハーヨイサノサッサだ ヨイショの固まりゃ小判の端じゃい
☆押せよ押させよ船頭さんもかかも 押さにゃ上がらぬ この瀬戸は
☆船がいっぱい来りゃ蒸気船か思うて 石間お源さんが 出て招く
☆保戸の高子はさいの波絶えぬ わしが胸には 苦が絶えぬ
 ※さいの波=越していかれないほどの荒波
☆よがな夜通しジャコの子も乗らぬ お手をはたけた 蛸ばかり

櫓漕ぎ唄「ヨイヨイ節」 蒲江町
☆ヤレー わしが思いはイサゴの浜のヨーイ
 松の数よりノーヤレ まだ多いヨーイ
☆恋し恋しと待つ蝉よりも 泣かぬ蛍が 身を焦がす
☆千秋万々歳で思うこた叶うた 末は鶴亀 五葉の松

シャコ曳き唄 蒲江町畑野浦
☆ヤーレ 天が狭いのか三つ星ゃ並ぶヨ
 海が狭いのか ノーヤレ エビゃかがむヨ
☆引けどしゃくれどシャコの子も乗らぬ お手を広げた タコばかり



●●● 櫓漕ぎ唄 その2 ●●●
 この唄は、今は「関の鯛釣り唄」としてステージ民謡化され全国的に知られている。もとは、魚釣りのときよりも櫓を漕ぐ際にしばしば唄われたものである。類似する節は国東方面でも唄われたようだが、今では佐賀関特有の唄として認識されている。音域がわりと広いし音引きも多く、節が細かいので「その1」に比べると唄い方がなかなか難しい。

一本釣り唄 佐賀関町関
☆関の一本釣りゃナー 高島のサ 沖でナ
 波にゃゆられて サーよう言うたノ  鯛を釣るわいの
 「ハーヤンサノゴッチリ ゴッチリ船頭 鰤かな鯛かな 鯛じゃい鯛じゃい
☆釣って釣り上げて ナマイヨにゃ 立てて
 大阪ジャコ場の よう言うた 朝売りじゃいの
 「ハーヤンサノゴッチリ ゴッチリ船頭 鰤かな鯛かな 鰤じゃい鰤じゃい
☆コンタンベー下らすときゃ 腰の紺手ぬぐいどま 置きゃれ
 様を見る見る よう言うた 顔を拭くわいの
 「ハーヤンサノゴッチリ ゴッチリ船頭 鰤かな鯛かな 鯛じゃい鯛じゃい
☆平瀬小瀬戸にゃ 白帆が 見ゆる
 上の釣り船が よう言うた 今が下りじゃいの
 「ハーヤンサノゴッチリ ゴッチリ船頭 鰤かな鯛かな
  鯛じゃい鯛じゃい 鯛ならはね込め 鰤なら釣り込め
メモ:節を整えて「関の鯛釣り唄」としてレコード化され、民謡歌手にもよく唄われているので、大分県の民謡の中でも特によく知られている。流し踊りの振りもつけられ、佐賀関ではよく踊られている。

6、畑唄について
 これは畑仕事その他の際に気休めに、適当に流行歌を口ずさんだ程度のもので、特定の作業を伴うものではない。そのため掲出は少数にとどめる(座興唄の項を参照してください)。

●●● 畑唄(高い山) ●●●

畑唄 中津江村
☆高い山から谷底見れば 瓜や茄子の花盛り
 あっちもヨリャ ドンドン こっちもヨリャ ドンドン
☆高い山から握り飯こけた からさ喜ぶわしゃひもじ
☆くすり峠の権現様よ 見れば目の毒、歯の薬
☆様よ三度笠横っちょにかぶり かぶりかるかや女郎花



7、麦打ち唄について
 足踏み式の脱穀機が普及する前は、千歯扱きを使っていた。お米は千歯扱きで扱くだけでよいが、麦の場合は折れた穂がそのまま落ちてしまうので、それをまた筵に広げて「クルリ棒」で打って脱穀していた。クルリ棒を振りながら麦を打つのは根気のいる作業で、しかも日照り続きで穂が十分に乾燥した状態で、炎天下で行わなければうまく外れなかったので、大変な重労働だったという。やっと打ち終わったかと思えば集めて篩にかけてある程度は選り、さらにそれを唐箕にかけてクズを吹き飛ばす必要があり、手間がかかる。親類縁者や隣組のマクリで行ったので勝手気ままに休憩をとるわけにもいかず、舞い上がるクズが玉の汗の肌にチクチクと「はじけえ」不快感もこらえながらの辛い作業だったため、景気づけに麦打ち唄を唄いながら調子を揃えて打ち続けた。足踏み式の脱穀機の時代になっても、落穂を集めて麦打ちをしたそうだ。

●●● 麦打ち唄 その1(ノーヤレ) ●●●
 瀬戸内海沿岸部で広く唄われた櫓漕ぎ唄と同種の節で、長洲の「エビ打ち唄」とほとんど同じである。「エビ打ち」は特殊な作業なので、おそらく「麦打ち唄」の方を「エビ打ち」にも転用したのだろう。

麦打ち唄 豊後高田市呉崎
☆ヤーレ 山の木茅は風が吹きゃなびくヨー
 私ゃあなたがノーヤレ 来りゃなびくヨー(ドスコイドスコイ)
☆殿御さんたちゃ御兄弟連れで 唄の稽古にゃ 上方に
☆思い出すよじゃ惚れよが薄い 思い出さずに 忘れずに
☆親はお伊勢に子は島原に 落ちる涙は なぞなかに



●●● 麦打ち唄 その2 ●●●
詳細不明

麦打ち唄 玖珠町柿西
☆とんとすとんとんと麦打ち暮らしゃ 軒を焼く日が目に沁みる



8、唐箕唄について
 唐箕とは穀物を入れてハンドルを回し、風力でゴミのみを吹き飛ばす道具。資料館などでもよく見かけるが、今でも使っている家庭も多い。箕でふるってゴミを除いていた頃にくらべると作業効率は飛躍的に向上したようで、唐箕の「唐」は中国発祥という意味ではなく、たとえばハイカラなものに「南蛮」とつけたのと同じ感覚で、文明的なもの、最新のものという程度の意味合いで「唐箕」と呼んだのだろう。

●●● 唐箕唄 ●●●
 速いテンポで勢いよく唄う。唐箕を回す際に気晴らしに口ずさんだ程度で、何か違う作業で唄ったものを速く唄ったにすぎないと思われる。唐箕専用の唄ではないだろう。

唐箕唄 宇佐市長洲
☆沖の鴎にナーヨー 潮時ょ問えばヨ
 私や立つ鳥波にゃ問えエー ヨイヤーエー
☆波に問やまた荒瀬に問えと 荒瀬なければ波ゃ立たぬ
☆来るか来るかと雨戸に書けば 待てば甘露の雨が降る
☆関の地蔵さん親切者よ 雨も降らぬに傘くれた
 ※関の地蔵さん=女郎さんの暗喩
  傘=カサ(梅毒)との掛詞
☆傘を貰うたじゃ柄のない傘を 末はお医者の手にかかる
 ※直前の文句の種明かし
☆娘島田に蝶々がとまる とまるはずだよ花じゃもの



9、桑摘み唄について
 養蚕をしている家庭では、その時季は目の回るような忙しさだったという。昼間は床替えや田畑の作業にも追われ、いきおい桑摘みは暗くなってからの仕事になり、眠気覚ましに唄を唄った。

●●● 桑摘み唄(オヤマカチャンリン節) ●●●
 「オヤマカチャンリン節」は明治半ばに流行した戯れ唄で、大正末期には廃絶したそうだ。山村豊子や吉原〆治などがレコードに吹き込んでいそうだが、今のところ当時の音源は聴いたことがない。大分県内でもそれなりに流行したようで、挾間町朴木では盆口説に転用されている。

桑摘み唄 山香町
☆昼はとんとん床替えばかり 晩は桑摘み眠たかろ
☆蚕飼い上げまぶしにゃあげて 様とおおぼの湯に行こや
 ※おおぼの湯=『民謡緊急調査』音源聴き取りにて、用字不明。「おおぶの」とも聞こえるが、近隣に似たような名前の温泉が見当たらない。
☆足が悪くば七重の膝を 八重に折りてのお断り
☆花はいろいろ五色にゃ咲けど 主に見返す花はない
 ※主に見返す=元は「主に見替えの」と思われる。つまり「好きな殿御にまさる花はない」の意。
☆花になりたやジュクロの花に 花は千咲く実は一つ
 ※ジュクロ=ザクロ
メモ:山香町は「山香米」「山香牛」「えびね蘭」などが特産だが、昔は養蚕も盛んだった。養蚕の仕事は5月から9月頃で、ちょうど稲作の農繁期と重なる。そのため養蚕をしている家庭は目の回るような忙しさで、夜なべ仕事も多かったとのこと。眠気覚ましや調子付けに「桑摘み唄」を唄ったのだろうが、節は流行小唄の転用で、そう古いものではないようだ。「昔は座敷の畳まで全部あげて屋敷内の一面を養蚕に使って、人間の方が小さくなっていた」と話してくれた人がいた。その時季の忙しさや生活の不便さを補う収入があったのだろうが次第に下火になっていったようで、今では「山香」と聞いて「養蚕」を思い浮かべる人は誰もいない。



10、糸引き唄について
 家庭内では木綿を枷繰りにかけて糸をつむぎながら口ずさんだ。昼間は野良仕事に追われて、いきおい糸引きは夜なべ仕事が常であったので、眠気覚ましにいろいろな唄を唄った由。また、明治以降はぼつぼつ紡績工場ができて、働きに出た娘が唄ったものある。

●●● 糸引き唄 その1(ソレソレ節) ●●●
 この種の節は瀬戸内海沿岸部で広く唄われ、特に下津井では三味線がつき騒ぎ唄として親しまれた。戦前のうちからレコードで紹介され、「下津井節」として全国に普及している。今では下津井特有の節のように思われているが、大分県下でも広く唄われたようだ。

木綿引き唄 蒲江町
☆エー わしが木綿引きゃヨー お馴染みさんがヨー ソレソレ
 寝ろや寝ろやと糸を切らすヨー
 トコハイ トノエイ ナニュエイ ソレソレ
 ※「夜なべをして糸を引いているところに彼氏が来て、もう糸引きはやめて寝ようよなどと邪魔をする」の意
☆木綿引く引く居眠りなさる 糸のでるのを夢に見た
☆木綿引き習うて機織り習うて 仕立て習うたら人の嫁



●●● 糸引き唄 その2(ドッコイセ節) ●●●
 「ドッコイセ節」は今でもよく知られている「春は嬉しや、二人転んで花見の酒…」の元唄である。大分ではよほど流行したとみえて、座興唄、作業唄、盆口説などとして県内全域で採集されている。

糸ひき唄 佐伯市木立
☆木綿ひきひき眠りどまするなヨイ 眠りゃ名が立つ宿の名が
 アドッコイショーノショー こりゃよかろ
 ※眠りどまするな=眠ったりするな
  宿=娘宿(隣近所の未婚の女性が集まって夜なべ仕事をしたりする家)
☆木綿ひくひく眠りどまするな 眠りゃ伽衆がみな眠る
☆寝ても眠たい夏の夜に 木綿ひけとは親が無理
 ※親が無理=親の無理ごと



●●● 糸引き唄 その3 ●●●
詳細不明

糸引き唄 弥生町切畑
☆わしが木綿引きゃ おきせんが とめて寝ろやと 糸を切る
 ※おきせん=彼氏



●●● 糸引き唄 その4(オヤマカチャンリン節) ●●●
 桑摘み唄の項を参照してください。

女工唄 宇佐市横山
☆かわいがられた蚕の虫も 今は地獄の釜の中
☆製糸工女さんにどこ見て惚れた 赤いたすきで糸を引く
☆工女三日すりゃ弁護士ゃいらぬ 口の勉強がよくできた
☆蚕飼い上げてまぶしにあげて 早もお国に帰りたや
メモ:昔、四日市では製糸業が盛んで、出稼ぎの女工さんが多かった。作業の辛さから出た唄だろうが、「工女三日すりゃ」云々の文句などなかなか機微のある文句も多い。



●●● 糸引き唄 その5 ●●●
 これは「ナット節」とか「サガレン小唄」の類の節で、多聞に流行小唄的なものである。関西方面に出稼ぎに行った娘が紡績工場で気晴らしに唄ったものを、里に戻ってからも口ずさみ近隣で流行したのだろう。

女工唄 米水津村
☆女工女工と偉そうに言うな 月に十円 二十円
 儲けたお金はみな貯金 お金の土用干ししてみしょか
 ※女工女工と偉そうに言うな=女工だといって偉そうに見下げてくれるな



●●● 糸引き唄 その6(さのさ節) ●●●
 これも「その5」と同じ経緯によるもので、「字余りさのさ」の転用。

女工唄 米水津村
☆佐伯出帆してネ 臼杵ちょっと着いて佐賀関
 大分、別府、日出、守江、長浜、三ヶ浜、今治、多度津やネ
 高松や 神戸乗り出す まもなく大阪に着いた着いた



11、紙漉き唄
 農閑期の副業で紙漉きをするところがあった。特に三重町内山は紙漉きどころとして著名。冷たい水を使うので骨の折れる仕事だったそうだ。

●●● 紙漉き唄 その1 ●●●
 ところどころが3拍子になってはいるが、さして特徴のない節である。ものすり唄の転用だろう。

紙漉き唄 三重町内山
☆三重の内山 紙漉き所ヨ
 紙を漉く娘の 器量よしヨ(ハーギッコン ギッコン)
☆色は黒うても 内山紙は ひきの強いが 自慢でござる
☆嫁をとるなら 内山にござれ 紙を漉く娘と 申してござれ
☆紙を漉く娘は お家の宝 千両積まねば 嫁にはやれぬ
☆金の千両は 一両もいらぬ 男度胸に 惚れてはやるよ



●●● 紙漉き唄 その2(ヨイヨイ節) ●●●
 この節は大分市以南の沿岸部を中心に広く唄われたもので、作業唄、守子唄その他として種々伝承されている。特に宇目町の節は「宇目の子守唄」としてよく知られている。

紙漉き唄 弥生町山田内
☆親がやるとも山田内にゃ行くな ヨイヨイ
 寒の師走も水の中 ヨイヨイ
☆畑木極楽、山田内地獄 間のいぜ屋が御所どころ
☆好いた男に茶を汲むときは 金の茶碗にすいし水
☆好かん男に茶を汲むときは 欠けた茶碗に泥の水
☆わしのスーちゃん下田の狐 行かな来ん来ん行きゃだます
 ※来ん来ん=「来ない」と狐の鳴き声「コンコン」をかける



12、木挽き唄
 昔の林業では、枝打ちから伐採、製材まで全て手作業で行った。この唄は全ての工程で唄われたものである。山主は所謂「山師」といわれた専従の職人を雇っていたが、山師はある山の作業が終われば次の山へと移動していくことが多かった。それで、同種の節回しをもつものが方々に伝わっている。

●●● 木挽き唄 その1 ●●●
 同種のものが県外でも広く唄われており、特に地域性は感じられない。

木挽き唄 山国町槻木
☆ヤーレ 親は親竹子は樋の水
 親の遣る先ゃどこまでも(ジャラッキン ジャラッキン)
☆木挽きゃ木臭い木は樅臭い 桧松の木杉臭い
☆様よ忘れた豊前坊の原で 羅紗の羽織を茣蓙とした
☆灯り障子に梅屋と書いて 客は鶯来てとまる
☆娘十七八ゃ根深の白根 白いところにゃ毛が生えた
☆抱いて寝なされ抱かれて寝ましょ 私ゃ今宵が色初め

木挽き唄 山国町宇曽
☆ハー 木挽さんとて一升飯ゃ食ろうて
 鋸と二人で金儲け(ヤーゾロッコン ゾロッコン)
☆登りゃ英彦山 下れば中津 ここが思案の朝日橋
☆木挽さん帰るかと 鋸の柄にすがる 離せまた来る秋山に

木挽き唄 耶馬溪町山移
☆木挽ゃ去ぬるかと鋸ん柄にゃすがる
 離せまた来る秋山にゃ アーショッキンショッキン
☆山で泣くのは木挽さんの子じゃろ 木挽ゃ子がない鋸の音
☆鋸もやすりも番匠の曲尺も 置いてお帰り宿賃に

木挽き唄 耶馬溪町山移
☆木挽ゃ山家の山にこ住めど 小判備えて女郎買う
☆小判揃えて女郎買うときは どんな旦那も敵やせぬ
☆木挽ゃ帰るかと鋸ん柄にすがる 許せまた来る春山に
☆連れて行きなれフコンの木挽 フコンならねば七曲

木挽き唄 耶馬溪町山移
☆山にゃ子が泣く木挽さんの子じゃろ 木挽ゃ子がない鋸の音
☆鋸とやすりと番匠の曲尺を 置いてお帰り米の代

木挽き唄 耶馬溪町大野
☆ヤレー 起きてお帰り朝寝の様よ 枕小障子に朝日差す
☆置いてお帰り番匠の曲尺を これを御縁にまたござれ
☆木挽ゃよいもん米ん飯ゃ食うが 松の黒節ほやがある

木挽き唄 宇佐市麻生
☆ヤーレ 鋸は京前諸刃のヤスリ アー 挽くはお上の御用の板
 ※御用の板=お上に年貢として納める板
☆ヤーレ 御用の板とは夢にも知らぬ アー 墨をよけたはごめんなれ
 ※糸に墨をつけて、それをピンと張って木につけ、切るときの目安にした。それを外れて切ってしまったので「墨をよけた」と言っている。
☆ヤーレ 鋸もヤスリも番匠のカネも アー 置いてお帰れ米の代
「ハーショロッキン ショロッキン 儲かる儲かる
 一鋸挽いてはあの娘のためだい 二鋸挽いては孫子のためだい

木挽き唄 国東町
☆大工さんよりゃ木挽きどんが憎い
 仲のよい木を引き分ける アーショッキンショッキン
☆木挽き木挽きと一升飯ゃ食ろうて 松の枯節ゃ泣いてわく
 ※わく=割く
☆山で床とりゃ木の根が枕 木の根はずせば石枕

木挽き唄 山香町山浦
☆ヤーレ 三十三枚の大歯の鋸で
 アリャ挽くもお上の御用の板 ショロッキン ショロッキン
☆木挽きぐらいが色しょた何か 似合うた松の木にゃ横止まり
 ※色しょた=色ごとをしようとは
☆木挽きゅ見ろどちゃ藪で目を突いた 木挽きゃ見まいもの身の毒よ
 ※木挽きゅ見ろどちゃ=木挽きを見ようとして
  類歌として「おけさ踊るとて葦で目を突いた、葦は生葦、眼に毒だ」等
☆唄は節々ところでかわる 竹の節でさえ夜でかわる

木挽き唄 大分市坂ノ市
☆アーレ木挽きさんたちゃトンボな鳥な
 いつも深山の木を頼る シャリッコショー シャリッコショー
☆木挽き女房にゃなるなよ娘 木挽きゃ腑を揉む早う死ぬる
☆大工さんよりゃ木挽きさんが憎い 仲のよい木を挽き分ける

木挽き唄 臼杵市東神野
☆イーヤーレー 木挽きさんたちゃ蜻蛉な鳥な
 いつも深山の木を頼る アーシャリッコー シャリッコー
 ※蜻蛉な鳥な=蜻蛉か鳥か
☆挽けどしゃくれどこの木のこわさ どこの深山の悪木な
 ※この木のこわさ=なんとこの木の堅いことか
☆三十三枚の諸刃の鋸で 切れるか切れぬは腕のあや
 ※腕のあや=腕次第
☆涼むふりして更くるのも知らで 今や来るかと松に風
 ※松に風=「待つ」をかける。「物音がしたので誰か来たかと思えば風で木が揺れただけだった」といった程度の意。
☆唄の上手の一人よりも 下手の連れ節ゃおもしろや

木挽き唄 弥生町切畑
☆ヤーレ わしの挽く木にスーちゃん乗せて
 挽く挽く眺むりゃ百合の花
 ※スーちゃん=恋人
☆山で色すりゃ木の根が枕 落ちた木の葉が夜具となる
☆なんぼ広島産の掛刃でも 佐伯二条刃にゃかなやせん

木挽き唄 佐伯市
☆ウンヤーレー 山に小が泣く山師の子じゃろ アラ育てにくかろ
 アラ山小屋は アーシャッコリン シャッコリン
☆木挽き女房にゃなるなよ妹 妹だまして 姉がなる

木挽き唄 蒲江町
☆ヤーレ わしの挽く木に篭り節あるで 人の知らない苦労する
☆佐伯ゃナバ山、鶴崎ゃ木挽き 日田の下駄引き軒の下

木挽き唄 宇目町木浦
☆ヤレ 木挽き女房にゃなるなよ娘
 ホタがドンと来りゃ若後家じゃ アーゴッシンゴッシン
☆姉にゃ子守傘、妹にゃ手細 それじゃ妹が承知せぬ
 「アー 一厘とっても十日にゃトチリン
☆鋸もヤスリも番匠のカネも 置いて行かんせ米の代
 「アー 一鋸三文一文五分づつあの娘と分け取り
 ※カネ=カネ尺
☆木挽さん達ゃ芸者の暮らし 挽いて唄うて金を取る
☆何ぼ挽かんでも二間どま挽かにゃ かかの湯巻は何で買う
 ※二間どま=せめて二間くらいは
☆やれやれやれやれやれやれ他家に うちのおたふく嫁にやれ

木挽き唄 挾間町来鉢
☆私ゃ父さん木挽きは嫌じゃ 木挽きゃ腑を揉むエー
 早う死ぬる ハーコロリン コロリン
☆山で床取りゃ木の根が枕 落つる木の葉が 夜具となる
☆山で泣くのは山師の子じゃろ ほかに子はない 板小屋で

木挽き唄 挟間町朴木
☆ヤーレ 鋸とヤスリと番匠のカネを イヤコラサイサイ
 ア置いてお帰り米の代 ヤ、ショッキンショッキン
☆米の代と言うちゃそりゃ置ききらぬ ヤスリ代とでも言うておくれ
☆こげなよい日にゃ五間どま挽かにゃ かかの土産に何を買う
☆山で子が泣きゃ山師の子じゃろ 山師子はない鋸の音
☆やれやれやれやれやれやれやれやれとは何か そちが妹をこちにやれ
☆こちが妹をばやるこたやるが 小野小町で穴がない

木挽き唄 湯布院町中川
☆山で子が泣く山師の子じゃろ(ヨイヨイ)
 山師ゃ子がない鋸の音(アーショロッキン ショロッキン)
☆大工さんより木挽きさんが憎い 仲のよい木を挽き分ける
☆朝も早うからお山に登り 大黒柱を今日はわく

木挽き唄 湯布院町荒木
☆エー 大工さんよりゃ木挽きさんが憎い
 仲のよい木を引き分ける ハーショロッキン ショロッキン
☆あなた思うに身が痩せ細る 思いやめたらまた肥えた
☆木挽きさん達ゃ蝶々か鳥か 昼は野山の木にとまる

木挽き唄 緒方町
☆ヤーレ 木挽き女房にゃなるなよ妹 木挽きゃ腑を揉む早う死ぬる
☆木挽きさん達ゃ蜻蛉か鳥か いつも深山の木にとまる
☆七つ下がれば鳥ゃ木にとまる なぐれ木挽きも宿につく

木挽き唄 久住町白丹
☆ヤーレ 木挽きさん達ゃトンボな鳥な いつも深山の木を頼る

木挽き唄 直入町長湯
☆ヤーレ 山で泣く子は山師さんの子じゃろ
 どこで育ちょか山小屋で ハーショッキンショッキン
☆山師さんどま蜻蛉な鳥な いつも深山の木を頼る

木挽唄 九重町南山田
☆ヤーレ 木挽きさん達ゃヨ トンボか蝉か
 明日は深山の木にとまる
☆山で切る木の 数多かれど 思い切る気はさらにない
☆山で泣くのは 木挽きさんの子じゃろ 木挽きゃ子がない鋸の音

木挽唄 玖珠町小田
☆ヤーレ 木挽きにょんぼにゃなるなよ妹
 木挽きゃ子がない鋸の音 サーヤレ サーヤレ
☆山で子が泣く山師の子じゃろ ほかに泣く子があるじゃなし

木挽き唄 玖珠町柿西
☆山で子が泣く木挽の子じゃろ 木挽ゃ子がない鋸ばかり

木挽き唄 日田市山田
☆インヤーレ 山で子が泣く木挽きの子じゃろ
 ハあれは子じゃない鋸の音 ハー ドウカナ ドウカナ
☆七つ下がれば蜩でさえ 鳴いて心を勇ませる
☆木挽きさんにはどこ見て惚れた 帳場戻りの足袋はだし
☆破れ障子と書いたる文は 梅に鶯、春を待つ

木挽き唄 前津江村大野
☆ハヤーレ 蟻が鯛なら芋虫ゃ鯨 蝶々とんぼも鳥のうち
 アー シャリッコン シャリッコン
☆山で子が泣く木挽きさんの子じゃろ 木挽きゃ子はない鋸の音

木挽き唄 大山町続木
☆ヤーレ 木挽ゃ山中の山には住めど 小判並べて女郎を買う
 ヤー ゼイッチョン ゼイッチョン
☆あなた百までわしゃ九十九まで ともに白髪の生えるまで
☆山で子が泣く木挽きの子じゃろ 木挽きゃ子はない鋸の音
☆木挽きさんたちゃ山から山へ 花の都にゃ縁がない



●●● 木挽き唄 その2 ●●●
詳細不明

木挽き唄 弥生町切畑
☆挽けどしゃくれど コライヤショー
 この木の堅さ これがお山の悪木か



13、櫨ちぎり唄
 櫨(ハゼ)の実からは蝋が取れる。高い枝に上がって櫨の実をちぎるのは危険な作業だったそうだ。櫨採りの作業は、愛媛県からの出稼ぎの人が請け負うことが多かったらしく、或いはこの唄も愛媛に由来するものなのかもしれない。

●●● 櫨ちぎり唄 ●●●
 木挽き唄と同系統ではあるが、節が細かくて情趣に富んでいる。

櫨ちぎり唄 豊後高田市田染
☆ヤレー 鳴くな鶏ヨー ヤレまだ夜は明けぬヨー
 明けりゃお寺のヨー ヤレ鐘が鳴るヨー
☆何の因果か櫨採りを習うた 櫨の小枝に身をまかす
☆聞こえますぞえ櫨採りの唄が 朝も早うから威勢よく
☆唄も唄いなれ仕事もしなれ 唄は仕事もまぎれ草

●●● 普請唄・木遣唄 その8(ヤッシガシ) ●●●
 この唄は節の振れ幅が大きく、上句の半ばに長い音引きを挿んだかと思えば句切れを短く止めるなどメリハリに富んでいる。よく工夫された節だが、採集例は少ない。

池普請唄「けんなん節」 国東町富来
☆富来よいとこエーエーイヨエー ソレソレ アー一度はおいで
 日本三つの文殊ある ヤッシガシ アーヤッシガシ
☆沖のトナカにゃ 白帆が見える あれは紀州のみかん船
☆姉と妹にゃ 紫ょ着せて どちが姉やら妹やら



●●● 普請唄・木遣唄 その9(エンヤーエ) ●●●
 この唄は数ある普請唄・木遣唄の中でも特に早間で、一部ではステージ民謡としても唄われている。単純な節だが、次々に畳みかけるように唄うのでなかなかおもしろい。

池普請唄「ずん搗き唄」 宇佐市山本
☆ずん搗きゃナ ずん搗きゃナ 上がらにゃ下がらぬエンヤラエー
 (ヤレコノサンサノエー ソリャヨンヤサー ヨンヤサー)

地搗き唄 安心院町津房
☆アーずんづきゃナー コリャずんづきゃナー 上らにゃ下がらんエンヤラエー
 (ヤレコノサンサノエー ソリャ ヤットンセー ヤットンセー)
☆この石ゃ この石ゃ 奈落の底まで
☆お家じゃ お家じゃ お家じゃ大黒
メモ:池普請、屋敷普請に共通の地搗き唄として唄われた。

池普請唄「けんなん節」 国東町富来
☆アリャがんごりゃナ コリャがんごりゃナ ホイ
 上がらにゃ下がらぬエンヤーエー エンヤーエンヤーエンヤーエー
 ヤーコーノサーンサーノ エーイソーリャ ヨイヤサー ヨイヤサ
☆鳶が 鳴きます ピンヒョロヒョーロと
☆沖の かもめに 潮時問えば

土手搗き唄 挾間町朴木
☆アラ今日ゃエ 今日ゃエ アラ今日ゃご公役 エンヤーエー
 アラエンヤーエンヤーエンヤーエー ヤーレコノサーンサーノエー
☆はりこみゃ はりこみゃ はりこみゃけん剣崎
☆港が 港が 港が近づく
☆どなたも どなたも きりりとおまわり
☆今日ゃ 今日ゃ どなたもご苦労
☆どなたも どなたも お槌とお足で
☆今日ゃ 今日ゃ お奉行がおいでじゃ
☆ここらで ここらで ここらでひと締め
「ハーヨイトサー ヨイトサー ヨイトサー ヨイトサー

土手搗き唄 庄内町渕
☆じょさんどんなノー じょさんどんな骨なし エンヤーエー
 (エンヤーエンヤーアレエワイサノヨイ アードスコイドスコイ)
 ヤレコノじょさいは変わらぬエー(アーそこ搗けそこ搗け)



●●●  普請唄・木遣唄 その10(ノーヤレ) ●●●
 これは瀬戸内海沿岸で広く唄われた櫓漕ぎ唄の類と同種の節をもっており、海路にて伝わったものと思われる。県内ではこの種の俚謡が宇佐地方から西国東地方にかけて広く唄われた。著名なものとしては長洲の「エビ打ち唄」があげられる。池普唄請唄としてはずっとテンポを落として、はずまないリズムで唄う。

池普請唄「いけどこ節」 香々地町香々地
☆ヤーレ 静御前の初音の鼓ヨー(打てば近寄るノーヤレ 忠信がヨー)
 近寄る打てばヨー(近寄るノーヤレ 忠信がヨー)
☆年はいたれど江戸吉原の(女郎の手枕 忘りゃせぬ)
 手枕 女郎の(手枕 忘りゃせぬ)
☆咲いた桜になぜ駒つなぐ(駒がゆさめば花が散る)
 ゆさめば駒が(ゆさめば花が散る)
 ※ゆさめば=勇めば
☆沖の暗いのに白帆が見ゆる(あれは紀の国みかん船)
 紀の国あれは(紀の国みかん船)
☆みかん船なら急いでおいで(急ぎゃ寝もすりゃ買いもする)
 寝もすりゃ買いもする(寝もすりゃ買いもする)

池普請唄「ヨットンセ節」 香々地町塩屋
☆ヤーレ わしが唄うたら大工さんが笑うたヨ
 唄に鉋がヤレ かけらりょかヨ ソラツケ ソラツケ
☆唄に鉋がかけらりょなれば 雲に梯子がかけらりょか
☆雲に梯子がかけらりょなれば 海に千鳥がかけらりょか
メモ:文句に「ヨットンセ」という囃子が出てこない。元来ヨットンセーヨットンセーと囃したのを、池普請唄に転用した際に「ソラツケ ソラツケ」と囃すようになったのかもしれない。



●●●  普請唄・木遣唄 その11(けんちゃん節) ●●●
 この歌は宇佐方面を代表する池普請唄で、ステージ民謡、レコード民謡として全国に紹介されたので県内の作業唄の中では比較的よく知られたものと思われる。「ケンチャン」とはおそらく人名で、語呂を合わせるために挿入しただけで特に意味はないと思われる。たとえば筑豊地方の石刀唄に「ネーチャン」という言葉が挿入されるのと同じことだろう。また、流行小唄「ヤッコラヤノラ節」の、「松という字をヤッコラヤノラ、分析すればのう千代さん」などの「のう千代さん」も同様で、軽い呼びかけ程度の囃子である。

池普請唄「目搗き唄」 宇佐市横山
☆アラ 待つがよいかよヤーレー 別れがよいか
 (嫌なマタ 別れよ待つがよい) コラ(ヨイショ) コラ(ヨイショ)
☆切れた切れたよ音頭が切れた(腐れ縄よりかまた切れた)
 ※音頭取りが適当な文句を思い浮かばなくなったときに出す文句
☆縄の切れたな結んでもつがう(縁の切れたは結ばれん)
☆縁の切れたな茶の実が薬(植えて育つりゃ縁となる)

池普請唄「けんちゃん節」 宇佐市麻生
☆ハー 桜三月ノーヤー あやめは五月
 (咲いてケンチャン 年とる梅の花)
 年取るノーヤー 年取る咲いて
 (咲いてケンチャン 年取る梅の花)
☆梅と桜を両手に持ちて(どちら梅やら桜やら)
 梅やら 梅やらどちら(どちら梅やら桜やら)
☆恋し小川の鵜の鳥ゅ見なれ(鮎を咥えて瀬を登る)
 咥えて 咥えて鮎を(鮎を咥えて瀬を登る)
メモ:この「けんちゃん節」は昭和の中頃にレコード化されている。ただしレコード以降の節は全編に亙って2拍子で尺八なども入り、元唄とは少し違う。元来はもちろん無伴奏で、基本的に2拍子だが「あやめは五月」と「年取る咲いて」のどころは3拍子になっている。テンポは速めで、節に字脚がかっちりと乗っているためやや早口ではあるが、平易なので誰にでも唄うことができ親しみやすい。



●●●  普請唄・木遣唄 その12 ●●●
 地口に近い音頭で、大野方面で広く採集されている。

千本搗き「耳打ち」 緒方町軸丸
☆エンエーサ 皆さん願いましょか(ヨーイヨイ) 千本搗きの番ぞな
 イーヤーハンエー(アーエンヤーエンヤーアレワサーノヨイ)
 ヨーホイ(ヤーコノ如才はござらぬエー)
☆これほどなご評判に 如才のないとは
「そこで総体 鍬を上げさしゃれヨーイ(ヨーイ)
 ヨイセー ヨーイセ(ヨイセー ヨーイセ)
○ホリャ もう一声すらぞなヨーイセー(ヨイセー ヨーイセ)
 ホリャ 今度じゃ乗り出すヨーイセー(ヨイセー ヨーイセ)
○しっかりしゃんと搗け 甲札とれるぞ
○しっかりしゃんと搗け そういう調子で
○よい声よい音 柳に恋風
「ホラこやつで止めた ヨイトマカショ
 (ヨイトマカショ ヨイトマカショ)

千本搗き「耳搗き」 千歳村
☆ヒンエーハーハーかさぬ願いましょヨーイ(ヨイヨイ)
 ハーその場に堰をとれ エーヤーエー
 (エーヤーエーヤーアーレワサーノヨーイ)
 ドッコイドッコイ(ヤーコノ如才は) ソコ(ござらぬエー)

千本搗き「掛矢」 千歳村
☆ヒンエーハー息をつけ 汗もとれヨーイ(ヨイヨイ)
 ハー掛矢の番がきた エーヤーエー
 (エーヤーエーヤーアーレワサーノヨーイ)
 ドッコイドッコイ(ヤーコノ如才は) ソコ(ござらぬエー)

木遣り唄「九つ拍子」 久住町都野
☆ご繁昌乗り出すヨー ヨイヨイ 乗り出す様なら
 エーンヤハノエー エーンヤーエーンヤー ハレワイサノヨーイ
 ドッコイ ヤーコーノ 如才はござらぬヨー



●●●  普請唄・木遣唄 その13 ●●●
 これは地口を少し引き伸ばした程度のごく単調な音頭に掛け声を挿むばかりの音頭で、数ある木遣音頭の中でも最も簡単なものである。

木遣り唄 大分市上戸次
☆皆さん曳かんせヨーイサー ヨーイサー ヨーイサー
☆大きな材木

木遣り唄「二つ拍子」 久住町都野
☆これから始めるヨイショ ヨーイヨーイヨーイショ
☆あら皆さん頼むぞ

千本搗き「二つ拍子」 緒方町軸丸
☆ホラ も一声ずらぬがヨーイセー(ヨイセー ヨーイセ)
 ホリャ 音頭じゃ乗り出すヨーイセー(ヨイセー ヨーイセ)
☆柳に恋風 しなよくなびくぞ
☆しっかりしゃんと搗きゃ 腰はわり腰
☆よい声よい音 こらまたひどかろ
☆もう一声そえちょけ
「ホラこやつで止めた ヨイトマカショ
 (ヨイトマカショ ヨイトマカショ)

千本搗き「七つ拍子」 千歳村
☆コリャ この声乗るのじゃヨイセー(ヨイセーヨーイセー)
 ホイ 見事に揃うたぞヨイセー(ヨイセーヨーイセー)
☆額に汗ぞな 顔には紅葉じゃ



●●●  普請唄・木遣唄 その14 ●●●
 これは「その13」とほとんど同じだが、囃子の節が異なる。


池普請唄「棒打ち音頭」 山香町芋恵良
☆揃うたら出ましょか ヨーンヤサー
 (ヨーンヤサッサー ヨーンヤサー)
☆ぼつぼつじわじわ
 ※だんだん、少しずつ
☆掛け声ゃそろえて

千本搗き「車搗き」 緒方町軸丸
☆アラ車搗きの番ぞな エイトーナー
 (アーエーイトーナー エーイトーナー)
☆この声で乗り出すぞ
☆よい声じゃよい音じゃ
★アラ緒方 マタよいところ
 一度はおいでなエイトーナ
 (アーエーイトーナー エーイトーナー)
☆緒方町ゃよいところ
★米の なる木が おじぎをするぞな
★嫁を もらうなら 緒方においでな
★緒方 娘の 器量のよいこと
☆玉子に目鼻じゃ
「ホラこやつで止めた ヨイトマカショ
 (ヨイトマカショ ヨイトマカショ)

千本搗き「車搗き」 千歳村
「エーイトーナーエーイトーナーイ
 ソコ(エーイ) ソコ(トーナーエイトーナー)
☆ハイ後のマタ お声ぞエイトーナーハイ
 ソコ(エーイ) シャント(トーナー エーイトーナー)
★ハイこの声は乗りましょ(ハイ) 後も先も 一度にエイトーナー
 ソラ(エーイ) ソコ(トーナー エーイトーナー)
★見事にゃ揃うたぞ 秋のマタ 出穂よりゃ

千本搗き「呼び出し」 緒方町軸丸
☆さあござれござれ それござれ ござれと言うのにござらぬは
 ハーゆんべ貰うた花嫁ご 立派な座敷に座らして
 ハー金襴緞子を縫わすれば しっくりしゃくりと泣きなさる
 ハー何が不足で泣きなさる 何も不足はないけれど
 ハー襟とおくみをつけきらぬ 隣の婆ちゃんつけちょくれ
 ハーつけてやるのは易けれど お前も手習いつけならえ
 ハーエイトナー エイトナー エーイトナー

木遣り唄「五つ拍子」 久住町都野
☆月に群雲花に風 ソレ 散りてはかなき世のならい
 ハーエイトナー アーエイトナーエイトナー
☆探題主獲を司る 加藤左エ門重氏は



●●● 普請唄・木遣唄 その15 ●●●
 これも「その13」に近く、囃子の節がわずかに異なる程度である。

千本搗き「肩引き」 緒方町軸丸
☆エーホラけんびきゅ頼むぞ ヨイコラショイ
 (アラエーンヤーノエーイ)
☆しっかりしゃんとやれ
☆これで踏みましょ
☆皆さんひどかろ



●●● 普請唄・木遣唄 その16 ●●●
 地口の繰り返しばかりで、唄か掛け声か微妙な線ではあるが一応掲載する。

木遣り唄「木曳き音頭」 山香町山浦
☆奥山の ヨーイヨイ 大木が ヨーイヨイ
 みなさんの ヨーイヨイ せいいきで ヨーイヨイ
 ズラと出た ヨーイヨイ 瓢箪の ヨーイヨイ
 浮いてきた ヨーイヨイ
メモ:伐り出した大木を山から曳き下ろす際に唄われた。綱をかけて曳き出す方法や木馬を使う方法があるが、いずれも人数が息を合わせる必要のある力仕事にて、掛け声や木遣音頭が不可欠だっただろう。



●●● 普請唄・木遣唄 その17 ●●●
 木遣音頭の中では音頭が長い方で、上句・下句それぞれに下7字ずつを繰り返していくのがずいぶん変わっている。

地形唄 日田市
☆エーエーエー これがこの家の大黒柱(ハヨイヨイ) 大黒柱
 これがなからにゃこの家は建たぬ この家は建たぬ
 ハヨンヤサー サッコラサン ヤートセー
☆桜花にも迷わぬ私 迷わぬ私
 なぜにあなたに ヤレ迷うたやら ヤレ迷うたやら
メモ:家普請の、基礎工事の作業唄。



●●● 普請唄・木遣唄 その18 ●●●
詳細不明

木遣り唄 弥生町切畑
☆オイーエー ヨイトコ
 コラ咲いた桜になぜ駒つなぐ ヨイトコラ
 駒が勇めば花が散る ヨイトコラ
☆想うて通えば千里が一里 逢わずに帰れば一里が千里



●●● 普請唄・木遣唄 その19 ●●●
 ごく単純な音頭にかけ声をつけるばかりの木遣音頭で、南海部方面で広く採集されている。字脚を頭につめて節尻を投げる唄い方には、いかにも漁師町らしい威勢のよさが感じられる。

船揚げ音頭 津久見市四浦
「エーどんと揚げましょか(エーイ) ゼイオー(ゼイオー)
 ゼイオー(ゼイオー) ゼイオー(ゼイオー)
☆エーヨーイヤサーヨ(ヤンヤーヒューンエー)
 若い衆にゃ頼みじゃよ(ヤンヤーヒューンエー)
☆どんどと上がるじゃないか
☆お軽のかんざしゃ左に差した
☆ここらが瀬越しだよ
☆若い衆の骨折りじゃよ

荷がらめ唄 佐伯市東灘
☆ウントコウントコセ(アーウントコセー)
 ヤーも一つおまけにウントコセ(アーウントコセー)
 しめたら酒じゃウントコセ(アーウントコセー)
 このあとで取ろかウントコセ ヨーイノヨーヤナ(アヨーイヤナー)

きりこえ唄 佐伯市大入島塩内
☆ヒュンエーヨイヤサヨ(ヤンヤーヒュンエー)
 取り舵まないたよ(ヤンヤーヒュンエー)
 若い衆にゃ頼みます(ヤンヤーヒュンエー)
 アーエイヨイサヨイサ(ヤンヤーヒュンエー)
 どんどと上がります(ヤンヤーヒュンエー)
 お寺の曲ろくさんかい(ヤンヤーヒュンエー)
メモ:大きな漁船を陸に曳き上げる際の木遣音頭。



●●● 普請唄・木遣唄 その20 ●●●
詳細不明

粘土唄 弥生町切畑
☆サーオッコイナー オッコイナー 娘精出せ湖でくりゃ
 粟のごはんが米となる コイサーヨイヨイ
 ※湖=ため池 でくりゃ=完成したら
☆唄でやらんせこの位の仕事 仕事苦にすりゃ日が長い
☆わしが湖する役人ならば 一度のたばこも二度させる
 ※湖する役人=ここでは溜池工事の現場責任者  たばこ=休憩
☆黒雲に ちらと見えますあの一つ星 晴れて添い寝がしてみたい
☆深の夜にさえ迷わぬわしが 迷いましたぞ今ここに
☆あなた雛鳥わしゃ籠の鳥 お顔を見ながらままならず
☆表に来たのになぜ戸が開かぬ 憎やこの戸の掛け金が
 ※表=「思うて」を掛ける

杭打ち唄 弥生町切畑
☆エンチャンドッコイ ドッコイナ エイトコショ エイトコショ
 ヘンテコナ ヘンテコナ そら来いや ヤレ来い来い ヤレ来いや
 来い来い言うても 毎晩行かれん



●●● 普請唄・木遣唄 その21 ●●●
 一息ごとに字脚を頭につめて、節尻を投げて唄う。この種の唄い方は杜氏の作業唄等にも多々見られる。

こば出し唄 山国町槻木
☆さあさ始まり 山師のコバじゃヨ 拍子は揃うてドンとゆこかヨ
 (ヨイトーンコーリャ ヨイトーンコーリャ)
☆ここが難儀の峠の茶屋ぞ 一寸ずつでも十曳きゃ百ぞ
☆正月十五日にゃ花餅あげて 持ちゃげて曳くのが人力車
メモ:山国町は林業が盛んで、この種の唄は盛んに唄われた。「こば出し唄」は、伐り倒した木材を集材地まで曳きずって運ぶ際に唄ったものである。ほかに木馬を利用することもあれば、時代がさがればレールを敷設してトロッコで運び出すこともあったとのこと。現存する写真を見ると、ループ線や複雑なポイント切り替えなど大変立派な設備だったようだが、すべて撤去されている。



●●● 普請唄・木遣唄 その22(豊前) ●●●
 山香や大田の盆踊り唄「豊前」と同種の節回しで、明らかに盆口説の転用である。「豊前踊り」は、国東半島では田原の一部集落以外では下火になっているが、かつては北杵築や安岐、西武蔵、中武蔵、朝田、東都甲など比較的広範囲で踊られていた。
 
池普請唄「土手搗き唄」 姫島村松原
☆船の新造と娘のよいは
 人が見たがる アリャ乗りたがる(ハーヨーイサッサ ヨイサノサ)
☆連れて行かんせ伊予中島に 伊予はみすぎの よいところ
メモ:姫島の盆口説は島独自の節がただ一種類で、「豊前踊り」の節が盆口説として唄われたことはない。このことから、半島内のどこかで「豊前踊り」の節を土手搗き唄、池普請唄に転用したものが姫島にも伝わったと考えるのが妥当だろう。



●●● 普請唄・木遣唄 その23(蹴出し) ●●●
 盆踊り唄「蹴出し」の転用。

池普請唄「棒打ち唄」 宇佐市横山
☆やれ皆さん棒打ゅやろな(アーオイサオイサ)
 そうだよしっかりしゃんとやらにゃ(ヤーレショヤーレショー)
☆わしとあなたは相性じゃほどに しばらくつれあいましょか
☆竹に短冊七夕さまに 思いの歌を書く
☆船が出たぞな百二十七つ ござろかノー あの内に
☆ヨイト焼けたち山鳥立たぬ 可愛いものはない
☆ヤレあれ見よ八山が辻にゃ 松かさでノー 茶を沸かす
☆親の意見と茄子の花は 一つもノー 仇はない
☆ソリャ言うたぞ何からやろか やろとの思いもないが
メモ:この唄では下句の頭3字を必ず伏せるが、そればかりか上句の頭3字まで「ヤーレ」とか「ヨイト」に置き換えている場合もあり、自由奔放である。



●●● 普請唄・木遣唄 その24(唐芋節) ●●●
 盆踊り唄「唐芋節」の転用。

土手搗き唄 豊後高田市
☆鈴木主水というさむ(ヨーイヨヤナ) ハいう侍は(サノサイ)
☆女房持ちにて二人の 二人の子供



●●● 普請唄・木遣唄 その25(三つ星) ●●●
 かつて西国東地方で広く唄われていた盆踊り唄「三つ拍子(三つ星)」の転用。

池普請唄「千本搗き」 真玉町赤松
☆ヤーレしばらく(ソーラヨーイヨ)
 口説でやろか(ヤレショーヤレショ)
☆国はどこよと こまかに聞けば
☆国は上方 お江戸のことよ
☆江戸で緋鹿ん子 江戸紫よ



●●● 普請唄・木遣唄 その26 ●●●
流行小唄の転用か。

地搗き唄 玖珠町戸畑
☆ヨーイヨーイヨイヤサノサ 街道に名所がござる
 一に権現 二に浜のしょうれ松 三で下り松
 四でしょうの松 五で五葉の松
 ヨーイヨーイヨイヤサノサ

5、普請唄と木遣唄について
 両者は息を合わせて大人数で作業する際に唄うという共通点があり、その作業目的が重複するような場合が多いうえに曲目も似通っている。そのため別項立てはせず、一緒に掲載することにした。
(1)池普請唄・土手搗き唄
 大分県一円、特に宇佐地方・国東半島は溜池が多い。昔の池は樋口が破損したり漏水したりすることも多く、それを放置すると土手が崩れて洪水を引き起こすため、年に一度は池普請をしていた。傷んだところを崩して築き直すのだが、すべて人力で行っていたので人海戦術でするよりほかなかった。男性は土運びその他を担い、女性は横杵などで搗き固める役を担う。土手搗きは、音頭に囃子をつけながら息を合わせて行った。池掛かり、井路掛かりの家には出役があり、作業に出なければ出不足を払う必要があった。場合によっては作業の様子を見て現場を統率する者がめいめいに色札を配り、よい札を貰えれば費用負担の軽減など何らかのメリットが得られる場合もあったと聞く。
 なお、この種の唄は複数の節を作業内容によって唄い分けることが多い。ところが、東国東方面で池普請に関する唄をどれもこれも「けんなん節」と呼ぶ例が見られる。理由は不明だが、佐方面の「けんちゃん節」との関係が考えられる。「けんちゃん節」の「けんちゃん」は音頭に挿入された囃子で「桜三月ノーヤーあやめは五月、咲いてケンチャン年とる梅の花」などと唄われた。これは筑豊方面で唄われた石刀唄「唄でやらんせこのくらいの仕事、仕事苦にしてネーチャン泣こよりも」や、流行小唄「松という字をヤッコラヤラノヤ、分析すればのう千代さん、君(公)と僕(木)との差し向かい」などと同じく、軽い呼びかけ程度の囃子言葉である。それに対して「けんなん節」には、「ケンナン」の囃子は全く入らない。節も全く違うのだが、或いは宇佐方面の「けんちゃん節」につられて、池普請に関連する唄を何でも「けんちゃん節」と呼んだのが転訛し「けんなん節」と呼んだのではあるまいか。または「けんなん」は「険難」で作業の辛さからそう呼んだのかもしれない。唄の文句の中では「けんのう節」と発音している例もあり、それならば「献納」かもしれないが、いずれにせよ推測の域を出ない。
 ところで、池普請唄には盆口説の転用が多々見られる。たとえば「田植唄」などの場合は無拍子のものも多く、人によって間合いが違っていたりして、息を揃えて作業をする必要がある池普請には向かない。それに比べて盆踊り唄は、太鼓等に合わせて唄ったものだから間合いが人によって違うということもなく、息を揃えるのに向いていたのだろう。また、時季的にも盆口説の練習を兼ねる意味合いもあったのかもしれない。
(2)地形唄・地搗き唄・地固め唄
 屋敷普請の基礎工事の地搗きや道普請等で唄われた。杵で搗いたり、または櫓を立てて引き綱をとってドシンドシンとつく工事もある。ほとんどの唄が、池普請唄と共通。
(3)木遣唄
 字面から推せば、山で伐った大木を、木馬等を利用して曳き出す際に唄ったものと考えられるが、実際には重量物を大人数で運ぶ、息を合わせて力仕事をする等の際に広く唄われたものである。木下ろし、船揚げその他、種々採集されている。

●●● 普請唄・木遣唄 その1(伊勢音頭) ●●●
 池普請唄としては「伊勢音頭」が方々で唄われており、その節は実に7系統にも及ぶ。節ごとの呼称としては「騒ぎ」「道中唄」「川崎音頭」「兵庫音頭」「住吉音頭」「松前音頭」等種々あるも紛らわしいので、混乱を避けるため適宜「伊勢音頭」と付記することにする。
 まず「その1」のグループは、節を長く引き伸ばして唄う。この唄い方は梅坊主や藤本二三吉などの吹込みで広く知られている「道中伊勢音頭」の類で、これをさらに遅くしたものが大野・直入地方では盆口説として盛んに唄われている。細かく見ればこの中でも節がいろいろ分かれているが、あまり細分化するのも説明に難渋するので、一応、節を引っ張るものはひとまとまりに「その1」とした。

地搗き唄 挾間町谷・挟間
☆伊勢にゃ七度(ヨイヨイ) 熊野にゃ三度(ソコセー ソコセー)
 愛宕様には ヤンレ月参り(ソレカラ ヤートコセーノ ヨイヨナ
 アレワイセ コレワイサノ ナンデモセ)
☆小石投ぎゅより ちょろちょろござれ ござりゃ見もする 会いもする
 ※投ぎゅより=投げようより(投げるより)
  「小石を戸板に当てて合図をするより、こっそり忍び込んでおいで」の意
メモ:挾間町の一部集落では同じ節が、盆口説「しょうご節」として唄われた。この「しょうご節」は「兵庫節」つまり「兵庫音頭」の意だろう。

堤搗き唄 大分市米良
☆イヤ一つ出しましょ(ヨイヨイ)
 薮から笹を(アリャトーコセー ハーリャセ)
 イヤつけておくれよ ソリャ短尺を(ソリャヤートコセーノ ヨーイヨナ
 ハリャリャ コリャリャ ヤーレトーコセー)
☆米良の堤じゃ しっかりしゃんとつけよ とけて流れて ぼらぬよに
 ※ぼらぬ=漏らぬ
☆嫁を取るなら 判田の米良へ 見どりよりどり 器量よし
☆わしとお前は 土方が好きで 堤搗きなら どこまでも
☆わしの思いは 本宮の山よ ほかに木はない 松ばかり
 ※木、松=それぞれ気、待つを掛ける
☆本宮の清水を 堤で温め 秋は黄金の 米良の原
☆腰の痛みに この土手長さ 四月五月の 日の長さ
メモ:米良では池普請の音頭として、2種類の「伊勢音頭」を唄い分けていた。作業工程による区別だろう。もう一つは「その3(伊勢音頭ハ)」にて紹介する。

地搗き唄 大分市国分
☆伊勢にゃセー 七度(ヨヤヨーイヨイ)
 熊野にゃ三度ナ(ソコセー ソーコセ)
 愛宕地蔵さん ソレソレ 月参り(ソレカラヤートコセー ヨイヨナ
 アリャリャ コリャリャ ヨーヤサノセー)
☆阿波の 徳島 十郎兵衛が娘
 「年は九つ名はお鶴 額に杉笠右に杖
  背にかけたる笈摺に 同行二人と書いてある
  一人は大悲の影頼む
  『ヤレ補陀落や 補陀落や 岸打つ波は三熊野の
   那智のお山に 響く滝つ瀬
  いよいよお弓は飛んで出て
 ほんに精げの 志

地かち唄 佐伯市木立
☆嬉しナ(ハーエンエー ダシタコノ ダシタコノ)
 めでたの若松様が(ヨイヤサノサ)
 枝も(チョイトナ) 栄えりゃ コイタ葉もしゅげる
 (ヨイヤサー ヤットコセ アラサーコラサ ヤットセーセノナー)
☆枝が 栄えてお庭が暗い 枝を 下ろそや 宵の枝
☆工事 竣工する土方さんは帰る 堤 眺めて 婦女が泣く
☆一夜 一夜に枕がかわる かわる 枕を 定めたい
☆かわい かわいと夜抱きしめて 昼は 互いに 知らぬ顔
メモ:木立の節は少し毛色が違っていて、頭3字の後に長めの囃子が割って入っている。その「ダシタコノダシタコノ」の囃子はどちらかというと浦方の印象があり、木立のような内陸の地域では意外な感じがする。もしかしたら縁故関係などで浦方の木遣音頭か何かが伝わり、その影響を受けたのかもしれない。

地かち音頭 蒲江町蒲江浦
☆めでためでたの(ヨイヨイ) 若松様よ(ヨーイセー ヨーイセ)
 枝も栄えりゃ チョイト 葉も茂る(ハレバノ ヤットコセーヨーイヤナ
 ハレバイサ コレバイサ ナンデモセー)
☆ここのご家は めでたなご家 鶴と亀とが 舞い遊ぶ
☆旦那大黒 奥さんえびす できたその子が 福の神
☆ここのおかみさんは いつ来てみても 赤いたすきで 金はかる
 「ハーこの家に宝を打ち込め打ち込め ドッコイドッコイ ドッコイショ

石搗き唄 上津江村川原
☆今日は日もよし石搗きなさる(ハーヨーイヨイ)
 明日は天社でノーヤ よろずよし(ハーナナトコセーノ ヨーイトナ
 アリャリャ コリャリャ ソリャナンデーモセー)
☆これがこの家の大黒柱 お手が揃うたら みな頼む
☆鐘と撞木が流れて通る 確か川上ゃ 寺屋敷
☆鐘が鳴るかや撞木が鳴るか 鐘と撞木の 間が鳴る

地搗き唄 上津江村雉谷
☆今日は日もよし石搗きなさる(ヨーイヨイ)
 明日は天社でノヤ よろずよし
 (ヤートコセーノヨーイトナ アリャセ コリャセ アリャナンデモセー)
☆小石小川の鵜の鳥見やれ 鮎をくわえて 瀬をのぼる

地搗き唄 上津江村上野田
☆今日は日もよし(石搗きなさる アーヨーイヨイ
 明日は天社でノヤ よろずよし アーナナトコセーノ ヨーイトナ
 アリャセ コリャセ アーヨイトコセー)
 「アー天よりゃ高く はじき上ぎい ハサンヨー ハサンヨー ハサンヨー
☆これが東の(一番柱 ここで搗きましょ しなやかに)
メモ:上津江村から採集された節は今のところ3種類確認しているが、それぞれ少しずつ節が異なる。山間部の村で集落が離れているので、それぞれの節が混じり合わずによく残ったのだろう。その中でも上野田のものは、音頭が唄い始めたら上句の半ばからは囃子がとってしまい、斉唱になっている。この唄い方は御詠歌や和讃でもよく耳にする。斉唱が基本で、調子(キー)を揃えるために頭の部分のみ音頭が一人で唄うのだろう。



●●● 普請唄・木遣唄 その2(松前音頭) ●●● ※伊勢音頭
 伊勢音頭のくずれた唄で、7・7の1句を半ばで4字返し、節を引っ張って唄う。北海道には縁もゆかりもない唄と思われるが、方々で「松前木遣」と呼んでいる。おそらく海路にて伝わった関係だろう。

船曳き唄 姫島村南浦
☆ホラエー今日は吉日じゃエ(ソラヤットコーセーヨーイヤーナ)
 エー吉日 お船を曳きますヨーイトナー(ソリャソーレモ
 アララーヨイヨイ ヨーイトーコ ヨーイトーコナ)
☆中にまします まします 八幡様は
☆追手よければ よければ お船を出します
☆嬉しめでたの めでたの 若松様は
☆枝も栄える 栄える ありゃ葉も繁る

松前木遣 香々地町香々地
☆ソーラエーンエーイエ
 今年ゃ豊年ヤーハーエー(ヤットコセーヨーイヨナー)
 豊年 女子の昼寝 ハーヨーイトナー(ソリャ ソーリワ
 アリャリャリャン ヨーイトーコ ヨーイトーコセ)
☆富士山白雪ゃ 白雪ゃ 朝日に解ける
☆解けて流れて 流れて 三島に下る



●●● 普請唄・木遣唄 その3(千本搗音頭) ●●● ※伊勢音頭
 これは耶馬溪方面の盆口説「千本搗き」の類と同じ節で、数ある伊勢音頭の変調の中でも特に田舎風で単純な節である。「松前音頭」や騒ぎ唄の類と比べるとことさらな音引きが少なく、唄い易い。特に国東半島一円から速見地方、宇佐地方、耶馬溪方面では好まれたようで、方々で採集されている。

どうづき唄 中津市伊藤田
☆梅とナー 桜を(ヨイヨイ) 両手にマ 持ちて
 どちがナー 梅やら桜やら(ソラヨーイヨーイヨーイトナ
 アリャンリャーコリャンリャー リャンリャトセ)
☆わしが 出します やぶから 笹を つけて ください短冊を
☆わしが 百まで あんた 九十九まで ともに 白髪の生えるまで
メモ:家普請の地形や池普請で唄った。

池普請唄「どんぎ唄」 真玉町赤松
☆やろうえやろうえは コラ部長さんの役目(ハヨイヨイ)
 油売るのは ヤレこちの役(ソラヤートコセー ヨイヨナ
 ハレワイセ コレワイセ ササナンデモセー)
☆私この池 監督なれば 一度休みを 二度にする
☆お伊勢参りに この子ができた 名をばつけます 伊勢松と
メモ:県教委の民謡緊急調査で録音された音源を図書館で聴いてみると、「つけます」「伊勢松」をそれぞれ「tuけます」「いせまtu」に近く発音している。これは国東方面でよく見られた一種の訛りのようなもので、今でも「つ」を「tu」に近く発音するのをときどき耳にする(主に高齢者)。

地搗き唄 姫島村西浦
☆先のお方は(アーヨーイヨイ) 長々ご苦労(アーヨーイヨイ)
 先のお方にゃ お茶なとあがれ(アヨーイヨーイヨーイトナ
 アレワイサ コレワイサ ヨーイトナ)
☆それが嫌ならお煙草なりと それが嫌なら一間の奥で

池普請唄「土手搗き唄」 国見町櫛来
☆わしが若いときゃ伊美の浜ぇ通うた(ヨーイヨイ)
 道の小草も アノなびかせた(ヤットーコセーノ ヨーイヨナ
 アレワイサ コレワイサーノ ヨーイートナ)
☆ここと姫島、棹差しゃ届く なぜに届かぬ わが想い
☆俺とお前と羽織の紐よ 固く結んで 解けやせぬ
☆歌は千ある万あるけれど 恋の混じらぬ 歌はない
☆殿御とられて泣くやたバカじゃ 甲斐性あるなら 取り返せ
 ※やた=奴は
☆厭で幸い好かれちゃ困る わしにゃ似合いの 様がある
☆嫁をとるなら竹田津女 婿をとるなら 島男
☆これがあんたのあの細君か 初めて見たが 美人だね

池普請唄 国見町伊美
☆さあさどなたもやろではないか(アーヨイヨイ)
 やれそじゃそじゃやろではないか(ソリャヤートコセ ヨーイトナ
 ハレワイセ コレワイセ ササナンデモセ
 ヨイショヨイショ ヨイショヨイショ)
☆一つしゅんめい 矢口の渡し 二つ船屋の頓兵衛どんは
 ※しゅんめい=神明
☆三つみのせの六郎殿よ 四つ吉宗うてなを連れて

地搗き唄 国見町小熊毛
☆今日は大安(ヨイヨイ) 日もまたようて(ヨイヨイ)
 今日はこの家の大黒柱(ソラヨートコセー ヨーイヨナ
 アレワイサ コレワイサデ ヨーイトナ)
☆あら嬉しや 調子が揃うた 揃うたところで何言いましょか
★ここにいうのは(ヨイヨイ)
 源氏平家の御戦いに(ソラヨートコセー ヨーイヨナ
 アレワイサ コレワイサデ ヨーイトナ)
○平家方なる(ヨイヨイ) 沖なる船の(ヨイヨイ)
 そこ搗け(ヨッショ) そこ搗け(ヨッショ) そこ搗けそこ搗け
 ドッコイソージャナ 地搗きができる(ヨーイヨーイヨーイトナ
 アレワイサ コレワイサデ ヨーイトナ)
☆船の舳に(ヨイヨイ) 扇を立てて(ヨイヨイ)
 誰か射てみよ射落としてみよ

地固め音頭 国東町見地
☆祝いナー めでたや(ヨイヨイ) 若松様よ(ハヨーイヨイ)
 枝もナー 栄ゆりゃヤンレ 葉、葉もしげる
 (ソリャヨイトコセー ヨーイヨナ
  ハレワイセ コレワイセ ソリャヨイトコセー)
☆うちに 来るなら 裏からおいで 前は 車戸 お、音がする
☆裏の 小池の 鴨こそ憎い 鴨が 立たねば ひ、人知らぬ

地固め音頭 国東町下成仏
☆祝いナー めでたや(ヨイヨイ) 若松様が(ハヨーイヨイ)
 枝もナー 栄ゆりゃ ヤレサナ アリャ葉も茂る
 (ソリャヨイトコセー ヨーイヨナ
  ハレワイセ コレワイセ ソリャヨイトコセー)
☆みんな どなたも 唄おうじゃないか
 唄で ご器量が 下がりゃせぬ

池普請唄「千本搗き」 国東町来浦
☆神の始まりゃ出雲が元じゃ(ヨイヨイ)
 寺の始まりゃ京都が元じゃ(ヨイヨイ)
 アーソリャ ヤットコセーヨーイヨナー
 アレワイサ コレワイサ ササヤットコセー
☆船の始まりゃ讃岐が元じゃ 智恵の文殊は来浦が元じゃ

池普請唄「地搗き唄」 国東町小川
☆伊勢にゃナー 七度 熊野にゃ三度(アヨーイヨイ)
 愛宕ナーさんには ヤレサ月参り(ソリャヨイトコセー ヨーイヤナ
 アレワイセ コレワイセ ソリャ ヨーイトーコセ)
☆土手を 搗くなら杵を振り上げて どんと 搗くなら 土手ゃしまる

池普請唄「けんなん節」 国東町富来
☆伊勢にゃヨー 七度(ヨイヨイ) 熊野にゃ三度(アラヨーイヨイ)
 アラ愛宕サー 様には ヤンレ月まいり(ソラヤートコセー
 ヨーイヤセ アレワイセ コレワイセ ソラヤットコセー)
☆伊勢は 津でもつ 津は伊勢でもつ 尾張 名古屋は 城でもつ
☆沖の 瀬の背の あの根の鮑 人が とらなきゃ 寝て暮らす

地搗き唄 武蔵町
☆伊勢はナ 津でもつ(ハーヨイヨイ)
 津は伊勢でもつ(ハーヨイヨイ) 尾張名古屋はヤンレ
 城でもつ(ソリャソリャ ヤートコセー ヨーイヤナ
 アレワイセ コレワイセ ササナンデモセ
 ソラソラ ヨイヤサ ヨイヤサ ヨイヤサ)

池普請唄「けんなん節」 安岐町両子中分
☆今年ゃ豊年 ヨイヨイ 穂に穂が咲いて
 道の小草にゃお米がなるよ ソリャヨーイヨーイヨーイトナ
 アレワイサ コレワイサーノ ヨーイトナ
 ヨイサ ドンドン ヨイサ ドンドン ヨイサ ヨイサ ヨイサ
☆唄いますぞえ はばかりながら 声はよい声けんのう節よ

池普請唄「けんなん節」 杵築市
☆誰もどなたも精出しなされ アラヨイヨイ 
 唄でやらんせアノやりましょな アヨイヨイヨーイヤナ
 アレワイセーノコレワイセーノナンデモセー
☆腰の痛さにこの土手長い 四月五月の日の長さ
☆腰の痛うても精出しなされ 精を出しゃこそ土ゃしまる
☆紺の前掛け松葉の散らし 待つに来んとは腹が立つ
☆来るか来るかと待つ夜にゃ来んで 待たぬ夜に来る憎らしや

池普請唄「けんなん節」 大田村田原
☆祝いめでたや若松さまよ(アーヨーイヨイ)
 枝も栄ゆりゃ葉もしげる(アーヨーイヨーイヨーイトナ
 アレワイセ コレワイセーノナンデモセ)
☆国を申さば常陸の国に 小栗判官兼氏さまは
☆元は大名で家高けれど 今は世におうて哀れな暮らし
☆絵図を書いての渡世をなさる 一の家来に後藤左衛門よ
メモ:2節目以降の文句は盆口説の転用となっている。大田村ではこの節を盆口説に転用した例はないが、耶馬溪方面から玖珠にかけての広範囲に亙る地域では盆口説として今なお親しまれている。

堤搗き唄 大分市米良
☆エーヘヘンヘンヘン 北かと思えば(ヨイヨイ)
 またマジの風(アリャ トーコセー ハーリャセ)
 オヤ風がナ コリャ恋路の ソーレ邪魔となる(ソラソラヤートコセーノ
 ヨーイヤナー アレワイサ コレワイサッサノ ヤーレトーコセー)
 ※北=「来た」に掛ける
  マジの風=南風
☆山は焼けても 山鳥ゃ立たぬ 子ほど かわよい ものはない
☆親の意見と 茄子の花は 千に 一つの あだがない

地搗き唄 天瀬町本城
☆ゆわいめでたやこの家の地搗き(アーヨーイヨイ)
 鶴と亀とがヤンサ舞い遊ぶ (アーヨーイヨーイヨーイトナ
 アラセ コラセ エンヤートセー)
☆これがこの家の大黒柱 手綱引く人みな恵比須顔
☆鶴のとまり木、撞木に立てて 亀の姿でもと取りなさる
 「ヨーイトントン ソーライトン 子供の×××とショラの木は
  剥かねば太らんヨイトントン ヨーイトントン ソーライトン
☆鐘が鳴るのか撞木が鳴るか 鐘と撞木のヤンサあいが鳴る
☆音頭取る人しんから可愛い 惚れた身で聴きゃ声まで可愛い
☆今日の地搗きもめでたく済んだ これで皆さまお別れしましょ

地搗き唄 大山町続木
☆ハーこれがこの家の大黒柱(ハーヨーイヨイ)
 この柱なからにゃ ヤンサ 家ゃ建たぬ(ヨーイヨーイヨーイトナ
 アリャサ コリャサ エンヤートセー)
☆姉も妹も縁づきゃしたが 私ゃ中子で 縁がない
☆わしもこれから道楽やめて 親に孝行は せにゃならぬ
☆娘したがるその親様は させてみたがる 繻子の帯

地形唄 日田市上城内町
☆エーイヤーヤー 日柄見立てて地搗きをなさる(ハーヨイヨイ)
 今日のめでたいこの家の土搗き
 (ハーヨイヤサーヨイヤサ アラサ コラサ エンヤートセー)
☆今日のめでたいこの家の土搗き なんぞ一つは祝いのものを
☆こんな賑わう土搗きの場所にゃ 場所におそれて音頭もできず
☆わしがようなる田舎の者の 音戸などとが合うこた知らぬ
☆なれど一つはやりかけてみましょ 合えば義経千本桜

地搗き唄 中津江村合瀬
☆ハーこちの座敷は祝いの座敷 鶴と亀とが アノ舞い遊ぶ
 (アーヨーイコラサーヨイコラサ アラサ コラサ アラヤートセー)
☆東に召しますあの神様は 青の装束で お下がりなさる
☆ここがこの家の大黒柱 皆様よろしく アノ頼みます
☆今日は日もよし天気もよいし 村の若い衆にゃ 綱取り頼む

地搗き唄 中津江村栃野
☆アー 今日は日もよし天気もよいし 村の若い衆にゃ綱取り頼む
 (ヨーイヨーイ ヨーイトナ アリャサ コリャサ サートセー)
☆ここがこの家の大黒柱 皆様よろしく頼みます



●●● 普請唄・木遣唄 その4(千本搗音頭) ●●● ※伊勢音頭
 このグループに分類したものは耶馬溪方面の盆口説「千本搗き」を早間にして、大胆にも下句を半ばで切り捨てて囃子に移行する唄い方のものである。所謂「ヤートコセ」の伊勢音頭の類だが、ずいぶん変化している。おそらく作業の特性から、音頭の節が長く続くのを嫌い、囃子と音頭のバランスを改めたのだろう。この種の唄い方は安心院周辺でも広く見られ、安心院から院内、日出生台辺りでは盆口説として今なお親しまれている。

どうづき唄 本耶馬溪町落合
☆東西南北 神鎮まりて ハーヨイヨイ
 ハーお家ご繁昌と ソリャヨーイヨーイヨーイトナ
 アレワイサーコレワイサ ヤンハットナー
☆お家ナー ご繁昌と ソリャハ搗き始む ハーヨイヨイ
 お家ご繁昌と ソリャヨーイヨーイヨーイトナ ハードッコイ
 アレワイサーコレワイサ ヤンハットセー
☆わしがヨー 出します アーヨイコラショイト
 藪から コリャサ 笹を アーヨイヨイ つけておくれよ
 ソリャヨーイヨーイヨーイトナ ドッコイ
 ハレワイサーコレワイサー ヤンハットナー
☆唄をナー 唄うなら アラショイコラショイト
 地声でコラしゃんと 地声ゃどこでも 
 ソリャヨーイヨーイヨーイトナ ドッコイ
 アリャリャーコリャリャ ヤンハットナー池普請唄「どうづき唄」 宇佐市横山
☆ヨヤセヨー ヨヤセでしばらく(ヤレショーヤレショー)
 ヨヤセヨヤセで(ヨイショコラヨーイヨナ アリャリャ コリャリャ)
 ホイ(ヤートセー) ソラ(ヨイショ) コリャ(ヨイショ)
☆合おか 合わぬか合わせて 合うか合わぬか
☆合えば 義経千本 合えば義経
☆合わにゃ高野の石堂 合わにゃ高野の

池普請唄「どうづき唄」 宇佐市麻生
☆お米ヨ 作ろにゃ(ヤーレショー ヤーレショ)
 コラお池が(ソーラ ヨーイヨナ アレワイサー コレワイサー)
 ハイ(ヤーレナットセー ソリャ ヨイサノサ コラ ヨイサノサ)
☆ここは じょうもと しっかりしゃんと
 ※じょうもと=樋口
☆今年ゃ豊年 穂に穂が
☆道の小草に 米がなる
☆宇佐に参るなら 百体
☆様と書けたる 願もある

池普請唄「ずんづき唄」 宇佐市山本
☆本郷二丁目の糸屋の娘(ヤレショー ヤレショ) 本郷二丁目の
 (ヤットコセーノ ヨーイヨナ アレワイナーコレワイナ)
 ハイ(サーナンデモセ ソリャヨンヤサー ヨンヤサー)
☆姉は二十で妹は十九 妹は十九
☆娘欲しさに御祈願立てて 妹欲しさに

池普請唄「千本搗き音頭」 山香町内河野 
☆国はどこよと尋ねて訊けば(アーヨーイヨーイ)
 国は奥州の(ヨーイヨーイヤナー ハリャリャ)
 ホイ(コリャリャ ヨーイサノセー)
☆国は奥州白石郡 坂田村にて
メモ:文句は盆口説の転用。山香町ではこの唄を盆口説に転用した例はないが、隣の安心院町では盆口説として今なお親しまれている。縁故関係等で安心院方面から伝わった節なのだろう。

池普請唄「千本搗き音頭」 山香町芋恵良
☆ヤ揃うたら棒とりなされ(アヨーイヨーイ)
 アラ揃うたら(ヨーイヨーイヨナー アリャリャ)
 ホイ(コリャリャ) ソコ(ヨーイサノセー)
☆揃うたら出かけましょうか 揃うたら
メモ:上句の頭3字を省略し、いよいよ音頭が簡略化されている。



●●● 普請唄・木遣唄 その5(千本搗音頭) ●●● ※伊勢音頭
 これは「その4」の節に近いが、より簡略化されて早間になっている。

池普請唄「千本搗き」 安心院町平ヶ倉
☆アラ皆さん棒とりなされ(アラヨーイヨーイ) アラとったらヨー
 (ソーラヨーイヨナー ハレワイサ) ハイ(コレワイサ)
 ソコ(ハヨーイサーノセー)
☆とったら出かけちゃもぐる 出かけましょ
☆出かけたらしゃんと搗いちゃおくれ 搗かなきゃ
☆搗かなきゃたなかけまする たなかけ



●●● 普請唄・木遣唄 その6(千本搗音頭) ●●● ※伊勢音頭
 これは音頭の節が「その4」に近いのに対して、長囃子は「その3」と同じである。もともとは77・75の文句を唄ってヤートコセーと囃したものを、作業の性格上、上句・下句それぞれでヤートコセー…と囃すように変化したのだろう。

池普請唄「千本搗き」 宇佐市長洲
☆蝶々はサ 軽うて(アラヨイヨイ) アラくるくる廻るヨー
 (アラヤートコセー ヨーイヤナ アリャリャ コリャリャ ヤーヤトセー)
☆私ゃ悋気で気が廻る



●●● 普請唄・木遣唄 その7(千本搗音頭) ●●● ※伊勢音頭
 木遣音頭の類に伊勢音頭の長囃子のついたものである。

池普請唄「千本搗き」 安心院町
☆ヨイショナー やりますエイトーナ(エイトーナーエイトーナー)
 イヤ隣にかけますエイトーナ(エイトーナーエイトーナー)
 イヤここらでこよしをかえせ(ヨイヨーイ イヤハリ
 ヨーイヨイヨナー アリャリャ) ホレ(コリャリャ)
 ソコ(ヨイサノセー)

●●● ものすり唄 その7(ヨイヨイ節) ●●●
 大分市以南で、「ヨイヨイ」の囃子のつく俚謡(77・75の字脚のもの)が多く採集されており、そのほとんどが守子唄として唄われたものである。中でも「宇目の子守唄」は戦後にレコード化され、今やステージ民謡としても広く親しまれている。節は各地各様だが、このグループのものすり唄は、それらと似通った雰囲気の節回しをもっている。採集地域は姫島村および国見町千灯と限られているが、同系統のものだろう。一応、囃子から「ヨイヨイ節」とした。

ものすり唄 姫島村西浦
☆唄いますぞやはばかりながら(ハヨイヨーイ) 声の悪いはごめんなれ
☆わしが思いはあの山のけて 様の暮らしが見とうござる
☆様よ来てみよ疑いあらば ひとり丸寝の袖枕
☆わしは姫島荒浜育ち 色の黒いはごめんなれ
☆ごめんなれとはせがれのことか ごめんなるまいこのせがれ
☆雨の降る日にゃござるなよ殿御 濡れてござればなおいとし
☆雨の降る夜はおもしろけれど 忍び辛いは下駄のあと
☆一夜なりとも一日なりと お前女房と言われたい

ものすり唄 姫島村
☆船に乗るとも高い帆は巻くな(風に情けはないほどに)
☆風に情けがないとは嘘じゃ(上り船には西がよい)
☆西に吹かせて早う上らんせ(またの下りを待つばかり)
☆様は下りたか百二十七艘(様もござろかあの中に)
☆船は出て行く帆巻いて走る(宿の娘は出て招く)
☆娘招くなあの船とまらぬ(思い切れとの風が吹く)
☆今宵さものすりゃヘコすり破る(よんべ下ろした布ベコを)
☆米のなる木をひともと欲しや(植えて育ててみとござる)
☆飲んで身に毒それ知りながら(様は霜夜の茶碗酒)
メモ:例示した文句のうち6節目までは、奇数説と偶数説とが対になっている。このように独立した近世調の文句を対にしたり尻取りのようにしたりして次々に連ねていく唄い方は、盆口説でよく見られる。音頭取りの腕次第といったところで、多くの文句を暗記し上手に出していける唄い手が人気を得たことだろう。

ものすり唄 国見町千灯
☆思い出すまいとは思えども 思い出しては袖絞る
☆思うて七年 通うたが五年 七に九を足しゃ十六よ
☆ろくなこたないとは思えども 今にいてみよ 嫌じゃない
☆好いて好かれて行くのこ縁じゃ 親のやる先ゃ義理の縁
 ※行くのこ=行くこそ
☆唄は唄えど心の内は 二十三日の深の闇
☆かわゆがらりょもまた憎まりょも ひとたあなたの心から
 ※ひとたあなたの心から=ひとつはあなたの心から(偏にあなたの気持ち次第)



●●● ものすり唄 その8 ●●●
 主に北海部地方で唄われたもので、早間のあっさりとした節である。

ものすり唄 大分市坂ノ市
☆ハー しばし間はわしゅかてなされ
 しばし間は頼みます(アーヨイショヨイショ)
☆二里も隔てて三川も越えて 浅い思いで通わりょか
☆廻りさんなら唄わにゃならぬ 唄うて廻しましょ次の人
☆唄え唄えと急き立てられて 唄は出らずに汗が出た
☆小麦五升すりゃへこすり破る またとすりまい御所小麦
☆小麦すりなら宵からおいで 夜中過ぐればカスばかり
☆小麦五升どま唄でもするが 後の小話ゃわしゃ知らぬ
☆来るか来るかと川下見れば 川にゃ柳の陰ばかり
☆北と思うたらまたマジの風 風さよ恋路の邪魔をする
 ※北=来た マジの風=南風 風さよ=風さえ
☆小麦すりならすらせておくれ 野越え山越え来たわしに
☆日頃早いのに今夜は遅い どこの姉さんが止めたのな
☆どこの姉さんも止むれはせぬで 宵の丸寝に寝忘れた
 ※寝忘れた=ものすりに行くのを忘れて寝てしまった
☆寝ては夢見る起きては思う さらぬ忘れる暇がない
☆思いなさるな思うたとても 枯木茶園で縁じゃない
 枯木茶園で縁がない=「茶山茶どころ縁どころ」の文句から
☆私ゃ姉さにゃ惚れてはいても 惚れて姉さにゃ主がある
☆主がありても添いたきゃ添わしょ 神の森木も虫がさす
☆そうじゃそじゃそじゃその気でなくば 一生末代添わりゃせぬ
☆様はよう来た五里ある道を 三里笹薮、二里の川
☆思うて通えば千里が一里 逢わで帰ればまた千里
☆逢うて嬉しや別れの辛さ 逢うて別れがなくばよい
☆臼杵五万石、縦縞ならぬ 碁盤格子のアラレ織り
☆肥後は御殿役からかさならぬ 似合うたバッチョ笠、横かぶり
 ※バッチョ笠=番匠笠(竹の三度笠)

ものすり唄 大分市丹生
☆闇夜おそろし月ならよかろ 親と月夜はいつもよい
☆十九立待、二十日の寝待 二十三夜のお月待
☆まさか違えば二足の草鞋 主にはかせてわしもはく
☆髪の結いだち洗いのしだち カネのつけだちゃいつもよい
 ※結いだち=結いたて しだち、つけだちも同様

ものすり唄 大分市鶴崎
☆花と見られて咲かんのも卑怯な(アーヨイショヨイショ)
 咲けば実がなる恥ずかしや
☆姉がさるなら妹もさせる 同じ蛇の目の傘を
☆忍び妻さん夜は何刻だ 夜這い九つ夜は七つ

小麦すり唄 大分市国分
☆小麦五升どま唄でもするが かすの粉ばなしゃ嫁こびし
☆嫁をかわいがれ嫁にこそかかる かわい娘は人の嫁

小麦すり唄 臼杵市津留
☆アー臼はひょんなやつ娘さんにゃ似ちょる 入れて回せば粉ができる
 ※バレ唄
☆臼は台でもつなかごで締める わしとあんたは寝て締める
☆紺の前かけ松葉のちらし 松に紺とは胴慾な
 ※松に紺とは=「待つ」「来ん」をかける
☆嫌な男と前垂れ縞は 浅黄縞よりゃ紺がよい
 ※浅黄縞よりゃ紺がよい=「来るよりも来ない方がよい」をかける
☆西も東も南も嫌よ 私ゃあなたの北がよい
 ※北がよい=「来た」をかける
☆二十日月出を夜明けか思うて 様を帰らせて後悔やみ
 ※夜明けか思うて=夜明けかと思って 「~かと」を「~か」と言うように「と」を省く言い方は、最近あまり聞かれなくなった。たとえば「来たじゃろう思うて」など。
☆四国遍路さんと若後家さんにゃ 入れてやらんせ後生になる
 ※「四国遍路さん」の「入れて」は「家に入れて」すなわち宿を貸すことで、「若後家さん」の「入れて」は別の意味。バレ唄。



●●● ものすり唄 その9 ●●●
 山国町のみで採集されており、同種の節が見当たらない。彦山方面の伝承か。

臼すり唄 山国町宇曽
☆臼はナー 石臼やれ木は堅木 そばにいるのがエー 忍び様
 アーすれたなすれたな そばに そばにいるのが忍び様
☆臼の 元ずりゃなりふりゃいらぬ 襷つめかけ 引き回せ
 すれたなすれたな 襷 襷つめかけ引き回せ
☆臼は 引きゃまう引かねばまわぬ 引かでまうのは 風車
 すれたなすれたな 引かで 引かでまうのは風車
 ※まう=回る
☆好かぬ 男がまた来て失せた 破れアシナカの 音がする
 すれたなすれたな 破れ 破れアシナカの音がする



●●● ものすり唄 その10 ●●●
 あっさりとした節で、おそらく「二上り甚句」か「よしこの節」の類の、流行小唄の転用だろう。

臼すり唄 山国町槻木
☆お月ゃナー 山端に操の鑑 私ゃ手桶の水鏡
★待つがよいかよナ 別れがよいかヨ 嫌な別れな待つがよいヨ
★臼をすり来たヨ すらせておくれヨ 野越え山越え来たほどにヨ
☆臼をナー すり来てすらん様帰れ 臼の音も立ちゃ腹も立つ
☆重い義理じゃとヨ さす盃はヨ 中は御酒やら涙やらヨ
★思うて通えばヨ 千里が一里ヨ 逢わで帰ればまた一里ヨ
メモ:『民謡緊急調査』の音源を聴くとめいめいに自分なりの節で唄っており、自由奔放な印象を受ける。



●●● ものすり唄 その11(思案橋) ●●●
 耶馬溪方面の盆口説「思案橋」に酷似した節だが、テンポが違うため気付きにくい。

臼すり唄 山国町中摩
☆臼をすり来たすらせてヨーイ おくれ(ヨイヨイ)
 野越え野越え 山越えヨーイ 来たほどに
☆尾越え山越え草踏み 分けて 茅じゃ茅じゃ 足ゅ切る その痛さ
☆臼は石臼やれ木は 堅木 臼の臼の 元ずりゃ お染さん
メモ:山国町では盆口説「思案橋」は既に廃絶している。奥谷で唄われていた節しか記録にないようだが、中摩の節もそれと大同小異だったのだろう。



●●● ものすり唄 その12(エンヤーエ) ●●●
 これは挾間から国東半島にかけて広く唄われた池普請唄の類と同種と思われる。一連の池普請唄の中でも特に早間で、ものすりの作業にも合っていたのだろう。一応、囃子から「エンヤーエ」とした。

籾すり唄 庄内町阿蘇野
☆今宵はノー(ヨイヨイ) 今宵は日もよい エンヤーエンエ エンヤーエンヤ
 アレワイサーノヨイ アソコジャイ ソコジャイ
☆こうすりゃ こうすりゃようまう
 ※まう=回る



●●● ものすり唄 その13(伊勢音頭) ●●●
 県内では盆口説・座興唄・池普請唄などとして「伊勢音頭」が方々で唄われており、その節は実に7系統にも及ぶ。ここに分類したものは、節を長く引き伸ばして唄う類のものである。この唄い方は梅坊主や藤本二三吉などの吹込みで広く知られている「道中伊勢音頭」をさらに遅くしたもので、盆口説としては挾間の「しょうご節」、由布院の「二つ拍子」、大野・直入の「伊勢音頭」と同じ。

籾すり唄 挾間町谷
☆伊勢にゃ七度(ヨイヨイ)
 熊野にゃ三度(アラソーコセー ソーコセー)
 愛宕ホホンホー 様には(ヨイヨイ) ヤンサ月まいり
 (ソラ ヤートコセーノ ヨーイヨナ
  アーレワイセー コーレワイセーノ ナーンデーモセー)



●●● ものすり唄 その14(田の草口説) ●●●
 これは「三勝」がくずれたような節をもつ口説で、この種のものは挾間周辺では盆口説「田の草踊り」「二つ拍子」として盛んに唄われていた。曲調からして、田の草取り唄を盆口説に転用したのではなく、盆口説を田の草取り唄やものすり唄に転用したと見るのが自然である。

籾すり唄 大分市国分
☆揃うた揃うたよ臼挽揃うた(ヨイトコセードッコイセ)
 秋の出穂よりゃ品よく揃うた(アーヨイヤサノセー ヨイヤーセー)
☆さあさやりましょ仕掛けてみましょ どうせ臼挽きゃヨヤセでなけりゃ



●●● ものすり唄 その15 ●●●
詳細不明

臼すり唄 鶴見町羽出浦
☆臼杵五万石大豆にゃ切れた(ヨイヨイ)
 狭い佐伯に豆詮議(ハーヨイショヨイショ)
☆佐伯内町米屋のおよし 目許ばかりが天女かな
☆主は今来てもう帰るのか 浅黄染めより紺がよい
 ※浅黄染めより紺がよい=来てすぐに帰るくらいならいっそ来ないほうがマシだ



●●● ものすり唄 その16 ●●●
詳細不明

籾すり唄 直入町
☆鳴くな鶏まだ夜は明けぬ アラヨイサーヨイヨイ
 明くりゃお寺の鐘が鳴る オモシロイナ
 イヤヒョウタンエー アリャサ ヨイヨイ



●●● ものすり唄 その17(半節) ●●●
 大分地方・大野地方・直入地方の鼎立する区域で広く採集されており、ものすり唄・田植唄として唄われた。また、大野町の一部では盆踊り唄にも転用されており「半節」と称している。これは唄の半ばで節を折り返して返しをつけていくことからかと思われるが、返しのつく唄などザラにある。どうしてこの節だけを「半節」と呼んだのかは不明。

小麦すり唄 緒方町今山
☆ハー 小麦五升すりゃ(ヨイヨイ) まだ夜は明けぬヨーイ
 (明けりゃお寺の)ヨイヨイ (ヨイサ鐘が鳴るエ)
 鐘が鳴る お寺の明けりゃヨイ
 (明けりゃお寺の)ヨイヨイ (ヨイサ鐘が鳴るエ)
☆小麦五升どま 唄でもするが(糟の粉ばなしゃ)(嫁恋し)
 嫁恋し 小話ゃ糟の(糟の粉ばなしゃ)(嫁恋し)

小麦すり唄 緒方町小宛
☆小麦五升すりゃ(ヨーイショヨイショ) まだ夜は明けぬエー
 (明けりゃお寺の)ヨーイショヨイショ (ヨイサ鐘が鳴るヨ)
 鐘が鳴る お寺の明けりゃエー
 (明けりゃお寺の)ヨーイショヨイショ (ヨイサ鐘が鳴るエ)
☆小麦五升どま 唄でもするが(糟の粉ばなしゃ)(嫁恋し)
 嫁恋し 小話ゃ糟の(糟の粉ばなしゃ)(嫁恋し)
☆嫁をかわいがれ 嫁にこそかかれ(いとしわが子は)(他人の嫁)
 他人の嫁 わが子はいとし(いとしわが子は)(他人の嫁)



●●● ものすり唄 その18 ●●●
詳細不明

夜なべ唄 竹田市玉来
☆一つ出しましょ藪から笹を つけて下され短尺を
☆どうかふらふら眠りがついた いずれ夜前の長話
☆わしが唄えば人さま笑う 笑うはずだよ下手だもの
☆月は山端におうこ星ゃ西に もうは止めごろ上がりごろ
メモ:夜なべ小屋で作業をする際に口ずさんだので「夜なべ唄」としたのだろうが、一応、夜なべ仕事としてはものすりが最も盛んであったと思われるので、ものすり唄として扱う。



4、もの搗き唄について
 精米・精麦、餅搗き等で、臼に入れたものを杵で搗く際に唄うものを「もの搗き唄」という。一般に「ものすり唄」とは明確に区別されている。臼を使うという点は同じでも、作業の性格がまるで異なるからだろう。
(1)米搗き
 精米は、水車小屋をする方法と手作業で行う方法とがあった。後者は、古くは竪臼に竪杵で行ったというが、次第に台唐という道具が普及した。これはシーソー型の長い板に杵をつけてその下に臼を据え、梁からさげた綱につかまって反対側の端をバタンバタンと足で踏んで搗くものである。竪臼よりもうんとはかどったが重労働で、夜なべ仕事で行ったという。近所の若い娘が小屋に集まり互いに加勢して行ったが、そこに近所の若者が手伝いに来て馴染みの仲になることもあり、楽しみの一つだったそうだ。この「米搗き唄」はそうした時代に夜なべ仕事の傍らに唄ったものである。時代がさがると精米屋・精麦屋に頼んだり個人で機械を持つ家もでてきたほか、近年はコイン精米など便利な設備が増加するに至って米搗きの苦労も昔話となっている。

●●● もの搗き唄 その1 ●●●
詳細不明

米搗き唄 安心院町佐田
☆米を搗き来た搗かせておくれ 野越え山越え搗きに来た
☆野越え山越え三坂越えて 遠いここまで搗きに来た
☆様と米搗きゃ中トントンと 糠がはぼ散りゃおもしろさ
☆わしに通うなら裏からござれ つつじ椿を踏まぬよう
☆つつじ椿は踏んでもよいが うちの親たち踏まぬよに
☆うちの親たちゃどうでもよいが 村の若い衆の知らぬよに



●●● もの搗き唄 その2 ●●●
 この唄はテンポがのろくて細かい節が多いのでなかなか難しいが、情緒纏綿たる雰囲気がとてもよい。稀にステージ民謡としても唄われる。節自体は西国東一円で唄われた「ものすり唄」と大差はないも、下句の半ばに「みなさん」とか「ほんとに」等の4字を挿入しており、その部分があるためよけいにのんびりした雰囲気である。

台唐踏み唄 香々地町堅来
☆アラ歳はヨー いたれど アラ江戸の吉原のヨー
 アラ女郎のヨー 手枕は アラ皆さん忘りゃせぬヨー
☆うちの お殿さん 長崎鼻で 波に 揺られて ほんとに鯛を釣る
☆香々地ゃ よいとこ 海山近い 娘 器量良し ほんとに仕事好き
☆月は 重なる お腹は太る なんと しましょか ほんとに忍び妻
☆静 御前の 初音の鼓 打てば 近寄る ほんとに忠信が
☆台唐 踏め踏め 踏まねばならぬ 踏まにゃ お米が 皆さん白うならぬ



●●● もの搗き唄 その3 ●●●
詳細不明

台唐節 別府市
☆山は晴れても麓は時雨 里のもみすりゃまだ済まぬヨー



●●● もの搗き唄 その4(ノンホードッコイショ) ●●●
 この唄は早間で、節の起伏が大きくやや難しい。耶馬溪・玖珠の盆口説「米搗き」と同種の節である。もの搗き唄を盆口説に転用したのだろう。

米搗き唄 庄内町
☆搗けど小突けどこの米はノー 搗けんエーイノ ナントショ
 踏まにゃ夕餉の間に合わんヨー
☆嫁に来るなら寒風にゃ あてん 鶴見おろしは由布ではねる
☆おどまバカじゃろ天保銭の 子じゃろ 一厘銭から笑われた



●●● もの搗き唄 その5(伊勢音頭イ) ●●●
 地口のイレコに伊勢音頭の囃子がついたもので、テンポが速い。

餅練り唄「伊勢音頭」 国東町大恩寺
☆ソラソラー ヨイトコーセーノ ヨーイヤナ
 アリャリャンリャンリャン コレワイサッサ ササーヨーイトーコーセ
 一銭くだんせ投げさんせ くれたら豊後の鼻髭さん くれねば豊後の鼻たれさん
 (ソラソラー ヤットコーセーノ ヨーイヤナ)
メモ:お弘法様の餅搗きのときに唄われた。蒸したもち米を臼にあけたら、横杵をとって2~3人で練っていく。これが「餅練り」で、その後にオイサオイサと搗いていくが、案外搗くよりも練る方が骨の折れるものである。多分に祭礼唄的ではあるも、普通の餅搗きでも唄われたのではないかと考え、一応もの搗き唄の項にも加えることにした。



●●● もの搗き唄 その6(伊勢音頭ロ) ●●●
 こちらは騒ぎ唄「伊勢音頭」と同種で、いま端唄やステージ民謡として最も盛んに唄われている節とほぼ同じである。

餅搗き唄「伊勢音頭」 国東町大恩寺
☆伊勢は津でもつ(ヨイヨイ) 津は伊勢でもつ(ヨイヨイ)
 尾張ナー 名古屋は ヤンレ城でもつ(ソラヨイトコセー ヨーイヤナ
 アレワイサ コレワイセ ソラヨイトコセー)
☆花と見られて咲かんのも気丈な 咲けば 実がなる 恥ずかしい



●●● もの搗き唄 その7(ヨイヤサノヨイヨイ) ●●●
 この唄はものすり唄・もの搗き唄・池普請唄として大分・大野・直入地方で広く唄われ、特に大野・直入地方では盆口説として今なお盛んに唄われている。もとはもの搗き唄であったのを、ものすりや池普請、また盆口説に転用したと思われる。ことさらな音引きはないが、音頭の節が起伏に富んでおりなかなか難しい。下句の返し方が独特で、全体で見ると「34・43/34・(43)/5」となっている。結局、近世調の下句の半ばに返しを入れることで、「34・43」の節を対にして末尾に5字余らせているのである。音頭と囃子が頻繁に入れ替わり間合いが詰まっているので、掛け合いで唄わなければ息切れしてしまう。節としての適当な呼称がないが広く唄われているので、一応囃子からとって「ヨヤサノヨイヨイ」の符牒をつけた。

麦搗き唄 久住町青柳
☆臼にヨーナ(ドッコイ) 麦を入れ(サマヨイヤサノヨイヨイ)
 ぬかづくときはエ(サマナーヨイヤナ)
 ヤレー五尺ナ(ドッコイ) 男が(サマヨイヤサノヨイヨイ)
 男が五尺ナ(サマナーヨイヤナ) ハーコイタ 乱れゆくエー
 (サマハーヨーナ) ドッコイ(ヨーイヤセーヨーナ)
 ソレソレ(ヨーイヨナ)

麦搗き唄 竹田市会々
☆ハー 臼にゃ(ドッコイ) 麦入れ(ハーヨイヤサノヨイヨイ)
 ぬかぶくノー ときにゃ(サマーヨイヤナ)
 アー五尺ナ(ドッコイ) 体が(ハーヨイヤサノヨイヨイ)
 体のナー 五尺(サマーヨイヤナ) 乱れゆく
 (サマセーヨ ヨーイヤセーナ ヨーイヤセー)

●●● 苗取り唄・田植唄 その9 ●●●
 このグループは、今のところ佐伯市木立地区のもののみで、同種のものが見当たらない。おそらく、もともとは「その8」か「その10」の仲間だったのだろう。

田植唄 佐伯市木立
☆今年ゃ満作ヨ 穂にゃ(ハーヨイヨイ) 穂が立ちてノー(ハエイトーエ)
 ヤレ道の小草にゃサーナー ナーヤレヨー米がなる
☆米のなる木が ひと もと欲しや 植えて育てて 様にやる



●●● 苗取り唄・田植唄 その10 ●●●
 南海部地方のみの採集で、非常に技巧的な節である。音引きが多いし節も細かく、おまけに下句の末尾では生み字まで生じている。上浦町津井の節は特に複雑で、下句の半ばから囃子がとってしまうところなど、他とはずいぶん違っている。しかし、一応節の骨格は同じで、別グループにするほどではないと判断した。

田植唄 直川村仁田原
☆腰の痛さよこの 田の長さ(コラノーエ)
 四月五月の 日のな、長さ(エーイソーリャ チャボチャボ)
☆小石小川の鵜の 鳥見やれ 鮎をくわえて 瀬をの、のぼる

田植唄 上浦町浅海井
☆様の江戸行きの 浴衣を縫えばサマノーエー(アーソコソコ)
 ヤレ 涙じゅめりで ヤレ糸がこぬ
 (浴衣を縫えば サマノーエー)
 ヤレ 涙じゅめりで ヤレ糸がこぬ
 ※涙じゅめり=涙湿り

田植唄 上浦町津井
☆植えて下んすな ひと(もと苗をサマノーエー) ソコジャ(エイソージャ)
 ヤレ いつか穂に(ホーイ出て ヤレ乱れ、れあう)
 ひともと苗をサマノーエー(ソコジャ エイソージャ)
 ヤレ いつか穂に(ホーイ出て ヤレ乱れ、れあう)
☆腰の痛さに この(田の長さ) 四月ごが(つの 日のな、長さ)
 この田の長さ 四月ごが(つの 日のな、長さ
☆四月五月に 乳飲み(子が欲しや) 乳を飲ま(せて 腰を、を伸す)
 乳飲み子が欲しや 乳を飲ま(せて 腰を、伸す)



●●● 苗取り唄・田植唄 その11 ●●●
 今のところ宇目町のもののみの採集で、もともとは「その10」と同種だったと思われる。節がずいぶん違っているので、別グループとした。

田植唄 宇目町重岡
☆揃うた揃うたよ(ソコ) 田植衆が揃うたナ(秋の出穂よりなおそ、揃うた)
 出穂よりヨ(ソコ) 出穂より秋のナ(秋の出穂よりなおそ、揃うた)
☆五月ひと月ゃ 乳飲み子が欲しや(乳を飲ませて腰を、を伸す)
 飲ませて 飲ませて乳を(乳を飲ませて腰を、を伸す)



●●● 苗取り唄・田植唄 その12(ヨイヨイ節) ●●●
 これは「宇目の子守唄」と類似する旋律で、この種の節回しは県内で広く採集されている。そのほとんどが守子唄で、近世調の文句に「ヨイヨイ」等の簡単な囃子をつけたものばかり。方々で節は違うも、元唄は同じと見てよいだろう。一般に知られている「そして、その旋律から、もとは作業唄として流布したものを子守奉公のかたわらに口ずさんだと見るのが自然だろう。この節には適当な呼称が見当たらないが採集例が多いので、便宜的に「ヨイヨイ節」とした。

田植唄 大分市坂ノ市
☆かわいお方と田植をすえば(サノヨイヨイ) 涼し風吹け空曇れ
☆由布は五千石お米は一よ 昔ゃお殿の御前米
☆腰の痛さよこの田の広さ 四月五月の日の長さ
☆五月三十日ゃやや子が欲しや 乳を飲ませて腰を伸す



●●● 苗取り唄・田植唄 その13 ●●●
 3拍子の節で、ほかに類似するものが見当たらない。県内には国東の「まてつき唄」のほか、大田村・安岐町・武蔵町・国東町の盆口説のうち「豊前踊り」「二つ拍子」「六調子」など3拍子の唄がいくつかあるが、それらは正確には8分の6拍子で、テンポがのろまであるために単純に3拍子のように聞こえる類のものである。ところがこのグループの節は完全に3拍子であり、たいへん珍しい。

田植唄 挾間町朴木
☆籠の鳥じゃと悔やむな娘(ハズレズレ) 籠の破れる節が来る
 (ヤレ節が来る) ハズレズレ(籠の破れる節が来る)
☆夢の夢まで忘れぬ人を 夢と思わす無理な親
 (無理な親)(夢と思わす無理な親)
☆小麦五升どま唄でもすろが あとの粉ばなし嫁がする
 (嫁がする)(あとの粉ばなし嫁がする)
 ※五升どま=五升くらいは
☆嫁をかわゆがれ嫁にこそかかる いとしわが子は他人の嫁
 (他人の嫁)(いとしわが子は他人の嫁)



●●● 苗取り唄・田植唄 その14 ●●●
 前津江村のみの採集で、テンポが遅く、節がたいへん難しい。盆口説の転用かとも思われたが、今のところ同種の節を持つ唄が見当たらない。或いは、熊本方面で唄われたものかもしれない。

田植唄 前津江村大野
☆田植小話ゃ田主が アラドッコイ嫌う ノンホーヨーイサー
 アー唄うて コラ植えましょしなや、やかに
 植えましょ 唄うて ノンホーヨーイサー
 アー唄うて コラ植えましょしなや、やかに
☆さても見事な前田の 稲よ 丈が 六尺、穂が二、二尺
 六尺 丈が 丈が 六尺、穂が二、二尺



●●● 苗取り唄・田植唄 その15(サンサ節) ●●●
 これは『 大分縣郷土傳説及び民謡』より引いたもので節がわからないが、囃子から明らかに盆口説「きそん」の転用と思われる。この盆口説は佐賀関町以南の沿岸部をはじめ、大野地方でも「切り音頭」または「取り立て音頭」などとして、盛んに唄われている。

田植唄 大分市坂ノ市
☆関の権現さんにゃ エーイコリャサンサ サマエーイエーイサンサ
 お水ができた 諸国諸人の オイトセ 病みう治す ハレワエー
☆安芸の宮島 まわりが七里 浦が七浦 七えびす
メモ:『大分縣郷土傳説及び民謡』より



●●● 苗取り唄・田植唄 その16(サンサオ) ●●●
 節がわからないが、おそらく竹田市倉木の盆口説「サンサオ」と同種のものだろう。

田植唄 大分市上戸次
☆さても珍しい臼杵の城はナーエ
 地から生えたか浮き城か サンサオ
☆さんさ振れ振れ六尺袖を 二十歳過ぎたら何を振る



●●● 苗取り唄・田植唄 その17 ●●●
 詳細不明。

田植唄 大分市吉野
☆さんさ迫田の日焼け田の稲は
 花に咲いても実にゃならぬ エーエートナーサー
「田植の様を誰も見よ 雨の降るにも厭わずに
 夫は馬に田をすかせ 女は苗を田に植える
 すかせる植える忙しや これからたびたび田草取り
 次第に手数が増えてゆく どうぞ秋まで都合よく
 天気も続け雨も降れ



●●● 苗取り唄・田植唄 その18 ●●●
 節に対して文句がかっちりと乗っており、音引きが少なく唄い易い。節はかなり変化しているも、筑豊の炭坑で唄われた「ゴットン節」の類と同じ系統の節を持っている。流行小唄の転用と思われる。

田植唄 山国町槻木
☆腰の痛さやこの田の長さ はやくこの田が終わりゃよい
 この田がはやく はやくこの田が終わりゃよい(トコサイサイ)
☆わしが唄えば栄耀じゃとおしゃる 栄耀じゃござらぬ苦のあまり
 ござらぬ栄耀じゃ 栄耀じゃござらぬ苦のあまり



●●● 苗取り唄・田植唄 その19 ●●●
 1節を4息に分け、それぞれ早間に押し込んでは節尻を少し引っ張るばかりの、ごく易しい節である。同じ旋律で「ものすり唄」としても採集されている。節の感じから、ものすり唄を田植唄に転用したとみてよいだろう。

田植唄 中津市福島
☆腰の痛さよナー この田の長さヨ
 四月五月のナー 日の長さヨ(ヨイショヨイショ)



●●● 苗取り唄・田植唄 その20 ●●●
詳細不明

田植唄(香々地町)
☆恋の気狂い迷いの保名(アライヤサコサイサイ)
 まだも思うか ヤレ葛の葉を
 (ソラ葛の葉を) 思うか ヤレ葛の葉を



●●● 苗取り唄・田植唄 その21(ドッコイセ節) ●●●
 「ドッコイセ節」は今でもよく知られている「春は嬉しや、二人転んで花見の酒…」の元唄である。大分ではよほど流行したとみえて、座興唄、作業唄、盆口説などとして県内全域で採集されている。元唄そのままの節で、あるいは「春は嬉しや」の節で唄われたものもあれば、相応に節が変化して唄われたものもある。

田植唄 佐伯市木立
☆わしも若いときゃ縮緬だすきヨ ハードッコイサッサ
 今じゃ縄帯、縄だすき イヤドッコイサノサ 縄だすき
☆おきせん取られて泣くのが馬鹿じゃ 甲斐性あるなら取り戻せ 取り戻せ
 ※おきせん=彼氏
☆甲斐性荒いじゃ取り戻さいじゃ 枕並べて寝てみせる 寝てみせる
 ※甲斐性荒いじゃ取り戻さいじゃ=私は(彼氏を取られて泣き寝入りするほどの)甲斐性なしではない、取り戻してやるぞ

苗取り唄 久住町
☆萎えた男に苗取らすればヨ 苗は取らずになえなえと
 ハ ドッコイセジャ ヨイコラ よいならば
 ※なえなえと=軽い呼びかけで会話の句切れにつける「~なえ」や相槌の「なーえ」(そうだね、といった程度の軽い響き)と、「萎え」とをかける。苗取りは主に女性の仕事だったが、そこに手伝いを口実に寄って来ては色目を使う男をけなした、悪口唄。
☆あなたさんさよその気であればヨ わしも縄でも蔓でも
 ハ ドッコイセジャ こらまた どうするな
 ※「あなたさえ一緒になる覚悟でいるのなら、帯のかわりに縄や蔓を締めるほど貧乏しても私は構わないよ。どうするの」の意
☆様は見てみな浅間ヶ岳に 朝の霧よりゃなお深い



●●● 苗取り唄・田植唄 その22(コチャエ節) ●●●
 流行小唄「コチャエ節」の類で、県内で広く「坊さん忍ぶ」と呼ばれた座興唄を転用したもの。

田植唄(山国町槻木)
☆坊さん忍ぶにゃ夜がよい ハ月夜には 頭がぶらりしゃらりと
 コチャ ぶらりしゃらりと
☆お前さんの物が太いとて ハ彦山の 講堂の柱にゃなりゃすまい
 コチャ 講堂の柱にゃなりゃすまい ハコッチャヤレ コッチャヤレ
 ※バレ唄



●●● 苗取り唄・田植唄 その23(浅くとも)) ●●●
 端唄の転用。気晴らしに口ずさんだ程度だろう。

田植唄 宇佐郡
☆千代萩の 酣御殿の人数は 鶴千代 千松 政岡
 おきのいかこまち 八潮の音 さかい御前
☆床の間に 生けし花をばご覧じよ たとえ根元で切らるとも
 互いの心に水を上げ 花が咲くではないかいな
メモ:『俚謡集』に「草取り、臼挽き、粉挽き等にも唄わる」とある。



●●● 苗取り唄・田植唄 その24(ションガエ婆さん節) ●●●
 「しょおが婆さん」「ションガエ婆さん」などと呼ばれた戯れ唄が、かつて全国的に流行したようだ。節は種々あるも、一様に「焼き餅好きの婆さんが、餅の食べ過ぎで食あたりを起こす」という内容である。このグループのものは節が特に難しく、のろまなテンポで生み字を多用している。

田植唄(姫島村西浦)
☆しょおが婆さんな アーヨイナ 焼餅好、アーそうじゃろ 好きじゃ
 ゆんべ九つ アーヨイナ 今朝七つ アーそうじゃろ
☆ゆんべ九つぁ 中りもせ、アーそうじゃろ 中りもせねど
 今朝の七つは アーヨイヨイ アノ食中り ションガエ
メモ:これは明治20年生まれの吉広シンさんが昭和48年に録音した音源から起こしたものである(民謡緊急調査の音源に収録・図書館で聴くことができる)。それを聴いてみると陰旋の暗い節で、生み字が多いし句切れに関係なく音引きの囃子が割って入っており(焼き餅好、アーそうじゃろ、好きじゃ…など)、しかも細かい節が多くてずいぶん技巧的である。

田植唄(姫島村)
☆しょおが婆さんな 焼餅好、好きで ゆんべ九つ そうじゃろ
 中りもせねど 今朝の七つが アノ食中り
メモ:こちらは『民謡大観』に収録されている、西村シンさん演唱によるもの。吉広さんの節よりもずいぶんあっさりしているが、その骨格は同じである。おそらく、この種の田植唄は勝手気ままに口ずさんだ程度で、めいめいが自分の節で唄ったのだろう。



●●● 苗取り唄・田植唄 その25(ションガエ) ●●●
 県内の沿岸部で広く唄われた祝儀唄「ションガエ」の類だが、近世調の文句ばかりとなっている。おそらくこちらの単純な形の方がより古いのだろう。

苗取り唄 佐伯市木立
☆祝いめでたの若松様に 枝も栄る葉も繁る ションガエ
☆枝も栄てお庭が暗い 枝も下ろそや一の枝
☆一の枝よりゃ二の枝よりも 三の小枝が邪魔をする



●●● 苗取り唄・田植唄 その26(口説) ●●●
 盆口説の転用である。田植唄というよりは、田植の際に盆口説を口ずさんだ、或いは田植をしながら盆口説を練習したといった程度のものと考えられる。おそらく田の草取りに盆口説を唄ったものが、次第に田植の際にまで唄うようになり、旧来の田植唄に取って代わったのだろう。

田植唄 山香町立石
☆わしがしばらく唄うてみろか(ヤレショー ヤレショー)
 イヤそうじゃな 唄うてみろか(ヨーイサー ヨイヨナー)
☆わしが口説は石橋土橋 飛んではまた先の石
メモ:これは『豊後立石史談』から引いたもので、譜面や音源がなく、昔唄ったことがあるという人にも今のところ出会えておらず、曲調が全く不明である。囃子から推しておそらく「六調子」「杵築踊り」等の類の節だろうと考えられる。



●●● 苗取り唄・田植唄 その27(三勝) ●●●
 田植唄として採集されているも、おそらく田植をしながら盆口説の稽古をしたものが「田植唄」として定着しただけだろう。明らかに盆口説「三勝」である。

田植唄(別府市東山)
☆アー わしの思いは鶴見の山の(ヨイトセーヨイヨイ)
 ほかに木はないただ待つばかり(アヤーンソレソレ ヤンソレサ)
☆鶴見谷間に咲いたる花も 人が通わにゃ盛りも知れぬ



2、田の草取り唄について
 昔の田の草取りは、這いつくばるようにして手作業で行った。炎天下の泥田で草取りをするのは骨が折れ、玉の汗の肌に稲の葉ずれが不快で苦痛が大きかったという。普通の家ではせいぜい3番草までだったが、まめな家では4番草までとったとのことである。後に「八反どり」という手押しの草取り車が普及して少しは苦痛も軽減された。田の草取りの時季はちょうど盆前なので、気晴らしに盆口説の練習をしながら草取りをすることが多かった。それで、県内の「田の草取り唄」は盆踊り唄の転用が目立つ。田の草取り唄の採集例が少ないのも、そのためだろう。

●●● 田の草取り唄 その1 ●●●
詳細不明・盆口説ではなさそう。

田の草取り唄 山香町山浦
☆唄いますぞえはばかりながら 当たり障りはソーラ さらごめん
☆切れた切れたよ音頭の綱が 腐れ縄かよまた切れた
 ※「切れた切れたよ…」=文句が思いつかなくなったときに出す文句



●●● 田の草取り唄 その2 ●●●
詳細不明・おそらく田植唄と共通

田の草取り唄 臼杵市
☆アー 好いたお方と田の草取りは 芝居見るより面白い
 ※好いたお方と田の草取りは=好きな人と一緒に田の草取りをするのは
☆来るか来るかと待つ夜にゃ来んで 待たぬ夜に来て門に立つ



●●● 田の草取り唄 その3 ●●●
詳細不明

田の草取り唄 挾間町谷
☆嫁をかわいがれ 嫁にこそかかれ いとし我が娘は ヤレ 他人の嫁
 ※嫁にこそかかれ=嫁にこそ頼れ 姑への戒めの文句



●●● 田の草取り唄 その4 ●●●
詳細不明

田の草取り唄 大分市坂ノ市
☆ハー 細はよいとこ磯崎海で 波に揺られて鯛を釣る
☆行こか神崎戻ろか大平 ここは思案の中ノ原
☆唄いなされよお唄いなされ 唄でご器量はさがりゃせぬ
☆唄でご器量がさがるとあらば 洗うてやりましょ大川で



●●● 田の草取り唄 その5 ●●●
 これは『九州地方民謡歌詞集5』より引いたもので、その本には地元で民謡採集を行った際の演唱者の名前も明記されている。きっと録音資料があると思うが、まだ聴いたことがない。譜面は掲載されていないので節がわからないが、盆口説「祭文」を転用したものではないかと思う。

田の草取り唄 大田村田原
☆山は焼けても山鳥ゃ立たぬ コリャサノサ なんの立とうか子を捨てて
☆恋が九つ情けが七つ 合わせ十六わしの年
☆鳴くな鶏 まだ夜は明けぬ 明けりゃお寺の鐘が鳴る



●●● 田の草取り唄 その6(二つ拍子) ●●●
 節が崩れているも、盆口説「二つ拍子」の転用と考えられる。

田の草取り唄 武蔵町糸原
☆今度出たのをかいとらまえて(ヤレナーヨイヨイ)
 合うか合わぬかそりゃ知らねども(ヤレナー ヤレヨイヨイ)
☆合えば義経千本桜 会わにゃ高野の石堂丸よ
メモ:糸原の盆踊りでは現在「六調子」「祭文」「おけさ」「ヤッテンサン」の4種類の節が口説かれ、「二つ拍子」は聞かれない。昔は「二つ拍子」も踊っていたのかもしれない。または、実際は「六調子」のつもりで唄ったものが、踊りを伴わずに田の草取りで唄ったために唄い易いように間合いが詰まって「二つ拍子」に近くなっただけの可能性もある。



●●● 田の草取り唄 その7(口説) ●●●
 これは「三勝」がくずれたような節をもつ口説で、この種のものは挾間周辺では「田の草踊り」とか「二つ拍子」の口説として盛んに唄われていた。曲調からして、田の草取り唄と盆口説に転用したのではなく、盆口説を田の草取り唄に転用したと見るのが自然である。そうであれば「田の草踊り」の呼称にはいささか違和感があるが、これは踊りの所作からそう呼んだか、または元々は別の名前で呼んでいたのが田の草取りと共通の口説であるため「田の草」と呼んだ程度だろう。

田の草取り唄 挾間町来鉢
☆アー盆の十六日 おばんかて行たりゃ(ヨイトコセー ドッコイセ)
 なすび切りかけ 不老の煮しめ(アラヨヤサノセー ヨーイヤセ)
☆好いてはまれば泥田の水も 飲めば甘露の ソレ味がする
☆お前さんとなら戸はムシロでも 帯はカンネの ソレかずらでも

田の草取り唄「力哉口説」 挾間町朴木
☆綾や錦に巻かるる姫は(ヤレショー ドッコイショ)
 うつろ舟にて身を流さるる(アラヨヤサノセー ヨーヤーセ)
☆国は薩州薩摩の国よ 灘を隔てた鹿児島領の
☆国は知行は三万石を お取りなさるる御大将の

田の草取り唄 大分市賀来
☆親の意見と茄子の花は ヨイトセードッコイセ
 千に一つの ソレ徒がない ハヨヤサノセーヨーヤーセー
☆わしとあなたは惚れてはいるが 二階雨戸で 縁がない

田の草取り唄 大分市国分
☆好いて好き合うて行きゃこそ縁じゃ ヨイトヤードッコイセ
 親のやる先ゃ ソレ義理の縁 ハミヤサノセー ヨーヤーセー
☆寝ても眠たい寝たならよかろ 様と寝たなら なおよかろ

田の草取り唄 大分市国分
☆一の門越え二の門越えて ハドッコイセー ドッコイセー
 三の門から御詠歌を流す ハヨヤサノセー ヨーヤロセー

3、ものすり唄について
 もみすりや粉ひきなど、臼を回す作業で共通に唄われたものを一般に「ものすり唄」と呼んでいる。土臼は2人以上で遣り木をとって回すし、木臼は2人が向かい合わせに綱をとって回すので、唄いながら息を合わせて行った。1人用の小さな石臼を使うときにも、気晴らしに唄ったりしただろう。これらの作業は主に若い娘が夜なべ仕事で行ったが重労働なので、近所の若者が加勢に来ることが常であった。これは、仕事のかたわらでいつしか馴染みの仲になり縁づく場合もあったし、また互いに唄ったり話したりしながら臼を回すのは、きつい仕事ながらも楽しみであったとのことである。時代は流れて、この種の思い出を持つお年寄りも今では稀になってしまった。

●●● ものすり唄 その1(ドッコイセ節イ) ●●●
 流行小唄「どっこいしょ節」が郷土化したもので、座興唄、苗取り唄、ものすり唄などとして県内各地で広く唄われた。ものすり唄としては東国東・速見・南海部地方で採集されている。このうち、元唄に比較的近いものを「イ」、節が崩れているものを「ロ」とした。なお、元唄「どっこいしょ節」は廃れているが、これの変調の「春は嬉しや」は今でもよく知られている。

籾すり唄 佐伯市木立
☆唄え唄えとせき立てられてヨー(ヨイトサッサ)
 唄は出もせで汗が出た(ドッコイサノセー ヨイヤマカナー)
☆唄う心は湧かないけれど 胸の曇りを唄に出す
 (ハどしたらお前さんと 添わりょかね)

臼すり唄 佐伯市木立
☆唄う心はわしゃないけれどヨー(ヨイトサッサ)
 胸の曇りを唄に出す(アラどうしたならお前さんと 添わりょかな)
☆承知ないのに盃さして そして私を困らかす
 (ヨンヤドッコイセノセー 承知かな)
 ※困らかす=困らせる

ものすり唄(国東町中田)
☆うちのおかかは所で名取ヨ 何が名取か高菜採り ヨイトサーノ ドッコイショ
☆臼はひょんなもん摘まんで入れて 入れて回せば粉がでける
 ※粉(こ)=子の掛詞 バレ唄



●●● ものすり唄 その2(ドッコイセ節ロ) ●●●
 こちらは弾んだリズムになり、節がずいぶん簡略化されている。しかもそのほとんどが陰旋化しており、一度聴いただけでは「ドッコイセ節」の系統だと気付きにくいかもしれない。作業に合わせてテンポよく、次から次に唄い継ぐうちに変化したのだろう。囃子も元唄から離れて、「ヨイトサーヨーイヤナー」などに変化している。これは盆口説「六調子」などの囃子の影響と思われる。

臼すり唄 杵築市三川
☆臼をすり来たすらせておくれヨ(ヨーイヨイ)
 臼とやり木の番にゃ来ぬ(アーヨイトコサーノ ヨイヤサノサイ)
 ※番にゃ来ぬ=見かじめに来たわけではない(から、手伝わせておくれ)
  やり木=大きな臼につけた棒で、これを数人でとって押し引きして回す。
☆臼にゃ好かねど臼元さまの 入れる手じなにわしゃ惚れた
 ※バレ唄
☆惚れてみなされ器量こそ悪い 心吉野の最上一
☆今宵別嬪さんの臼する姿 枕屏風の絵に欲しゅい
 ※欲しゅい=欲しい
☆男ぶりよりゃ器量よりゃ心 心よいのに誰も好く
☆好いて好かれて行くのこ縁じゃ 親のやる先ゃ義理の縁
 ※行くのこ=行くこそが
☆お月様のよな気のまん丸い 心冴えたる様欲しゅい
☆臼はすれすれ挽かねばならぬ 挽かでまうのは水車
 ※挽かでまうのは=挽かずに回るのは
☆千里奥山あの水車 誰を待つやらくるくると
☆色は竹田で情けは杵築 情けないのは日出府内
 ※悪口唄で、杵築藩と日出藩の対立(境界争い等多々あった)を思い起こさせる。
メモ:実際に作業唄として生活の中で唄われたのはせいぜい大正末期までかと思われるが、昭和40年代に県内一円で地域の俚謡や盆踊り等の保存伝承の機運が盛り上がった際、杵築では盆口説「六調子」「ベッチョセ」などと並んで「臼すり唄」も取り上げられた。しかしステージ民謡とするにはあまりにも俗謡のイロが強かったためか、残念ながら「ふるさとのうた」としての伝承には至らなかったようだ。

ものすり唄 山香町広瀬
☆臼をすり来たすたせておくれヨ(ヨーイヨイ)
 様の口説を聞きにゃ来ぬ(ヨーイヨーイ ヨイヤサノサ)
 ※口説(くぜつ)=おしゃべり
☆唄を唄いなれどなたも様も 唄でご器量が下がりゃせぬ
☆姿かたちは自慢にゃならぬ 味が自慢の吊るし柿
☆あんた嫌うてもまた好く人が なけりゃ私の身が持たぬ
☆わしの来るのは鶯のように 野越え山越え川渡り
☆唄の切れ間と殿御さんの留守は 寂しゅござんす唄いなれ
☆臼がまいます下臼までも 唄にあわせてよう回る
 ※まいます=回ります

臼すり唄 大田村波多方
☆来いよ来いよと待つ夜にゃ来んでヨ(ヨーイヨイ)
 待たぬ夜に来て門に立つ(ヨーイサーノ ヨヤサノサ)
☆臼をすり来たすらせておくれ 野越え山越えすりに来た
☆臼をすらしょどち袖引く手引く しまやご苦労と戸を立つる
 ※すらしょどち=すらせようとて
  しまや=済めば
  全体としては「臼すりを手伝わせようとして袖を引くやら手を引くやらされたので(あわよくばと思い)手伝ったのに、作業が終われば態度が急変してハイさようなら」といった程度の意味
☆風も吹かんのに豆ん木が動く どこかテレやんが来ちょるじゃろ
 ※テレやん=てれっとした人(愚鈍な人) 通って来た男を小馬鹿にした表現で、一つ前の文句に対するあてこすり。
メモ:多分に即興的な内容で、若い男女の機微を唄い連ねている。

臼すり唄 大田村田原
☆臼を摺りきて 摺らんよな奴はヨ(ハヨイヨイ)
 いんでくたわけ朝のため(サノナー ヨイトサノサ)
 ※いんでくたわけ朝のため=朝仕事にそなえて帰って寝なさい
☆臼を摺りきて 摺らせておくれ わしは山越え来たわしじゃ

臼すり唄 大田村田原
☆臼を摺りにきた 摺らせておくれヨ(ヨイヨイ)
 臼がマ 重いかと言うてござれ(アーとんとこ富山の入れ薬)
☆臼はひょんなもの つまんで入れてヨ(ヨイヨイ)
 入れてマ まわせば粉がでける(アーうんとしてはらまにゃしょうけ××)
 ※バレ唄 粉=子 しょうけ=ざる
☆様に別れて松原行けばヨ(ヨイヨイ)
 松のマ 露やらしずくやら(サノサー ドッコイショ)

ものすり唄 日出町豊岡
☆臼をすり来たすらせておくれヨ(ハヨーイヨーイ)
 小言こまごと聞きにゃ来ぬ(アラ ソーダワ ソージャロヨー)
☆様よ来てみて疑いあれば 一人丸寝の袖枕
☆思い返して来る気はないか 鳥も枯木に二度とまる
☆臼をすり来てすらずに帰りゃ あとで名も立ちゃ腹も立つ
 ※臼すりを手伝うふりをしてひやかしに来るようでは、男女の仲の噂も立つし腹も立つ
☆鳴くな鶏まだ夜は明けぬ 明くりゃお寺の鐘が鳴る

粉挽唄 日出町法花寺
☆連れて行くなら一夜も早くヨ(ハヨイヨイ)
 心変わりのせぬうちに(アラサー ヤレヨイヨイ)
★アー連れて行くから髪をときなおせヨ(ハヨイヨイ)
 島田くずして丸まげに(アラサー ヤレヨイヨイ)
★連れて行たとて難儀はみせぬ 着せて食わせて抱いて寝る
★抱いて寝もせにゃ暇もくれぬ つなぎ船とはわしがこと
★ついておいでよこの提灯に けっして苦労はさせはせぬ
メモ:2節目以降は上句の間合いを詰めて、高調子に唄い始める。これはそれぞれに独立した文句ではあるが、1節目から内容が連続しているためひとまとまりのものとして唄っているためだろう。『民謡緊急調査』の音源では例示した唄い方で途切れているため想像にすぎないが、長く唄い続ける際に脈絡のない文句に移行する場合には☆印の節に戻って唄ったのではないかと思われる。

ものすり唄 国見町千灯
☆臼はヒョンなものつまんで入れて(ドッコイショ)
 入れて回せば粉が出来る(ヨイトサノ ヨイヨナー)
 ※粉=子 バレ唄
☆なんとしましょかこの月ゃ三月 梅が食べたいスユスユと
 ※臼はヒョンなもの…からの連続で、「三月」とは「妊娠三か月」の意。
☆わしが御門はひぐらし御門 見ても見飽かぬ添い飽かぬ
 ※わしが御門(ごもん)=「みかど(帝)」に通じるので「彼氏」の意のシャレ言葉。
  日暮御門=日光東照宮の陽明門の別名(大変立派な門で一日見ても見飽きない)
☆様よ来て見よ疑いあれば 一人丸寝の袖枕

ものすり唄 国東町大恩寺
☆おばんすり来たすらせておくれヨ(ヨイヨイ)
 こごつこまごた聞きにゃ来ん(ヨイトサー ヨーイヤナー)
 ※こごつこまごた=小言や細言は(文句や愚痴は)
☆ものをすり来てすらんような奴は いんでくたわけ朝のため
 ※いんでくたわけ朝のため=明日の朝仕事にそなえて帰って寝なさい
☆可愛い勝五郎 車に乗せて 曳こか初花 箱根山
☆辛抱しなされもう一二年 末はにょんぼじゃわが妻じゃ
☆別府浜脇 鳴いて通る鴉 金は持たぬにカオカオと
 ※カオカオと=鴉の鳴き声と「買おう買おう」をかける。鴉=浜脇遊郭のひやかしを暗喩
☆これがこうじゃとわけさえ立つりゃ 坂に車を押すじゃない

ものすり唄 国東町見地
☆おばんすり来たすらせておくれヨ
 おばんすりましょ 夜明けまで(ドッコイショーノ ヨーイヨナー)
☆おばんすり来てすらんよな奴は いんでくたわけ朝のため
☆小癪言うやた竹んかえ包うじ 水の出端にゃかえ流せ
 ※言うやた=言う奴は 竹んかえ包うじ=竹の皮に包んで かえ流せ=川に流せ
☆入れてください痒くてならぬ 私ひとりは蚊帳の外
 ※バレ唄

ものすり唄 国東町小川
☆ものはすれすれ すりにこ来たでヨ 小言細言聞きにゃ来ん
 ヨイトサー アリャヨーイヨナ ソレ キコン キコン
 ※すりにこ=すりにこそ
☆あんたよう来たよう来ちくれた わしが思いの届いたか
☆ものをすらせちだらせち寝せち 後ぢ歯がゆがりゃきびが良い
 ※だらせち=疲れさせて きびが良い=いい気味だ
  「作業を手伝う振りをして「あわよくば…」とやってきた気に入らない男に、どんどん作業をさせて疲れさせ、いつの間にか眠ってしまったのを放って帰れば、後で目覚めた男が悔しがるとはいい気味だ」といった程度の意味。
☆ものをすり来てすらんような奴は 去んでくたわけ朝のため
☆ものをすり来てすらんような奴は いっそ来なよい失すらよい
☆ものをするならやり木をしゃんと 押して回せば粉はすれる
☆お前見たさにものすり来たが おまや他人の人とする
☆裏の小池の鴨さえ憎い 鴨が立たなきゃ人は知らぬ
☆俺がもとすりゃお前は裏を 調子揃えば臼はまう
 ※まう=回る

ものすり唄 武蔵町糸原
☆ヤレ出しましょ藪から笹をヨ(ヤレヨイ)
 つけておくれな短冊を(ヨイトナー ヤレヨイヨイ)
☆つけてあげましょ七月七日 思い思いの短冊を
☆わしが思いはあの山のけて 様の暮らしが眺めたい
☆様の暮らしはいつ来てみても たすき前かけシュスの帯
☆ものをすり来たすらせておくれ 野越え山越え来たほどに
☆ものをすりに来てすらんような奴は 去んでくたわけ朝のため
☆臼はひょんなものつまんで入れよ すればするほど粉ができる
☆できたその粉は誰が粉かわかるか 団子丸めて食うてしまえ

ものすり唄 武蔵町
☆今は梅干じゃ 昔は花じゃヨ 鶯止まらせた節もある
 アドッコイサ よう来たな
☆今宵や良い晩 嵐も吹かで 梅の小枝も折りよかろ
 アドッコイサ ようやるな

ものすり唄 安岐町両子中分
☆ものをすり来てすらない人はヨ(ヨイヨイ)
 早くお帰り朝のため(ヨーイトサーノ ヨーイヨナ)
☆ものをすり来た すらせておくれ 野越え山越え来たわいな
☆野越え山越え来るよな方は 村で人気のないお方
☆わしとあなたはアイコの松で ともに落ちても二人連れ
 ※アイコ=相生
☆裏の窓からダイダイ貰うた 抱いて寝よとの判じ物
☆今日も朝から柱で頭 あいたかったと目に涙
 ※あいたかった=「ア痛かった」「逢いたかった」の掛詞



●●● ものすり唄 その3(ヨヤサノヨイヨイ) ●●●
 この唄はものすり唄・もの搗き唄・池普請唄として大分・大野・直入地方で広く唄われ、特に大野・直入地方では盆口説として今なお盛んに唄われている。もとはもの搗き唄であったのを、ものすりや池普請、また盆口説に転用したと思われる。ことさらな音引きはないが、音頭の節が起伏に富んでおりなかなか難しい。下句の返し方が独特で、全体で見ると「34・43/34・(43)/5」となっている。結局、近世調の下句の半ばに返しを入れることで、「34・43」の節を対にして末尾に5字余らせているのである。音頭と囃子が頻繁に入れ替わり間合いが詰まっているので、掛け合いで唄わなければ息切れしてしまう。節としての適当な呼称がないが広く唄われているので、一応囃子からとって「ヨヤサノヨイヨイ」の符牒をつけた。

籾すり唄 大分市宗方
☆ヤレ臼はナ(ハイ) 台でもつ(アラヨーイサヨイヨイ)
 なかご(ハイ) ごで締まる(ハラヨーイヤナ)
 イヤ早野ナ(ハイ) 勘平さんは(アラヨーイサヨイヨイ)
 勘平さんはノーエーヤーセ(ハイナーソコ)
 お軽で締まる(セーヨ ソコ ヨーヤセーヨ ヨーヤセー)
☆関で 女郎買うて うちのカ、カカ見れば
 千里 奥山 奥山 古狸
☆主が 振舞う 霜消、消し酒に
 やり木 持つ手に 持つ手に 汗が飛ぶ
☆挽けや 挽け挽け 籾す、すり済めば
 済めば 霊山に 霊山に 礼まいり

籾すり唄 大分市上戸次
☆イヨー お前マ(ソコソコ) 加古川(サーヨーイサヨイヨイ)
 アー本蔵(ソコ) 蔵が娘(サノーヨーヤナ)
 イヨー力哉(ソウジャ) さんとは(ハーヨーイサヨイヨイ)
 アーさんとはナーヤレーサ(アイナーソコ) 二世の縁
 (コラセーヨ ヨーヤセーヨ ヨーヤセー)
☆関の 小花は 千び、尋立つが
 わしの 思いは 思いは まだ深い

籾すり唄 大分市坂ノ市
☆アー安岐の 宮島(アーヨーイサヨイヨイ) まわりが
 アラまわりが七里(アラヨーヤナ)
 浦がナー 七浦 七浦、浦が(ハイナーソレ) 七えべす
 (トコセーヨ ヨヤーセーヨ ヨーヤセー)
☆水の 流れと 人間 人間の身は
 どこの いずくに いずくにどこの とまるやら
☆好いて はまれば 泥田の 泥田の水よ
 飲めば 甘露の 甘露の飲めば 味がする

ものすり唄 挾間町谷
☆臼はナ(ソコ) 台でもつ(サノヨイトサノヨイヨイ)
 なかごで締まるナ(サノヨーヤナ)
 早野ナ(ソコ) 勘平さんな(サノヨイトサノヨイヨイ)
 勘平さんな早野ナ(サノヨーヤナ) お軽さんで締まる
 (セーヨ) ソコ(ヨーヤセーヨ) ソコ(ヨーヤーナー)
 ※早野勘平、お軽=仮名手本忠臣蔵の登場人物

ものすり唄 挾間町挟間
☆宵の もとすり(アラ宵から来い来い) 夜中のコシキ
 朝の 洗い場が(アラ宵から来い来い) 洗い場がノーナンデモセ
 気にかかる(ソコ) セーヨ(ソコ) ヨーヤセーヨ(ソコ) ヨーヤセー
☆好いて好き合うて 行くこそ縁よ 親の遣る先ゃ 遣る先ゃ 義理の縁
メモ:もとすり唄としても唄われた。



●●● ものすり唄 その4 ●●●
 1節を2息で唄うごく単純な節で、誰にでも唄える。耶馬溪・宇佐・西国東地方で採集されており、節はいろいろあるがその骨格は同じなので、ひとまとめにした。派手な節ではないが田舎風の風情があるし、単調な作業の景気づけとして次から次に文句を出していけば、それなりに興も深まるだろう。

臼すり唄 耶馬溪町深耶馬
☆臼はすれすれすりにこ来たよ 臼はやめまい夜明けまで
 やめまい臼は 臼はやめまい夜明けまで
 ※すりにこ=すりにこそ
☆思うて来たのに去ねとは何か 秋の田をこそ稲と言う
 田をこそ稲と 秋の田をこそ稲と言う
☆思うて七年通うたが五年 そばに添い寝がただ一夜
 添い寝がそばに そばに添い寝がただ一夜
☆恋の小刀身は細けれど 切れて思いは太うござる

臼すり唄 耶馬溪町山移
☆臼はすれすれすりにこ来たよ こごつこまごた聞きにゃ来ぬ ゴンゴゴンゴ
 こまごたこごつ こごつこまごた聞きにゃ来ぬ ゴンゴゴンゴ
☆臼は石臼遣木は固い 間の中引きゃしのび縄
 中引きゃ間の 間の中引きゃしのび縄
☆若衆は臼すろすろと 終やご苦労と戸を立てる
 ご苦労と終や 終やご苦労と戸を立てる
☆終やご苦労と何の戸を立ちょに 終やご苦労と抱いて寝る
 ご苦労と終や 終やご苦労と抱いて寝る
☆小麦は重たいものや 様が近くば碾かしょもの
 近くば様が 様が近くば碾かしょもの
☆若いときゃ吉野に通うた 吉野小草をなびかせた
 小草を吉野 吉野小草をなびかせた
☆わしは唄好き念仏嫌い 死出の山をば唄で越す
 山をば死出の 死出の山をば唄で越す


臼すり唄 耶馬溪町山移
☆臼はすりなれすり来た殿御 お声聞かねば帰しゃせぬ
☆臼はすれすれすりにこ来たよ こごつこまごた聞きにゃ来ぬ
☆臼はすらそと袖引く手引く 暇にゃご苦労と戸を立てる
☆何のご苦労と戸を立てまする 暇にゃご苦労と抱いて寝る
☆思うちゃおれどもまだ親がかり 親が許さにゃ籃の鳥
☆籃の鳥とて厭いはするな いつか敗れる節もある

臼すり唄 耶馬溪町山移
☆臼はすれすれすりにこ来たよ 口説こまごた聞きに来ん
☆松は繁りようて棟まで暗い おろせ小松の一の枝
☆松の葉のよなこまい気を持たで 広い芭蕉葉の気を持たれ
☆広い広島夜更けて通りゃ 碁盤双六草の跡
☆さんの音がする力弥が笛は さすが都の竹じゃもの
☆竹になりたや戸原の竹に 神楽舞子の笛竹に
☆竹のひとよにこもりし水は 澄まず濁らず出ず入らず
☆わしのままならあの山のけて 様の出入りが見とうござる
☆ござれ話しましょ小松の下で 松の葉のよにこまごまと

臼すり唄 耶馬溪町大野
☆臼をすり来たすらせておくれ 私ゃ今宵がいろわじい
☆私ゃ初めにたすきを貰うた たすきゃかけんで気にかけた
☆臼は石臼遣木は堅木 臼の元引きゃしのび縄
☆あの山越えて草踏み分けて 来ても逢われぬ他村ゆえ
☆好いたお方にゃ添わしておくれ わずかこの世は五十年
☆好いたお方と添わせぬ親は 親じゃござらぬ鬼じゃもの
☆茶土間のお客さんに惚れた 着いちゃ行かれぬ泣き別れ
☆着いちゃおくれよこの提灯に 決して苦労はかけやせぬ
☆一夜でもよい抱いて寝た様は 憎うはござらぬ爪ほども
☆抱いて寝るのはこまいのこよけれ 松に小藤を巻いたよに
☆様よ様よと恋い焦がれても 側で添うやらふれるやら
☆添えば我が妻別るりゃ他人 胸の大事は語るまい
☆連れて行くなら一時も早く 心変わりのせぬうちに
☆様に分かれて松原行けば 松の露やら涙やら
☆松の露でも涙でもないが 様のかけたる願の雨
☆わしの心と大貞山は ほかに木のない待つばかり
☆わしの殿御はこの川上の 大根洗いか菜を流す

臼すり唄 山国町守実
☆アー 臼はすれすれすりにこ来たよ こごつこまごつ聞きにゃ来ん
 ※こごつこまごつ=小言細言(文句や愚痴)
☆一度させたらまたしょとかやす ござりゃさせましょ縄帯を
 ※かやす=返す
☆心根性は直せば直る 顔のせんきゅう直りゃせん
 ※せんきゅう=あばた
☆わしとあなたのこのよい仲を 誰が横やり入れたやら
☆いちで後家でも塩売りゃするな どこの門でもしよしよと
☆一夜泊りとうちゃ言うて出たが どこの小女郎が留めたやら
☆私ゃあなたに千夜の願い 千夜叶わにゃただ一夜

もみすり唄 宇佐市山本
☆待つがよいかよ別れがよいかヨ 同じことなら待つがよいヨ
☆主は三夜の三日月様かヨ 宵にちらりと見たばかりヨ

臼すり唄 豊後高田市佐野
☆臼をすり来たすらせておくれ 野越え山越えすりに来た
☆臼をすり来てすらんで帰りゃ 後で名も立つ腹も立つ
☆臼はまいますきりりとしゃんと 想う主さんが挽くほどに
 ※まいます=回ります
☆様は三夜の三日月様よ 宵にちらりと見たばかり
☆宵にちらりと見たではすまぬ ソーリャよいかと出てござれ
☆声はすれども姿は見えぬ 様はどこかのきりぎりす
☆山は焼けても山鳥ゃたたぬ 何でたたりょか子を捨てて
☆臼は重たい相手は眠る 眠る相手は嫌じゃもの
 ※大型の臼は、2人で遣木をとって回す。
☆隣のばあさんな欲なこた欲な 臼はすらせて餅ゃくれぬ
 ※欲なこた欲な=欲張りかといえば確かに欲張りだ
☆嫌じゃけれども義理づくなれば アイと返事もせにゃならぬ

臼すり唄 豊後高田市呉崎
☆臼をするなら身を揺り込んで 思う力をみな入れて(ギッコンギッコン)
☆臼をすれすれ すらんもんな帰れ 家の名が立つ損が立つ
☆臼は石臼 するのは小麦 中に出るのは粉じゃないか
 ※臼・小麦はそれぞれ女性・男性を暗喩 粉=子の掛詞 バレ唄の文句。
☆暑や苦しや手拭い欲しや 様の浴衣の袖欲しや

臼すり唄 真玉町赤松
☆臼はすれすれすりにこ来たで(ア小言こまごた聞きに来ん)
 アソジャソジャ ほんに(こまごた聞きに来ん)
 ※すりにこ=すりにこそ 小言こまごた=小言や細言(愚痴)は
☆唄は唄いたし唄の数知らぬ(大根畑のくれがやし)(大根畑のくれがやし)
 ※くれがやし=くれ返し(荒起こし後に土の塊を崩していく作業)と繰り返しの掛詞。唄の文句をたくさん知らないので、既に唄われた文句を繰り返す(また唄う)しかないよの意味で、文句が切れたときに唄う。
☆大根畑のあの菜を見やれ(誰を待つやら青々と)(誰を待つやら青々と)
☆ヤーレこの臼はすり上げの臼よ(臼にゃ暇やるみな休め)(臼にゃ暇やるみな休め)
メモ:赤松の節はあっさりとしていて、返しで下句の頭3字を省くところが特徴である。

ものすり唄 香々地町見目
☆鯛は周防灘 港は香々地 海も情けも深いとこ
 情けも海も 情けも深いとこ
☆深い情けに命をかけて しけりゃ漕ぎ出す助け船
 漕ぎ出すしけりゃ 漕ぎ出す助け船
☆助け上げられ抱き締められて 寝たがその子の名は知らぬ
 その子の寝たが その子の名は知らぬ
☆浜の娘は藻に咲く花よ 波の間に間に夫婦岩
 間に間に波の 間に間に夫婦岩
メモ:真玉町赤松のものと大同小異だが、陰旋化しているし返しの頭(情けも海も~の頭)を引っ張るなど、こちらの方がやや技巧的な節である。

ものすり唄 香々地町香々地
☆香々地ゃナー よいとこ海山近い 娘器量よし仕事好き
 器量よし娘 器量よし仕事好き
☆見目の 長崎香々地の尾崎 仲を取り持つみやの山
 取り持つ仲を 取り持つみやの山



●●● ものすり唄 その5 ●●●
 1節を3息に分け、それぞれ早間に押し込んでは節尻を少し引っ張るばかりの、ごく易しい節である。同じ旋律で「田植唄」としても採集されている。節の感じから、ものすり唄を田植唄に転用したとみてよいだろう。

臼すり唄 中津市福島
☆お寺に参るよかナ 臼すりござれヨ
 二升と三升すりゃ後生になるヨ ギッコンギッコン
☆声はすれども 姿は見えぬ 主は深野のきりぎりす
☆わしが死んでから 誰が泣いてくりょか 裏のお山の蝉が鳴く
メモ:同種の節が田植唄としても唄われている。



●●● ものすり唄 その6 ●●●
 おそらく「その5」の節と元は同じなのだろうが、こちらの方が節が起伏に富んでいる。一応、別グループ扱いとした。

臼すり唄 中津市東浜
☆ヤー わしの心とヨ アー大貞山はヨ(アラヨイヨーイ)
 アラほかに木はない松ばかりヨ(アラギッコン ギッコン)
★ハー 今晩これん臼はナ 身持ちでないかヨ(アラヨイヨーイ)
 中の白いのは粉でないかヨ(アラギッコン ギッコン)
☆好いて好き合うて 行くのこ縁じゃ 親のやるのは無理な縁
 ※行くのこ=行くのこそ
☆腰の痛さよ この田の長さ 四月五月の日の長さ
☆惚れて通えば 千里が一里 逢わず帰ればまた千里
☆様は三夜の 三日月様か 宵に来初めてすぐ帰る
☆わしが心と 大奥山は 他に木はない松ばかり
☆様は三夜の 三日月様で 宵に見初めて見たばかり
メモ:人によって細かい節などが違うようなので、ひとまず2通り示した。

ものすり唄 宇佐市横山
☆アー 臼はヨシマ臼ヤーレ ヤレギは堅木ヨー 中挽きゃ忍び妻
 アリャ 中挽きゃヤーレ 中挽きゃ臼の 中挽きゃ忍び妻
 ※ヨシマ臼=江島臼 長洲の江島で作られた土臼は評判が高かった。
  ヤレギ=遣り木
☆見下げしゃんすな泥田にゃ住めど きれいな蓮の花
 きれいな きれいな咲いて きれいな蓮の花
☆わしが唄えば空飛ぶ鳥も 休めて声を聴く
 休めて 休めて羽を 休めて声を聴く
メモ:東浜の節とずいぶん印象が異なるが、その骨格は同じである。こちらは下句の頭3字を伏せておいて、返しのところでその3字が出てくるという趣向である。このような形式の唄は宇佐地方の俚謡によく見られ、たとえば盆口説「らんきょう坊主」や「えび打ち唄」なども同様の形式である。

1、田植唄と苗取り唄について
 田植唄と苗取り唄とを比較すると、圧倒的に田植唄の採集例が多い。その理由としては下記が考えられる。
① 苗取り唄と田植唄とが共通のものであった場合は、作業の比重から、採集時には単に「田植唄」として演唱した。
② 苗取りの際にはめいめいに流行小唄や盆口説等を口ずさんだ程度で、特定の唄が定まっていたわけではなかった。
 このことから、両者を別項扱いする必要性が乏しいと考え、同列に扱うこととした。
(1)田植唄
 チョボチョボ植えから正条植えに転換してからは横一列にひどっていくため作業の速さが一目でわかり、あまり遅いのは障りがあったかもしれないが、めいめいの息を合わせる必要はない。その意味で、池普請唄など作業に直結する唄とは性質が異なり、ただ景気づけや気晴らしに唄うだけである。そのため知っている文句を適当に唄い継いだり、または上手な人がたくさん唄ったりする中で、その節の長短やテンポの変動は全く問題にならない。そうした事情もあってか節回しが変化に富み、特徴的な返しが多々見られる。
(2)苗取り唄
 田植前に、苗代から苗を抜き取りながら唄った。

●●● 苗取り唄・田植唄集 その1(サンヤレ節) ●●●
 この唄は県内の内陸部で、かなり広範囲に亙って採集されている。特に玖珠郡では流行したようだ。他地域では数種類の田植唄が採集されているのに、玖珠郡の田植唄は一列にこのグループのものばかりである。ことさらな音引きがないし細かい節も少なく、やや引きずり気味に節を回していくだけなので誰でも簡単に唄える。この唄については特定の呼称がないようだが採集例が多いので、一応囃子からとって「サンヤレ節」と呼ぶことにした。

田植唄 野津原町辻原
☆腰の痛さにこの田の長さ 四月(ヨイヨイ) 五月の日の長さ
 (サンヤレ 日の長さ 四月) ヨイヨイ(五月の日の長さ)
☆わしに通うなら裏から通え 前は 車戸で音がする
 (音がする 前は)(車戸で音がする)
☆音がするなら大工さんを雇うて 音の せぬよにしてもらえ
 (してもらえ 音の)(せぬよにしてもらえ)
☆わしが思いはネコ岳山の 朝の 霧よりゃまだ深い
 (まだ深い 朝の)(霧よりゃまだ深い)

田植唄 庄内町阿蘇野
☆腰の痛さにこの田の長さ 四月(ヨイヨイ) 五月の日の長さ
 (サンヤレ日の長さ 四月) ヨイヨイ(五月の日の長さ)
☆五月三十日ゃやや子が欲しい 乳を 飲ませて腰伸ばす
 (腰伸ばす 乳を)(飲ませて腰伸ばす)

田植唄 庄内町野畑
☆アーわしが思いは宇曽さん山の ほかに(ヨイヨイ) 木はない松ばかり
 サンヤレ松ばかり ほかに(ズレズレ) 木はない松ばかり
☆ぼんさん山道、破れた衣 肩にゃかからず木にかかる
 木にかかる 肩に かからず木にかかる
 ※木にかかる=気にかかる 要は「土佐の高知の播磨屋橋で、坊さんかんざし買うを見た」と同じ着想の文句である。

田植唄 庄内町
☆様はさぬやの三日月様よ 宵に(ヨイヨイ) ちらりと見たばかり
 (サンヤレ見たばかり 宵に) ヨイヨイ(ちらりと見たばかり)
 ※さぬや=三夜
☆お月様さよ黒雲がかり 私ゃ二人の親がかり
 (親ばかり 私ゃ)(二人の親がかり)
 ※お月様さよ=お月様さえ
☆五月三十日ゃやや子が欲しい ややに 乳飲ませ腰を伸す
 (腰を伸す ややに)(乳飲ませ腰を伸す)

田植唄 湯布院町中川
☆田植小話ゃ田主が嫌う 唄うて(ヨイヨイ) 植えなれしょぼしょぼと
 (サンヤレしょぼしょぼと 唄うて) ヨイヨイ(植えなれしょぼしょぼと)
☆わしとお前はお倉の米よ いつか 世にでてままとなる
 (ままとなる いつか)(世に出てままとなる)

田植唄 湯布院町中島
☆ハーラ わしが想いは湯ノ岳山の 朝の(ヨイヨイ) 霧よりゃまだ深い
 ※湯ノ岳山=由布岳
☆宵にちらりと見たではならぬ うちにゃ 子もあるカカもある

田植唄 湯布院町川上、挾間町谷
☆ハーお月様さえ黒雲がかり 私ゃ(ヨイヨイ) 二人の親がかり
 (サンヤレ 親がかり 私ゃ)ヨイヨイ (二人の親がかり)
☆様は三夜の三日月様よ 宵にちらりと見たばかり
 (見たばかり 宵に)(ちらりと見たばかり)
☆向こう通るは清十郎じゃないか 笠が よく似てシュゲの笠
 (シュゲの笠 笠が)(よく似てシュゲの笠)
 ※シュゲ=菅
☆シュゲ笠かぶりが清十郎であれば お伊勢 帰りはみな清十郎
 (みな清十郎 お伊勢)(帰りはみな清十郎)
☆五月田中にゃ乳呑児が欲しや 乳を 飲ませて腰を伸す
 (腰を伸す 乳を)(飲ませて腰を伸す)
☆星か蛍かぴかぴか光る 照らし輝くイロハ川
 (イロハ川 照らし)(輝くイロハ川)
☆音頭取る娘が棚から落てた 棚の下から泣き音頭
 (泣き音頭 棚の)(下から泣き音頭)

田植唄 直入町長湯
☆様よあれ見よ御岳山にゃ みかん(ヨイヨイ) 売り子が灯を点す
 サンヤレ 灯を点す みかん(ヨイヨイ) 売り子が灯を点す
☆みかん売り子じゃ主ゃなけれども 家が 難渋で火を点す
 火を点す 家が 難渋で火を点す

苗取り唄 久住町白丹
☆五月三十日ゃ寝てさよ眠い さぞや 眠かろ妻持ちは
 サンヤレ妻持ちは さぞや 眠かろ妻持ちは
 ※寝てさよ=寝てさえ
☆五月ながせに絞らぬ袖を 今朝の 別れに袖絞る
 袖絞る 今朝の 別れに袖絞る

田植唄 九重町
☆ハー 田野じゃ北方、湯坪じゃ挟間 夏の(ヨイヨイ) 涼しさ地蔵原
 (サンヤレ地蔵原 夏の) ヨイヨイ(涼しさ地蔵原)
☆田主旦那どんと心安うすれば 決めた 日傭よりゃ袖の下
 (袖の下 決めた)(日傭よりゃ袖の下)
 ※決めた日傭よりゃ袖の下=一日の賃金よりも余計に袖の下をくれる

田植唄 九重町田野
☆田植々々と好んで来たが いとし(ヨイヨイ) 殿御は代田掻き
 (アラサンヤレ代田掻き いとし) ヨイヨイ(殿御は代田掻き)
☆田植小話ゃ田主さんが嫌い 唄うて 植えましょしなやかに
 (しなやかに 唄うて)(植えましょしなやかに)

田植唄 九重町飯田
☆田植小話ゃ田主さんの嫌い 唄うて(ヨイヨイ) 植えましょしなやかに
 (アラサンヤレしなやかに 唄うて) ヨイヨイ(植えましょしなやかに)
☆祝いめでたで植えたる稲は からが 一丈で穂が五尺
 (穂が五尺 からが)(一丈で穂が五尺)

田植唄 九重町町田
☆腰の痛さよこの田の長さ 四月(オイオイ) 五月の日の長さ
 (アラホントニ日の長さ 四月) オイオイ(五月の日の長さ)

田植町 玖珠町山浦
☆腰の痛さよこの田の長さ 四月(ヨイヨイ) 五月の日の長さ
 (アーサンヤレ日の長さ 四月) ヨイヨイ(五月の日の長さ)
☆わしとあなたはしょうけの水よ 入れて もちゃぐりゃたまりゃせぬ
 (たまりゃせぬ 入れて)(もちゃぐりゃたまりゃせぬ)
 ※しょうけ=ザル たまりゃせぬ=(水が)溜まらないと、「たまらない気分だ」をかける。バレ唄。
☆わしがこの田を植えおくからにゃ 後で 噂をしておくれ
 (しておくれ 後で)(噂をしておくれ)

田植唄 玖珠町柿西
☆腰の痛さやこの日の長さ 四月五月の日の長さ
 サンヤレ日の長さ(サンヤレ日の長さ)
☆音頭とる子が橋から落てた 橋の下から泣き音頭
 サンヤレ橋から落てた(橋から落てた)

田植唄 玖珠町栃木
☆腰の痛さやこの日の長さ 四月五月の日の長さ
 サンヤレ日の長さ(ソレ)

田植唄 天瀬町本城
☆五月男のどこ見て惚れた 代田(ハイハイ) 上がりの濡れ姿
 (サンヤレ濡れ姿 代田) ハイハイ(上がりの濡れ姿)
☆田植ひとときゃ乳呑児が欲しい お乳 飲ませて腰休む
 (腰休む お乳)(飲ませて腰休む)
☆四月五月は寝てさよ眠い さぞや 眠かろ様持ちは
 (様持ちは さぞや)(眠かろ様持ちは)

田植唄 中津江村
☆ハーわしが死んだときゃ霧島つつじ 植えて(ハイハイ) 下され墓印
 ハーサンヤレ墓印 植えて(ハイハイ) 下され墓印
☆わしが唄うたら向かいからつけた 昔 馴染みが友達か
 友達か 昔 馴染みか友達か
 ※向かいからつけた=向こう側からお囃子をつけてくれた
☆腰の痛さよこの田の長さ 四月 五月の日の長さ
 日の長さ 四月 五月の日の長さ
☆四月五月は日が長けれど 様を 待つ夜はまだ長い
 まだ長い 様を 待つ夜はまだ長い
☆わしが唄をば唄おは訊くな あまり わが身の切なさに
 切なさに あまり わが身の切なさに
 ※わしが唄をば唄おは訊くな=私がなぜ唄を唄うのか訊いてくれるな
☆ままにならぬと飯つぎ投げた そこら いちめん飯だらけ
 飯だらけ そこら いちめん飯だらけ
 ※飯つぎ=おひつ

田植唄 上津江村上野田
☆田植田植と楽しゅで来たら 様は(ハイハイ) 代掻きわしゃ田植
 (サンヤレわしゃ田植 様は) ハイハイ(代掻きわしゃ田植)
 ※楽しゅで来たら=楽しい気分で来たら
☆腰の痛さよこの田の長さ 四月五月の日の長さ
 (日の長さ 四月)(五月の日の長さ)
☆田植小話ゃ田主が嫌う 唄うて 植えましょしなやかに
 (しなやかに 唄うて)(植えましょしなやかに)

田植唄 上津江村川原
☆様に会おうとて田植に出たが 様は(ハイハイ) 代掻きわしゃ田植
 サンヤレ わしゃ田植 様は(ハイハイ) 代掻きわしゃ田植
☆様は来て待つ出るこたならぬ 繋ぎ 舟とはわしがこと
 わしがこと 繋ぎ 舟とはわしがこと
☆様よ三度笠こき上げてかぶれ 少しゃ お顔が見とうござる
 見とうござる 少しゃ お顔が見とうござる



●●● 苗取り唄・田植唄集 その2(半節) ●●●
 大分地方・大野地方・直入地方の鼎立する区域で広く採集されている。大野町の一部では盆踊り唄にも転用されており「半節」と称している。これは唄の半ばで節を折り返して返しをつけていくことからかと思われるが、返しのつく唄などザラにある。どうしてこの節だけを「半節」と呼んだのかは不明。

苗取り唄 挾間町挟間
☆小麦五升どま唄でもするが(アズレズレ) 後の粉ばなしゃ嫁こびし
 (ヤレ粉ばなしゃ後の) 後の粉ばなしゃ嫁こびし
☆わしとお前は茶碗の水よ 誰が混ぜても濁りゃせぬ
 (混ぜても誰が) 誰が混ぜても濁りゃせぬ
メモ:ものすり唄の文句が見られる。おそらく、苗取り唄をものすり唄にも転用したため、文句が入り混じったのだろう。

田植唄 庄内町
☆田植田植と(ヨイヨイ) 好んで来たが
 (いとし殿御は) ヨイヨイ(ヤーレ代田かき)
☆切れた切れたよ音頭の綱が (腐れ縄かや)(また切れた)
 ※適当な文句が思いつかなくなったので、誰かに音頭を交代してほしいときに唄う。
☆腐れ縄でも取りようがござる(お手を回して)(柔らかに)
☆音頭取る娘が橋から落てて(橋の下から)(泣き音頭)

田植唄「半節」 大野町酒井寺
☆今日の苗取りゃ(ヨイヨイ) ヨイサ若手の揃いエー
 どこで約束(ヨイヨイ) ヨイサして来たなエー
☆どこで約束 しちゃ来ぬけれど 道の辻々 ヨイサ出合うて来たよ

田植唄「半節」 大野町
☆唄え半節(ヨイヨイ) さらりと上げて
 桧板屋に(ハーヨイヨイ) ヨイサ 響くほどエー
 ヤー響くほど 板屋の桧エー
 桧板屋に(ハーヨイヨイ) ヨイサ 響くほどエー
 ※桧板屋に響くほど=製材屋で桧を板にわくときのやかましさに負けずに響くほど(大きな声で唄おう)
☆様の来る道 粟キビ植えて 逢わず帰れば きびがよい
 きびがよい 帰れば逢わず 逢わず帰れば きびがよい
 ※「意中の男性がよその女のもとに通う道に粟とキビを植えて通せんぼをして、逢わず(粟)仕舞いになればキビがよい」の意。キビがよい=いい気味だ

田植唄「半節」 朝地町坪泉
☆腰の痛さに この田の長さ エイソーレ(ソレーソレ)
 四月五月の アレサ日の長さエー(ソーレソレ)
☆五月三十日 乳呑児が欲しや 畦に腰かけ 乳飲ます
☆こよさ一夜は ぜひ泊まりゃさんせな 川の流れも 堰きゃ止まる
 ※こよさ=今宵こそは 「さ」は強意の接尾辞

田植唄 久住町
☆祝いめでたで(ヨイヨイ) 植えたる稲は
 殻が一丈で(ヨイヨイ) ヤンレ穂が五尺
☆今年ゃ豊年 穂に穂が咲いて 道の小草に 米がなる
☆切れた切れたよ 音頭が切れて 腐れ綱かや また切れた

田植唄 久住町
☆腰の痛さに(ヨイヨイ) この田の長さヨー
 四月五月の(ヨイヨイ) ヨイサ日の長さエー
☆五月三十日や 寝てさよ眠い さぞや眠かろ 妻持ちは
☆五月ながせに 絞らぬ袖を 今朝の別れに 袖濡らす
☆五月三十日や ヤヤ欲しうござる 乳を飲ませて 腰休め

田植唄 竹田町植木
☆揃うた揃うたよ(ソレソレ) 植え手が揃うたヨ
 秋の出穂より(ソレソレ) なおよく揃うたヨ
☆今日の田植えに 親方ないか もはや止め頃 ヤレあがり頃
 ※「植え疲れたので続きは明日ににしたいが、一緒に植えている人たちが止める気配がない。もう今日は止めようと言ってくれる人がいればいいのにな」の意

田植唄 直入町長湯
☆雨は降り出す(ヨイヨイ) 心は急ぐエ
 (急ぐ心が) ヨイヨイ(アノままならぬエ)
 そのうち戻せ
 (急ぐ心が) ヨイヨイ(アノままならぬエ)

田植唄 久住町
☆今日の田植は(ソレソレ) みな雌鶏なエ
 (時を知らぬな) ソレソレ(ヨーイサ唄わぬなエ)
 ア知らぬか時をエ
 (時を知らぬな) ソレソレ(ヨーイサ唄わぬなエ)
 ※「今日のところはもう終わりにしようよ」を婉曲して唄ったもの。
☆腰の痛さに この田の長さ(四月五月の)(日の長さ)
 五月の四月(四月五月の)(日の長さ)
☆四月五月は 寝てさよ眠い(さぞや眠かろ)(妻持ちは)
 眠かろさぞや(さぞや眠かろ)(妻持ちは)

田植唄 久住町青柳
☆四月五月は(ソレソレ) 寝てさよ眠いヨ
 さぞや眠かろ(ソレソレ) ヨーイサ妻持ちはエ
 眠かろさぞや
 さぞや眠かろ(ソレソレ) ヨーイサ妻持ちはエ
☆今日の田植は みな雌鶏な 時を知らぬな 唄わぬな
 知らぬな時を 時を知らぬな 唄わぬな



●●● 苗取り唄・田植唄 その3 ●●●
 緒方郷近辺で採集されている。音引きが多く、「半節」や「サンヤレ節」にくらべると少し難しい。上句を「7・囃子・7」とせずに「7+2・囃子・(2)5」としているのが特徴。上句の後半を5字にする唄い方と、2字戻して7字にする唄い方とが見られる。ところが返しは一列に4・3となっており、2字戻して7字にする上句の節になっており、このあたりに県内の田植唄の返しの奔放さが見てとれる。

田植唄 三重町大白谷
☆祝いめでたで植え(ソレーソレ) たる稲はエイソーレ
 からが一丈で(ソレーソレ) 穂が五尺
 ハー 一丈でからがエイソーレ
 からが一丈で(ソレーソレ) 穂が五尺
☆腰の痛さにこの 田の長さ 四月五月の 日の長さ
 五月の四月 四月五月の 日の長さ

田植唄 緒方町小宛
☆腰の痛さにこの(ソレーソレー) この田の長さエイソーレ
 (四月五月の) ヤレノー(日の長さ)
 ヤレー 五月にゃ四月エイソーレ
 (四月五月の) ヤレノー(日の長さ)
☆祝いめでたで植え 植えたる苗が(幹が一丈で)(穂が五尺)
 一丈で幹が(幹が一丈で)(穂が五尺)

田植唄 緒方町下徳田
☆祝いめでたで植え(ヤレーソレー) たる稲はエイソーレ
 (からが一丈で) ヤレノー(穂が五尺)
 ヤレー 一丈でからがエイソーレ
 (からが一丈で) ヤレノー(穂が五尺)
☆今日の田植はどな たもご苦労(これにこれずと)(またござれ)
 これずとこれに(これにこれずと)(またござれ)
 ※これずと=こりずに

田植唄 竹田市会々
☆腰の痛さにこの(ソレーソレ) 田の長さソーレ
 四月五月の(ソレソレ) 日の長さ
 五月や四月 四月五月の(ソレソレ) 日の長さ

田植唄 竹田市今
☆腰の痛さに この 田の長さソーレ
 四月五月の(ソレソレ) 日の長さ
 五月の四月ソーレ
 四月五月の(ソレソレ) 日の長さ
☆西が曇れば 雨 ではないな 雨じゃござらぬ ヨナ曇り
 ござらぬ雨じゃ 雨じゃござらぬ ヨナ曇り
 ※ヨナ=火山灰
☆五月三十日 植え たる苗は からが一丈で 穂が五尺
 一丈でからが からが一丈で 穂が五尺

田植唄 清川村臼尾
☆腰の痛さにこの田の長さ 四月五月の ホノ日の長さ
 ヤレ五月の四月 エイソーレ 四月五月の日の長さ
メモ:上句の唄い方が他の違い、このグループに入れるかどうか迷った。しかし、下句は明らかにこのグループである。『民謡緊急調査』の音源では、高齢の演唱者が早間で唄っている。録音の緊張から、上句の節がやや崩れてしまった可能性も考えられる。



●●● 苗取り唄・田植唄 その4 ●●●
 採集例が少なく、今のところ山国町のものしか見当たらない。のろまなテンポだが節は易しい。

田植唄 山国町平小野
☆田植小話ゃナ 田主の(アーソレソレ) 嫌いヨーヨイヨナ
 (唄うて植えましょしなやかに)
 アイサ植えましょナ 植えましょ(アーソレソレ) 唄うてナーヨイヨナ
 (唄うて植えましょしなやかに)
☆腰の痛さよ この田の 長さ(四月五月の日の長さ)
 五月の 五月の 四月(四月五月の日の長さ)
☆唄いなされよ お唄い なされ(唄は仕事のはかがゆく)
 仕事の 仕事の 唄は(唄は仕事のはかがゆく)
 ※はかがゆく=はかどる
メモ:字脚を分析すると「34・4(囃子)3・34・5/アイサ4・4(囃子)3・34・5」となっている。結局、各節とも返しの部分(アイサから先)は地の音頭と同じ節で、つまり1節唄うのに2回同じ節を繰り返すということになる。この種の返し方は盆口説「米搗き」など、耶馬溪方面でよく見られる。

田植唄 山国町守実
☆一つ出しましょか藪から 笹をヨーヨイトナー つけておくれよ短冊を
★アー様と植えたる前田の 稲はヨーヨイトナー 丈に六尺穂に五尺
メモ:2節示したが、唄い出しの節が少し異なる。平小野のものに比べると、上句をやや長く引っ張っている。



●●● 苗取り唄・田植唄 その5 ●●●
 おそらく「その4」と「その5」はもともとは同種のものなのだろうが、差異が大きいため別グループとした。伝承の過程で節が変わったのだろう。こちらの方が音引きが多いし一部陰旋化しており、やや技巧的である。

田植唄 山国町宇曽
☆田植小話ゃ田主が嫌う(ハーヨイトナー) 唄うて植えましょしなやかに
 唄うて植えましょしなやかに(ハーヨイトナー)
☆唄うて植えたる前田の稲は 秋にゃ黄金の穂が稔る 秋にゃ小金の穂が稔る



●●● 苗取り唄・田植唄 その6 ●●●
 宇佐方面で多く採集されている。1節を3息に分けて節尻を引っ張るゆったりとした唄い方だが、拍子は乱れていないため唄い易い。

田植唄 宇佐市長洲
☆田植小噺ゃエ 田主の嫌いヨ アラ唄って植えましょ 品良くにヨ
★五月五月雨に 乳飲み子が欲しやヨ 畦に腰掛け 乳のましょ
☆五月五月雨に 白足袋席駄 あげな妻持ちゃ 恥ずかしや
 ※あげな=あんな 地主の妻への皮肉の文句だが、ある種の羨望も入り混じっていたのかもしれない。

田植唄 安心院町
☆田植小噺ゃ田主の嫌いヨ 唄うて植えましょ楽々と
☆唄い声する鼓の音する 間にゃ殿御の声もする
☆恋で九つ情けで七つ 合わせ十六様の年
 ※西條八十作詞の「大島くずし」(唄:音丸)の首句に酷似している。

田植唄 院内町原口
☆腰の痛さやこの田の長さヨ 四月五月の日の長さヨ
☆田植小話ゃ田主の嫌い 唄うて植えなれ楽々と
メモ:長洲の節よりも音引きが少なく易しい。

田植唄 山香町
☆腰の痛さよこの田の長さ 四月五月の日の長さ 日の長さ
☆田植え小話ゃ田主の嫌い 唄うて植えましょしなよくに しなよくに

田植唄 耶馬溪町山移
☆田植小噺ゃ田主の嫌い 唄うて植えなれソボソボと



●●● 苗取り唄・田植唄 その7 ●●●
 国東半島で採集されている節で、「その6」に近いところもある。おそらく、元々は同種なのだろう。一応、節の特徴から線引きできたので、別グループとした。

田植唄 豊後高田市田染
☆生まりゃ山国育ちは中津(命ゅ捨て場が博多町)
 捨て場が命ゅ(命ゅ捨て場が博多町)
 ※命ゅ=命う 「う」は「を」に相当する助詞
  博多町=中津市内の町名
☆博多町をば広いとは言えど(帯の幅ほどない町じゃ)
 幅ほど帯の(帯の幅ほどない町じゃ)
☆帯にゃ短し たすきにゃ長い(お伊勢編み笠の緒にゃよかろ)
 編み笠のお伊勢(お伊勢編み笠の緒にゃよかろ)
☆お伊勢編み笠をこきゃげて被りゃ(少しお顔が見とござる)
 お顔が少し(少しお顔が見とござる)
☆見ても見あかぬ鏡と親と(まして見たいが忍び妻)
 見たいがまして(まして見たいが忍び妻)
☆忍び妻さま夜は何時か(忍びゃ九つ夜が七つ)
 九つ忍びゃ(忍びゃ九つ夜が七つ)
☆七つ八つから櫓は押し習うた(女郎抱くみちまだ知らぬ)
 抱くみち女郎(女郎抱くみちまだ知らぬ)
☆女郎抱くにも抱きようがござる(左手枕 右で締め)
 手枕左(左手枕 右で締め)
☆締めてよいならわしゅ締め殺せ(親にゃ頓死と言うておきゃれ)
 頓死と親にゃ(親にゃ頓死と言うておきゃれ)
メモ:唄の文句は何でもよいが、尻取りあるいは連歌のように一口口説を連ねているのでなかなか興趣に富んでいる。この種の唄い方は姫島村の盆踊り唄の特徴として知られているが、他の唄にもまま見られる。音頭取りの腕次第といったところだろう。

田植唄 豊後高田市河内
☆いつも五月の田植ならよかろ ハ様の手前で植ようものに
 ※植よう=植えよう
○様の手前で植えたる稲は ハ丈が三尺穂が二尺
 ハ三尺丈が 三尺穂が二尺
○小石小川の鵜の鳥見やれ 鮎をくわえて瀬を登る
 くわえて鮎を くわえて瀬を登る
☆唄い声する鼓の音する あいに殿御さんの声もする
☆今年初めて田の草とれば どれが草やら田稗やら
メモ:返しのつく節とつかない節とを自由に取り混ぜて唄っている。田の草取り唄やものすり唄としても、同じ旋律で唄われていた。

田植唄 国見町千灯
☆私ゃろうそく芯から燃える あなた松明 上の空
☆あなたよう来た何しに来たか わしに心根を持つのかえ
☆様は来るはず なぜ様遅い どこに心をとめたやら
☆好いておりゃこそ朝夕通う 嫌な思いをするじゃない
☆思いますぞや あなたのことを 山で木の数 茅の数



●●● 苗取り唄・田植唄 その8 ●●●
 南海部地方で採集されている。

田植唄 弥生町切畑
☆土手の三度笠あとから見れば しながよござる笠の内
☆たとえ逢わいでも声さえ聞けば 逢うた心でわしゃ帰る
 ※逢わいでも=逢わなくても
☆早稲が七石、中手が九石 ずんと晩稲が十二石

田植唄 上浦町
☆ここは田の畦、滑るなお為 転ばしゃんすな半蔵さん
 ※盆口説「お為半蔵」の文句に「そこら界隈東に西に、どこの地下でも三人寄れば、噂話はお為と半蔵、在所や収納時麦打つ囃子、はやる小唄もお為と半蔵」云々とある。
☆雨は降ってくる洗濯物濡れる 子供は食いたがる気は急ぐ
☆これが今日のしまいの田植え 牛も暇やり自分も休む

田植唄 宇目町
☆植えてひどるな一本苗をヨー ソコ
 天の恐れで子が差しぬ チョイサセ チョイサセ
 ※ひどる=後退する  天の恐れで=「天を恐れずに」か。
  全体としては「(普通田植では数本ずつ植えながら後退していくが)道理をわきまえない子供が(手伝おうとして後ろの方で)一本ずつ植えているよ(後退するときはその苗を踏まないようにときは気を付けなさい)」の意か。
☆さんさ振れ振れ三尺袖を 袖が三尺 身が五尺
 ※類歌に「たんだ振れ振れ六尺袖の、しかも鹿の子の振袖模様」云々
☆様の三度笠、引き上げてかぶれ 少しゃお顔も見とござる
☆ござれ来いよとは言葉の飾り 行けば納戸の戸を閉める
 ※言葉の飾り=建前の言葉
☆あんたどう言うても誠にならぬ 袂すがりの子がござる
☆伊豆の山には名所がござる 籠で水汲むこれ名所
☆昔ゃ松の葉に五人は寝たが 今は芭蕉葉にただ一人
☆さても見事な上方道は 松に柳を植え混ぜて
☆行ったな行ってみたな上方道を 松と柳が植えてある
☆松に柳は植えまいものを 柳枯れたら松ばかり

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