夢の浮橋

下記3点に内容を絞って一から出直しです。 民俗・文化風俗や伝承音楽の研究に寄与できればと思っています。 ・大分県の唄と踊りの紹介 ・俚謡、俗謡、新民謡の文句の蒐集 ・端唄、俗曲、流行小唄の文句の蒐集

Category:大分県の唄と踊り > 盆踊り唄(市町村別)

●●● キョクデンマル(その1) ●●●
 下毛地方の「キョクデンマル」「げんきょろ坊主」は、それぞれ節は異なるも同種のものと思われる。適当なグループ名がないので、一応代表として「キョクデンマル」をとって「その1」「その2」…とする。宇佐市の「らんきょう坊主」、安心院町の「大津絵」(端唄の大津絵とは全く関係のない節)、別府市天間の「せきだ」も、これと同じグループとみてよいだろう。節回しが種々あるもおそらく同一の元唄があって、それから別れたものと考えられる。呼称がいろいろあるが「らんきょう坊主」と「げんきょろ坊主」「キョクデンマル」は、いずれも人名のような感じがする。推測に過ぎないが、きっと「新保広大寺」だの「大文字屋かぼちゃ」だのといった流行小唄と同じく、もともとは悪口唄だったのではないだろうか。
 これらのうち「その1」「その2」に分類した「キョクデンマル」は、唄い出しや下句を高く引っ張りこね回すような節である。「その1」は山国町と下郷で唄われている節で、頭3字を引っ張って細かい節を入れるところの節が難しい。近年は樋山路などごく一部に残るのみとなっている。

盆踊り唄「キョクデンマル」 山国町守実(三郷) <77・75一口>
☆秋の耶馬溪おしゃれなところ(山は紅葉で化粧する)

盆踊り唄「キョクデンマル」 耶馬溪町樋山路中組(下郷) <77・75一口>
☆待つがよいかよ 別れがよいか(嫌な別れよ待つがよい)
 別れよ別れよ別れよ嫌な(嫌な別れよ待つがよい)
メモ:輪の進みは時計回りだが、反対を向いて後退していくところが多い。うちわを1回も叩かない踊り方であり、これは耶馬溪町の踊りの中でも異色である。上句の部分の間合いが取りづらく、踊りが揃いにくい。
(踊り方)
右手にうちわを持って、左輪の向きから
1 両手を高く上げて右に振りながら、右足を後ろに踏んで左足を寄せる。
2 反対動作
3 反対動作
4 左足から2歩で後退しながら左に反転して右輪の向きになる。
5 左足を前に踏み、うちわを右下に振り下ろしながら右足を前から引き戻して地面を擦る(左足荷重のまま)。
6 右足から2歩で前進しながら右に反転して右輪の向きになる。
これで冒頭に戻る。



●●● キョクデンマル(その2) ●●●
 こちらは津民や山移の節で、上句の節が「その1」とは若干異なる。特に山移の節はややこしく、音頭が難しい。間合いが揃いにくく、踊りがばらばらになりがちである。

盆踊り唄「キョクデンマル」 耶馬溪町山移(山移) <77・75一口>
☆咲いたヨー 桜になぜ駒つなぐ(ハつなぐ) 駒が勇めば花が散る
 (花が散る 勇めば駒が コラ駒が) 駒が勇めば花が散る
☆花は 散りてもつながにゃならぬ(ならぬ) 中津殿さま御用の駒
 (御用の駒 殿さま中津 中津) 中津殿さま御用の駒

盆踊り唄「キョクデンマル」 耶馬溪町津民(津民) <77・75一口>
☆あなたナー 百まで わしゃ九十 コリャ九まで
 (ともに白髪の生ゆるまで)
 ハイソリャヨー生ゆるまで 白髪の コリャともに
 (ともに白髪の生ゆるまで)
☆娘十七八ゃ停車場の汽車よ(はやく乗らなきゃ人が乗る)
 人が乗る 乗らなきゃはやく(はやく乗らなきゃ人が乗る)



●●● キョクデンマル(その3) ●●●
 「その3」は中津の「げんきょろ坊主」で、今津のみで採集されているが、かつては近隣地区でも歌い踊られたのだろう。「げんきょろ坊主」の響きからは、宇佐の「らんきょう坊主」を思い起こさせる。こちらの方がずいぶんテンポが速い上に弾んだリズムになってはいるも、下句の一部に「らんきょう坊主」と共通の節回しが残っている。おもしろいことに下句では音頭の半ばから囃子が入ってきくるのだが、下3字を捨ててしまっている。その直後に5字の返しをつけており、ここで初めて下3字が出てくる。囃子も「ハンハースーボン」だの「げんきょろ坊主こねん」だのと風変りで、おもしろい唄である。これと「キョクデンマル」とは、少し聞き比べただけでは類似性に気付きにくいが、なかなかどうして、間に「らんきょう坊主」をはさんでみると一連のものとして認識しやすくなる。

盆踊り唄「げんきょろ坊主」 中津市今津(桜洲) <77・75一口>
☆宇佐の百段 百とはいえど(ショイショイ) ハンハー百は(ござらぬ九十)
 九十九段 ハンハースーボン(げんきょろ坊主こねん ショイショイ)
☆わしが唄うたら大工さんが笑うた 唄に(かんながかけ) かけらりょか



●●● 番所踊り(その1) ●●●
 これは小祝地区にのみ残っているもので、たいへん珍しい。途中にことさらな音引きが入り、そこに「ハーハーエーワーハハンハ」音引きの囃子が入るのがおもしろい。個性的な節だが、下3字を欠いた下句を囃子が取っているのが特徴である。おそらく宇佐の「らんきょう坊主」と同種、つまり「キョクデンマル」とか「げんきょろ坊主」と同種かと思われるが、現行の節回しがあまりに異なっているため確証を得ず、一応別項扱いとした。踊り方は「マッカセ」や「レソ」の系統で、手数が少なく易しいので誰でも楽しく踊れる。
 なお、いま「番所踊り」として残っているもののほかに、明らかに別物と思われるものが古い文献に「番所踊り」として掲載されていた。そこで、前者を「その1」、後者を「その2」とする。

盆踊り唄「番所踊り」 中津市小祝(中津) <77・72一口>
△シャンシャン オシャシャンノシャン ホラ番所エー
 お場が広うなったヤ コラサー広い(番所場の木を)
☆アラ揃うた揃うたよ みなハーハーエーワーハハンハ ハーハーエー
 みな手が揃うたヤ コラサー稲の(出穂よりゃよく)
☆後生を願うなら 宇佐 宇佐よりゃ中津 中津(寺町ゃ後生)
☆白い浴衣に 南無妙法 南無妙と書いて 南無妙(法蓮華教後生)
☆笹に短冊 たな 七夕さま 川を(隔てて恋)
☆舵を枕に およ およるな殿御 舵は(お船の足)
☆盆の十六日ゃ おど 踊らぬ者は 猫か(鼠か犬)
☆私ゃ小祝 浜 浜辺の生まれ 色の(黒いのは御免)
メモ:首句のみ特別な節で唄い、2節目以降は同じ節をずっと繰返していく。この唄は下句の頭3字までを音頭が唄い、残りを囃子が取るが、おもしろいことに各節末尾の3字を伏せている。上句の半ばに「ハーハーエー」だの「ワハハンハー」だのとことさらな音引きが入る。全体としては陽旋だが、この音引き部分が半ば陰旋化しており、音程の取り方がやや難しい。



●●● 番所踊り(その2) ●●●
 現在唄われておらず節がわからないが、囃子から推して、「その1」とは別物であったと考えられる。

盆踊り唄「番所踊り」 中津市小祝(中津) <77・75一口>
△番所エー 御場が広い ヤッコラセ 広い番所に来て踊れ
☆番所役人 ソレヤホンホーエ 親切物よ
 ヤッコラセ 腹の痛い時ゃ万金丹
☆後生願うなら宇佐よりゃ中津 中津寺町ゃ後生楽



●●● 江州音頭 ●●●
 滋賀の「江州音頭」が入ってきて郷土化したもので、おそらく紡績工場その他で行き来があった関係で伝わったのだろう。ただし、その節回しは本場の「江州音頭」よりずいぶん簡略化されており、河内音頭の一種である「ヤンレイ節」に近い。この種のものはかつて大分県内の沿岸部で点々と流行したようで、大分市白木や上浦町浅海井、佐伯市などでも「江州音頭」「ごうし音頭」等の呼び名で親しまれている。

盆踊り唄「ドッコイサッサ」 中津市大新田(小楠) <77・77・77・77段物>
☆アー国は京都の三條が町で(アドッコイサッサ)
 三條町にて糸屋がござる 糸屋与衛門、四代目の盛り
 てがい番頭が七十と五人(アーヨイト ヨイヤマカ ドッコイサノサ)
☆七十五人のあるその中で 一の番頭に清三というて
 年は二十六、男の盛り 連歌、俳諧、書き算盤の

盆踊り唄「ドッコイサッサ」 中津市今津(桜洲) <77・77・77・77段物>
☆ハーここに過ぎにしその物語(ハードッコイサッサイ)
 国は中国その名も高い 武家の倅に一人の男
 平井権八直則こそは(ソリャーヨイト ヨヤマカ ドッコイサノサ)
☆犬の喧嘩が遺恨となりて 同じ家中の本庄氏を
 討って立ち退き東をさして 下る道にて桑名の渡船

盆踊り唄「江州音頭」 中津市伊藤田(三保) <77・77・77・77段物>
☆ヘー京じゃ一番 大阪じゃ二番(アドスコイサッサイ)
 三と下がらぬ白金屋さん 蔵が十三、酒場が九軒
 居り屋出店が三十と五軒(アラーヨイト ヨヤマカ ドッコイサノサ)
☆金の報いか前世の業か 二十と四のときゃ両親に別れ
 明けて五の年妻子に別れ 身内兄弟みな死に別れ



●●● さっさ ●●●
 この唄は本耶馬渓町・耶馬溪町のみに残っている。音引き・生み字だらけで高調子に引っ張るうえに、節も細かく唄い方が大変難しい。これを無伴奏で唄うため拍子をとりづらく、踊りも揃いにくい。そのため下火になっており、今では一部集落に残るのみとなっている。抑揚に富んだたいへんおもしろい節で、近隣に似たような唄も見当たらず、廃れているのが惜しまれる。
 掲載した3例は、いずれも節回しや音引きの囃子の差異が大きい。一つひとつ別グループを立てようかとも思ったが、音引きの多い節を無伴奏で唄ううちに生じた違いであって元は同じと思われるし、それぞれの採集例が少なすぎて比較検討が困難であったので、ひとまず同じグループにまとめた。

盆踊り唄「さっさ」 本耶馬溪町落合(上津) <77・75一口>
☆今宵ハンハー よい晩サ 嵐もヨーホーホンハ(ショイ)
 ヨホホンナー吹かぬ(ショイショイ)
 ヤッコラセー 梅の チョイトチョイト 梅のヨホホイ
 (小枝もヨーホン 折りよかろ)
☆梅の 小枝を 折りかけ おいて あとで あとで(咲くやら 咲かぬやら)
☆咲いた 桜に なぜ駒 つなぐ 駒が 駒が(勇めば 花が散る)

盆踊り唄「さっさ」 本耶馬溪町樋田(東城井) <77・75一口>
☆安倍のヨー 保名の 子別れヨホホーンオ(ショイショイ)
 ヨーホンホーリャよりも(ショイショイ)
 ヤトコリャセー 今朝の ホントチョイト 今朝のヨンオ
 (別れがヨー 辛うござる)
☆わしが 思いは 大貞 山よ ほかに ほかに(木はない 松ばかり)
☆秋の 耶馬溪は お洒落な ところ 山は 山は(紅葉で 化粧する)

盆踊り唄「さっさ」 耶馬溪町平田(城井) <77・75一口>
☆一つヨホホー 出しますはばかりヨホホ(コリャコリャ)
 ヨホホンホーながら(サッサ)
 ヤーコラサノサーノ 唄の チョイト 唄のヨホホイ
 (文句はヨー 知らねども)
☆唄の 文句はよんべこそ 習うた 唄の 唄の(しまえぬ 夏の夜にゃ)
 ※よんべ=昨夜
☆踊り 踊るならお寺の 庭で 踊る 踊る(かたでに 後生願う)
 ※踊るかたでに=踊りながらに
☆後生は 願いなれお若い とても 時は 時は(きらわぬ 無常の鐘)
☆唄は 唄いなれお唄い 知らぬ 大根 大根(畑の くれ返し)
 ※くれ返し=土くれを鍬で返すことと「繰り返し」をかける。唄の文句を数多く知らないので一度出た文句がまた出ますよという謙遜の文句。
☆大根 畑をたんだくれ 返しゃ 折れた 折れた(大根が 出てござる)
☆唄は 唄いなれお唄い なされ 唄は 唄は(仕事の はかをやる)
 ※はかをやる=はかどる
☆揃うた 揃うたよ踊り子が 揃うた 笠が 笠が(揃うたら なおよかろ)
☆笠を 忘れた駿河の 茶屋に 空が 空が(曇れば 思い出す)
☆空を 曇らせ時計どま 止めて 様と 様と(朝寝が してみたい)
 ※時計どま=時計なりと
☆唄で 送れよ今来た お客 お声 お声(聞かなきゃ 帰しゃせぬ)
☆お声 聞かずば帰さぬ なれば お声 お声(聞かせて わしゃ帰る)
☆踊りゃ 崩けそうな皆来て 踊れ 踊りゃ 踊りゃ(やめまい 夜明けまで)
☆千秋 万歳千箱の 玉よ 踊り 踊り(納める 今ここに)
メモ:昔はよく踊っていたそうだが、踊りが揃わないということで省略するようになって久しかった。地元住民にもこの踊りを惜しむ声があったらしく、平成20年頃よりこの踊りを復活させようという機運が高まり再び踊られるようになった。腰を折り曲げて左手をかざし、右手を左に差し伸ばしながら上体をねじまげて左側を覗き込むような所作がおもしろいし、その所作で半呼間ためておいて、次の拍子で急いで横に移動するのも乙なものである。優美な所作が近隣地域でも評判だったようだ。
(踊り方)
右手にうちわを持って、輪の内向きから
1~2 うちわを左に振り下ろして1回かいぐりをするように巻きながら、右足を左足の前に交叉して左向きに踏み、すぐ左足を左に輪の内向きに踏む。 ※早間2呼間、2歩で左にずれる
3~4 輪の中を向いて両手を高く振り上げながら右足をその場でトンと踏む。
5~6 反対動作
7~9 腰を曲げて前傾しながら左手は小さくかざし、右手を伸ばして左横に入れ込むようにしながら右足を左足の前に交叉して左向きに踏み、体を左にねじまげて左を覗き込む。ここは早間の2呼間とる。左足を左に輪の内向きに踏む。 ※早間の3呼間、2歩で左にずれる
10~13 3~6と同じ
これで冒頭に戻る。
※表記の都合上、早間でカウントして13呼間だが、唄の拍子にあわせて数えれば実際は6.5呼間である。上記の7~9のところで半呼間余分にとるので、所作が1順するごとに唄と踊りの拍子が半呼間ずつずれる。そのため輪の中を向いてヤットンヤットンと足踏みするところが裏拍になったり表拍になったりするので、たいへん紛らわしい。音引きの多い唄なので踊りが揃いにくい。



●●● 思案橋(その1) ●●●
 福岡県の遠賀川流域から大分県北西部にかけての地域に広く伝わっている唄で、ほかに佐賀県の一部や佐伯市の一部(堅田)などにも残っている。古い流行小唄が郷土化したもので、かつてはもっと広範囲に亙って唄われていたのだろう。この唄は地域によって節や字脚が大きく異なるが、最も古いものは「思案橋越えて、行こか戻ろか思案橋」の文句で、これは7・75の字脚である。近世調(77・75)以前の、古調の面影をよく伝えるが、この字脚ばかりで通す節は堅田踊り(佐伯)や日若踊り(直方)の演目として残るばかりで、下毛地方のものは全て近世調である。これらは一連の盆口説として唄う際に、文句を使いまわす都合等で変化したものと思われるが、字脚の変化に伴い節回しもかなり変化している。7・75の字脚の節では音引きが多くてかなり難しい節だが、近世調の節はことさらな音引きが少なく、騒ぎ唄風になっている。節回しの特徴から大きく「その1」「その2」に分類した。
 かつては山国町・耶馬溪町・本耶馬渓町で広く唄い踊られた「思案橋」も、今は全く廃ってしまっている。山国町では奥谷で昭和50年代まで踊られていたが、それが最後であった。耶馬溪町では下郷や城井で踊られていたとのこと。本耶馬渓町では、西谷等で比較的近年まで踊られていたようだ。そう難しい節でもないが、文句の内容が色街の「ぞめき」であることや、余興的な位置づけであったことなども影響したのだろう。

盆踊り唄「思案橋」 山国町守実(三郷) <77・75一口>
☆思案しかえても一度は来ぬか
 ヤーハンハー鳥も鳥も 古巣に二度戻る
 ソリャー実ぞな鳥も
 ヤーハンハー鳥も鳥も 枯れ木に二度とまる
☆思案橋から女郎屋が近い 行こか行こか 戻ろか思案橋
 ソリャー実ぞな行こか 行こか行こか 戻ろか思案橋

盆踊り唄「思案橋」 山国町奥谷(三郷) <77・75一口>
☆思案橋から女郎屋が近い
 ヤーハンハー行こか行こか(ドッコイショ) 戻ろか思案橋
 ソリャー戻ろか行こか
 ヤーハンハー行こか行こか(ドッコイショ) 戻ろか思案橋
☆思案橋から文ゅ取り落といた 惜しや惜しや 二人の名を流す
 二人の惜しや 惜しや惜しや 二人の名を流す

盆踊り唄「思案橋」 本耶馬溪町西谷(西谷) <77・75一口>
☆思案橋から文取り落ちたナー
 ヨーホホ 惜しや惜しやヨ(ショイショイ) 二人の名を流す
☆小石小川の鵜の鳥見なれ 鮎を鮎を くわえて瀬をのぼる



●●● 思案橋(その2) ●●●
 こちらは下句の末尾3字を欠いていて、下句2字目と次の文句の1字目が重なっている。「その1」の節に一部「さっさ」の様子を掛け合わせたような節だが、一応「思案橋」に分類することにした。

盆踊り唄「思案橋」 本耶馬渓町樋田(東城井) <77・72一口>
☆わしが出しますソーラヨーハヨイ(ヨイヨイ) 藪から笹を(ショイショイ)
 ヤットコラセーデ つけてつけて ソコ(おくれよ短)
☆竹に短冊七夕様は 思い思い(思いの歌)
☆わしが唄うたら大工さんが笑うた 唄に唄に(かんながかけ)
☆唄にかんながかけらりょならば 天に天に(はしごがかけ)
メモ:たとえば「わしが出します」の文句だと、末尾「短冊を」を3字欠いて「短」で終わっているのを、次の文句の頭に「竹に短冊…」と出ており、うまく意味がつながるようになっている。



●●● 大津絵 ●●●
 端唄「大津絵」を崩したもので、元唄の後半部分を大きく省略し、テンポよく唄っていけるように工夫されている。文句はオリジナルのものもあるが、ほとんどが元唄からの引用である(浄瑠璃のさわりくずしが主)。昔は三味線や太鼓の伴奏で唄っていたが昭和30年代に旧来の口説が廃絶した。唄に似合わず踊りはすこぶる単純なもので、「マッカセ」「レソ」の系列で親しみやすい。
 元唄は絶えたが、昭和の中ごろに元唄の字脚に揃えた「中津大津絵音頭」として復活した。ただし、これは盆口説としての「大津絵」とはかけ離れたもので、文句も観光宣伝色の強い4節に限られており、多分に新民謡的なものである。そのため「大津絵音頭」の方は、新民謡の項にて紹介する。「大津絵音頭」の発表に合わせて流し踊り用の新しい踊り方が考案され、後者が周縁部にも普及している(昔の踊り方も一応残っている)。

盆踊り唄「大津絵」 中津市大新田(小楠) <小唄>
☆九州豊前の中津の京の町 粋な別嬪さんに手を引かれ
 片端の町を(コリャコリャ) しずしずと
 もはや嬉しや小倉口 マ人の(ドッコイ)
 噂も広津橋 はるかに見えるは天通じ(コリャコリャ)
☆鹿が鳴きます秋鹿が 寂しうて鳴くのか妻呼ぶか
 寂しうて鳴かぬ(コリャコリャ) 妻呼ばぬ
 明日はお山のおしし狩り マどうぞ(ドッコイ)
 この子が撃たれますゆえ 助けください山の神(コリャコリャ)
☆国は播州の姫路の御城下で 青山鉄さんの悪だくみ
 かなえの皿を(コリャコリャ) 一枚盗み取り
 それとは知らずに腰元お菊 マなんぼ(ドッコイ)
 数えても数えても この皿一枚足りません(コリャコリャ)
☆三国一の富士の山 雪かと見れば白富士の
 吉野山(コリャコリャ) 吹きくる嵐山
 朝日に山々見渡せば マ小夜の(ドッコイ)
 中山、石寺山や 末は松山、大江山(コリャコリャ)
☆政岡が鶴千代君の お顔つくづく眺むれば
 あの千松が(コリャコリャ) いつもの通りにて
 雀の歌をば歌ってみやしゃんせと マ云えば(ドッコイ)
 千松渋顔して 裏の畑の苣の木に(コリャコリャ)
☆中津近くに名高い市が立つ 大貞放生会で八日が羅漢
 お取り越しは(コリャコリャ) 十月四日市
 宇佐のまんどころでおけつひねられた アノ餅は(ドッコイ)
 くうばの山中で 雨は降り出し傘もちゃなけれども(コリャコリャ)
☆日高川エ 清姫が 安珍さんに御用じゃと訪ねくる
 これいなもうし(コリャコリャ) ご出家様
 どこかここらで二十歳くらいの アノ立派な(ドッコイ)
 お坊さんにお逢いはなさせぬか 逢うた見たこた見たけれど(コリャコリャ)
☆十五夜のエ 月はまんまと冴ゆれどもエ 冴えぬは二人の仲じゃもの
 辛抱してくれ(コリャコリャ) 今しばしエ
 辛い勤めと思わいで マ怖い(ドッコイ)
 夢じゃと諦め下しゃんせ 逢うたこの夜の二人仲(コリャコリャ)
☆山中通れば定九郎が おーいおーいの親父さん
 その金こちらに(コリャコリャ) 貸して下さんせ
 いえいえ金ではありません マ娘(ドッコイ)
 お軽がしてくれた おーいおーいの握り飯(コリャコリャ)
☆夏の夜によいものは 空に一声ほととぎす 草葉にとまる
 (コリャコリャ)蛍虫 昼は草葉に身を隠し マ夜は
 (ドッコイ)小道に灯をとぼし 忍ぶ男の邪魔をする(コリャコリャ)
☆大阪をエ 立ち退いて 私の姿が目に立たば
 借り駕籠で(コリャコリャ) 身をやつし
 奈良の旅籠や三輪の茶屋 マ五日(ドッコイ)
 三日と日を送り 二十日余りに四十五両(コリャコリャ)
☆ちょいと投げ出す丁半めくり札 あいにゃ二も出る三も出る
 四と張れば(コリャコリャ) 五で取られ
 六な目札は繰り出さぬ マ七八(ドッコイ)
 おいて工面すりゃ 十年このかた負けバクチ(コリャコリャ)
☆山科の大雪に 東の果てから親子連れ
 はるばると(コリャコリャ) 訪ね来て
 力弥と祝言頼めども マ堅い(ドッコイ)
 お石さんが言葉ゆえ 承知なければ是非もない(コリャコリャ)
☆いざなぎや いざなぎや いざなぎ山の樟の木で
 舟を造りて(コリャコリャ) 今朝おろし
 柱は槇の木で桁は檜 マ綾や(ドッコイ)
 錦の帆を巻き上げて 舟の艫には松を植え(コリャコリャ)



●●● さのさ(書生節) ●●●
 これは「さのさ節」の数ある変調の一つである「書生節」が当地に座興唄として根付き、それをそのまま盆口説に転用したものである。節回しにも文句にも地域性が希薄で郷土色が乏しいが、昔は山国町から三光村にかけての広範囲でよく唄い踊られていた。音頭も踊りもごく易しいが余興的な性格が強い。そのためか、近年はほとんどの集落で省略しており、下火になっている。

盆踊り唄「書生さん」 山国町守実(三郷) <小唄>
☆書生さん 好きで虚無僧するのじゃないが(アナントナント)
 親に勘当され試験に落第し(ヨイショ) 仕方ないからネー
 尺八を 吹く吹く吹く間に門に立つ(ア ジッサイ ジッサイ)
☆梅干は 酒も飲まずに顔赤く 年もとらずにしわ寄せて
 元をただせば 梅の花 鶯鳴かせた節もあり
☆見やしゃんせ 忠臣蔵の七段を お軽さんは二階でのべ鏡
 縁の下では 九太夫が 由良さん知らいで文を読む

盆踊り唄「書生さん」 耶馬溪町大島(下郷) <小唄>
☆書生さん 好きで虚無僧するのじゃないが(コリャコリャ)
 親に勘当され試験にゃ落第し(ヨイショコリャ) 仕方ないからネ
 尺八を くわえて吹き吹き門に立つ(ア ジッサイ ジッサイ)
☆梅干しは 酒も飲まずに顔赤く 年も取らいで皺寄せて
 元をただせば 梅の花 うぐいす泣かせた節もある
☆朝顔は 馬鹿な花だよ根もない竹に 芽を出し葉を出し花つけて
 きりきりしゃんと 巻き付いて 末は御嶽さんで焦がれ死に
☆人は武士 気概は高山彦九郎 京の三條の橋の上
 遥かに皇居を 伏し拝み 流す涙は加茂の水
☆あの嬶は 粋な嬶じゃがありゃ他人の嬶 あの嬶気ままになるなれば
 奥の四畳半にゃ 連れ込んで ケツのなゆるほどしてみたや
☆あの花は きれいな花じゃがありゃ他所の花 あの花野山に咲くなれば
 一枝手折りて 床の間に 花の散るまで眺めたや
メモ:下郷ではだんだん下火になってきたが、樋山路などでは今なお踊られている。簡単な踊り方なので親しみやすいが、早間なので足運びが忙しい。手数が少なすぎて、あまり長く続くと飽きやすい。
(踊り方)
右手にうちわを持って、右輪の向きから
1 胸前で1回かいぐり(※)をしながら、右足から早間で2歩進む。
  ※左から見たときに時計回りになる向きに回す
2 胸前で2回うちわを叩きながら、右足を伸ばして前に浮かす。
3 両手をやや下げながらフセで小さく左右に開きながら右足を前に踏み、両手を戻しながら左足に踏み戻す。
4 両手を小さく右後ろに振りながら右足を右後ろに踏み、両手を冒頭のかいぐりの所作につなげながら左足に踏み戻す。
これで冒頭に戻る。

盆踊り唄「書生さん」 三光村諌山(山口) <小唄>
☆書生さん 好きで虚無僧するのじゃないが(ナントナント)
 親に勘当され試験にゃ落第し(ヨイショ) 仕方ないからネー
 尺八を 吹く吹く吹く吹く門に立つ(ア ジッサイ ジッサイ)
☆あの花は 粋な花じゃがありゃ他所の花 あの花野山に咲くならば
 一枝折りて 床の間に あの花散るまで眺めたい
☆惚れるなら 陸海軍の兵隊さんよりも 大学卒業の書生さん
 末は博士か 大臣か 末は博士か大臣か
☆いましばし 文もよこすな便りもするな わしが勉強の邪魔になる
 せめて卒業の 暁は 天下晴れての妻じゃもの
☆学び舎の 駒にまたがり片手に手綱 演習帰りのしなのよさ
 あんた上等兵で わしゃ芸者 同じ勤めで苦労する
☆それじゃから 僕が忠告したではないか 芸者の親切 雪駄の裏の金
 金のあるときゃ チャラチャラと 金がなくなりゃ切れたがる



●●● 博多 ●●●
 この唄は明らかに座興唄の転用なのだが、元唄は何だろうかとずっと考えていた。それというのも『大分県の民謡 第一集』には「さのさ」の転用である旨が書いてあったのだが、字脚が違うし一聴してそれと気づくことができず、或いはこの記載自体が誤りではないかと疑っていたのである。ところがこのたび、「博多」の節回しをよく分析してみて初めて「さのさ」であることが分かった。いま、分かり易いように前項にて紹介した「書生さん」(さのさ節の変調)を引けば、「書生さん/好きで虚無僧するのじゃないが/親に勘当され試験にゃ落第し/仕方ないから尺八を/くわえて吹き吹き門に立つ」とある(囃子は省略)。これの冒頭をすっぱり切り捨てて「親に勘当され~門に立つ」を残し、これを陰旋化して節を少しいじったらなんと、「博多」の節になるではないか。
 ともあれ、「博多」が「さのさ」の崩れたものだということまではわかったのだが、その出自が今一つはっきりしない。この地方発祥のものかとも思ったが、主句に「博多千菊、米一連れて…」云々を置くことが多く、或いは、博多あたりの粋筋で唄われ始めたものが伝わったのかもしれない。いま、博多の民謡・俗謡としてこの唄が語られることはなく『民謡大観』にも記載がないが、博多近辺で早くに廃った唄が、耶馬溪町・山国町に残ったという可能性も考えられる。
 この通りの本場は下郷や守実附近で、さすがにこの地域では踊りがよく揃い、うちわを次から次に叩く音が一面に響いていよいよ賑やかに盛り上がる。柿坂などでも踊られているが踊りが揃いにくく、短時間でやめる傾向にある。踊り方には地域差は見られない。

盆踊り唄「博多」 山国町奥谷(三郷) <77・75一口>
☆博多騒動米市丸にゃ(ハヨイトサッサ) 刀詮議に身をはめる
 刀 詮議にヤッコラサノ 身をはめる(ハヨイトサッサノ ヨイトサノサ)
☆生まれ山国育ちは中津 命捨て場が博多町 命 捨て場が 博多町
☆博多米市千菊連れて 刀詮議に身をはめた 刀 詮議に 身をはめた
メモ:集落によって、また人によって節が少しずつ違っている。

盆踊り唄「博多」 山国町宇曽(三郷) <77・75一口>
☆博多千菊米市連れて(ヨイトサッサ) 刀詮議に身をはめる
 刀 詮議にヤッコラサノ身をはめる(ヨイトサッサノ ヨイトサノサ)
☆今宵や十五夜有明なれど 様がござらにゃ暮れの闇
 様が ござらにゃ暮れの闇
☆他人のにょんぼと枯木の枝は あがるながらも恐ろしや
 あがる ながらも恐ろしや

盆踊り唄「博多」 山国町守実(三郷) <77・75一口>
☆踊る中にも所作のよい子供(ヨイトサッサ) さぞやお客は嬉しかろ
 さぞや 親様サッコラサノ嬉しかろ(ヨイトサッサノ ヨイトサノサ)
☆後の手拍子で音頭さんを頼む わしが音頭はまずはこれまで
 わしが 音頭は これまでよ
☆貰うた貰うたよからかさ柄杓 先の太夫さんよこいなれ
 先の 太夫さんお休みなされ
☆お茶をお上がれお煙草召され お茶や煙草が嫌いなら
 お茶や 煙草がお嫌いならば

盆踊り唄「博多」 耶馬溪町金吉(下郷) <77・75一口>
☆博多帯締 筑前絞(ヨイトサッサ)  歩む姿が柳腰
 歩む 姿がサッコラサノ柳腰(ヨイトサッサノ ヨイトサノサ)
☆博多踊りは しなよい踊り お尻振り振り合わせなれ
 お尻 振り振り 合わせなれ
☆好きと 嫌いが一緒に繰れば ほうき立てたり倒したり
 ほうき 立てたり 倒したり
☆雨が 降ろどちゃ樋桶に霧が お足揃えて坂下る
 お足 揃えて 坂下る

盆踊り唄「博多」 耶馬溪町島(下郷) <77・75一口>
☆博多騒動 米市丸は (ヨイトサッサ) 剣詮議に身をはめた
 剣 詮議にサッコラサデ身をはめた(ヨイトサッサノ ヨイトサノサ)
☆登りゃ英彦山下れば中津 ここが思案の雲与橋
 ここが 思案の 雲与橋
☆賽の河原の地蔵さんでさえも 小石々々で苦労する
 恋し 恋しで 苦労する
☆黒うする墨すらるる硯 濃いも薄いも主次第
 濃いも 薄いも 主次第
☆わしとあなたは硯の水よ すればするほど濃ゆくなる
 すれば するほど 濃ゆくなる

盆踊り唄「博多」 耶馬溪町柿坂(城井) <77・75一口>
☆博多騒動米市丸は(ハヨイトサッサ) 剣の詮議に身をはめた
 剣の 詮議にサッコラサイノ 身をはめた(ハヨイトサッサノ ヨイトサノサ)
☆博多米市千菊連れて 刀詮議に身をはめた 刀 詮議に 身をはめた
☆博多帯締め筑前しぼり 歩む姿は柳腰 歩む 姿は 柳腰
☆立てば芍薬座れば牡丹 歩む姿は百合の花 歩む 姿は 百合の花
メモ:どうにか伝承されているが、他の踊りのときよりも輪が小さくなるので短時間しか踊らない。下郷の節とほぼ同じだが、1節目でいうと「米市丸は」のところなど僅かに異なる。
(踊り方)
右手にうちわを持って、輪の内を向き、左足を少し左向きに踏んだ状態から
1~2 右足から4歩、右輪の向きに歩く(いつも右足が前になるようにして左足を引き寄せ引き寄せ進む)。このとき、両手は前にフセで、右手は左下・右上・左下・右上、左手はその逆向きに、互い違いに小さく振る。
3 胸前でうちわを叩き(うちわは上から・左手は下から)、そのままうちわを下ろして右腿を叩く。このとき右足を伸ばしたまま低く浮かして右方向に動かし、輪の内向きになる。
4 胸前でうちわを叩き(うちわは下から・左手は上から)、そのままうちわを右上に撥ね上げ左手を下ろす。このとき右足を輪の内向きに踏み、左足を少し浮かせる。
5 胸前でうちわを叩き下ろしつつ(うちわは上から・左手は下から)、左足を少し左向きに踏む。
※踊り慣れれば何のことはないが、上記の3~5のところがややこしい。初見ではなかなかついていけない。

●●● 祭文(その1) ●●●
 「祭文(さえもん)」は県内で最も広く親しまれている盆踊りで、ほぼ全域に、各地各様の節・踊りで伝承されている。耶馬溪町周辺の節は所謂ピョンコ節で、テンポが速い。軽やかな印象の楽しい節だが、頭3字をやや引っ張った後は節が詰まった箇所の抑揚が大きく、細かい節を入れながら唄う。いろいろな節回しがあるも、山国町と耶馬溪町の節のバリエーションは個人差の範疇とみても差し支えのないレベルである。そこで、ひとまず山国町・耶馬溪町のものを「その1」としてまとめることにした。このグループの祭文は、各節末尾が1拍余る。昔から人気の高い踊りで、「どうで踊りはさえもんでなけりゃ」とか「これでなけらにゃ子供衆ゃひやけ」等の文句が盛んに聞かれる。
 手振りがいろいろあり、うちわをクルリクルリを返しながらいちいち振り上げ振り上げ踊る踊り方もあれば、左右に流していくような踊り方もあるし、最後のところでうちわを叩く回数も1回と2回とがある。昔は集落・大字程度の範囲を境に方々で踊りが違っていたのだろうが、人の移動等で踊りが入り混じったのと、昔の踊りが崩れてきた等もあり、簡単な手振りに収斂しつつあるようだ。一応、山国町では2回叩き、耶馬溪町では1回叩きが主流である。

盆踊り唄「祭文」 山国町草本(溝部) <77・77段物>
☆お菊 口説をあらましやろかホホイホイ(アヨイショヨイショ)
 さあさこれから口説にかかる(ソラヤレソラヤレ ヤートヤンソレサ)
☆国は 播州姫路の御城下 波も寄せ来る大浜町で

盆踊り唄「祭文」 山国町奥谷(三郷) <77・75一口>
☆やろなヨー やりましょな さえもんやろなホホンホ
 (ヨイショヨイショ) どうで踊りは祭文でなけりゃ
 (ソラヤレソラヤレ ヤートヤンソレサイ)
☆今の 祭文な気の浮く踊り 今日々流行りの祭文やろな
☆佐倉 宗五郎子別れよりも 様に別れがホント辛うござる
メモ:昔は、奥谷では祭文のときは四つ竹で拍子をとっていた。今は無伴奏である。

盆踊り唄「祭文」 山国町守実(三郷) <77・75一口>
☆やろなヨー やりましょな祭文やろなホホンホ
 (ハヨイショヨイショ) 今日び流行の祭文やろな
 (ソラエヤソラエヤ ヤートヤンソレサイ)
☆中津 十万石おどいもんなないが おどや垂水のエビが淵
 ※おどいもんなないが=怖いものはないが おどや=怖いなあ
メモ:簡単そうに見える踊りだが、早間の足運びのところなどは慣れていないとまごついてしまう。でもさすがに皆慣れたもので、お年寄りから子供まで上手に踊っている。山国町では、概ね下記の踊り方である。
(踊り方)
右手にうちわを持って、輪の内を向いて、左足を左前向きに踏んだ状態から
1 両手を左前に小さく振りつつ右足を左足の前に交叉して踏み込み、両手を胸前に戻しながら左足に踏み戻す。
2 両手を右後ろに小さく振りつつ右足を右後ろに踏み、両手を戻しながら左足に踏み戻す。
3 前の手からの連続で両手を左上に大きく流して、右足を左足の前に交叉して右輪の向きに踏み出す。
4 前の手からの連続で右手はUの字を描くように振ってアケで上へ、左手は山なりに振って下へと振り分けつつ、左足を右足の前に交叉して右前向きに踏み出し、体は輪の中向きになる。
5 うちわをフセで左手に叩き下ろし、右足を輪の内向きに踏んで束足。
6 もう1度うちわを左手に叩き下ろし、左足をやや左前向きに踏み変える。
これで冒頭に戻る。夫々の所作がなめらかに繋がっており、腕の振り方のカーブが見事なもので、言葉で表すのは難しい。しかも要所々々でうちわをくるくると回しながら踊るので、非常に優美な印象を受ける。

盆踊り唄「祭文」 耶馬溪町島(下郷) <77・75一口>
☆やろなヨー やりましょな祭文やろなホホンホン(ヨイショヨイショ)
 どうでナッサー 踊りは祭文でなけりゃ
 (ソラヤレソラヤレ ヤートヤンソレサー)
☆祭文 踊りは気の浮く踊り おせも 子供もはよ出て踊れ
 ※おせ=大人
メモ:耶馬溪町では、概ね以下の踊り方で踊っている。山国町の踊り方によく似ているが、うちわを叩くのが1回だけである。手振りには地域差・個人差がある。
(踊り方)
右手にうちわを持って、輪の内を向いて、左足を左前向きに踏んだ状態から
1 両手を左前に小さく振りつつ右足を左足の前に交叉して踏み込み、両手を胸前に戻しながら左足に踏み戻す。
2 両手を右後ろに小さく振りつつ右足を右後ろに踏み、両手を戻しながら左足に踏み戻す。
3 前の手からの連続で両手を左上に大きく流して、右足を左足の前に交叉して右輪の向きに踏み出す。
4 前の手からの連続で右手はUの字を描くように振ってアケで上へ、左手は山なりに振って下へと振り分けつつ、左足を右足の前に交叉して右前向きに踏み出し、体は輪の中向きになる。
5 うちわを下に、左手は上に、小さく振って元に戻す(うちわを手前に回してフセにする)。右足を輪の内向きに踏んで束足。
6 うちわを左手に叩き下ろし、左足をやや左前向きに踏み変える。
これで冒頭に戻る。夫々の所作がなめらかに繋がっており、腕の振り方のカーブが見事なもので、言葉で表すのは難しい。しかも要所々々でうちわをくるくると回しながら踊るので、非常に優美な印象を受ける。

盆踊り唄「祭文」 耶馬溪町瑞雲寺(下郷) <77・75一口>
☆やろなナッサー やりましょな 祭文で舞おなホホンホ
 (ヨイショヨイショ) どうでナッサー 踊りは祭文でなけりゃ
 (ソラヤレソラヤレ ヤートヤンソラエ)

盆踊り唄「祭文」 耶馬溪町樋山路上組(下郷) <77・75一口>
☆咲いたナーヨー 桜になぜ駒つなぐコラサノサ
 (ヨイショヨイショ) 駒がナッサー 勇めばホント花が散る
 (ソラヤレソラヤレ ヤートヤンソレサイ)

盆踊り唄「祭文」 耶馬溪町樋山路中組(下郷) <77・75一口>
☆やろなナーヨ やりましょな祭文のやろなホホンホン(ヨイショヨイショ)
 どうせナーサ 踊りは祭文がよかろ(ソラヤレソラヤレ ヤートヤンソレサ)
☆丸い 玉子も切りよで四角 ものも 言いよでホント角が立つ

盆踊り唄「祭文」 耶馬溪町金吉(下郷) <77・75一口>
☆やろな やりましょな祭文のやろなホホンホ(ヨイショヨイショ)
 これでナーヨ なけらにゃ子供衆ぁひやけ
 (ソラヤレソラヤレ ヤートヤンソレサ)
 ※ひやけ=つまらない(面白くない)
☆先の 大夫さん褒めるじゃないが 一で 声よい二が節がよい

盆踊り唄「祭文」 耶馬溪町津民(津民) <77・75一口>
☆お月 さまとは一緒に来たがコラサイノサイ
 (アヨイショヨイショ) お月ナンサー 山端にわしゃ今ここに
 (ソラヤレソラヤレ ヤートヤンソレサ)
☆様の 来る道に粟や黍植えて 逢わで 帰ればナントきびがよい
 ※逢わで=逢わずに きびがよい=いいきみだ

盆踊り唄「祭文」 耶馬溪町深耶馬(柿山) <77・75一口>
☆やろな やりましょな 祭文ぬやろなコラサノサ
 (アヨイトヨイト) どうせヨー 祭文な気の浮く踊り
 (ソラヤレソラヤレ ヤートヤンソレサ)
☆わしが 若い時ゃ吉野にゃ通うた 吉野 小草を踏みなびかせた
☆サーエー
 「夕立ゃ降っちくる むしろ干がぬれだす 背ん子が泣き出す
 団子汁あ煮えつくコラサノサ
 (アヨイトヨイト) おどまどげしちぇいいやら 手はつかぬ
 (ソラヤレソラヤレ ヤートヤンソレサ)
 ※おどまどげしちぇ=私はどうしたらいいのか

盆踊り唄「祭文」 耶馬溪町柿坂(城井) <77・75一口>
☆やろな やりましょな祭文のやろなコラサイノサイ
 (アヨイショヨイショ) どうでナーヨー 祭文な気の浮く踊り
 (ソラヤレソラヤレ ヤートヤーソレサ)
☆わしが みたよな不調法なガキが 流し かかりてもし流れずば
☆先の 太夫さんにゃそのまま返す 合うか 合わぬか合わしておくれ

盆踊り唄「祭文」 耶馬溪町平田(城井) <77・75一口>
☆やろなナーサー やりましょな祭文のやろなホホンホン
 (アヨイショヨイショ) どうでナーサー 祭文な気の浮く踊り
 (ソラヤレソラヤレ ヤートヤーソレサ)
 ※祭文の、祭文な=祭文を、祭文は 大分の方言はところによって異なるが、県内一円で「ん」のあとに「を」「は」がくると、「の(ぬ)」「な」の発音になる現象がかつては広く見られた。若年層ではこのような発音は廃っているが、盆口説などでは昔のとおりに「○○の」「○○な」の発音がしばしば聞かれる。



●●● 祭文(その2) ●●●
 耶馬溪町・山国町で唄われている「その1」では、囃子の末尾「ヤートヤンソレサ」が終わってから次の節を唄い始めるので、ここが1拍余る。ところが本耶馬渓町で唄われる「その2」では、末尾を「ヤートヤンソレー」と囃すため1拍はみ出さず、音頭の入りとの連続性が保たれ、すっきりまとまっている。また、「その2」の方が鶴崎踊りの「祭文」の節にやや近い。

盆踊り唄「祭文」 本耶馬溪町西谷(西谷) <77・75一口>
☆やろなやりましょな祭文やろなコラサノサ(ヨイショヨイショ)
 祭文踊りはナント品がよい(ソラヤレ ソラヤレ ヤートヤンソレ)
☆竹に短冊七夕さまよ 思い思いの 歌を書く
メモ:中囃子の「ヨイショヨイショー」を、耶馬溪町の節の倍のばす。西谷の踊り方は、耶馬溪町・山国町のものとは全く違う。両手を振り分けていくところなど、宇佐地方の「レソ」の影響が感じられる。
(踊り方)
右手にうちわ、左手にハンカチを持って、輪の内向きから
・両手を前後に振り分けて上げ下げしつつ継ぎ足で前後しながら、右輪の向きに進む。(4呼間)
・輪の内向きで束足になると同時に両手を下ろして「気を付け」の姿勢になる。その際、うちわで右足の外側を叩く。



●●● 祭文(その3) ●●●
 祭文のうち「レソ」を集めた。「レソ」の本場は宇佐地方で、その方面からの流入と思われる。「レソ」の呼称は囃子言葉からの符牒と思われる。「祭文」の囃子には「ソレー ソレー ヤットヤーソレサ」や「ソレソレソレー ヤットヤーソレサ」「ソレーヤ ソレーヤットヤンソレサイ」など、「ソレ」がよく聞かれる。この「それ」(其れ)の隠語的な用法として、主に粋筋で逆さ言葉「れそ」の言い回しを使うことがあった。その影響からか「ソレーヤ レソーヤ」とか「レソーヤ レソーヤ」云々の囃し方も見られる。ここからとって「レソ」と呼んだのだろう。
 一般に「レソ」は、「マッカセ」の影響かと思われるが早間の傾向にある。その節は各地各様だが、下句の頭3字の扱いで大きく2つに分類できる。一つは下句の頭3字を上句にくっつける唄い方で、もう一つが上句と下句をきれいに分ける唄い方である。宇佐市では前者が一般的で、ここに集めたものも全て前者である。

盆踊り唄「レソ」 本耶馬溪町屋形(東城井)、東谷(東谷) <77・75一口>
☆レソー踊るなら品よく しゃんとコリャサノサ レソはヨー
 (アドッコイドッコイ) ア踊りようじゃ品がよい
 (ト レソーヤ レソーヤートヤンソレサ)
☆ソリャー来たのは姉ちゃん 誰か 弟 馬鹿言うな猫じゃもの
メモ:宇佐方面では、よく頭3字を引っ張る唄い方をしている。ところが、この「レソ」は、上句を3字残して一気に唄い、引き伸ばしたあとに残り3字を添えるという唄い方で、ずいぶん変わっている。



●●● 祭文(その4) ●●●
 これは「佐伯」と呼ばれる唄で、「祭文」とは全く別物として認識されている。しかしその実は臼杵市佐志生の「祭文」とほとんど同じ節である。節だけを見れば明らかに「祭文」の系統なので、一応「祭文」のグループとした。佐志生の「祭文」の踊り方は、所謂「佐伯踊り」(堅田踊りでいうところの長音頭)の系統である。それで「佐伯」と呼んだか、または首句の「佐伯なば山…」云々の唄い出しからとったのだろう。後者であれば多分に流行小唄的な呼称であり、数多い踊りの中でもいよいよ余興的な性格を感じる。伝搬経路は不明だが、おそらく縁故関係で伝わったのだろう。
 ところで、佐伯踊りの流行たるやものすごく、南海部地方一円はもちろんのこと、大野地方や北海部地方、また宮崎県にも伝播している。しかも「佐伯節」(堅田踊りの長音頭)だけではなく、「祭文」や「三重節」など別系統の音頭で「佐伯踊り」を踊っている例も方々で見られる。それらは概ね大分県の南半分の地域であり、飛び地的な伝承であるも耶馬溪町周辺の「佐伯」が一応、「佐伯踊り」の北限といえる。

盆踊り唄「佐伯」 耶馬溪町瑞雲寺・島・一つ戸(下郷) <77・75一口>
☆佐伯なば山 鶴崎ゃ木挽き(ドッコイサッサー)
 日田の下駄ひき ナント軒の下(ソリャヤットセーノ オカゲデネ)
メモ:踊り方に、堅田踊り(佐伯市)の「長音頭」の面影がよく残っている。耶馬渓方面では堅田踊りに馴染みがないのでそのことを認識している人は少なそうだが、もし佐伯市の人がこの地域の「佐伯」の踊りを一見するとすぐ気付くだろう。おもしろいのは、音頭は臼杵市佐志生の「祭文」とほぼ同じような節であって、佐志生の「祭文」の踊り方も佐伯踊りの系統(堅田踊りの長音頭の亜種)ではあるも、耶馬渓方面の「佐伯」は佐志生の踊り方ではなく堅田の踊り方をアレンジしたものである。
(踊り方)
右手にうちわを持って、輪の内向きから
1 右足を伸ばしたまま左足の前に浮かして、胸前でうちわを2回叩く。
2 両手を左右に下ろしつつ、右足を元に戻して荷重する。
3~4 1~2の反対動作
5 1と同じ
6~8 両手を右・左・右と交互に低く振りながら、右足・左足・右足と交互に前から引き戻して踏み変える(その場から動かない)。
9 両手を左に低く振りながら左足を前から引き戻す(右足荷重のまま)。両手を右に振り戻す。
10~11 両手を左・右と交互に低く振りながら、左足・右足と交互に前から引き戻して踏み変えながら左に回り込み、輪の外向きになる。
12 9と同じ
13~14 10~11と同じ所作で左に回り込み、輪の内向きになる。
15 9と同じ
16 両手を左に低く振りながら左足に荷重する。
これで冒頭に戻る。早間になっているのでそれ相応の変化はしているも、踏みかえて左に回り込んでいくところなどの骨格は堅田踊りのそれと全く同じである。

盆踊り唄「佐伯」 耶馬溪町奥の鶴(下郷) <77・75一口>
☆佐伯なば山 鶴崎ゃ木挽き(ドッコイサッサー)
 日田のコリャ 下駄ひき ナント軒の下(ソリャヤットセーノ オカゲデネ)

盆踊り唄「佐伯」 山国町守実(三郷) <77・75一口>
☆佐伯なば山 鶴崎ゃ木挽き ドッコイサッサー
 日田の下駄ひき ナント軒の下(オカゲデネー オヤヤットセー)

盆踊り唄「佐伯」 耶馬溪町樋山路中組(下郷) <77・75一口>
☆佐伯なば山鶴崎ゃ木挽き(ドッコイサッサー)
 日田の下駄ひきゃ ナント軒の下(ソリャヤットセーノ オカゲデネ)
☆揃うた揃うたよ足拍子手拍子 稲の出穂よりゃ よく揃うた
☆待つがよいかよ別れがよいか 嫌な別れよ 待つがよい
☆一の枝よりゃ二の枝よりは 三の小枝が 影をさす
メモ:首句のみ「佐伯なば山…」の文句で固定してるが、2節目以降は全く連絡のない内容を次から次に自由に唄い継ぐ一口口説である。「堅田行くならお為にゃよろしゅ…」とか「色利ゃ日が照る宮野浦曇る…」などといった佐伯近郊を舞台にした文句を唄い継ぐのも興趣が増すと思うが、いかんせんあまりにも距離が離れているので、そのような文句は現地には伝わっていないようだ。樋山路の踊り方は下郷の中でもよそと違い、右回りに回り込んでいく上に手数も少なく、堅田踊りの「長音頭」の踊り方からはやや離れてきている。いつのことか分からないが、より親しみやすいようにアレンジしたのだろう。
(踊り方)
右手にうちわを持って、右輪の向きから
1 右足を伸ばしたまま左足の前に浮かして、胸前でうちわを2回叩く。
2 両手を左右に下ろしつつ、右足を元に戻して荷重する。
3~4 1~2の反対動作
5~6 両手を右・左と低く振りながら、右足・左足と前から引き戻して踏み変える(その場から動かない)。
7 両手を右に低く振りながら右足を前から引き戻す(左足荷重のまま)。両手を左に振り戻す。
8~9 両手を右・左と低く振りながら、右足・左足と前から引き戻して踏み変えながら右に回り込み、後ろ向きになる。
10 7と同じ
11~12 8~9と同じ所作で右に回り込み、右輪の向きに戻る。
これで冒頭に戻る。こちらの方が手数が少なく、覚えやすい。



●●● 小倉(その1) ●●●
 もとは門司から企救方面で踊られていた「長刀踊り」の口説で、同種のものが遠賀川流域から筑豊方面にかけて、広く行われていた。下毛地方では、小倉から伝わった踊りといった程度の意味で「小倉」と呼びならわしたものだろう。日田地方のうち東有田でも「米搗き」として伝わっており、近隣で広く流行したと思われる。
 あっさりとした節回しではあるが、その特徴によっていくつかにグループ分けができる。まず「その1」は、77の1句で1節となっている最も単純なもので、これが最も広く唄われている。通常、2種類程度の節を混合して口説く。 

盆踊り唄「小倉」 山国町守実(三郷) <77・75一口>
☆小倉言葉でお寄りなれ来なれ(ソラヨイヨーイ ヨヤサノサ)
メモ:踊り方は「祭文」のバリエーションで、こちらの方が輪の進みが速い。「ネットサ」や「米搗き」の踊りもこの仲間である。
(踊り方)
右手にうちわを持って、輪の内を向いて、左足を左前向きに踏んだ状態から
1~2 右足から4歩、右輪の向きに歩く(いつも右足が前になるようにして左足を引き寄せ引き寄せ進む)。このとき、両手は前にフセで、右手は左下・右上・左下・右上、左手はその逆向きに、互い違いに小さく振る。
3 両手を左上に大きく流して、右足を左足の前に交叉して右輪の向きに踏み出す。
4 前の手からの連続で右手はUの字を描くように振ってアケで上へ、左手は山なりに振って下へと振り分けつつ、左足を右足の前に交叉して右前向きに踏み出し、体は輪の中向きになる。
5 うちわをフセに返して左手に叩き下ろし、右足を輪の内向きに踏んで束足。
6 もう1度うちわを左手に叩き下ろし、左足をやや左前向きに踏み変える。
これで冒頭に戻る。

盆踊り唄「小倉」 耶馬溪町樋山路中組(下郷) <77・75一口>
☆小倉言葉でお寄りなれ来なれ(サーヨイヨーイ ヨヤサノサ)
☆わしが教えてさしあげまする(サーヨイヨーイ ヨヤサノサ)
メモ:高く入る節と低く入る節を交互に唄う。
(踊り方)
右手にうちわを持って、輪の内を向いて、左足を左前向きに踏んだ状態から
1~2 右足から4歩、右輪の向きに歩く(いつも右足が前になるようにして左足を引き寄せ引き寄せ進む)。このとき、両手は前にフセで、右手は左下・右上・左下・右上、左手はその逆向きに、互い違いに小さく振る。
3 両手を右後ろに小さく振りつつ右足を右後ろに踏み、両手を戻しながら左足に踏み戻す。
4 前の手からの連続で両手を左上に大きく流して、右足を左足の前に交叉して右輪の向きに踏み出す。
5 前の手からの連続で右手はUの字を描くように振ってアケで上へ、左手は山なりに振って下へと振り分けつつ、左足を右足の前に交叉して右前向きに踏み出し、体は輪の中向きになる。
6 右手は下に、左手は上に、小さく振って元に戻す(うちわを手前に回してフセにする)。右足を輪の内向きに踏んで束足。
7 うちわを左手に叩き下ろし、左足をやや左前向きに踏み変える。
これで冒頭に戻る。

盆踊り唄「小倉」 山国町大石峠(三郷) <77・75一口>
☆小倉言葉でお寄りなれ来なれ(サノヨイヨーイ ヨイヤサノサ)
☆煙草吸いなれお茶ば召され

盆踊り唄「小倉」 耶馬溪町落合(津民) <77段物>
☆東西南北おごめんなされ(サーヨイヨーイ ヨヤサノサ)
☆昔お釈迦のまします時分
メモ:津民の踊り方はよそと違って、左回りに進んでいく。
(踊り方)
右手にうちわ、左手にハンカチを持って、輪の内向きから
1~2 右足から4歩、左輪の向きに歩く。このとき、両手は前にフセで、右手は左下・右上・左下・右上、左手はその逆向きに、互い違いに小さく振る。
3~5 輪の中を向いて、両手を3回高く振り上げる(いちいち低く下ろす)。このとき右足から交互にその場で踏み変える。
6 うちわを左手に叩き下ろし、左足をやや右前向きに踏み変える。
これで冒頭に戻る。

盆踊り唄「小倉」 耶馬溪町平田(城井) <77一口>
☆アラ揃うた揃うたよ踊り子が揃うた(ソラヨイヨーイ ヨヤサノサ)
☆今夜よい晩 嵐も吹かで
メモ:高く入る節と低く入る節とを交互に唄う。

盆踊り唄「小倉」 耶馬溪町柿坂(城井) <77・75一口>
☆小倉踊りでお寄りなれ来なれ(ソラヨイヨーイ ヨイヤサノサ)
☆アラ小倉踊りは気の浮く踊り
☆アラ月の出端と約束したに
☆アラお月ゃ山端にわしゃ今ここに
メモ:首句のみ特別の節で唄い、それから先は次からは高い入りの節と低い入りの節とを交互に唄っていく。
(踊り方)
下郷の「ネットサ」と同じ。当該項目を参照してください。



●●● 小倉(その2) ●●●
 こちらは「その1」と大差ないが、77・77の2句ごとに囃子が入る。この2句は対になっている。言い換えれば、「その1」のうち2種類の節を交互に唄うものを、囃子を1節おきにしただけである。

盆踊り唄「小倉」 中津市伊藤田(三保) <77・77段物>
☆九州豊前の宇佐八幡で 五百年忌の開帳がござる(サーヨイヨーイ ヨヤサノサイ)
☆開帳ござれば芝居もござる 踊る役者はどこから下る



●●● 小倉(その3) ●●●
 「その1」の間合いを若干詰めて、囃子を簡略化したもの。

盆踊り唄「小倉」 中津市大新田(小楠) <77・75一口>
☆踊り踊るならしなよく踊れナ(アラヨイヤサノサ)
☆しなのよいのぬ ソリャ嫁にとる(アラヨイヤサノサ)
☆わしもかてなれこの横へらに
☆つけておくれよ ソリャ短冊を



●●● ネットサ ●●●
 これは杵築市加貫の「ベッチョセ」を簡略化したものである。「ベッチョセ」は近隣に同種のものが全く見当たらず加貫地区独特で、縁故関係で伝わったものと思われる。「ベッチョセ」の「ベッチョセ、ベッチョセ、カンコロベッチョタントタント」というおもしろい囃子が短くなり「ネッチョケネッチョケ」となっている。こちらの方が節も易しく簡単に唄えるが、「ベッチョセ」のテンポのよさや突飛な囃子のおもしろさはやや薄れている。
 踊り方はごく易しく、かつては耶馬溪町・山国町で広く踊られていたようだが、今は下郷以外では省略することが多い。

盆踊り唄「ネットサ」 耶馬溪町島・金吉(下郷)、山国町奥谷(三郷) <77・75一口>
☆ねっとさ踊りが習いたきゃござれヨネット(ハネッチョケ ネッチョケ)
 わしが手を取り ヤーハレサー教えましょ(ハネッチョケ ネッチョケ)
☆あなたみたよにご器量がよければ 五尺袂にゃ文ゃ絶えぬ
メモ:「小倉」では左(前)に進むところを「ネットサ」では右(後ろ)に進むだけで、たいへんよく似ている。いずれも「祭文」のバリエーションである。
(踊り方)
右手にうちわを持って、輪の内向きから
1~2 右足から4歩、右方向に移動する。このとき、右足を右横に踏んでは左足を引き寄せるようにして、オイサオイサとカニ歩きをする。それにあわせて、両手を小さく山なりに、体の前で右左右左と振る。
3 両手を左上に大きく流して、左足の前にかぶせるように右足を左向きに踏み右輪の向きになる。
4 前の手からの連続で右手はUの字を描くように振ってアケで上へ、左手は山なりに振って下へと振り分けつつ、左足を右足の前に交叉して右前向きに踏み出し、体は輪の中向きになる。
5 右手は下に、左手は上に、小さく振って元に戻す(うちわを手前に回してフセにする)。右足を輪の内向きに踏んで束足。
6 うちわを左手に叩き下ろし、左足をその場で踏む。
これで冒頭に戻る。

盆踊り唄「ネットサ」 耶馬溪町樋山路中組(下郷) <77・75一口>
☆ねっとさ踊りが習いたきゃござれヨネット(ハネッチョケ ネッチョケ)
 わしが手を取り ナントヤレサー教えましょ(ハネッチョケ ネッチョケ)



●●● トコヤン(その1) ●●●
 これの本場は玖珠郡だが、耶馬溪方面から日田地方にかけての広い地域でも盛んに唄い踊られている。玖珠郡では普通「鯖ん寿司」と呼ぶことが多く、これはその地域で首句になっている「押そな押しましょな鯛ん寿司押そな、鯛は高うつく鯖ん寿司押そな」からである。まるで鯖の箱寿司をこしらえるときの作業唄のようにも思えるが、実際は何かほかの作業唄として唄われていた節を、お祝いのときなどに箱寿司をこしらえながら口ずさんだか何かで「鯖ん寿司」の文句が定着したものが、盆口説として転用されたのだろう。節回しは大きく2系統に分かれる。玖珠方面とほとんど同じ節のものを「その1」、簡略化された節を「その2」「その3」とする。下毛地方では「その2」が主流であって、「その1」は山国町のみに伝わっている。
 下毛地方ではふつう、囃子から「トコヤン」とか、踊り方から「手叩き」などと呼ばれているが、下郷以西では「寿司押し」と呼んでおり玖珠方面からの伝来であることをうかがわせる。踊り方は玖珠とは全く違い、輪の中を向いて片足ずつ交互に踏み出しながらうちわを3つ叩き、3つ叩きで、あとは「祭文」の所作で流していってうちわを1つ叩くだけである。易しいし、うちわを早間に叩いていくところなどおもしろく、子供にも好まれる。本耶馬渓町でも一部で踊られているが、3回ずつうちわを叩いた後の所作がずっと簡略化されている。

盆踊り唄「寿司押し」 山国町守実(三郷) <77・75一口>
☆押そうな押しましょな 鯛の寿司押そな(トコセーヨイヨイ)
 鯛は高うつく ヤレサン 鯖ん寿司押そなヨ
 (トコヤンサガコイコイ ヤンサガコイコイ)



●●● トコヤン(その2) ●●●
 「その1」では77・77の2句で1節となっていたが、「その2」「その3」は7の1句で1節となっている。そのためやや単調になりやすいが、2種類程度の節を混ぜる等の工夫も見られる。また、「トコヤンサガヨイヨイ」云々の調子のよい囃子の頻度が倍になるため、うちわを急いで叩く所作と相俟ってなかなか賑やかな感じがする。節回しには地域差・個人差があるが大まかに2つに分けて、間合いのつまった節を「その2」、やや間延びさせた節を「その3」として区別してみた。

盆踊り唄「寿司押し」 耶馬溪町島(下郷) <77・75一口>
☆押そな押しましょな鯛の寿司押そなヨ
 (トコヤンサガヨイヨイ ヤンサガヨイヨイ)
☆鯛は高うつく鯖の寿司押そな
メモ:耶馬溪町・山国町の「トコヤン」の部類はいずれも「祭文」のバリエーションだが、その中でも下郷の踊り方は、うちわを叩きながら行ったり来たりするところがよそとずいぶん違う。全部右足から交互の足運びになっているでたいへん気ぜわしく、ちょこまかと忙しく動くところに面白味がある。
(踊り方)
右手にうちわを持って、輪の中向きから
1~2 やや前傾姿勢で低くうちわを3回叩きながら、右足から早間で左方向に歩く。左足に踏み戻して右にターンする。
3~4 同様にうちわを3回叩きながら、右足から早間で右方向に歩く。左足に踏み戻す。
5 両手を左上に大きく流して、左足の前にかぶせるように右足を左向きに踏み右輪の向きになる。
6 前の手からの連続で右手はUの字を描くように振ってアケで上へ、左手は山なりに振って下へと振り分けつつ、左足を右足の前に交叉して右前向きに踏み出し、体は輪の中向きになる。
7 右手は下に、左手は上に、小さく振って元に戻す(うちわを手前に回してフセにする)。右足を輪の内向きに踏んで束足。
8 うちわを左手に叩き下ろし、左足をその場で踏む。
これで冒頭に戻る。

盆踊り唄「トコヤン」 耶馬溪町奥の鶴(下郷) <77・75一口>
☆もはや夜更けに ヤレサン 相成りましたヨ
 (トコヤンソラヨイヨイ ヤンソラヨイヨイ)
☆次の手拍子で 千本搗きやろな
メモ:耶馬溪町内の「トコヤン」の中では、特にテンポが速い。

盆踊り唄「寿司押し」 耶馬溪町樋山路中組(下郷) <77・75一口>
☆押そな押しましょな鯛の寿司ゅ押そなヨ
 (トコヤンサラヨイヨイ ヤンサラヨイ)
☆鯛は高うつく鯖の寿司押そな

盆踊り唄「トコヤン」 耶馬溪町柾木(津民) <77・75一口>
☆待つがよいかよ ドッコイサン 別れがよいかナ(トコヤンサガヨイヨイ)
☆嫌な別れよ そりゃ待つがよい
メモ:津民の踊り方は山移りとほとんど同じだが、手の振り上げ方が少し異なる。
(踊り方)
右手にうちわ、左手にハンカチを持って、輪の中向きから
1~2 やや前傾姿勢で低くうちわを3回叩きながら、右足を左足の前に踏み込んで左足に踏み戻し、右足戻して束足(右足荷重)。
3~4 反対動作
5 両手を振り上げてうちわを回しながら、左足の前にかぶせるように右足を左向きに踏み右輪の向きになる。
6 再度両手を振り上げてうちわを回しながら、左足を右足の前に交叉して右前向きに踏み出し、体は輪の中向きになる。
7 右手は上に、左手は下に振り分けてうちわを回す。右足を輪の内向きに踏んで束足。
8 うちわを左手に叩き下ろし、左足をその場で踏む。
これで冒頭に戻る。

盆踊り唄「トコヤン」 耶馬溪町落合(津民) <77・75一口>
☆お月さまとは ドッコイサン 一緒に出たが(トコヤンサガヨイヨイ)
☆お月ゃ山端に わしゃ今ここに
メモ:同じ津民地区でも柾木と落合とで節がずいぶん違っている。

盆踊り唄「トコヤン」 耶馬溪町柿坂(城井) <77・77段物>
☆ちょいと待ちなれ 姉さん 手叩き踊りヨ(トコヤン ソラヨイヨイ)
☆今夜よい晩 ドッコイサン 観音さん踊り
☆様は三夜の 三日月様か
☆宵にチラリと ドッコイサン ソリャ妹やら
☆したいしたいと ドッコイサン 八十の婆さん
☆したきゃさせましょ ドッコイサン ソリャ寺参り
メモ:「ドッコイサン」とか「姉さん」を挿入したりしなかったりで、自由奔放な印象。落合の節によく似ている。
(踊り方)
右手にうちわを持って、輪の中向きから
1~2 やや前傾姿勢で低くうちわを3回叩きながら、右足を左足の前に踏み込んで左足に踏み戻し、右足戻して束足(右足荷重)。
3~4 反対動作
5 両手を左上に大きく流して、左足の前にかぶせるように右足を左向きに踏み右輪の向きになる。
6 前の手からの連続で右手はUの字を描くように振ってアケで上へ、左手は山なりに振って下へと振り分けつつ、左足を右足の前に交叉して右前向きに踏み出し、体は輪の中向きになる。
7 右手は下に、左手は上に、小さく振って元に戻す(うちわを手前に回してフセにする)。右足を輪の内向きに踏んで束足。
8 うちわを左手に叩き下ろし、左足をその場で踏む。
これで冒頭に戻る。

盆踊り唄「トコヤン」 本耶馬渓町西谷(西谷) <77・75一口>
☆宇佐の百段百とはいえどヨ(トコヤン ソラヨイヨイ)
☆百はござらぬ ヤレサン 九十九段ヨ(トコヤン ソラヨイヨイ)
メモ:津民の節にやや似ているも、こちらの方がのんびりとしていて田舎風。
(踊り方)
右手にうちわを持って、輪の内を向いて、左足を左前向きに踏んだ状態から
1 やや前傾姿勢にて低い位置でうちわを2回叩きつつ、右足を左足の前に交叉して踏み込んで左足に踏み戻す。
2 右後ろにうちわを叩き下ろしつつ右後ろに踏む。
3~4 右手は右後ろから左回りの輪を描くように左を通って右上へ。左手は右後ろから時計回りの輪を描くように左を通って下へ。このとき左足から右輪の向きに2歩進むが、右足は輪の内向きに踏む。
5 うちわを左手に叩き下ろし、左足を輪の内向きに踏む。
これで冒頭に戻る。



●●● トコヤン(その3) ●●●
 「その2」の節をピョンコ節にしてテンポをやや落とし、頭3字を引き延ばしたもの。山移に伝承されている。

盆踊り唄「手叩き」 耶馬溪町山移(山移) <77・75一口>
☆やろなやりましょな手叩きサやろな(トコヤンサガヨイヨイ)
☆どうせ踊りは手叩きサ限るヨ
メモ:山移の唄い方は陽旋で、明るい雰囲気なのでたいへん親しみやすい。うきうきと弾むような曲調で、踊り方もまたうちわを次から次に叩く楽しいものである。
(踊り方)
津民の踊り方を参照してください。



●●● 米搗き ●●●
 曲調からして、明らかに「米搗き」の作業唄の転用である。かつては同種の唄が玖珠郡で広く唄い踊られていた。しかし音域が広いうえに音引きが極端で生み字が入るため音頭が難しく、玖珠郡では北山田の一部をのぞいてほぼ廃絶している。耶馬溪町・山国町でも、昔は盛んに踊られていたが、下火になってきている。
 踊りは「祭文」とほとんど同じなので覚えやすいが、途中に入る片足跳びのような所作のため長く踊ると疲れる。

盆踊り唄「米搗き」 山国町守実(三郷) <77・75一口>
☆搗けど小突けンエーど この米ゃヨ(ショイショイ)
 アー搗けぬノンホーヨイトセー(どこのお蔵ンアーの底米か)
 アイサよく言うた よく言うたヨ(ショイショイ)
 アーどこのノンホーヨイトセー(どこのお蔵ンアーの底米か)
☆鮎は瀬にすンウーむ 鳥ゃ木に とまる(人は情けンエーの下に住む)
 よく言うた よく言うた 人は(人は情けンエーの下に住む)
メモ:返しの部分で「アイサよく言うたよく言うた」の文句があるが、これは音頭取りが唄った上句に対して踊り手が妥当な下句をつけたので「よく文句を知っていたね」程度で音頭取りがこのように唄うのである。言葉遊び、歌垣のような唄い方であって、作業唄の名残が感じられる。

盆踊り唄「米搗き」 山国町守実(三郷) <77・75一口>
☆搗けど小突けンエーど この米ゃヨ(ショイショイ)
 アー搗けぬノンホーヨイトサー(どこのお蔵ンアーの底米か)
 アイサお蔵ンアーの お蔵のヨ(ショイショイ)
 アーどこのノンホーヨイトサー(どこのお蔵ンアーの底米か)
☆様はよう来ンイーた よう来てヨ(ショイショイ)
 アーくれたノンホーヨイトサー(わしが思いンイーの届いたか)
 あなた思いンイーは届きはヨ(ショイショイ)
 アーせねどノンホーヨイトサー(わしが思いンイーの届いたか)

盆踊り唄「米搗き」 山国町大石峠(三郷) <77・75一口>
☆搗けど小突けンゲーど この米ゃヨ(ショイショイ)
 ホーはげぬノンホードッコイセー(どこのお蔵ンガーの底米か)

盆踊り唄「米搗き」 耶馬溪町金吉(下郷) <77・75一口>
☆搗けど小突けどヨー この米ゃ(ショイショイ)
 はげぬノンホードッコイショー(どこのお蔵ンガーの底米か)
☆お前百までヨー わしは(ショイショイ)
 久十九までヨドッコイショー(ともに白髪ンガーの生ゆるまで)
メモ:金吉谷ではピョンコ節に近い節で唄われ、ややテンポが速い。昔は盛んに踊られていたが、近年は省略することが多くなった。「アイサよく言うた…」云々の返しをつけずに唄っていくので、文句の進みが速い。

盆踊り唄「米搗き」 耶馬溪町樋山路中組(下郷) <77・75一口>
☆搗けど小突けンエーど この米ゃヨ(ショイショイ)
 アーリャはげぬノンホードッコイショー(どこのお蔵ンアーの底米か)
 アイサよく出ンエーた よく言うたヨー(ショイショイ)
 アーリャどこのノンホードッコイショー(どこのお蔵ンアーの底米か)
メモ:樋山路では弾まないリズムで唄っている。耶馬溪町・山国町の方々で盛んに踊られていた「米搗き」も今では軒並み下火になっているが、樋山路では今なお盛んに踊っている。
(踊り方)
右手にうちわを持って、輪の内を向いて、左足を左前向きに踏んだ状態から
1 両手を左前に振り下ろして前傾姿勢になりつつ、左足を右足の前に交叉して踏み込み右輪の向きになる。
2~3 上体を起こしながら両手を右上に振り上げる(杵を振るように)。このとき左足に踏み戻して右足は浮かし、両手を高く保ったまま左足で小さく片足跳びをする。
4 両手を左前に振り下ろして前傾姿勢になりつつ、右足を前に踏み込む。
5 上体を起こしながら左足に踏み戻す。
6~7 両手を右後ろに小さく振りつつ右足を右後ろに踏み、両手を戻しながら左足に踏み戻す。
8~9 前の手からの連続で両手を左上に大きく流して、右足を左足の前に交叉して右輪の向きに踏み出す。
10~11 前の手からの連続で右手はUの字を描くように振ってアケで上へ、左手は山なりに振って下へと振り分けつつ、左足を右足の前に交叉して右前向きに踏み出し、体は輪の中向きになる。
12~13 右手は下に、左手は上に、小さく振って元に戻す(うちわを手前に回してフセにする)。右足を輪の内向きに踏んで束足。
14~15 うちわを左手に叩き下ろし、左足をやや左前向きに踏み変える。
これで冒頭に戻る。途中で半呼間の所作があるので便宜上早間の15呼間で記したが、実際は7.5呼間とするのが妥当。

盆踊り唄「米搗き」 耶馬溪町柿坂(城井) <77・75一口>
☆さいたからかンアーさ 柄漏りがヨ(ショイショイ)
 アーすれどノンホードッコイサー(あなた一人ンイーは濡らしゃせぬ)
 ほんによく言うた よく言うたヨー(ショイショイ)
 アーあなたノンホードッコイサー(あなた一人ンイーは濡らしゃせぬ)
メモ:昔は柿坂でも盛んに踊っていたが、最近は省略している。

●●● マッカセ(その1) ●●●
 「マッカセ」の本場は宇佐地方だが、下毛地方でも非常に流行した。特に本耶馬渓町・三光村では今なお盛んに踊られている。節回しはいろいろあるが大きく分けると1節2句の節と3句の節とがあり、それぞれ「その1」「その2」とした。なお、「2句+5字(7字)」の節もある。これは「2句の節の下5字を返したもの」とみるより、「3句の節の下句から7字省いた」とみる方が自然である。したがってこれも「その1」とした。宇佐沿岸部では「その1」が、安心院・院内では「その2」が主流である。また、玖珠や由布院では、両者が混在している。下毛地方でも混在しており、伝搬経路が違うのだろう。
 だいたい「マッカセ」というと忙しい叩き方の太鼓に合わせて弾まないリズムで唄う印象が強いのだが、下毛地域では「祭文」と同様、ピョンコ節で唄うことが多い。特に本耶馬渓町以西ではその傾向が顕著で、宇佐方面のものと比べると節回しが滑らかである。

盆踊り唄「マッカセ」 中津市伊藤田(三保) <77・77・77段物>
☆マカセマカセをコラ しばらくやろな(ソレマッカセマカセ)
 わしが音頭よ(アヨイショヨイショ) 囃子でしまる(ドッコイドッコイドッコイ)
 誰もどなたもお囃子しゃんと(ヤートハレハレ イシヤノエー)
☆鈴木主水と 出かけてみましょ 花のお江戸の そのかたわらに
 聞くも珍し心中話
メモ:宇佐地方から伝わったと思われる。

盆踊り唄「マッカセ」 三光村下深水(深秣) <77・77・77段物>
☆ここに哀れな心中話(ソレマッカセマカセ)
 所ヤッコラどこよと(イヤホイ) 尋ねてきけば(ドッコイドッコイドッコイ)
 所四谷の新宿町よ(ヤートハリハリ ヤーノエー)
メモ:音頭が終わらないうちにヤートハリハリと囃し始めて、囃子が終わらないうちに音頭が次の節を唄い始める。

盆踊り唄「マッカセ」 三光村森山(山口) <77・75一口>
☆マカセ踊りを習いたきゃござれ(ソレマッカセマカセ)
 マカセ踊りをノヤ(ハインヤホイ) 習いたきゃおいで マカセ踊りを
 (ドスコイドスコイドスコイ) 習いたきゃ教えよ(ヤートハレハレ ヤーノエイ)
☆盆の十六日踊らぬ者は 猫かネズミか ナントもぐらもち
 猫がネズミか ナントもぐらもち
メモ:ヤートハレハレ云々の囃子が地口になっている。

盆踊り唄「マッカセ」 本耶馬溪町樋田(東城井) <77・75一口>
☆わしが出します薮から笹を(マッカセマカセ)
 つけてコリャ おくれよ(アヨイショヨイショ) ヨイショ短冊を
 つけておくれよ(ヨンデ短冊を)
☆西へ西へとお月も星も さぞや東はさみしかろ さぞや東は(さみしかろ)
☆お月ゃ山端に操の鏡 私ゃ柄杓の水かがみ 私ゃ柄杓の(水かがみ)
メモ:ヤットハレハレ云々の囃子を欠くかわりに、下の句の末尾を囃子が取っている。踊り方は宇佐市法鏡寺あたりのものとそっくりで、両手を高く上げてうちわを回すところなど、宇佐地方の踊りの特徴を色濃く残している。易しいしおもしろいので今でも人気が高く、小学校の運動会などでも子供達や保護者、地域の人が一緒に踊ることが多い。

盆踊り唄「マッカセ」 本耶馬溪町西谷(西谷) <77・75一口>
☆わしがナー 出しますコラサー 薮から笹を(アマッカセドッコイショ)
 つけてコリャコリャ おくれよ(アヨーイソラ) ナント短冊を
 つけておくれよ エーサ短冊を
☆西へ 西へと お月も星も さぞや 東は さみしかろ
 さぞや東は さみしかろ
メモ:宇佐地方のものに節回しが近い。おもしろいことに、ヤットハリハリヤーノエイエイ云々の囃子を省いて、下句の末尾を唄い終わったらすぐさま、別の音頭取りが次の節を唄い始める。その部分をやや食い気味に唄い始めるため、下句の末尾と微妙に重なることがある。そのため一人の音頭取りがずっと唄うのではなく、必ず2人以上の音頭取りが順繰りに唄っていく。

盆踊り唄「マッカセ」 耶馬溪町平田(城井) <77・75一口>
☆マカセ踊りが習いたきゃござれ(マッカセマカセ)
 わしがコリャ世話して(ヨイヨイ) ソラ教えましょ わしが世話して
 (ヨンデ教えましょ ヤットハレハレ ナントドッコイドッコイ)
☆一度来なされ耶馬溪町に 町にゃ湯も出る よい町よ 町にゃ湯も出る(よい町よ)
☆清き流れは山国川の 義理と人情の よい町よ 義理と人情の(よい町よ)
☆上りゃ英彦山下れば中津 ここが思案の 馬溪橋 ここが思案の(馬溪橋)
☆咲いた桜になぜ駒つなぐ 駒が勇めば 花が散る 駒が勇めば(花が散る)
☆花が散りても繋がにゃならぬ 中津殿様 御用の駒 中津殿様(御用の駒)
☆中津小犬丸米屋のおヤヱ 広津小川にゃ 身をはめた 広津小川にゃ(身をはめた)
☆広津小川に身をはみゅよりも 元の米屋が ましじゃもの 元の米屋が(ましじゃもの)
メモ:下句の末尾から囃子が取っている。このように下句を囃子が取る唄い方は「さっさ」等でも見られ、この地域独特である。わりあいテンポが速く、節が起伏に富んでいるのでうきうきとするような雰囲気があるし、踊り方も易しいので城井地区(柿坂を除く)では昔からたいへん人気の高い踊りである。踊り方は本耶馬渓町のものとは全く異なり、安心院町や宇佐市麻生のものに大変よく似ている。
(踊り方)
右手にうちわを持って、輪の内向きから
1 両手を右前に低く振り出しながら左足を前に小さく蹴り出して、両手を左側に振り戻しながら左足を引き戻して踏む。
2 右側にうちわを叩き下ろしながら右足を後ろに踏んで、両手を体前に戻しながら左足を左向きに踏み変えて左に回る。
3 うちわを左下に振り下ろしながら、左足の前に右足を踏んで右輪の向きになる。両手をアケで顔の高さに振り上げる。
4 3からの続きで、両手を上げ切ったところで手首を向こう側に返してうちわをクルリと回す。このとき、左足を右足の前にやや右向きに踏む(少し輪の内向きになる)。
5 もう1度アケで小さく両手を上げなおして、顔の高さで手首を向こう側に返してうちわをクルリと回す。このとき、右足を踏み変えて完全に輪の内向きになる。
※文字で表すと冗長になってしまうが、実際にはごく簡単な所作の繰り返しなので覚えやすいし、誰でも楽しく踊れる。

盆踊り唄「マッカセ」 耶馬溪町津民(津民) <77・75一口>
☆今宵やよい晩 嵐も吹かで(ソラマッカセマカセ)
 梅のコラ小枝も(ヨイヨイ) ソラ折りよかろ
 梅の小枝も(ヨンデ折りよかろ ヤットハレハレ ダレジャナイショナイショ)
メモ:今は、津民では踊っていない。

盆踊り唄「マッカセ」 山国町守実(三郷) <77・75一口>
☆マカセ踊りにわしゅかてなされ(マッカセマカセ) わしもこの頃(ヨイヨイ)
 ヤンサ習うてきた 習うてきた(ヤットハレハレ ナントドッコイドッコイ)
メモ:山国町の盆口説集(旧版)には掲載されていたが、踊られなくなって久しく今はすっかり忘れられている。新版からは削除されている。



●●● マッカセ(その2) ●●●
 ここでは1節2句のものを集めた。

盆踊り唄「マッカセ」 耶馬溪町深耶馬(柿山) <77・75一口>
☆待つがよいかよ別れがよいか(マッカセマカセ)
 嫌な別れよソーリャ(ヨイヨイ) ヨンデ待つがよい(ハレハレ ヤットエー)
メモ:音頭は玖珠地方からの伝来と思われるが、踊り方は玖珠のものとは全く違い、やはり宇佐の踊り方に類似したものである。
(踊り方)
右手にうちわを持って、輪の内向きから
1 両手を右前に低く振り出しながら右足を前に踏んで、両手を左側に振り戻しながら左足に踏み戻す。
2 右側にうちわを叩き下ろしながら右足を後ろに踏んで、両手を体前に戻しながら左足を左向きに踏み変えて左に回る。
3 右手を振り上げてうちわを回しながら、左足の前に右足を踏んで右輪の向きになる。
4 両手を振り上げて、顔の高さで手首を向こう側に返してうちわをクルリと回す。このとき、左足を右足の前に右向きに踏む。
5 両手を振り上げて、顔の高さで手首を向こう側に返してうちわをクルリと回す。このとき、右足を寄せて束足にて輪の内向きになる(左足荷重のまま)。
これで冒頭に戻る。こうして見てみると、輪の内向きに振り出すところの足運びが少し違うだけで、その他は城井の踊り方とほぼ同じ。簡単なので子供でも踊れる。



●●● 杵築 ●●●
 瀬戸内方面一円に分布する盆口説で、県内では国東半島から速見方面にかけて広く流行し、今でも盛んに踊られている。その地域では、上句・下句の頭を詰めずに唄う節(長い節)を「六調子」「杵築踊り」等の符牒で、上句・下句の頭を詰めてやや早間で唄う節(短い節)を「二つ拍子」「ヤンソレサ」等の符牒で区別し、両者が別個のものとして伝承されている例が多い。それで、節回しの特徴から一応、グループ名は「杵築」とした。その名が示す通り、この唄・踊りの本場は杵築周辺で、現地では「六調子」と呼ばれている。
 ところで、この種の演目は節の長短と踊りの区分が必ずしも一致しておらず、混同が著しい。特に宇佐地方では、長い節で「二つ拍子(ヤンソレサ)」を踊る例が多々見られる。下毛地方には宇佐方面から伝わったとみえて、この地域では長い節であっても「二つ拍子」であることがほとんどである。

盆踊り唄「二つ拍子」 本耶馬溪町西谷(西谷) <77・77段物>
☆二つ拍子は二人でなけりゃ(アラサイコラサイ)
 一人音頭じゃ踊られませぬ(アヨーイヨイトナー)
☆わしが出します薮から笹を つけておくれよこの短冊を
メモ:西谷の節は、宇佐市麻生のものとほとんど同じ。上句の頭を少し伸ばし気味にしているが、節の骨格は西国東の「杵築踊り」や速見の「六調子」と大差なく、明らかに同種である。本耶馬渓町では、この踊りから始めることが多い。ごく簡単な手振りで前に進むばかりなので、輪が立ちやすい。門回りで盆踊りをする場合の、坪借り(門入り)の踊りとしてふさわしい踊り方である。

盆踊り唄「二つ拍子」 本耶馬溪町落合(上津) <77・77段物>
☆ハー さあさ皆さんお参りなして(アラサイコラサイ)
 盆の踊りを踊りて唄い(ヨーイヨイトナ)
☆老いも若きもみな集まりて ともに一夜をお精霊さまの
メモ:頭に「ハー」をつける節がほとんどだが、ときどき「ハー」をつけずに西国東の「杵築踊り」と全く同じ節を挿みながら唄う。

盆踊り唄「二つ拍子」 耶馬溪町深耶馬(柿山) <77・77段物>
☆ハー 二つ拍子は二人でなけりゃ(アラサイコラサイ)
 一人音頭じゃ踊られませぬ(アヨーイ ヨイトナー)
メモ:耶馬溪町では下火になって久しく、深耶馬で踊られなくなったのを最後に廃絶した。

盆踊り唄「ヨーヤナ」 三光村下深水(深秣) <77・77段物>
☆ここに哀れな巡礼口説(アラサイコラサイ)
 所どこよと尋ねてきけば(ヨーイ ヨーイヤナー)
☆阿波の鳴門の徳島町よ 主人忠義な侍なるが



●●● 杵築(半分の節) ●●●
 この唄は日田・玖珠・耶馬溪方面で広く唄われており、瀬戸内一円に分布する盆口説の類である「杵築」の系統の節を簡略化したものである。「杵築」系統では77・77の2句で1節になるが、こちらは1句ごとに「杵築」の囃子がつく(早間になっているのでそれ相応に節が変化しているが)。全部同じ節で通すこともあるが単調になるので、2種類の節をだいたい交互に唄うことが多い。節回しには地域差・個人差がある。概ね日田・玖珠と耶馬溪方面とで大まかに線引きできるようだが境界が入り乱れているし、別グループに区別するほどの差異ではないように思う。

盆踊り唄「六調子」 耶馬溪町下郷(下郷)、山国町奥谷(三郷) <77段物>
☆国は筑前田川の郡(ヨーヤーセ ヨヤーセ)
☆田川郡は添田の町よ
メモ:昔は耶馬溪町下郷・山国町の全域で踊られていたが、省略するところも多くなってきている。この地域の踊り方は手数が多くてややこしいためだろう。音頭は1種類の節を繰り返すばかりのところと、高く入る節と低く入る節をだいたい交互に唄うところとがある。
(踊り方)
右手にうちわを持って、右輪の向きから
1~3 胸前で3回うちわを叩きながら、右足から3歩進む。
4~5 両手を左右に下ろしつつ左足を前に、やや右向きに踏み輪の内向きになる。両手を左右からアケで胸前に振り上げて手首を返してうちわを回しつつ、右足を伸ばして左前に浮かす。
6~7 両手を左右に下ろしつつ右足を左足の横に踏む(その場から動かない)。両手を左右からアケで胸前に振り上げて手首を返してうちわを回しつつ、左足を伸ばして右前に浮かす
8~9 反対動作
10 輪の内向きに右足1歩出る。
11 右足に左足を寄せてトンで胸前でうちわを叩く(右足荷重のまま)。
12 左足1歩後退する。
13~14 6~7と同じ
15~16 反対動作
17~18 反対動作
19 左足を左向きに踏んで右輪の向きになる。
このまま冒頭に戻る。

盆踊り唄「六調子」 耶馬溪町柿坂(城井) <77段物>
☆みんなどなたも踊りておくれ(アーヨーヤーセ ヨヤーセ)
☆合えば義経千本桜(アーヨーヤーセ ヨヤーセ)
☆合わにゃ高野の石堂丸よ(アーヨーヤーセ ヨヤーセ)
☆みんなどなたも踊りておくれ(アー今年最後の踊りじゃ)
☆こよやよい晩嵐も吹かで(アーみんなどなたもよう来たね)
メモ:入りが上り調子になっている節と下り調子になっている節とを交互に繰り返す。また、各節の頭3字が3連符に近くなっており、深耶馬よりもややテンポが速い。踊り方は玖珠町のうち玖珠地区のものとだいたい同じで、途中で継ぎ足が連続しないところがありやや間違いやすいが、下郷のものとくらべると易しいうちである。

盆踊り唄「六調子」 耶馬溪町深耶馬(柿山) <77段物>
☆となり近所のあの子のように(アーヨーヤーセ ヨイヤーセ)
☆髪を結うたり抱かれて寝たり(アーヨーヤーセ ヨイヤーセ)
メモ:柿坂の節とだいたい同じである。踊りの方は柿坂よりもなお簡単で、揃いやすい。
(踊り方)
右手にうちわを持ち、輪の内向きから
1 右足を右に踏み、うちわを胸前で叩きながら左足をトンとつきやや右向きになる。
2 反対動作
3 反対動作
4 左足から2歩で右輪の向きに歩く(左にずれる)。
5 左足を輪の内向きに踏み、うちわを胸前で叩きながら右足をトンとつき輪の内向きになる。
6 右足を前に踏み、うちわを胸前で叩きながら左足を寄せてトンとつく。
7 左足を後ろに踏み、うちわを胸前で叩きながら左足を寄せてトンとつく。
これで冒頭に帰る。他地区のように3回うちわを叩いて歩いていくところを省略した踊り方である。結局、体の向きを別にすれば「千本搗き」と全く同じ足運びであって、手の振りも「千本搗き」の「3回叩いて3回すくう」を「6回叩く」にしただけなので、覚えやすい。うちわをクルクルと回す所作がないので、子供でも容易に踊れるだろう。

盆踊り唄「六調子」 本耶馬溪町東谷(東谷) <77段物>
☆みんなお好きな 六やりましょな(ハヨーヤーサ ヨヤーサ)
☆六でなけらにゃ 子供衆ゃひやけ
メモ:2種類の節をだいたい交互になるように唄う。テンポはやや遅めである。

盆踊り唄「六調子」 三光村臼木(真坂) <77段物>
☆哀れなるかや石堂丸は(ヨーヤナ ヨヤナ)
☆父をたずねて高野へあがる(ヨーヤナ ヨヤナ)
メモ:2種類の節を交互に唄う。太鼓を一切使わず、「ヨーヤナヨヤナ」と囃し終わらないうちに食い気味に音頭が唄い出すこともあり、間合いが一定でない。しかし、音頭と踊りの頭がずれていく部類の踊りなので特に問題なく踊れる。
(踊り方)
右手にうちわを持って、右輪の向きから
1~3 胸前で3回うちわを叩きながら、右足から3歩進む。
4~5 両手を左右に下ろしつつ左足を前に、やや右向きに踏み輪の内向きになる。両手を左右からアケで胸前に振り上げて手首を返してうちわを回しつつ、右足を伸ばして左前に浮かす。
6~7 両手を左右に下ろしつつ右足を左足の横に踏む(その場から動かない)。両手を左右からアケで胸前に振り上げて手首を返してうちわを回しつつ、左足を伸ばして右前に浮かす。
8~9 両手を左右に下ろしつつ左足を右足の横に踏む(その場から動かない)。両手を左右からすくいあげて胸前でうちわを叩く。
10~11 反対動作
12 左足を左向きに踏んで右輪の向きになる。
このまま冒頭に戻る。下郷の踊り方をうんと簡略化したもので、覚えやすい。

盆踊り唄「ヤンソレサ」 中津市伊藤田(三保)、三光村成恒(山口) <77段物>
☆先の音頭さんな 京都な江戸な(ヤーンソーレヤンソレサ)
☆大阪下りは 新太夫さんか
メモ:2種類の節を交互に唄う。臼木のものよりもテンポが速い。



●●● 三勝(その1) ●●●
 大分県内には「三勝」という盆踊り唄がかなり広範囲に亙って伝承されている。ところがこの「三勝」というのが正体不明の呼称であって、その全てが同系統かどうかも疑わしい。このグループの「三勝」は77の1句で1節になっており、毎回同じ囃子がつく類のものである。この形態の「三勝」は、宇佐・速見方面と玖珠以西とで節が異なる。両者は同種だが、系統が違うのだろう。下毛地方では両方が唄われているので、一応区別して前者の系統を「その1」、後者の系統を「その2」とする。
 まず、「その1」は本耶馬渓町と三光村で主に唄われている。陰旋の単調な節回しで飽きやすいためか、イレコを次々に挿んでいくことが多い。宇佐・速見方面では宇佐市麻生や湯布院町に残るくらいだが、昔は安心院町や山香町立石、別府市天間でも踊っていた。

盆踊り唄「ヤンソレ」 本耶馬渓町今行(東城井) <イレコ>
☆さてもみごとな大輪ができた(ヤーンソーレ ヤンソレサ)
★大輪できれば音頭にかかる(ヤーンソーレ ヤンソレサ)
☆どうせヤンソレサにゃイレコが薬(ヤーンソーレ ヤンソレサ)
 誰かどなたかイレコを頼む(ヤーンソーレ ヤンソレサ)
「おっさん待ちないちょい止めた(ヤーンソーレ ヤンソレサ)
 ヤンソレ踊りのイレコなら(ヤーンソーレ ヤンソレサ) ※以下囃子同じ
 私が一丁いれやんしょ ちょうど去年の盆じゃった
 私が踊りに来る道に 豆腐が半丁あえちょって
 しくしくしくしく泣きよった ほんとにしくしく泣きよった
 なんで泣くかち聞いたなら そんまた豆腐の言うことにゃ
★もとのお豆にわしゃなりたいと
「ほんとにしくしく泣きおった 難しことじゃち思うたけど
 私が見たときゃ背が低うぢ あんよも元来ガニ股ぢ
 どこぞち取柄はねえけんど これでも男ん端くれじゃ
★できることならしてやろと思うち
メモ:2種類の節を交互に唄う。イレコは早間の地口で、末尾にて地の音頭の節に返るときには低い方の節で受ける。



●●● 三勝(その2) ●●●
 「その2」は耶馬渓町下郷と山国町にのみ残っている。イレコの繰り返しで、ずっと早間で唄っていき各段末尾のみ、日田方面の「三勝」に近い節で唄う。天瀬町などでもよく「三勝」にイレコを挿むが、それを早間にしたようなものである。同系統の節と見てよいだろう。
 ところで、この「三勝」は踊り方が大変ややこしい。手数が多くて足運びも紛らわしいうえに、前後の移動が大きいので輪が崩れやすく、坪が狭いと非常に踊りにくいものである。この踊りになった途端に輪が総崩れになる始末で、近年は省略することが多くなっている。

盆踊り唄「三勝」 山国町奥谷(三郷) <イレコ>
「三勝坊主という奴は(ヨイショ) 出雲の国からもらわれて(ヨイショ)
 いかなきゃならないこれ娘(ヨイショ) 箪笥 長持 挟箱(ヨイショ)
 これほど仕立ててやるからに(ヨイショ) いてから帰るなのう娘(ヨイショ)
 そこらで娘が言うことにゃ(ヨイショ) 父さん母さんそりゃ無理な(ヨイショ)
 千石積んだる船でさえ(ヨイショ) 向こうで嵐の強いときゃ(ヨイショ)
 元の港にゃ戻ります
☆これも三勝 お粗末なイレコ(ヤーンソーレ ヤンソレサ)
メモ:昔は山国町一円で広く踊られていたようだが、踊り方が難しいので奥谷など数か所を除いて省略することが多くなっている。

盆踊り唄「三勝」 耶馬溪町下郷(下郷) <イレコ>
「ヤンソレ音頭さんわしが貰うた(ドスコイ) ここらで貰うは無理なれど(ドスコイ)
 無理なるところはわしが好き(ドスコイ) 三勝坊主というやつは(ドスコイ)
 いったいぜんたいイレコ好き(ドスコイ) わしが一丁どま入れやんしょ(ドスコイ)
 あんまり寒さに長火鉢(ドスコイ) 武部源蔵を差しくべて(ドスコイ)
 ちょいと一杯管丞相(ドスコイ) 燗が熱くば梅王丸(ドスコイ)
 呑んだるお顔が桜丸(ドスコイ) 八重に咲かして花と見る(ドスコイ)
 今宵の座敷が苅屋姫(ドスコイ) 最早東が白太夫で(ドスコイ)
☆これもコリャ三勝 ご立派なイレコ(ヤーンソーレ ヤンソレサ)

盆踊り唄「三勝」 耶馬溪町樋山路中組(下郷) <イレコ>
「三勝坊主という奴は(ドッコイ) いったいぜんたい謎が好き(ドッコイ)
 これから言うのは謎じゃない(ドッコイ) 尾張の国から貰われた(ドッコイ)
 行かねばならぬぞのう娘(ドッコイ) 箪笥長持挟箱(ドッコイ)
 縮緬羽織が十二枚(ドッコイ) これほど持たせてやるからは(ドッコイ)
 行ってから帰るなのう娘(ドッコイ) そこで娘の返答すりゃ(ドッコイ)
 お父さんお母さんそりゃ無理よ(ドッコイ) 千石積んだる船でさえ(ドッコイ)
 向うの嵐のひどいときゃ(ドッコイ) 元の港に帰ります(ドッコイ)
 お母さん私もそのとおり(ドッコイ) 向うの姑のひどいときゃ(ドッコイ)
 元の我が家に帰ります(ドッコイ)
☆これもご三勝 お粗末なコリャイレコ(ヤーンソーレ ヤンソレサ)
「ヤンソレ音頭さんわしが貰うた 謎々かきょうか解いてみな
 金毘羅詣りとこうかけた 連中さんこの謎どう解くか
 連中さん解かなきゃわしが解く 女の木登りと解きまする
 よう解かしゃんしたお心は 
「ヤンソレ音頭さんまた貰うた ここらで貰うは無理なれど
 無理なるところがわしは好き そこで連中さんが願い事
 次の手拍子にネットサに スッパリコンと替えましょう
☆これでご三勝 ご立派なイレコ
メモ:輪の中を向いて前に出ていき、後ろに下がり、少し左にずれるような踊り方である。昔は下郷の方々で踊られていたが踊り方がややこしいので省略することが多く、今では樋山路以外ではほとんど踊られていないようだ。
(踊り方)
右手にうちわを持って、輪の内向きから
1~2 両手を左右に下ろしつつ左足を左横に踏む(1歩左にずれる)。両手を左右からアケで胸前に振り上げて手首を返してうちわを回しつつ、右足を伸ばして左前に浮かす。
3~4 両手を左右に下ろしつつ右足を左足の横に踏む(その場から動かない)。両手を左右からアケで胸前に振り上げて手首を返してうちわを回しつつ、右足を伸ばして右前に浮かす。
5~6 反対動作
7~8 低くかいぐりをしながら、右足から2歩輪の内向きに出ていく。
9 うちわを右後ろに振りながら、右足を前から引き戻して地面を擦る(左足荷重のまま)。
10~11 右足を前に踏み、左足を右足に引き寄せて胸前でうちわを叩く(右足荷重のまま)。
12~14 低くかいぐりをしながら、左足から3歩後退する(3歩目は左後ろに踏む)。末尾にて両手を左右に下ろす。
15 右足を左足の横に踏むと同時に左足を撥ね出すように前に蹴る。このとき両手を左右からすくって胸前でうちわを叩く。 
これで冒頭に戻る。

1 中津市の盆踊り 地域別の特徴・伝承状況

(1)山国町
・集落ごとに合同供養踊りを行う。昔は初盆の家を門廻りで踊っていた。  
・盆口説による旧来の踊りの継承に熱心で、町全体で保存会を作っている。段物口説は早くに下火になり、坪借りと坪戻しの文句以外は廃れている。もとは段物を口説いていたと思われる「三つ拍子」「六調子」も、一様に一口口説ばかりになっている。
・踊りの種類が豊富で、全体では「千本搗き」「祭文」「三つ拍子」「寿司押し」「小倉」「ネットサ」「博多」「佐伯」「キョクデンマル」「米搗き」「三勝」「六調子」の12種類が残っている。かつては「書生さん」「マッカセ」「思案橋」等も踊り、全体で15種類ほどを数えた。
・難しい踊りは輪が小さくなるのと、時間の関係もあり、12種類全てを踊ることは稀である。簡単で揃いやすい「千本搗き」「三つ拍子」「祭文」「寿司押し」「小倉」等はよく踊るが、「三勝」「キョクデンマル」「六調子」等は難しくて輪が崩れてくるので、省くことが多い。
・太鼓は使わず、音頭と囃子(踊り手が担う)の掛け合いのみ。踊りの手振りにうちわを叩く所作や下駄で地面をするような所作が多用されており、それで拍子を揃えている。昔は「祭文」など一部の曲のみ四つ竹で拍子を取る集落もあった。
・唄も踊りも隣接する耶馬溪町下郷地区に伝わる演目とほぼ共通だが、節回しや踊り方に細かい差異がある。昔は町内でも地域差があったと思われるが、違いが分からなくなっている。

a 三郷地区
・集落ごとに合同供養踊りを行う。昔は初盆の家を門廻りで踊っていた。
(奥谷)
・「千本搗き」「祭文」「三つ拍子」「小倉」「米搗き」「三勝」「六調子」等、7種類程度を踊っている。昭和50年代までは「思案橋」も踊っていた。町内一円で「思案橋」が廃れる中で、これを最後まで踊っていたのが奥谷である。

b 溝部地区
・集落ごとに合同供養踊りを行う。昔は初盆の家を門廻りで踊っていた。一部では観音様の盆踊りもしている。

c 槻木地区
・地区全体で合同供養踊りを行う。
・「千本搗き」の節が他地区とは一部異なる。

(2)耶馬溪町
・盆口説による旧来の踊りの継承に熱心で、町全体で保存会を作っている。保存会は町内の盆踊りを統一するのではなく、地域ごとの個性を尊重してそれぞれの持ち味をよく伝承しており、これほど熱心に活動している例は県内では稀である。口説の担い手に、比較的若い世代も参入しつつある。段物口説は早くに下火になり、坪借りと坪戻しの文句以外は一部に「鈴木主水」などが残るのみ。もとは段物を口説いていたと思われる「三つ拍子」「六調子」も、一様に一口口説ばかりになっている。
・踊りの種類が豊富である。
・演目に地域差が大きい。また、同じ名前の音頭でも節や踊り方に差異がある。
・8月末の土曜日には「千本搗きフェスタ」という町の盆踊り大会が催され、盛況。町内各地の多種多様な踊りや、お隣の玖珠町八幡地区(保存会を毎年招待)の盆踊りをみんなで踊って楽しむお祭りである。地域ごとに踊り方や音頭の節、また伝わっている演目が異なるうえに、難しい踊りが下火になる中で、伝承の一助となっている。

a 下郷地区
・集落ごとに合同供養踊りを行う。一部集落のみ、昔の通りに初盆の家を門廻りで踊っている。一部では観音様の踊りや十夜様の踊り、地蔵踊りもしている。地区全体の盆踊り大会もあり、盛況。
・昭和40年代までは全ての集落で、門廻りの供養踊りをしていた。踊りの種類が多いため一軒当たり2時間程度はかかり、初盆が多い年は夜が明けても踊りが続いた(14日には観音様の踊りをするため、初盆の供養踊りは必ず13日の夜に終えてしまわなければならなかった由)。うちわが何本もだめになり、下駄はすり減り、帰途に就く頃にはほうほうの体であったと聞いたことがある。
・山国川流域きっての「踊りどころ」で、踊りの種類が最も多い。現行の演目は「千本搗き」「祭文」「小倉」「三つ拍子」「寿司押し」「三勝」「書生さん」「米搗き」「博多」「佐伯」「キョクデンマル」「ネットサ」「六調子」の13種類を数える。ただ、「三勝」「キョクデンマル」「六調子」等は踊り方が難しく輪が小さくなるので省略することが多く、7~8種類程度のみになったところが多い。13種類全部を昔のとおりに踊っているのは樋山路のみになっている。大昔は「マッカセ」や「思案橋」も踊る集落もあったようだが、今は踊っていない。
・太鼓は使わず、音頭と囃子(踊り手が担う)の掛け合いのみ。踊りの手振りにうちわを叩く所作や下駄で地面をするような所作が多用されており、それで拍子を揃えている。
・唄も踊りも隣接する山国町三郷地区に伝わる演目とほぼ共通だが、節回しや踊り方に細かい差異がある。また、玖珠町八幡地区のうち杉山下りの盆踊りも下郷の盆踊りに類似している(踊り方や節回しに細かい差異はあるが)。

b 津民地区
・集落ごとに合同供養踊りを行う。昔は初盆の家を門廻りで踊っていた。一部では観音様の踊りや十夜様の踊りもしている。地区全体の盆踊り大会もある。
・現行の踊りは「千本搗き」「祭文」「小倉」「三つ拍子」「トコヤン」「キョクデンマル」等、7種類程度。「キョクデンマル」は下郷のものと節が全く違う。昔は「マッカセ」等も踊っていた。
・太鼓は使わず、音頭と囃子(踊り手が担う)の掛け合いのみ。踊りの手振りにうちわを叩く所作や下駄で地面をするような所作が多用されており、それで拍子を揃えている。

c 城井地区
・集落ごとに合同供養踊りを行う。昔は初盆の家を門廻りで踊っていた。一部では観音様の踊りや十夜様の踊りもしている。宮踊りや寺踊り、城井地区全体の盆踊り大会もある。柿坂は別個で盆踊り保存会を結成しており、伝わっている演目がやや異なる。
・現行の踊りは、柿坂を除く地域では「千本搗き」「祭文」「三つ拍子」「トコヤン」「六調子」「マッカセ」「さっさ」の7種類程度。このうち「さっさ」は、音頭が非常に難しく、踊りも揃いにくいので長い間下火になっていたが、平成半ばに復活した。柿坂では「千本搗き」「祭文」「小倉」「三つ拍子」「トコヤン」「六調子」「博多」の7種類程度。この差異は保存会の別によるものと思われ、もともとは「マッカセ」「さっさ」「博多」も共通の伝承であったと考えられる。昔は「米搗き」「思案橋」「キョクデンマル」等も踊っていた。
・太鼓は使わず、音頭と囃子(踊り手が担う)の掛け合いのみ。踊りの手振りにうちわを叩く所作や下駄で地面をするような所作が多用されており、それで拍子を揃えている。柿坂のみ、太鼓を使う。ただし単調な拍子を繰り返すばかりの叩き方で、門廻りの踊りから寄せ踊りに移行してからのものだろう。

d 山移地区
・集落ごとに合同供養踊りを行う。昔は初盆の家を門廻りで踊っていた。一部では観音様の踊りやお弘法様の踊りもしている。地区全体の盆踊り大会もある。
・現行の踊りは、「千本搗き」「祭文」「小倉」「三つ拍子」「トコヤン」「キョクデンマル」等、7種類程度。このうち「キョクデンマル」「トコヤン」は、他地区とは節がずいぶん異なる。昔は「米搗き」等も踊っていた。
・太鼓は使わず、音頭と囃子(踊り手が担う)の掛け合いのみ。踊りの手振りにうちわを叩く所作や下駄で地面をするような所作が多用されており、それで拍子を揃えている。

e 柿山地区
・集落ごとに合同供養踊りを行う。昔は初盆の家を門廻りで踊っていた。一部ではお弘法様の踊りもしている。地区全体の盆踊り大会もある。
・現行の踊りは、「千本搗き」「祭文」「六調子」「マッカセ」等、5種類程度。このうち「マッカセ」と「六調子」は、他地区とは踊り方がずいぶん異なる。昔は「二つ拍子」等も踊っていた。
・太鼓を使う。ただし単調な拍子を繰り返すばかりの叩き方で、後付のものだろう。

(3)本耶馬溪町
・踊りの種類が豊富で、全体で見ると「千本搗き」「二つ拍子」「マッカセ」「祭文」「レソ」「六調子」「トコヤン」「小倉」「思案橋」「ヤンソレ」「さっさ」「三つ拍子」「書生さん」「博多」「米搗き」等、15種類程度を数える。ただし地域ごとに伝承演目の差異が大きく、この中から5種類程度を踊っている。
・太鼓は使わず、音頭と囃子(踊り手が担う)の掛け合いのみ。踊りの手振りにうちわを叩く所作や下駄で地面をするような所作が多用されており、それで拍子を揃えている。

a 上津地区
・集落ごとに合同供養踊りを行う。昔は初盆の家を門廻りで踊っていた。
・踊りは「マッカセ」「祭文」「二つ拍子」「ヤンソレ」等があるほか、耶馬溪町に近い集落では「三つ拍子」「千本搗き」等も踊る。

b 東城井地区
・集落ごとに合同供養踊りを行う。昔は初盆の家を門廻りで踊っていた。
・曽木や樋田では踊りの種類が減り「二つ拍子」「マッカセ」の2種に限られつつある。昔は「さっさ」「六調子」「サイコロサイ」などいろいろあった。
(屋形)
・宇佐の踊りが入ってきており「レソ」を踊るほか、「マッカセ」等も曽木近辺とは節や踊りが異なる。

c 東谷地区
・集落ごとに合同供養踊りを行う。昔は初盆の家を門廻りで踊っていた。
・昔は8種類程度の踊りがあったが、今は5種類程度に減っている。「六調子」「マッカセ」「トコヤン」「レソ」ほか。

d 西谷地区
・集落ごとに合同供養踊りを行う。昔は初盆の家を門廻りで踊っていた。
・本耶馬渓町の中でも踊りの種類の多かった地区で、昔は12種類程度の踊りがあった。昭和末期にも10種類の踊りが残っていたが、最近は踊りの種類が減り「二つ拍子」「マッカセ」「祭文」「トコヤン」「六調子」等、6種類程度になっている。「さっさ」や「思案橋」は音頭も踊りも難しく、廃絶した。
(下組)
・音頭棚を設けず、踊りながら1節ずつ順々に唄い継いでいき(当然マイク等なし)、囃子を斉唱するという古いやりかたが残っている。これは初盆の家の庭を廻って踊っていた頃の名残と思われる。文句がうまく続かず、音頭が途切れがちになることも多くなってきている。

(4)三光村
・集落ごとに合同供養踊りを行う。昔は初盆の家を門廻りで踊っていた。
・盆口説も伝承されているが、「中津音頭」「炭坑節」等の音源を利用することもある。
・「マッカセ」「六調子」「ヤンソレサ」「イレコ」「千本搗き」「ヨーヤナ」「小倉踊り」「書生さん」等の踊りがある。
・太鼓を使う集落と、使わない集落がある。

(5)中津市
・集落、自治会、または校区ごとに合同供養踊りや盆踊り大会を開いている。
・一部地域を除いて、盆口説は廃絶している。「中津音頭」「吉吾どん」「中津小唄」等の新民謡の音源に合わせて踊ることが多い。

a 三保地区
・一部に盆口説が残っている。
(伊藤田)
・「マッカセ」「小倉」「ヤンソレサ」「江州音頭」等を口説で踊っている。

b 中津・大江・豊田・小楠地区
・中津、小楠の一部にのみ盆口説が残っている。
・昔は盆口説「大津絵」が名物だった。これは端唄「大津絵」を崩したもので、文句も元唄に近い(浄瑠璃のさわりくずしが主)。三味線や太鼓の伴奏で唄っていた。昭和30年代に旧来の口説が廃絶し、その後「中津大津絵音頭」として復活したが、これは端唄「大津絵」に近い節で、文句も新作の4節のみ。観光宣伝的なもので新民謡風の文句だし、節も旧来の盆口説「大津絵」とは別物である。昔はごく簡単な踊り方だったが、市街地の流し踊り用の新しい踊り方が考案され、後者が周縁部にも普及している(昔の踊り方も一応残っている)。「大津絵音頭」の音源に合わせて踊る場合は「炭坑節」「中津音頭」等の新民謡踊りと一連のものと見てよく、盆口説による旧来の踊りとは言い難い。
(小祝)
・昔は吉富町(福岡県)の一部だったが、山国川下流の中州の区域のみ中津市に編入された。
・小祝独特の「番所踊り」が残っており、口説で踊っている。
(大新田)
・一連の盆口説の踊りは「小倉」ドッコイサッサ」「マッカセ」で、ほかに「大津絵」の口説もあった。

c 桜洲・尾紀地区
・自治体ごとの盆踊り大会のほか、今津小学校で合同盆踊り大会を開き盛況。
・新民謡の音源に合わせて踊るのが主だが、盆口説の踊りもしている。
・旧来の踊りは「ドッコイサッサ」「げんきょろ坊主」「マッカセ」等。

d その他の地区
・盆口説は残っていないようだが、詳細不明。或いは、宇佐に近い集落には残っているかもしれない。



2 山国川中上流域の踊りの所作について

 山国川流域の盆踊りは一様にうちわを持って踊るのだが、特に中上流域においては非常に優美な所作が目立つ。特に、うちわをヒラヒラと翻しては返していく所作の優美なことといったら、扇子踊りにもひけをとらない。耶馬溪方面のうちわの回し方は、宇佐方面のそれとは全く異なる。宇佐方面ではうちわを縦回しにする(手首が回転軸になる)が、耶馬溪方面では手首を返しながら握った手の中で柄を回して、うちわの面をヒラリヒラリと翻す。つまり手首を回転軸にして縦回しにしつつ柄を回転軸にして横にも回すということで、うちわの回りをよくするため丸い柄のうちわを使うこともある。
 また、この地域では太鼓を使わないことが多いため踊りの所作の中でうちわを叩いて拍子をとることが多く、いきおい叩く回数も多くなるわけだが、その叩き方が一様ではない。普通に柏手を打つように叩くこともあれば、上下に打ち違える、指先で軽く打つなどあり、それが一つひとつ区別されていた。それは、うちわを叩きながらも所作が途切れないようにする工夫であったり、何回もうちわを叩いても手が痛くならないようにという意味もあったかと思うが、今はその区別も曖昧になっている。
 これは歩き方一つとってもそうで、たとえば「三つ拍子」で後ろにさがっていくときなど、昔は膝をほとんど曲げずに蹴出すようにしながら体をオイサオイサとゆすってナンバ歩きをしていたが(口説の「あんりゃあんりゃ言うて後に引きなされ」云々がこの歩き方をよく表している)、今は膝を曲げて普通に歩く人が多い。また「博多」や「小倉」などのときに小股で4歩進むときは、右足を前に踏んだら左足は右足よりも少し後ろに踏み、また右足を前に踏み…というふうに、いつも右足が前になるようにしてシナをつけて歩いていたが、これも普通に歩く人が多くなっているようだ。お年寄りの踊りを見ると、似たような所作でも、一つひとつが区別されていることがよくわかる。
 このように、一つひとつの踊りの違いもそうだが、たとえば「祭文」など広範囲に亙って踊られている踊りにしても、昔は足運びや手の振りが小学校区はおろか大字レベルでも少しずつ違っていたようだが、今は人の移動や人口の減少その他により何もかもが曖昧になり、違いがわからなくなってきている。それでも、この地域の踊りの多様性は現代においては驚異的といってもよく、県内外の流行踊りの吹き溜まりの感がある。たとえば「佐伯踊り」であればこれと同種のものが臼杵市佐志生では「祭文」として踊られているが、夫々を比較してみると、この地域独特の所作の個性や工夫といったものがよりよく見えてくるだろう。



3 盆踊り唄
※口説の全文は「盆口説」の記事を参照してください。

●●● 千本搗き(その1) ●●●
 県内では「伊勢音頭」を盆口説に転用した例がすこぶる多い。節回しが様々に変化しており、列記すれば①当地域の「千本搗き」、②院内周辺の「三つ拍子」、③玖珠周辺の「トコエー」、④日田方面の「千本搗き」、⑤大野・直入方面の「伊勢音頭」、全部で5系統に分かれる。このうち当地域の①は、俗謡「伊勢音頭」のうち早間の節を“いなか節”にしたようなもので、節が易しいしテンポも遅すぎず、唄いやすい。「千本搗き」の呼称からも明らかなように、池普請あるいは屋敷普請、道普請の作業唄を盆口説に転用したのだろう。
 ところで山国町・耶馬溪町の全域では、初盆の供養踊りの最初と最後に必ず、「千本搗き」を踊っている。初盆の家を門廻りで踊っていた名残で、「坪借り」文句で踊りながら坪に繰り込み、最後は「坪戻し」の文句で終わっていた。「坪」とは農家の前庭の意で、「坪借り」「坪戻し」という言葉には「お願いして踊ってもらう」というより、「お供養のために踊らせてもらう」というニュアンスが感じられる。イヤホンをして盆踊りをする云々のニュースも聞かれる現代とは隔世の感があるも、ほぼ全ての集落の供養踊りが寄せ踊りになった今でも、この地域では昔の通りに「坪借り」「坪戻し」の文句が口説かれていることが多い。これは、お供養の踊りだということを端的に示すためだろう。なお、本耶馬溪町や三光村でも、一部地域では「坪借り」として唄われている。

盆踊り唄「千本搗き」 山国町草本(溝部) <77・77段物>
☆さらば皆さん千本搗きゅ踊ろ(ヤーハレワイサー コレワイサ)
 あとのナ 踊りは千本搗きでござるヨ
 「ヨートーセーノ ヨーイヤナ
  アレワイサー コレワイサ(ホイ) ヨーイトナ
☆わしの音頭で合うかは知らぬ 合わぬ ところは合わせておくれ
 「汽車は函曳く雪隠虫ゃ尾を引くよ アレワイサー コレワイサ…
☆雨は降る振る団子汁ぁたぎる 雨が 降る降る団子汁ぁたぎる
 「松に下り藤ゃ見事なものじゃよ
☆雨が降りゃ寝る天気がよけりゃ 空が 曇ればアラ酒を飲む
 「かかん赤べこ鼠がかじるよ
☆雨は降る振る洗濯物は濡れる 便所 行きたしアラ紙はなし
 「よんべ夜這いどが二階から落てた
メモ:長囃子を唄囃子にする唄い方で、夜も更けてきて坪戻しの段にかかると、このような囃し方をすることがあった。普通、囃子は踊り子がつけるので「ヨートセーノヨーイヤナ…」云々ばかりになるのだが、いよいよ何軒も踊って疲れてくると囃子をつける元気もないので、控えている音頭取りやまたは踊り子の中の元気な若者がおもしろおかしく、大きな声で唄囃子をつけてみんなを笑わせたものである。

盆踊り唄「千本搗き」 山国町中摩(三郷) <77・77段物>
☆東西南北おごめんなされ(ヤーハレワイサー コレワイサ)
 うちにサー ござるかご主人様は(ヤートーセーノ ヨーイヤナ
 アレワイサー コレワイサ) ホイ(ヨーイトナ)
 ※おごめんなされ=ごめんください かつては近所の家を訪ねるときなど「おごめーん」と声をかけていたものだが、世代がかわってこのような挨拶は段々下火になっている。
☆うちにござらば願いがござる わしの 願いは余の儀じゃないが
☆聞けばお宅にゃ父上様が 長の ご病気と噂にゃ聞けば
☆たまに一度の見舞いもせずに お果て なされし初盆そうな
☆村の青年衆が心を寄せて 盆の 供養なり菩提のために
☆しばし間は踊ろとおしゃる 踊る 間は坪貸しなされ
☆坪がならずば木戸先なりと あーら 嬉しや坪借りだした
☆みんなどなたも踊りておくれ わしの 音頭は囃子でそまる
メモ:坪借りの文句

盆踊り唄「千本搗き」 山国町宇曽(三郷) <77・77段物>
☆東西ヨー 南北受け取りました(アレワイサー コレワイサ)
 みんなサー どなたも願いがござるヨ(ヤートーセーノ ヨーイヨナ
 アレワイサー コレワイサ) ホイ(ヨーイトナ)
☆わしの 願いは外ではないが もはや 今宵も夜更けでござる
☆あまり 長いはこの家にゃお邪魔 この家 ご亭主にお暇を貰うて
☆わが家 わが家と帰ろじゃないか おおきに ご退屈お邪魔になりた
☆坪の 掃除もできずに帰る 坪の 掃除はご家内様に
☆明日の 早朝にゃよろしく頼む みんな どなたもお暇乞うて
メモ:坪戻しの文句

盆踊り唄「千本搗き」 山国町守実(三郷) <77・77段物>
☆水の出端にすっぱりこんと流す(ヤーハレワイサー コレワイサ)
 そこでナー ご連中よよく聞きなされヨ(ヤートーセーノ ヨーイヤナ
 アレワイサー コレワイサ) ホイ(ヨホイトナ)
☆こんな踊りも厭いたよにゃ見ゆる 後の手拍子で祭文とゆこか
メモ:簡単な踊りで揃いやすいが、うちわをヒラヒラと翻していくのでなかなか優美である。山国町から耶馬溪町にかけて、ほとんどの集落で下記の踊り方で踊っている。
(踊り方)
右手にうちわを持って、輪の内向きから
1 両手を左右に下ろして右足を右輪の向きに踏んで90度左に回り、うちわを回しながら両手を前に振り上げて山をつくりつつ左足を右足の少し後ろに引き寄せる。
2 両手を左右に下ろして左足を前に踏み、うちわを回しながら両手を前に振り上げて山をつくりつつ右足を左足の少し後ろに引き寄せる。
3 反対動作
4 両手を左横に下ろして体前に回しつつ、左足から早間に2歩進む。
5 90度右に回って輪の内向きなり左足を後ろに踏み、右足を左足に引き寄せてうちわを叩く。
6 右足を前に踏み、左足を右足に引き寄せてうちわを叩く。
7 左足を後ろに踏み、右足を左足に引き寄せてうちわを叩く。
このまま冒頭に返る。

盆踊り唄「千本搗き」 耶馬溪町奥の鶴(下郷) <77・77段物>
☆お茶のお礼に二舞い三舞い(ヤーアレワイサッサー コレワイサ)
 みなさん踊りをあい頼みましたヨ(ヨーイトーセーノ ヨーイヤナ
 アレワイサッサーコレワイサ) ホイ(ヨーイトナ)
 ※お茶のお礼に=踊りの中休みに初盆の家の人からふるまいを受けたお礼に
★ここのお父さんにゃお世話になった(ヤーアレワイサッサー コレワイサ)
 もう少し長生きしてほしかったな(ヨーイトーセーノ ヨーイヤナ
 アレワイサーコレワイサ)
☆村の願いも空しいけれど とうとうお父さんあい果てましたね
☆そこで最後に心をこめて 供養の踊りをしばらく舞おな
☆あーら嬉しや踊りが揃うた しばし間はその調子にて

盆踊り唄「千本搗き」 耶馬溪町一つ戸(下郷) <77・77段物>
☆一のヨ 枝より二の枝よりも(ヤーハレワイサー コレワイサ)
 三のヨ 小枝がヨ あれ影を差すがヨ(ヨートセーノ ヨーイヤナ
 ハレワイサーコレワイサ ヨーイトナ)

盆踊り唄「千本搗き」 耶馬溪町島(下郷) <77・77段物>
☆みんなヨ よう来た踊りてくれた(ヤーハレワイサー コレワイサ)
 さぞや 故人も喜びなさるヨ(ハヨートセーノ ヨーイヤナ
 ハレワイサーコレワイサ ヨーイトナー)

盆踊り唄「千本搗き」 耶馬溪町樋山路中組(下郷) <77・77段物>
☆さんさヨ これより千本搗きょやろな(アレワイサー コレワイサ)
 どうせナ 踊りは千本搗き限るヨ(ヨーイトセーノ ヨーイヤナ
 アレワイサーコレワイサ) ハイ(ヨーイトナー)
☆揃うた 揃うたよ足拍子手拍子 傘が 揃うたらナントなおよかろ
☆踊る 方には囃子を頼む 囃子 なければ口説にならぬ

盆踊り唄「千本搗き」 耶馬溪町柿坂(城井) <77・77段物>
☆あーら嬉しや坪借りました(ハーアレワイサッサー コレワイサ)
 みんなどなたもヨ しっかりしゃんと踊れヨ
 「アー揃うた揃うたよ足拍子手拍子よ
  アレワイサッサーコレワイサ(ホイ) ヨーイトナ
☆盆の 踊りも由来がござる 昔 古事記の御釈迦の時代
 「ヨーイトセーノ ヨーイヨナ アレワイサッサーコレワイサ…
☆釈迦の御弟子の数ある中に あるが 中にも目連尊者
 「御弟子の目連尊者よ
メモ:ハネ前には、自由奔放に唄囃子を挿む。ほかにも「みんなどなたもよう来てくれた…」など、そのときどきで即興で囃している。これは、踊りも更けてくると踊り子が疲れて囃子をつけなくなるので、控えの音頭取りが囃子をつけているため。

盆踊り唄「千本搗き」 耶馬溪町山移(山移) <77・77段物>
☆東西南北おごめんなされ(アーアレワイサー コレワイサ)
 うちにナ ござるかヨ ご主人様はヨ(ヨーイトセーノ ヨーイトナ
 アレワイサーコレワイサ ヨーイトナ)

盆踊り唄「千本搗き」 耶馬溪町平田(城井) <77・77段物>
☆東西南北おごめぬなされ(アーアレワイサー コレワイサ)
 しばしナーワ 間は坪貸なされヨ(ヨーイトセーノ ヨーイヤナ
 アレワイサーコレワイサ ヨーイトナ)
☆坪は借りても持ちては行かぬ 踊り終わればすぐさま返す

盆踊り唄「坪借り」 三光村小袋(真坂) <77・77段物>
☆東西南北おごめんなされ(アレワイサー コレワイサー)
 しばしナーワ 間は坪貸しなされヨー(アヨーイトセーノ ヨーイトナ
 アレワイサー コレワイサ ヨホホーイートナ)
☆坪は借りても持ちては行かぬ 坪を借りたるその御礼にゃ
メモ:耶馬溪町のものとほぼ同じ節だが、若干テンポが速めでややはずんだリズムになっている。



●●● 千本搗き(その2) ●●●
 長囃子の末尾「ヨーイトナー」を省き、すぐさま次の文句を唄い始めるものを集めた。

盆踊り唄「千本搗き」 山国町槻木(槻木) <77・77段物>
☆東西ヨー 南北おごめんなされ(アーハレワサー コレワサイ)
 風のヨー 便りで承ればヨ(ヨーイヨイソリャヨーイヤナ アレワサーコレワサ)
★お果てヨー なされし初盆そうなヨ
 (ヨーイヨイソリャヨーイヤナ アレワサーコレワサ)
☆そこで亭主にゃ願いがござる 大事な大事なお庭の先を
☆しばし間の坪貸しなされ みんなどなたも踊りておくれ
メモ:★印に見られるように上句を省く節を挿入するなど、自由奔放である。



●●● 千本搗き(その3) ●●●
 長囃子の冒頭「ヨーイトセーノヨーイヤナ」を省くものを集めた。

盆踊り唄「坪借り」 山国町大石峠(三郷) <77・77段物>
☆東西南北おごめんなされ(ハレワイサー コレワイサ)
 うちにござるかご主人様よ(ハレワイサー コレワイサ ヨーイトナ)
☆うちにござれば願いがござる 今宵一夜の坪貸しなされ



●●● 豊前 ●●●
 瀬戸内に分布する盆口説の系譜の一端をなすものである。この唄は耶馬溪方面から安心院町、湯布院町、別府市天間、山香町上・山浦では「三つ拍子」、山香町中山香・立石から大田村、杵築市、安岐町では「豊前踊り」と呼ばれている。グループ名としては「三つ拍子」では紛らわしいため、「豊前」をとった。耶馬溪方面のものはかなり早間になっており前項「杵築」グループの節からずいぶん離れているが、山香周辺の節を聞くと、「杵築」「ヤンソレサ」の類から中囃子を欠いただけだということがよくわかる。
 耶馬溪町・山国町では、「千本搗き」で輪を立てたら、次に「三つ拍子」を踊ることが多い。「千本搗き」の踊り方の「2歩進む」のところを「右から3歩さがり1歩出て、右足を地面に摺り戻して右から2歩出る」に置き換えただけである。「千本搗き」から所作が連続しているので、なめらかに踊りを切り替えることができる。また、所作の構成をよく観察すると、山香の「豊前踊り」に共通するところがずいぶんある。いずれも19呼間であり、節だけでなく踊りも同系統と見てよいだろう。山香方面では節も19呼間なので音頭と踊りの頭が揃うが、この唄は中囃子がないため、耶馬溪方面では息継ぎの関係で上句の後に1呼間程度、間を置く唄い方をする人が多い。そうなると音頭と踊りの頭がずれていくのだが、この地方の踊りはそういったものばかりなので、気にする人もないようだ。
 ところで、この踊りで「後ろに3歩さがる」ところや「前に2歩出る」ところでは、お年寄りの所作から推測すると、どうも「体を揺すりながら足を前に滑らすように浮かせて、膝をほとんど曲げずにナンバ歩きをする」が本来の踊り方のようだ。ところがこれはなかなか難しく、普通の歩き方で踊る人の方が多くなっている。

盆踊り唄「三つ拍子」 山国町守実(三郷) <77・75段物>
☆あんりゃあんりゃ言うて後にゃ引きなされ コラサー
 後にゃ引いたならお手打ちなされ(アーヨイソレナ コラヨーイヨイ)
☆しばし間は端唄で流す コラサー
 しばし間は端唄で流そ(アーヤンソレナ コラヨーイヨイ)
☆待つがよいかよ別れがよいか コラサー
 嫌な別れよ チョト 待つがよい(アーヤンソレナ コラヨーイヨイ)
メモ:耶馬渓方面の踊りは地域ごとに少しずつ違うが、「三つ拍子」については耶馬溪町・山国町一円で共通の踊り方であるので、大きな盆踊りのときにも踊りが揃いやすい。
(踊り方)
右手にうちわを持って、輪の内向きから
1~2 両手を左右に下ろして右足を左向きに踏んで右輪の向きになり、うちわを回しながら両手を前に振り上げて山をつくりつつ左足を右足の少し後ろに引き寄せる。
3~4 両手を左右に下ろして左足を前に踏み、うちわを回しながら両手を前に振り上げて山をつくりつつ右足を左足の少し後ろに引き寄せる。
5~6 1~2と同じ
7~9 左足から3歩後退する。このとき膝をほとんと曲げずに、僅かに蹴り出しては後ろに踏んで体をオイサオイサと揺すりながらさがっていく。手は左から交互に低く振る。
10~11 同じく体を揺すりながら膝をほとんど曲げずに、右足から2歩前進する。手は右・左と低く振る。
12 うちわを右後ろに振り下ろしながら、右足を前から引き戻して履物で地面を擦る(左足荷重のまま)。
13 右足を前に踏む(やや輪の内向きに)。
14~15 右に回って輪の内向きなり左足を後ろに踏み、右足を左足に引き寄せてうちわを叩く。
16~17 右足を前に踏み、左足を右足に引き寄せてうちわを叩く。
18~19 左足を後ろに踏み、右足を左足に引き寄せてうちわを叩く。
このまま冒頭に返る。今は普通の歩き方で踊る人が多くなっているが、一応ここでは昔のように体を揺すって歩く所作を記した。

盆踊り唄「三つ拍子」 山国町大石峠(三郷) <77・75一口>
☆やろなやりましょな三つ拍子ゅやろな コラサ
 どうせやるなら三つじゃなけりゃ(ヨイソレナーコラ ヨイソレナ)

盆踊り唄「三つ拍子」 耶馬溪町山移(山移) <77・77段物>
☆やろなやりましょな三つ拍子やろな コラサ
 どうせ踊りは三つ拍子限る(アーヤンソレナー ヨーイヨイ)
☆花のお江戸のそのかたわらに さても珍し人情口説
メモ:山移では上句の音引きの囃子「コラサ」を短く切ったり、または省いたりして、どうにか19呼間に収める唄い方をしている。そのため、音頭と踊りの頭が揃う。

盆踊り唄「三つ拍子」 耶馬溪町柿坂(城井) <77・75一口>
☆アー河童祭りの音頭のよさよ コラマー
 山の河童も ナント勢ぞろい(アヤンソレナー ヨーイヨイ)
☆秋の化粧したうつくし谷は 紅葉色づく 夢のさと
メモ:頭3字が3連符に近くなっている。

盆踊り唄「三つ拍子」 耶馬溪町樋山路上組(下郷) <77・75一口>
☆花が散りても繋がにゃならぬ コラサーンアー
 中津お城の ナント御用の駒(アーヤンソレナ コラヨーイヨイ)
メモ:上句の末尾を長く引き伸ばして唄う。

盆踊り唄「三つ拍子」 耶馬溪町樋山路(下郷) <77・77段物>
☆あんりゃあんりゃ言うて後に寄りなされ コラサンガ
 前に寄ったら手を打ちなされ(アーヨイソレナ コラヨーイヨイ)
☆そすりゃ踊りもしなよく揃う 揃た揃うたよ足拍子手拍子
メモ:首句は、この踊りの踊り方を端的に示した文句である。「あんりゃあんりゃ言うて」という文言には、体をゆすりながら膝を曲げずにオイサオイサと後退するところの所作がうまく表現されていると思う。

盆踊り唄「三つ拍子」 耶馬溪町金吉(下郷) <77・75一口>
☆裏の窓からカニの足投げた コラサ
 今宵這おとの ホント知らせかな(ヨイソレナー ヨイソレナ)

●●● お竹さん ●●●
 古い流行小唄に「お竹さん」というバレ唄があるが、あれとはどうも別物のようだ。しかし、こちらも深読みすればそういう意味の文句にも受け取れる。意味深な文句とアンゲラモンゲラ…云々の風変わりな囃子、また「アイナ、アイナ」のところのおどけた唄い方など、どれをとっても通俗的な印象を受ける。西野の「お市後家女」と似たような趣向で、ある種の悪口唄とも言えるだろう。酒席の流行唄の転用と思われる。

堅田踊り「お竹さん」 佐伯市波越(下堅田) <小唄、二上り>
☆黒い羽織に三つ紋つけてナー してこりゃ男がどうしゃんす
 しゃならしゃならでストトントン アンゲラモンゲラ アンゲラモンゲラ
 しゃならしゃならとストトントン  小藪の陰からもうしもうしと
 お竹さんかいな アイナ アイナ アーンコアイナ
☆黒い羽織に三つ紋つけて してこりゃ男がどうしゃんす
 しゃならしゃならで しゃならしゃならと
 障子の陰からもうしもうしと お竹さんかいな
☆嘘じゃござんせんほんとの女郎衆 してこりゃ男がどうしゃんす
 しゃならしゃならで しゃならしゃならと
 柳の木陰でもうしもうしと お竹さんかいな
メモ:テンポが軽やかで節がおもしろいし、三味線の弾き方も賑やかな感じがして、楽しい唄である。踊り方がまたおもしろく、半開きの扇子を両手に1本ずつ持ち、それを互い違いに上下させながら足を互い違いに滑らすように踏む所作が滑稽である。しかも、途中で「淀の川瀬」と同じく前向きの人と後ろ向きの人が交互になり、二人ずつが向かい合わせになるという凝ったところもあり、見ていて飽きない。「淀の川瀬」や「十二梯子」などもあれば「お竹さん」や「与勘兵衛」もあるというのは、波越の踊りのバリエーションの豊富さを端的に表しているといえるだろう。

堅田踊り「お竹さん」 佐伯市石打(下堅田) <小唄>
☆嘘じゃござんせんほんとの女郎衆 なんしてなんして 男がなんとするか
 いつも振袖ナンアンアン アンゲラモンゲラ モンゲラアンゲラ
 いつも振袖ナンアンアン 柳の木陰でもうしもうしと
 お竹さんかいな アイナ アーンガ アイナ



●●● 小野道風 ●●●
 文句を見ると、芝居や浄瑠璃を題材にしたものが多い。古い流行小唄の転用かと思われるが、『俗曲全集』を見ても古い唄本をいろいろ見ても、同種のものが見当たらなかった。弾んだリズムで浮かれた調子の中にも、ところどころが陰旋化している。その音程の妙がいかにもお座敷風だし、半ばに地口を挿むのでいよいよ芝居がかったような感じがして、なかなかおもしろい。

堅田踊り「小野道風」 佐伯市西野(下堅田) <小唄、本調子、男踊り>
☆小野道風 青柳硯(合) 姥が情けで清書書く
 ソリャ情けで姥がナ 姥が(ヤットセイ) 情けで清書書く
 イヤそれでもなったらしようがない そうじゃわ そうじゃいな ソレ
☆斧九太夫は胴欲者よ 主の逮夜に蛸肴
 逮夜に主の 主の逮夜に蛸肴
 胴欲者なら仕方がない そうじゃわ そうじゃいな
☆早野勘平さんは主人のために 妻のお軽にゃ勤めさす
 お軽にゃ妻の 妻のお軽にゃ勤めさす
 「前世の業なら仕方がない そうじゃわ そうじゃいな
☆もののあわれは石堂丸よ 父を尋ねて高山に
 尋ねて父を 父を尋ねて高山に
 登れど父方 名が知れぬ そうじゃわ そうじゃいな
☆ものの不思議やクネンボが生えた 九年待てとのことじゃげな
 待てとの九年 九年待てとのことじゃげな
 九年待てとのことじゃげな そうじゃわ そうじゃいな
メモ:西野に残る男踊りの中では最難関の踊りである。「だいもん」「お市後家女」「高い山」「与勘兵衛」などいろいろな男踊りの所作を複雑に組み合わせた踊りで、覚えにくい。特に難しいのは「そうじゃわ、そうじゃいな」のあとで、「右手・左手・両手」などと振り上げながら歩いていく所作が続く。これは西野の男踊りの基本だが、ここではその組み合わせ方がたいへん入り組んでいる。三味線がやや途切れ途切れのような節になっていて、それに合わせて半ば強引に手数を合わせていくような踊り方をするために、若干食い気味のリズムで進まなければ遅れてしまう。大きな一重の輪が立つ程度の人数が踊っているが、特に三味線の部分に入ると踊りが揃わず、輪が乱れ易い。

堅田踊り「小野道風」 佐伯市竹角(下堅田) <小唄、本調子>
☆小野道風 青柳硯 姥が情けで清書書く
 ソリャ情けで姥がナ 姥が情けで清書書く
 それでもなったらしようがない そうじゃわ そうじゃわいな

堅田踊り「小野道風」 佐伯市黒沢(青山) <小唄、調弦不明>
☆小野道風は青柳硯(ヨイ) 姥が情けで清書書く
 情けで姥がナ 姥が(コラセイ) 情けで清書書く
 それでもなったらしようがない そうじゃ そうじゃわいな
☆四反五反の豆の垣ゃなるが 一人娘の垣ゃならぬ
 娘の一人 一人 娘の垣ゃならぬ
 それでもなったらしようがない そうじゃ そうじゃわいな
メモ:西野の節よりもテンポがのろまである。平板な節回しで、陰旋化が進んでいる。西野では「それでもなったらしようがない」のところが地口になっているが、青山では節をつけて唄う。

堅田踊り「小野道風」 佐伯市山口(青山) <小唄、調弦不明>
☆四反五反の豆の垣ゃなるが(ヤレサ ホイサ) 一人娘の垣ゃならぬ
 娘の一人 一人(ヤレサ ホイサ) 娘の垣ゃならぬ
 (ヤーそれでもなったら仕方がない) そうじゃいな そうじゃいな
☆小野道風 青柳硯 姥が情けで清書書く
 情けで姥が 姥が 情けで清書書く
 (それでもなったら仕方がない) そうじゃいな そうじゃわいな
☆娘島田に蝶々がとまる とまるはずだよ花じゃもの
 はずだよとまる とまる はずだよ花じゃもの
 (それでも添わなきゃ仕方がない) そうじゃいな そうじゃいな
☆国分煙草と八百屋のお七 色でわが身を焼き棄てる
 わが身を色で 色で わが身を焼き棄てる
 (それでもなったら仕方がない) そうじゃいな そうじゃいな
☆婆さん頭に雀がとまる とまるはずだよババじゃもの
 はずだよとまる とまる はずだよババじゃもの
 (それでもなったら仕方がない) そうじゃいな そうじゃいな
メモ:手踊りで、所作が込み入っておりたいへん難しい。西野の踊り方とは全く異なるのだが、その骨格というか構成に類似点が僅かに認められる。これを完全に覚えて踊るのは容易なことではないだろう。拍子に合うた足運びではあるも、全くもって当てぶりめいた踊り方なので、音頭と三味線の節を完全に覚え込まないと到底踊りこなせない。

堅田踊り「小野道風」 佐伯市谷川(青山) <小唄、調弦不明>
☆四反五反の豆の垣ゃなるが(ヤレドッコイセ) 一人娘の垣ゃならぬ
 娘の一人 一人(ヤレサ ホイサ) 娘の垣ゃならぬ
 (ヤーそれでもなったら仕方がない) そうじゃわ そうじゃいな
メモ:同じ青山でも、山口とは踊り方が全く異なる。両手を振り上げながら早間で、急いで前に進むような所作や、両手を互い違いに振り分けて右右、左左と流すような所作が独特である。西野の踊り方との類似点はほとんど感じられない。



●●● 帆かけ ●●●
 この種のものは西野にのみ残っていたが、残念ながら廃絶した。西野の「しんじゅ」と同じテンポで、節は全く異なるも三味線の手が「しんじゅ」と少し似ている。唄い方は、こちらの方がずっと易しい。各節末尾の「も一つ」を短く、ストンと切れるように唄うのがおもしろい。

堅田踊り「帆かけ」 佐伯市西野(下堅田) <小唄、三下り、女踊り>
☆沖を走るは丸屋じゃないか 船は(コラセ) 新造でソレ櫓は黄金
 丸に(コラセ) 矢の字の帆が見える サー帆かけて来い も一つ
☆船は出て行く帆かけて走る 茶屋の娘はソレ出て招く
 招けど船の寄らばこそ 帆かけて来い も一つ
☆恋の車にお米をのせて 江戸に送ろか大阪に行こか
 又は浪花の島原に 帆かけて来い も一つ
☆沖の暗いのに白帆が見える あれは紀の国ソレみかん船
 明日はみかんの市が立つ 帆かけて来い も一つ
☆前の山椒の木 三四郎さんと 思うて抱いたらわしゃ目をついた
 どうせ養生せにゃならぬ 帆かけて来い も一つ
メモ:今は踊られていない。



●●● お夏清十郎 ●●●
 古い唄本や『民謡大観』に類似する節をもつ唄が見当たらないが、その曲調からして座敷踊り用に作られたものだろう。この種のものは「菅笠節」をはじめ、他県にも種々残っている。また、時代が下がると歌謡曲にもなり東海林太郎「お夏清十郎」、日本橋きみ榮「お夏狂乱」、美空ひばり「お夏清十郎」等が広く知られている。
 さて、ここに集める「お夏清十郎」は、長篇の「お夏清十郎」の要点をかいつまんで近世調2首ずつを対にしてまとめたもので、よく工夫されている。節もよく、旋律に対して文句がかっちりと乗っているので無理な音引きや生み字がない。そのため唄い易いが、ところどころに若干の外しがあり都節に近い音程も感じられ、それなりに洗練された印象を受ける。また、各節囃子の後に入る三味線もごく単純な手の繰り返しではあるが、あっさりしていてなかなかよい。

堅田踊り「お夏清十郎」 佐伯市宇山・汐月・江頭・津志河内・小島(下堅田)、長谷(上堅田) <小唄、三下り> 
☆お夏どこ行く手に花持ちて わしは清十郎の ヨイヨー
 墓参り(アラソノ ヨイトナー サーヨイトナー)
☆み墓参りて拝もとすれば 涙せきあげ拝まれぬ
☆清十郎二十一お夏は七つ 合わぬ毛抜きを合わしょとすれば
☆合わぬ毛抜きを合わしょとすれば 森の夜鴉 啼き明かす
☆向こう通るは清十郎じゃないか 笠がよく似た菅の笠
☆笠が似たとて清十郎であれば お伊勢参りは皆清十郎
メモ:下堅田北部および上堅田の唄い方は、「サーヨーイトーナー」の末尾をぐっとせり上げて短く止めるところが耳に残る。踊り方はこの地域に残る10種の中でも易しい方で、二重の輪が立つ。右手に開いた扇子を持って踊る。
(踊り方)
A 下堅田北部・上堅田 右回りの輪(右手に開いた扇子)
・扇子を右肩に乗せ、左手は下ろして束足にて待つ。
「お夏どこ行く手に花持ちて」
・右手の扇子は肩に乗せたまま、左手を前方に振り上げて軽く握りつつ、左足を裏拍で左前に踏み、右足・左足と早間で進む。足のみ反対にて右前へ、同様に左前へ、右前へ(継ぎ足4回にて千鳥に進む)。
・両手で扇子の要からやや外側をつまみ正面にアケで構え、左上へ、右上へ…と交互に4回仰ぐ。このとき、左足から交互に4回蹴り出す。
・扇子の持ち方はそのままにすくい上げ、扇子を手前に倒して要を前に出す。このとき、左足を裏拍で左前に踏み、右足・左足と早間で進む。
「わしは清十」
・手は同じに、足のみ反対で右前へ。
・左上に回し上げるように2回仰ぎつつ、足は反対で左前へ(継ぎ足3回で千鳥に進む)。
「郎のヨイヨー墓参り、アラ」
・扇子の持ち方はそのままで、右上へ、左上へ…と交互に7回仰ぐ。このとき、右足から交互に7回蹴り出して右回りに一周する。
・扇子の持ち方はそのままにすくい上げ、扇子を手前に倒して要を前に出す。このとき、左足を裏拍で前に踏み、右足・左足と早間で進む。
「ソノ、ヨーイートーナー、サーヨー」
・左手を扇子から離して、両手を右に巻くように大きく流しながら、右足を裏拍で右後ろに踏み、左足・右足と早間で右後ろにさがる。
・両手で扇子をアケに持ってすくい上げ、扇子を手前に倒して要を前に出す。このとき、左足を裏拍で前に踏み、右足・左足と早間で進む。
・左手を扇子から離して、両手を右に巻くように大きく流しながら、右足を裏拍で右後ろに踏み、左足・右足と早間で右後ろにさがる。
「イートーナー」 左から交互に流しながら、左足から3歩裏拍で進む。
(三味線)
・両手を右に巻くように大きく流しながら、右足を裏拍で右前ろに踏み、左足・右足と早間で進む。
・反対動作
・右、左と流してそのまま扇子を右肩に乗せ、左手を前方に振り上げて軽く握って下ろす。このとき、右足から2歩裏拍で前に出たら、右足を前から引き戻して束足になる。
このまま冒頭に返る。

堅田踊り「お夏清十郎」 佐伯市泥谷(下堅田) <小唄、二下り>
☆お夏どこ行く手に花持ちて わしは清十郎の
 ほんに清十郎の墓参り(アラソノ ヨイヨナー サーヨイヨナー)
☆向こう通るは清十郎じゃないか 笠がよく似た ほんによく似た菅の笠
☆笠が似たとて清十郎であれば お伊勢参りは ほんに参りは皆清十郎
☆み墓参りて拝もとすれば 涙せきあげ ほんにせきあげ拝まれぬ
メモ:北部の集落とは調弦が違うほか節が若干あっさりとしており、やや雰囲気が異なる。上句の冒頭は高調子になっていて、ここの音程が陽旋の音階から上に外れて都節に近くなっており、典雅な雰囲気がある。また下句では、北部では「ヨイヨー墓参り」と唄うところを同じ尺で「ほんに清十郎の墓参り」と唄っており、より字脚がかっちりと乗っている。そのためこちらの方が唄い易く、間も取りやすい。囃子の末尾も異なり、せり上げずに静かにのばす。派手さはないが、あっさりとした中にも節回しがよく工夫されているように感じる。踊りは「伊勢節」と「様は三夜」の所作を組み合わせたようなもので、こちらの方がやや難しい。
(踊り方)
B 泥谷 右回りの輪(右手に開いた扇子)
・扇子を右肩に乗せ、左手は下ろして束足にて待つ。
「お夏どこ行く」
・左手を前方に振り上げて軽く握りながら左足を蹴り出して前に踏み、右足を輪の内向きに踏む。
・以下、手は同様にて左足を蹴り出して前に踏み、右足を輪の外向きに踏む。
・左足を蹴り出して前に踏む。
・両手で扇子の要よりもやや外側をつまむようにアケに持ち、こねまわすように右、左、右・右、左、右と胸の高さで流す。このとき、その場にて右足、左足と踏んで右足空踏み、右足、左足、右足と踏む。
・左足を後ろに踏んで扇子をアケで下ろし、右足、左足・右足と継ぎ足で右前に進みながら扇子をすくい上げていき、末尾にてストンと下ろす。
「わしは清十郎の」 手は同じことの繰り返しで、足を反対に左前、右前、左前と進む(都合4回、継ぎ足で千鳥に進む)。
「ほんに清十郎の」
・右足を輪の内向きに出して(加重せず)、両手を左上から右後ろに大きく流して戻す。
・両手を右、右と流す。このとき右足をトントンと踏み、2回目のときに右足に加重する。
「墓参り、アラソノ、ヨー」
・扇子をこね回すようにして左、右、左と流しながらその場で右回りに一周する。
・左手を扇子から離して、両手を右下から左下へ、フセで山型に流しつつ、右足を左足の前に踏みこむ。
「イーヨーナー、サーヨーイーヨーナー」
・両手で扇子の要よりもやや外側をつまむようにアケに持ち、左足、右足・左足と継ぎ足で左前に進みながら扇子をすくい上げていき、末尾にてストンと下ろす。
・手は同じことの繰り返しで、足を反対に右前、左前と進む(都合3回、継ぎ足で千鳥に進む)。
・右足を前に出し、両手を顔の前にさっとすくい上げてきまる。
(三味線)
・扇子を顔の高さで、右に2回こね回すように仰ぐ。このとき、右足を右前に踏んで左足に踏み戻し、すぐ右足に踏み戻す。
・扇子の高さを保って、左に2回、こね回すように仰ぐ。このとき、左足を左前に踏んで右足に踏み戻す。
・左足に踏み戻して右足を前に踏み込みながら、左手を扇子から離して両手を左下に捨てる。
・扇子を引き上げて右肩に乗せると同時に左手を振り上げて握る。このとき、右足を前から引き戻して束足になる。
このまま冒頭に返る。この踊りは間の取り方が難しく、「お夏どこ行く」のところは唄に合わせないと帳尻が合わなくなるほか、右に一周したあとの所作には食い気味かからないと次に出遅れてしまう。



●●● きりん ●●●
 類似の節回しを持つ唄がほかに見当たらない。「きりん」の用字もわからず、全く意味がわからない。麒麟か騏驎か、または別の字か。いずれにしても文句の内容とは全く関係のない言葉である。或いは、四国や広島、佐賀関で盛んに唄われている盆踊り唄(節はそれぞれ異なる)に「キソン」があるが、それを読み違えて「キリン」としたのかとも考えたが、口承なのでその可能性は極めて低いだろう。または「関の女郎衆と」云々の文句から推して、「高尾」とか「夕霧」のように、太夫の源氏名か何かかもしれない。ただし各節の文句に連絡はなく、一応「清十郎二十一」云々を首句としている。紹介した4首のほかに「お夏々夏かたびらよ」云々や「お夏どこゆく」云々の文句も聞いたことがある。
 この種の唄は西野に残るのみとなっているが、西野に伝わる一連の小唄踊りの曲目の中でも、ちょっと毛色が違っている。頭3字の部分は拍子から外れ、節をためて仰々しく唄う。それから先は「花笠」や「しんじゅ」と同程度のテンポで、節の起伏が大きく変化に富んだ節である。また、上句末尾の「ヤレーソレーソレ」の囃子が終わらないうちに中句にかかるのだが、この部分の間合いがとても難しい。そして下句末尾の「アーソーレー、ソーレードッコイ…」云々の囃子の後に三味線の合の手が全く入らず、1呼間程度休んだらすぐに次の文句に移る。騒ぎ唄、座興唄の雰囲気が薄く、元々はどういう意図で作られた唄なのか皆目わからない。

堅田踊り「きりん」 佐伯市西野(下堅田) <小唄、三下り、女踊り>
☆清十郎二十一お夏が七つ(ヤレーソレーソレ)
 合わぬ毛抜きを合わしょとすれば(アーオーイ) 森の夜鴉鳴き明かす
 ヨイヤサー(アーソーレー ソーレードッコイ ソーレーヤートヤー)
☆天下太平治まる御代に 弓は袋にその矢は壺に 槍は館のお広間に
☆関の女郎衆と将棋の駒は 差しつ差されつ差し戻されつ 金銀なければ不挨拶
☆関の女郎衆と御手洗つつじ 宵につぼみて夜中に開く 朝の嵐に散り散りと
メモ:手踊りの「しんじゅ」と共通の所作が目立つ扇子踊りで、扇子は始終開きっぱなしだが、たいへん手が込んでいる。各節の頭3字以外は一定の拍子なのに、音引きの多い節の長短によってあてがう所作の間合いが異なるため、一つの二つの…と数えながら踊ることができない。数呼間に亙る悠長な所作と、1呼間ずつにかっちりはまった所作とが入り組んでおり、帳尻を合わせながら踊る必要がある。唄の節を完全に覚えておかないと踊れないため踊り手の減少が著しく、「お市後家女」で二重に膨れ上がった踊りの輪が「きりん」の段になると総崩れの始末で、一重の輪がやっと立つ程度になってしまう。
(踊り方)
右回りの輪(右手に開いた扇子)
・輪の中を向き、左手は腰に当て、右手は扇子をアケに返して体前に引き寄せ、左足加重にて右足を輪の中向きに伸ばして出し、上体を少し前に倒して待つ。
「清十郎」 左手はそのままに、右足加重にて右手を巻くようにしてフセに返した扇子を前方高くにせり上げてかざしながら左足つま先を後ろにトンとつく。
「二十一」 両手を振り上げて左足を左に出し、両手を左下に下ろしつつ右足を左足の前に交叉して上体を左にひねったらすぐ左足を抜いて左に出し、そのまま両手を右上に上げつつ左足を右向きに踏み、右を向いて左手・右手の順に右側で上げて扇子をクルリと返して右足に加重、両手をフセで静かに下ろしつつ上体を左にひねる。
「お夏は七つ」 左手・右手の順に左側で上げて扇子をクルリと返して左足を右向きに踏み、両手をフセで右下にアケで左上に上げて手首を返し、左足を右向きに踏みかえて加重し右足も右向きに踏みかえて静かに下ろし、右足を元の向きに踏み直して再度、左手・右手の順に左側で上げて扇子をクルリと返して左足を右向きに踏み、両手をフセで静かに右下に流す。
「ヤレーソレー合わぬ」  両手をフセ(扇子の面は垂直)で、左前から交互に3回押し出すように流しつつ左足から3歩進み、両手を右側にアケで開き下ろしながら、右足を右向きに伸ばして出して(加重せず)、上体を少し前に倒す。
「毛抜きを合わしょとすれば、アー」 両手を振り上げて、右足を左足の前に交叉して上体を左にひねったらすぐ左足を抜いて左に出し、そのまま両手を右上に上げつつ左足を右向きに踏み、右を向いて左手・右手の順に右側で上げて扇子をクルリと返して右足に加重、両手をフセで静かに下ろしつつ上体を左にひねる。左手・右手の順に左側で上げて扇子をクルリと返して左足を右向きに踏み、両手をフセで静かに右下に流し、末尾にて右足を右輪の向きに踏み直す。
「オーイ、森のよが」 左下で扇子をトンと打ちながら、左足を伸ばして出して(加重せず)、上体を少し前に倒す。上体を起こしつつ両手を上げていきながら左足に加重、両手を右下にアケで開き下ろしながら、右足を伸ばして出して、上体を前に倒す。上体を起こしつつ両手を上げて扇子を回してフセにしながら右足を前に踏む。
「らす鳴き明かす」 両手をフセ(扇子の面は垂直)で、左前から交互に3回押し出すように流しつつ左足から3歩進む。右足を輪の中向きに少し出してつま先を地面につけ、右手をやや下向きに前に伸ばして扇子を鏡にする。
「ヨーイーヤーサー」 その場にて右手は動かさず、左手の肘から先を、手首を返しながら縦にクルリクルリと回して静かに下ろす。
「アーソーレー、ソーレードッコイ、ソーレーヤートーヤー」 両手をフセで左上に上げつつ、左足を右輪の向きに踏む。両手を右側にアケで開き下ろしながら、右足を輪の中向きに伸ばして出して、上体を前に倒す。右足を右輪の向きに踏みかえ、反対動作にて両手を開き下ろす。両手を上げつつ左足を輪の中向きに踏みかえ、左手を腰に当て、右手は扇子をアケに返して体前に引き寄せながら、右足を輪の中向きに伸ばして出して(加重せず)、上体を少し前に倒す。
これで冒頭に返るのだが、ここで拍子が崩れる。やや食い気味に冒頭の所作にかかった方が、踊りやすい。全体的に拍子とつかず離れず、微妙な間合いで帳尻を合わせていくところが多い。その勘所、目安となるきめの所作がいくつかあるのだが、そこをよく覚えておく必要がある。



●●● チョイトナ ●●●
 元々は遊郭で唄われた流行小唄、騒ぎ唄の類なのだろうが、今のところ類似する唄に行き当たっていない。

堅田踊り「チョイトナ」 佐伯市西野)(下堅田) <小唄、二上り、女踊り>
☆天地天野の秋の日の(アレチョイトナー) 刈穂の上の(オイオイ) 群雀
 引くに(オイオイ) 触らぬ鳴子縄 アチョイトナー(ソレーソレーソレ)
☆酒はよいもの色に出て 飲みたや加賀の菊酒を 飲めば心はうきの島
☆父は長良の人柱 鳴かずば雉も撃たれまい 助け給えやほけきょ鳥
メモ:「しんじゅ」と同じテンポで、こちらは陰旋法。これをはずんだリズムにすれば、いかにも「騒ぎ唄」のような雰囲気になる。3節のみしか記録がないも、いずれも「鳥」に関連する文句でまとめてある。それなりに工夫されたよい唄だと思うが、残念ながら廃絶している。



●●● 数え唄 ●●●
 数え唄といってもいろいろあるが、このグループは所謂「一つとせ節」の類である。この種のものは座興唄はもとより、瓦版売りの客寄せや遊び唄としても広く唄われたほか、小学唱歌にも取り入れられたこともあり今でも広く知られている。地方色のあるものとしては「銚子大漁節」が著名。大分県内でも方々で採集されている。そのほとんどが「わらべ唄」としての採集だが、毛色の違うものとしては津鮎踊り(湯布院町)の演目「一つ拍子」がある。堅田踊りのものは唄い出しの節回しなど音引きを長くとる箇所が目立ち、三弦唄化が顕著。

堅田踊り「数え唄」 佐伯市府坂・竹角(下堅田) <小唄・調弦不明>
☆一つとのよのえ 柄杓に杖笠おいずるを 巡礼姿で父母を 訪にょうかいな
☆二つとのよのえ ふだらく岸打つ御熊野の 那智の小山に音高く 響こうかいな
☆三つとのよのえ 見るよりお弓は立ち上がり 盆にしろげの志 進上かいな
☆四つとのよのえ ようまあ旅に出しゃんした さだめし親子と二人連れ 同行かいな
☆五つとのよのえ いえいえ私一人旅 父さん母さん顔知らず 恋しいわいな
☆六つとのよのえ 無理に押し遣る餞を 僅かの金じゃと志 進上かいな
☆七つとのよのえ 泣く泣く別れて行く後を 見送り見送り伸上がり 恋しいわいな
☆八つとのよのえ 山川海里遥々と 憧れ訪ねる愛し子を 返そうかいな
☆九つとのよのえ 九つなる子の手を引いて 我が家に帰りて玄関口 入ろうかいな
☆十とのよのえ 徳島城下の十郎兵衛 我が子と知らず巡礼を 殺そうかいな
メモ:文句は「傾城阿波鳴門(巡礼お鶴)」で、簡潔な文句に長い物語の要点がつまっており、しかも数え唄として文句を整えているが全く違和感がない。このように段物の文句を「数え唄形式」でまとめた例は「鉄砲伝来数え唄」や「八百屋お七」の数え唄などが知られており、県内でも「わらべ唄」として採集された例がある。各節唄い出しの「一つとのよのえ」とか「二つとのよのえ」…は、おそらく「一つ唱えようのうエ」といった程度の意味で、結局は「一つとせ」と同じことだと思う。この「数え唄」はテンポがややゆっくりで、三味線伴奏も唄の節をなぞるだけでなくきちんとした手がついている。節がやや端唄風に変化していて、洗練された印象を受ける。

堅田踊り「数え唄」 佐伯市黒沢(青山) <小唄・調弦不明>
☆一つとのよのえ 柄杓に杖笠おいずるは 巡礼姿で父母を 訪にょうかいな
☆二つとのよのえ ふだらく岸打つ御熊野の 那智の小山に音高く 響こうかいな
☆三つとのよのえ 見るよりお弓は立ち上がり 盆にしらげの志 進上かいな
☆四つとのよのえ ようまあ旅に出やんした さだめし連れ衆は親子達 同行かいな
☆五つとのよのえ いいえ私は一人旅 父さん母さん顔知らぬ 恋しいわいな
☆六つとのよのえ 無理に押し遣る餞を 僅かの金じゃと志 進上かいな
☆七つとのよのえ 泣く泣く別れて行く後を 見送り見送り伸上がり 眺みょうかいな
メモ:「高い山」や「与勘兵衛」「大文字屋」などの所作を組み合わせたような踊り方で、いいとこどりの感あり。「一つとのよのえ」の後で片手を上げて足をかぶせてクルリと一回りするところなど優美である。各節末尾の「○○かいな」のところで決まって、そこから先の長い長い三味線の手にあわせて手を振るやら片手ずつ返すやら、複雑極まる手振りで互い違いに進んで行くのだが、その次の句の「○とのよのえ」の入りが所作の半ばにて非常に間違い易い。これほど見事な踊りなのに、堅田踊りの文脈においては全くもって等閑視されているのが残念でならない。



●●● いろは ●●●
 これは各節の頭の文句を「い」「ろ」「は」…の順になるように唄っていく数え唄形式のもので、近世調の文句を並べ立てただけではあるがなかなか凝っている。節も複雑で、上句につく「ソーレジャワーソーレジャワー」の囃子のあと、三味線の合の手が入るとテンポを少し落として下句を唄い始めるなど、よく工夫されている。文句は俗っぽいが陽旋の古色ゆかしい節回しで、小唄というよりは「小歌」といった雰囲気がある。
 元唄は近世調の字脚の流布以降に唄われた流行小唄であることは疑いようがないが、節の感じから、同じ近世調であっても「お夏清十郎」や「高い山」などよりは古いような気がする。踊りを伴わずに、単に端唄として聴くだけでもなかなかよい唄だと思うが、藤本二三吉や山村豊子などのレコードにも残っていない。大正~昭和初期には、既に端唄としての伝承は絶えていたのだろう。佐伯市西野にのみ細々と残っていたが廃絶しており、県外他地域も含めて、全く残っていないのが惜しまれる。

堅田踊り「いろは」 佐伯市西野(下堅田) <小唄、二上り、女踊り>
☆アリャドッコイ いの字がエ いの字がエ ヤレーサテーナ
 いの字で言わば サイナー いつの(ドッコイ) 頃より
 つい馴れ初めて(ドッコイ) ソーレジャワー ソーレジャワー(合)
 「今は思いの種となる 恋じゃえ ソーリャー
☆ろの字がえ ろの字がえ ろの字で言わば 路地の駒下駄つい踏み鳴らし
 「あとは思いの種となる 恋じゃえ
☆はの字がえ はの字がえ はの字で言わば 羽交揃えて空舞う鳥も
 「吹いて止めます尺八の 音色かな
☆にの字がえ にの字がえ にの字で言わば 憎い男のその立ち振りは
 「思い直して晴れ晴れと 恋じゃえ
☆ほの字がえ ほの字がえ ほの字で言わば 惚れた男のその立ち姿
 「長い羽織に落とし差し 恋じゃえ
メモ:この唄は西野にのみ伝わっていたが、既に廃絶している。加藤正人先生の採集された音源を聴いてみたところ、テンポは「花笠」と同程度。西野に伝わる堅田踊りの中でも最も難しい唄で、一節がとても長い。踊りも難しかったとのこと。



●●● お染久松 ●●●
 節は異なるが、この唄と「智恵の海山」には類似点が多い。節の切れ目にコロビを入れずにストンと短く切って唄うところが似ているし、末尾の囃子「ホホお染さんせ」の節は「智恵の海山」の「アーそうじゃいな」の囃子と全く同じである。字脚が違うため異なる節がついているものの、両者は元々は同じ系統のものであると考えられる。
 音頭も三味線も早間で、浮き立つような雰囲気である。特に三味線の弾き方が早間で、賑やかでとてもよい。

堅田踊り「お染」 佐伯市石打(下堅田) <小唄>
☆夕べの風呂の上がり場で(合) この腹帯を(コラセ) 母さんに
 見つけられてこりゃお染 この腹帯は何事ぞ ホホお染さんせ(ハイ)
☆父は高いのを上と言うて 母は低いのを 上と言う
 何のことかと問うたなら 上りかまちのことじゃげな お染さんせ
☆ここは都の大阪で きいつ着物を 角屋敷
 瓦屋橋とや油屋の 一人娘のお染とて お染さんせ
☆夕べお染が寝間にいて といつくどいつ 異見すりゃ
 泣いてばっかりいやしゃんす 泣いてばっかりいるわいな お染さんせ
☆さても優しき蛍虫 昼は草葉に 身を隠し
 夜は細道 灯をとぼす 今の若い衆のためになる お染さんせ
メモ:「智恵の海山」と同じく手拭踊りだが、こちらの方がずっと難しい。一つひとつの所作は易しくても、手数が多いしテンポが速めなのでついていくのは容易ではない。輪の中を向いて端と端を両手で持った手拭を振り上げては両足を出したりするのもよいし、右手に持った手拭をさっと左に振り上げて左肩にひっかけながらクルリと左に回って後ろ向きになる部分がまた何とも言えない風情で、とてもよい踊りである。



●●● 大阪節 ●●●
 節はかなり変化しているが、おそらく「猿丸太夫」や「笠づくし」と同種と思われる。ゆったりとしたテンポだが一息は長くないし、ことさらな音引きや細かい節回しもなく、あっさりとした節で比較的易しい方である。また三味線も唄の節をなぞるような弾き方だし、一節唄うごとに挿む短い合の手もごく簡単な手の繰り返しで、「淀の川瀬」などの技巧に富んだものに比べるとごく単純な印象を受ける。それでも、陽旋で唄っておいて下句で一瞬、下にはずして陰旋化するようなところなど、お座敷風の雰囲気がよく出ている。

堅田踊り「大阪節」 佐伯市府坂・竹角(下堅田) <77・75一口>
☆大阪出てからまだ帯ゃとかぬ 帯はとけても気はとかぬ
☆ござれ話しましょ小松の下で 松の葉のよに細やかに
☆松の葉のよな細い気持たず 広い芭蕉葉の気を持ちゃれ

堅田踊り「芸子」 佐伯市波越(下堅田) <77・75一口、二上り>
☆わしは卑しき芸子はすれど 言うた言葉は変わりゃせぬ
 ヨーイヨーイ ヨーイヨーイヤナー
☆縞の木綿の切り売りゃなろが 芸子切り売りゃそりゃならん
☆わしは今来てまたいつござる 明けて四月の茶摘み頃
メモ:左手に開いた扇子、右手に畳んだ扇子を持って踊るのだが、開いた方の扇子よりも畳んだ扇子の方に重きを置いている。おそらく昔は、右手には提灯を提げた棒か何かを持って踊っていたのだろう。波越の踊りの中では最も簡単な部類で、覚えやすい。
(踊り方)
右回りの輪(右手に畳んだ扇子、左手に開いた扇子)
・右手の扇子を右肩に乗せ、左手の扇子はフセにて腹にあてておく
「わしは」 手は動かさずに(※)左足から早間に3歩進んで、右足を蹴り出して前に踏む。
「卑しき」 左足、右足と後ろから蹴り出しながらゆっくり進む。
「芸子は」 両手を2回振り上げつつ、左足、右足と踏みかえて輪の中を向く。
「すれど」 左足を左に伸ばして出し両手をめいっぱい左に流して体を左にひねり、末尾にてサッと両手を右に戻す。
「言うた言葉は」 両手を左に流しておろし正面にて振り上げる(左で輪を描くように)。これをもう1度繰り返す。このとき、左足から交互に小さく外八文字を踏む。
「変わりゃせぬ」 左足を左に伸ばして出し両手をめいっぱい左に流して体を左にひねり、末尾にてサッと両手を右に戻して右手の扇子を右肩に乗せる。
「ヨイヨイヨイ」 右手は動かさずに、左手の扇子を山型に高く、左から交互に4回振る。このとき、左足から裏拍の4歩で右回りに1周する。
「ヨイヤナー」 左足を前に伸ばして出し両手を左に流して、末尾にてサッと両手を右に戻して右手の扇子を右肩に乗せる。
(三味線)
・右手は動かさずに、左手の扇子を山型に高く、左から交互に4回振る、このとき、左足から裏拍で4歩、前に進む。
このまま冒頭に返るので、2節目より※印の箇所にて左手を下ろし開いた扇子を腹に当てるようにする。



●●● 浮名節 ●●●
この唄は古い流行小唄で、国会図書館のインターネットサービスにより『小唄の衢』などの古い唄本をいろいろ見てみると、これに酷似した唄を見つけることができる。ただし字脚が異なっており、元唄の文句の一部を省いているところも見られる。堅田踊りの演目としては西野にのみ伝承されていたが、廃絶して久しい。
 <参考>
 流行小唄「浮名節」
 ☆浮名は立つとも変わるまい 身はただ塵と 塵と捨てられぬ 
  たとえいずくに行くとても どうせ どうせ二人が浮名立つ 
 ☆仏の奥の大黒は 福神ならで貧乏 貧乏神 
  末は仏を質に入れ ナンマイダー ナンマイダーで浮名立つ
 ☆かたえの烏帽子 紅桔梗 身の性かくす嵯峨の 嵯峨の奥
  柴の庵の鉦の声 ナンマイダー 祇王祇女とて浮名立つ
 ☆わが身の上を夜もすがら 涙とともに懺悔 懺悔して
  あたら黒髪二世三世 小指 切れば切るとて浮名立つ
 ☆心の内は白芥子の 花より早き夏の 夏の風
  長い羽織に合わせびん 五分裂きゃ 粋と無粋の浮名立つ
 ☆浮気をやめて一筋に 末長かれと頼む 頼む身の
  逢う夜嬉しき実話 異見 怖いこととて浮名立つ

堅田踊り「浮名」 佐伯市西野(下堅田) <小唄、本調子、女踊り>
☆浮名は立つとも変わるまい 身はただ塵と捨てら 捨てられぬ
 ナンマイダー コラセ ナンマイダーで浮名立つ
 ハレワイサーコノ トチンチン トチンチチンチリ チリツンシャン
 ヤレーサーテー ヤレーサーテー ヤーヤートヤー
☆恋しき人のためじゃとて しきびの花を手向け 手向けつつ
 ナンマイダー ナンマイダーで浮名立つ
☆仏の奥の大黒は 福神ならで貧乏 貧乏神
 ナンマイダー ナンマイダーで浮名立つ
メモ:加藤正人先生の録音された音源を図書館で聴いてみると、他の曲目は三味線つきなのに、これのみ無伴奏で唄っている。きっとトチンチン、トチンチチンチリチリツンシャンの部分は本来は三味線の節であったのを、口三味線としたのだろう。陰旋のしっとりとした曲調で、なかなかよい節である。



●●● 新茶 ●●●
 これは古い流行小唄「裏の背戸屋」だが、現行の節とは全く違う。いま知られている「裏の背戸屋」は、声楽家の関屋敏子が戦前に新しくつけた節である。関屋敏子はオペラ、歌曲、外国民謡などで名を馳せたが、俚謡や長唄、端唄など日本の唄も好んだという。それで、新しい試みとして、俚謡や端唄・小唄などの文句に、元唄の雰囲気を生かした声楽向きの新しい節をつけ、「民謡」として「おばこ節」「舟に船頭」その他のたくさんの歌曲を創作している。その音源は、今でもレコードで聴くことができる。「裏の背戸屋」については、元唄の方が早くに廃絶したため、関屋敏子のつけた節を元にしてそれを三弦調に改めたものが広まった。藤本二三吉のステレオ録音の音源を聴くと、「奴さん」や「棚のだるまさん」その他の俗曲と並べても全く違和感はなく、またクレジットにも関屋敏子の名は見られない。しかしその節は関屋敏子以降のもので、おそらく三弦唄として人口に膾炙したのは戦後になってからだろう。関屋敏子の活躍した時代に二三吉をはじめとして勝太郎、山村豊子その他の多くの歌手が吹き込んだ俗曲・端唄などのレコードに「裏の背戸屋」が全く見られないことも、こういった事情があると思われる。
 <参考>
 流行小唄「裏の背戸屋」 現行の節
 ☆裏の背戸屋に ちょいと柿植えて 柿植えて 烏の来るように
  ちょいと柿植えて 烏とまらかして オカカノカ
  カカ カカカノ カノカッカ
 ☆裏の背戸屋に ちょいと竹植えて 竹植えて 雀の来るように
  オヤ竹植えて 雀とまらかして オチュチュのチュ
  チュチュ チュチュチュガ チュノチュッチュ
 ☆裏のお庭に ちょいと梅植えて 梅植えて 鶯の来るように
  オヤ梅植えて 鶯とまらかして ホーホケキョ
  ホホ ホケキョガ ケキョケッキョ
 ☆新茶点ちょうより 濃茶お茶点ちょう 新茶を 点ちょうより濃茶点ちょう
  オヤ茶を点ちょう 濃茶点て茶点ちょうに 茶を点ちょう
  コチャ オチャチャノ チャノチャッチャ 

堅田踊り「新茶」 佐伯市西野(下堅田) <小唄、男踊り>
☆新茶点ちょうより 濃茶買うて ちと買うて 茶々買うてな
 新茶点ちょうより 濃茶買うて ちと買うて 茶々買うて ションガイー
 アーコノ 買うて ちと買うて 茶々買うてな
☆わしはこの町の すいか ぼうぶら 売りじゃとな
 わしはこの町の すいか ぼうぶら 売りじゃと
 すいか ぼうぶら 売りじゃとな
☆わしは黒沢の おすみ すみつけ 駄賃とり
 わしは黒沢の おすみ すみつけ 駄賃と
 おすみ すみつけ 駄賃とり
メモ:「お市後家女」と同程度のテンポで、陽旋法ののんびりとした唄である。文句を見てみると酒宴の戯れ唄にしても内容が薄っぺらで、繰り返しが多く、全体的に意味不明。西野にのみ残っていたが、残念ながら今は省略している。



●●● ぼんさん忍ぶ ●●●
 これは流行小唄「コチャエ節」の一種である。一口に「コチャエ節」といっても数度の流行時期があったようで、それぞれに節が異なる。現行のものとしては「お江戸日本橋七つ立ち」の節が広く知られているほか、それとは別の「市川文殊、智恵文殊」の唄も著名である。また「コチャかまやせぬ節」という変調もあって、普通「コチャエ、コチャエ」と囃すところを「コチャかまやせぬ」と囃す。この節自体は廃絶しているも、それを元にした流行小唄「お前とならばどこまでも」は今でもよく知られている。
 さて、「坊さん忍ぶ」の唄は九州各地に転々と伝わっている。大分県下全域で座興唄や作業唄として親しまれたほか、福岡県でも盆踊り唄(竹の盆踊り)や座興唄として、また宮崎県でもよく唄われたようだ。これらのうち、耶馬溪辺りで唄われたのは「コチャヤレ節」といって「コチャエ節」を早間にして「コッチャヤレコッチャヤレ」と囃すものだが、下句の字脚が8・4になっている文句も見受けられ、古調の名残が感じられる。それに対して堅田踊りのものは「コチャヤレ節」から離れて、テンポがのろい。特に唄い出しの部分は「コチャエ節」との差異が大きく、「与勘兵衛」とほとんど同じである。「与勘兵衛」は、もとは「よかんべ節」などと呼ばれた流行小唄だったのだろうが、或いはその「よかんべ節」とやらは「坊さん忍ぶ」の字余りの文句の変調なのではあるまいか。今となっては推測の域を出ないが、両者を連続して唄っても全く違和感がない。
 ところで、この種の唄は「お江戸日本橋七つ立ち」の唄は別として、一般に各節の文句には連絡がなく、字脚の合う文句を自由に取り混ぜて唄う性質のものである。それなのに、大分県内各地で一列に「坊さん忍ぶは闇がよい」を首句にしているばかりか、福岡県その他においても同様の事例が多く見られる。他県で流行した別の唄でも、「土佐の高知の播磨屋橋で…」とか「新保広大寺がめくりこいて負けた…」のように、お坊さんを茶化したような文句が見られる。寺社の権力が大きかった時代ならではのことで、「坊さん忍ぶは闇がよい」もそれなりの面白味をもって親しまれていたのだろう。

堅田踊り「ぼんさん忍ぶ」 佐伯市府坂・竹角(下堅田) <小唄、二上り>
☆ぼんさん忍ぶは闇が良い ソーレ月夜には 頭がぶうらりしゃあらりと
 コチャ 頭がぶうらりしゃあらりと
☆お前待ち待ち蚊帳の外 蚊に食われ
 七つの鐘の鳴るまでは 七つの鐘の鳴るまでは
☆お前さんとならばどこまでも 奥山の
 ししかけいいとろの中までも ししかけいいとろの中までも
☆ここは石原 小石原 ちょっと出て
 下駄のはまちゃんとしもうた 下駄のはまちゃんとしもうた

堅田踊り「ぼんさん忍ぶ」 佐伯市黒沢(青山) <小唄、調弦不明>
☆ぼんさん忍ぶは闇が良い(ソレ) 月夜には 頭がぶうらりしゃあらりと
 コチャ 頭がぶうらりしゃあらりと(ヨイ)
☆ぼんさん袂から文が出た 文じゃない 手習い子供の書き崩し 手習い子供の書き崩し



●●● 竹に雀 ●●●
 まだ聴いたことがないのでよくわからないが、おそらく古い流行小唄の転用だろう。

堅田踊り「竹に雀」 佐伯市石打(下堅田) <77・75一口、二上り>
☆竹に雀がしな良くとまる 止めて止まらぬ色の道
 「サマ 三石六斗で二升八合 サマションガエー
☆お前や加古川本蔵が娘 力弥さんとは二世の縁
 「サマ 三石六斗で二升八合 サマションガエー
☆お前や嫌でもまた好く人が なけりゃ私の身が立たぬ
 「サマ 三石六斗で二升八合 サマションガエー
メモ:囃子の「三石六斗で二升八合」の意味をつくづく考えてみたのだが、どうしてもわからない。何らかの語呂合わせだろうか。



●●● ヒヤヒヤ節 ●●●
 古い流行小唄の転用で、短調な囃子の末尾に「ヒヤヒヤ」等の囃子をつける程度のもの。なお「ドッコイショ節」の変調「春は嬉しや」の末尾に「ヒヤヒヤ」の囃子をつける場合があるが、それとは無関係。

堅田踊り「団七棒踊り」 佐伯市石打(下堅田) <77・75一口>
☆富士の白雪朝日でとける 娘島田は寝てとける(アーヒヤ アーヒヤ)
☆娘島田に蝶々がとまる とまるはずだよ花じゃもの
メモ:石打にのみ伝承されていたが、今は踊っていないようだ。普通「団七踊り」というと、「姉の宮城野妹の信夫」云々の、志賀団七の仇討口説、白石口説に合わせて3人組で棒を打ち合いながら踊るものである。この踊りは全国各地でかつて異常なほどの流行を見せたようで、大分県内でも広範囲に亙って踊られていた。今でも、日田・玖珠地方、大野・直入地方に広く残るほか、海部地方でも大入島、保戸島、小半、臼坪などに転々と残っていた(保戸島では平成に入ってから復活)。しかし石打のそれは、文句を見てみると「志賀団七」の段物ではなく、当たり障りのない近世調の一口文句で、各節に連絡がない。おそらく、古くは段物をやっていたのではないだろうか。なお、「堅田踊り」の一種として、延岡の「新ばんば踊り」の節に志賀団七の文句を乗せた唄が紹介されている本を見たことがある。「新ばんは踊り」は延岡はおろか、西臼杵郡、県境を越えて南海部郡まで非常に流行し、今でも佐伯市街地の盆踊りで村田英雄の吹き込んだ音源に合わせて盛んに踊られているし、城村あたりでは堅田踊りの合間に余興的に踊られている。しかし、これはあくまでも新作踊り、余興の踊りであって本来の「堅田踊り」ではなく、石打の「団七棒踊り」とは全く別物である。



●●● 様は三夜 ●●●
 節の上り下りの起伏に富んだ節だが無理のない節回しで唄い易く、のんびりした明るい雰囲気の唄である。堅田踊りの曲目の中ではずいぶん田舎風の印象を受ける。酒宴の騒ぎ唄といった感じでもなく、田植唄や池普請唄、またはものすり唄として唄われたものが三弦化したものではないかと思う(三味線はほとんど唄の節をなぞるばかりで、合の手もなく、後付けだろう)。
 文句は77・75の一口口説で各節に連絡はなく、しかも特に珍しくもないものが多い。また、首句の「様は三夜の」云々から末尾を「様はよいよなあ」と結んでいるが、これは全ての文句に共通である。色恋の文句が多いので特に違和感はないが、どうしてもとってつけたような感じがする。或いはこれも後付けであって、元唄は返しの「見たばかり、宵にちらりと見たばかり」と唄ったらすぐに次の文句に移っていたのではないだろうか。こうすると、節の切れ目が次に続くような音程で終わるため、もし作業唄として唄われたのであればこの方が都合がよさそうだ。逆に言えば、「様はよいよな」が末尾につくことで一応、ここで節が途切れており、俗曲調の雰囲気をそれなりに出すことができているといえる。なお、囃子は音階から外れて地口になっている。

堅田踊り「様は三夜」 佐伯市泥谷・石打(下堅田) <77・75一口、二上り>
☆様は三夜の三日月様よ 宵にちらりと見たばかり(アラホーンボニ)
 見たばかり 宵にちらりと見たばかり(ハーテッショニ) 様はよいよな
☆咲いた桜になぜ駒つなぐ 駒が勇めば花が散る
 花が散る 駒が勇めば花が散る 様はよいよな
☆お前釣竿わしゃ池の鯉 釣られながらも面白や
 面白や 釣られながらも面白や 様はよいよな
☆お前松の木わしゃ蔦かずら 絡みついたら離りゃせぬ
 離りゃせぬ 絡みついたら離りゃせぬ 様はよいよな
☆お前百までわしゃ九十九まで ともに白髪の生ゆるまで
 生えるまで ともに白髪の生ゆるまで 様はよいよな
☆山があるから故郷が見えぬ 故郷可愛や山憎い
 山憎い 故郷可愛いや山憎い 様はよいよな
メモ:「伊勢節」と並んで、泥谷を代表する踊りといってよいだろう。扇子を両手で持ってクルリクルリとこね回しては継ぎ足で進んでいく所作がなんとも優美だが、同じ所作の繰り返しが多く、わりと覚えやすい。
(踊り方)
右回りの輪(右手に開いた扇子)
・扇子の親骨の中間程度の位置を両手でアケに持ち、右上に掲げておく。
「様は三夜の、三日」 扇子の持ち方はそのままに高さを保って、右に4回こね回すように仰ぐ。その際、右足を右前に踏んですぐ左足を右足の後ろに寄せて加重、右足を右前に踏み、左足に踏み戻し、右足に踏み戻す。全て小股。その反対動作で、左右左、右足、左足。
「月様よ」 扇子の扱いは同様に、右左右、左右左、右左右、左右左と早間に継ぎ足で進んでいく。
「宵に」 右足を輪の中向きに出して、扇子を両手で持ったままぐっと右後ろに仰ぎ、左上に戻す。
「ちら」 扇子を両手で持ったまま右、右と早間に仰ぎながら、右足をトントンとつく(2回目にて加重する)。
「り」 左手を扇子から離してトントンと軽く扇子を叩きながら、左足から3歩にて右回りに早間で一周する。
「と見たばかり、アラ」 扇子を両手で持ってこねまわしながら、帯の前あたりで右から交互に5回振る。足も同じで、右足から交互に5回踏む(いちいち前から引き戻して踏み、その場から動かない)。末尾にて束足になり、両手を左右に静かに下ろす。
「ホーンボニ、見た」 両手を後ろに回して、腰のあたりで下に向けた扇子を両手で持ち、右左右、左右左と早間の継ぎ足で前に進む。
「ばか」 左手を扇子から離し、両手を右下から左下へとフセで山型に流しつつ、右足を左足の前に踏みこむ。
「り」 扇子の親骨の中間程度の位置を両手でアケに持ち、左足から3歩小股で左前に進みつつ両手を上げていく。
「宵に」 右足を輪の中向きに出して、扇子を両手で持ったままぐっと右後ろに仰ぎ、左上に戻す。
「ちら」 扇子を両手で持ったまま右、右と早間に仰ぎながら、右足をトントンとつく(2回目にて加重する)。
「り」 左手を扇子から離してトントンと軽く扇子を叩きながら、左足から3歩にて右回りに早間で一周する。
「と見たばかり、アラ」 扇子を両手で持ってこねまわしながら、帯の前あたりで右から交互に5回振る。足も同じで、右足から交互に5回踏む(いちいち前から引き戻して踏み、その場から動かない)。末尾にて束足になり、両手を左右に静かに下ろす。
「テーッショニ」  左手を扇子から離し、両手を右下から左下へとフセで山型に流しつつ、右足を左足の前に踏みこむ。
「様はよいよな」 扇子の親骨の中間程度の位置を両手でアケに持ち、左足から3歩小股で左前に進みつつ両手を上げていき、ストンと下ろす。その反対で右前へ。さらに反対で左前へ行くが、このときは3歩進んだら右足を右前向きに出し(左足加重のまま)、両手は下ろさずに高く構える。
これで冒頭に返る。同じ所作ばかりの繰り返しで、覚えやすい。




●●● 伊勢節 ●●●
 この唄は軽やかなテンポで、しかも音引きがごく少なく節に文句がかっちりと乗っているため、簡単に唄える。「伊勢節」の名から「ヤートコセ」の伊勢音頭を思い浮かべがちだが、全く別の曲である。陽旋の明るい雰囲気の節で、元々は75調を繰り返す段物口説の唄だったのではないかと思う。或いは、かつて伊勢方面で唄われた「盆口説」の一種ではないかと思うのだが、その元唄と思しきものを探し当てることができていない。三味線はほとんど音頭の節をなぞるばかりだが、賑やかな曲調によく合っており、三味線が入ることでいよいようきうきした感じになっている。
 文句を見てみると、首句の「笛の音に寄る」云々は意味が分かりづらい。「山路(さんろ)」は、おそらく真名野長者伝説(炭焼き小五郎)の関係人物を指すのだろう。きっと、元々は「笛の音による秋の鹿、妻ゆえ身をば焦がすなり」で一句なのであって、そこに「笛」から、笛の名手であったという「山路」を連想して「豊年女の山路笛」をつけたのではないか。また2節目と3節目は「そもそも熊谷直実は、花の盛りの敦盛を、打って無常を悟りしが、さすがに猛き熊谷も、ものの哀れを今ぞ知る」を2節に分けており、これは平家物語の関連である。結局、字脚の合う文句を自由奔放に唄い継いでいるだけで、各節には全く連絡がないということがわかる。

堅田踊り「伊勢節」 佐伯市泥谷(下堅田) <小唄、二上り>
☆笛の音に寄る秋の鹿(マダセ) 妻ゆえ身をば焦がすなり
 豊年女の山路笛(ヨイヤサテナー ヨイヤサテナー)
☆そもそも熊谷直実は 花の盛りの敦盛を 打って無情を悟りしが
☆打って無情を悟りしが さすがに猛き熊谷も ものの哀れを今ぞ知る
☆咲いた桜になぜ駒つなぐ 駒が勇めば花が散る 駒が勇めば花が散る
☆一かけ二かけて三かけて 四かけて五かけて橋かけて 橋の欄干に腰かけて
☆はるか向こうを眺むれば 十七八の小娘が 片手に花持ち線香持ち
メモ:泥谷の踊りの中では最も易しいうちだが、手振りが派手で人目を引く。
(踊り方)
右回りの輪(右手に開いた扇子)
「ヨイヤサテナー」 両手を胸前から左手は左上へ、扇子は右横へパッパッと2回開く。このとき左足加重にて右足を輪の内向きにトン、トンで右足に加重する。
「ヨイヤサテナー」 両手を左へ流しながら左手は腰に当て、扇子をアケにて手前に倒して右腕を前に出す。これに合わせて左足から2歩、前に進む。
「笛の音に寄る秋」 両手は動かさずに、左足から5歩、外八文字を踏みながら右回りに一周する。
「の鹿、マダセ、妻ゆえ」 両手をアケにて左右に軽く開き下ろして右足を後ろに踏みすぐ左足に踏み戻し、両手を前にて低く交叉しながら右足を左前に踏んですぐ左足に踏み戻し、両手を胸前から左手は左上へ、扇子は右横へパッパッと2回開きながら右足を輪の内向きにトン、トンとつく(左足加重のまま)。
「身をば焦がすな」 右、左と大きく流しながらやや右にカーブしながら2歩進み、上体を右に捻じ曲げて両手を右下に下ろし、右足を左足に交叉して踏み出しながら扇子を右下から左上にアケで大きく振り上げてそのまま左下に伏せで下ろすと同時に左手を左下にアケで小さく開き、左足を輪の外向きに踏んですぐ右に踏み戻す。
「り、豊年女の山路笛」 左足を前に踏みながら、左手を右上に大きく振り上げてそのまま右下に下ろすと同時に扇子を右下にアケで小さく開き、右足を輪の外向きに踏む。その反対、反対、反対で都合4回反転しながら前に進むが、はじめの反転と違いいつも左足、右足の順に踏んでいく。4回目のときにはすぐに左足に踏み戻す。これではじめに返る。
このまま冒頭に返る。三味線の合の手が入らずに次の句に移るので、所作が途切れない。

堅田踊り「南無阿大悲」 佐伯市波越(下堅田) <小唄、二上り>
☆南無弥大悲の観世音 導き給えや観世音
 いつよりわれらを流転して(ヨイヤサテナー ヨイヤサテナー)
☆むつの巷にさまよえる 大師は娑婆に流転して あらゆる苦患にさまよえる
☆今年は豊年万作じゃ 道の小草に米がなる 道の小草に米がなる
メモ:波越の踊りの最初に踊られるもので、泥谷の「伊勢節」と同じ節だが、こちらの方がややテンポがのろい。堅田踊りの曲目は流行小唄や上方唄の類の転用が目立ち、県内の他地域に広く見られる「目連尊者」その他の口説や初盆供養に関する文句は全く見られず「遊び唄」「騒ぎ唄」のイロが強い。その点において「南無阿大悲」は様相を異にしており、一応、盆踊りの開始にふさわしい文句で唄われている。踊りは地味な手踊りで、左手を腰に当てておいて、握った右手をブラリブラリと振りながら進むようなものだったと記憶している。そう難しくはなかったが足運びが軽やかで、なかなかよかった。

●●● 茶屋暖簾 ●●●
 これじゃ、『音曲全集』シリーズや『民謡大観』シリーズを繰ってみても同種のものが見当たらなかったが、その内容からして上方の遊里で唄われたぞめき唄の類だろう。
 文句を見てみると、「茶屋の暖簾な…」は葉茶屋ではなく引手茶屋なのは明らかである。今の時代では意味がなかなか理解されがたいが、嫁や娘を連れて遊里を見物に行った田舎男が思わずまがきに抱き着くとは、なんとも皮肉めいた文句だ。「宇治は茶どころ」の文句はその替え唄で、ここから上方趣味の文句がいろいろと展開されている。どれもよくできた文句だが、「恋し恋しと」についてはどうしても継子感が否めない。「可愛い川辺に」の文句のバリエーションとして、前半を「恋し恋しと鳴く蝉よりも、鳴かぬ蛍が身を焦がす」に置き換えただけである。「可愛い可愛いと」はなおのことだ。ともあれ、全体的に見れば節も文句も、大変よくできた唄だと思う。
 柏江に残るのみだがところの名物といえるもので、当分の間は無事伝承されると思う。

堅田踊り「茶屋暖簾」 佐伯市柏江(下堅田) <小唄、三下り>
☆茶屋の暖簾なイロハニホヘト(合) 嫁や娘を皆うち連れて
 ぴらしゃらしゃんすに見惚れつつ 思わずまがきに抱きついて
 おお そそうな人さんじゃ
☆宇治は茶所 茶は縁所 同者同行 皆引き連れて
 摘み取らしゃんすに見とれつつ 思わず茶の木に抱きついて
 おお そそうなことぞいの
☆松は唐崎 矢走の帰帆 月は石山 三井寺の鐘
 堅田の落雁 瀬田の橋 比良の暮雪に粟津路や
 おお 見事なものぞいな
☆間の山ではお杉とお玉 お杉お玉の弾く三味線は
 縞さん紺さん浅葱さん そこらあたりにござんせん
 おお 見事なことぞいの
☆可愛い勝五郎 車に乗せて 引けよ初花箱根の山に
 紅葉のあるのに雪が降る さぞや寒かったでござんしょう
 おお 辛気なことぞいの
☆園部左エ門清水寺に 太刀を納めてその帰るさに
 薄雪姫に見とれつつ 思わずまがきに抱きついて
 おお そそうなことぞいの
☆可愛い川辺に出る蛍虫 露に焦がれて身を燃やすなり
 我が身は蛍にあらねども 君ゆえ身をば燃やすなり
 おお 辛気なことぞいの
☆恋し恋しと鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を燃やすなり
 我が身は蛍じゃなけれども 君ゆえ身をば燃やすなり
 おお 辛気なことぞいな
☆可愛い可愛いと鳴く鹿よりも 鳴かぬ蛍が身を燃やすなり
 我が身は蛍にあらねども 君ゆえ身をば燃やすなり
 おお 辛気なことぞいの
メモ:太鼓は使わず、三味線と拍子木が入る。節がいかにもお座敷風で、端唄や騒ぎ唄として唄っても全く遜色のないものである。「おーお」と強く唄うのも呆れた感じがよく出ていてよいし、「そそうな人さんじゃ」とか「~ぞいのう」「~ぞいなあ」の結びも耳に残り、一度聴いたら忘れられない。節の長さに対して比較的字数が多く覚えやすいが、「ぴらしゃらしゃんすに見惚れつつ」の節がとても難しい。この部分、「見惚れつつ」の「み」を若干上に外し気味に唄うのだが、その微妙な音程がなんとも耳に心地よい。踊りがまた大変よく、手拭を肩にひっかけて拝み手で進んでいったり、袂をクルリと返していくところなどなかなか優雅な雰囲気である。足運びがおとなしく、拝み手の所作も併せて、微妙な線できれいに踊るには慣れが必要と思われる。覚えるのだけでも難しいし、両手をクルリとかいぐりしてフセで開き下ろすところが2回あるが、初めはゆっくり、2回目は素早くと間合いが全く異なるため、次の所作への変わり目を間違いやすい。当て振りのため音頭や三味線が少しでも間違うと踊りが立ち往生してしまう。なお、袖を生かした所作が多いためこの踊りは浴衣で踊った方がよい。踊りの坪では思い思いの服装で踊っており、Tシャツなども見られるが、浴衣でないと魅力が半減してしまう。
(踊り方)
右回りの輪(補く畳んだ手拭)
・細長く畳んだ手拭を右肩にひっかけ、前に垂れた端を拝み手で待つ。
「茶屋の暖簾」 拝み手で手拭の端を挟んだまま静かに前に出しつつ、左足、右足・左足と左前に小さく進む(このとき右足は左足より前に出さないようにする)。その反対の足運びで右に、反対で左前にと千鳥に進む。
「は、イ」 拝み手で手拭の端を挟んだまま右に振って、輪の中向きに右足を出す(加重せず)。
「ロハニ」 左手を手拭から離し、右手の親指と人差し指で手拭の端を挿んで左に引き下ろしつつ左足の前に右足を左向きに踏み、すぐ左足に踏み戻す。左手で反対の端を右手と同じ持ち方でとり両手で手拭を横に伸ばして高く上げておき、右足を左足の横に踏み、左足を左前に出し(加重せず)、左足を左向きに踏みかえて左回りに半周回る。
「ホヘト」 輪の外向きになり右足を右前に踏んですぐ左足に踏み戻し、右回りに半周回って右足を左足の横に踏み、輪の内向きに戻る。
(三味線)
・頭を越して手拭を首にかけつつ左足を右足に寄せて束足。
・両手で手拭の両端を持ったまま、左手のみ左、右、左と小さく振る(最後のときに左手の手拭をサッと肩の後ろに跳ね下ろして左手を離し、右手の手拭を少し引いて右肩に手拭がかかった状態にする)。同時に、左足、右足、左足と前から小さく引き戻しつつ踏みかえる。
「嫁や娘を」 右手は手拭を持ったまま動かさず、左手はアケで握り、袖を揺らすように肘から先を左、右・右、左・左、右・右と交互に振りながら前に進む。足も手と同じで、最初の左足のときに左に回って右輪の向きになる。そこから右足・右足、左足・左足、右足・右足と継ぎ足で前に出ていく。上体を少し傾けてシナをつけていく。
「皆うち連れて」 右手は手拭をもったまま動かさず、左手は前の所作からの連続で左から交互に6回振る。足も手と同じで、左足から6歩にて左回りに一周する(最後の右足のみすぐ左足に踏み戻す)。
(三味線)~「ぴらしゃらしゃんすに」 両手を右上、左上と後ろに高く交互に5回流す。そのとき、右足を後ろに右向きに置いたら左向きに踏みかえて加重、左足を後ろに左向きに置いたら右向きに踏みかえて加重…といちいち踏みかえて右に左に見返りながら、右から5歩さがる。
「見惚れつつ」 後ろに下ろした右足の膝を少し曲げて左足を軽く伸ばしておき、両手を外から胸前にアケすくってクルクルとかいぐりをし、フセにて左右に静かに開き下ろす。
「思わずまがきに抱きついて、おお」 最初と同様に拝み手の所作で(手拭はとらない)、足運びも同じように左前、右前、左前、右前と千鳥に進む。
「そそうな人さんじゃ」 「ぴらしゃらしゃんすに」のところと同じ所作で、左から4歩さがり、そのまま「見惚れつつ」のところの所作を早間にて行う。
(三味線)
・左足を小さく蹴り出して左袖をとり、右足を左足の前に小さく蹴り出して右袖をとり、左足を左後ろで蹴って左後ろを見返ったら左足・右足と束に踏んで両手を下ろす(袖を離す)。
・右足を小さく蹴り出して右袖をとり、左足を右足の前に小さく蹴り出して左袖をとり、右足を右後ろで蹴って右後ろを見返り、左足を左後で蹴って左後ろを見返ったら左・右と束に踏んで両手を下ろす(袖を離す)。
・両手を下ろしたまま左足から3歩前に進む。
・拝み手で右肩にかかった手拭の端を挟んで静かに前に出しつつ、右足、左足・右足と右に小さく進む(このとき左足は右足の横に置く)。
このまま冒頭に返る。所作が連続しているので、手拭を拝み手で持って千鳥に進むのは右から数えると都合4回になる。



●●● 淀の川瀬 ●●●
 一般に「淀の川瀬」といえば、「淀の川瀬のナー景色をここに引いて上がるヤンレ…」の唄を思い浮かべると思うが、ここに紹介するものは節も文句も、全く異なる。三味線の前奏がつき、これを「段前」という。単調だが軽やかな節がしばらく続くため、なんともうきうきした気分になる。ところが本編に入れば雰囲気は一転、悠長な節に三味線もつかず離れずしっとりとした雰囲気になり、この急な変化にはまるで舞台の幕が切って落とされたような感覚を覚える。首句でいえば「誰を待つやらくるくると」と「水を汲めとの」のところは間の取り方や音程、節回しなどが特に難しいし、それ以外のところも含めて全体的に音域が広く、唄いこなすのは容易ではない。陽旋の中にも一瞬、陰旋が混じるようなところがあり洗練された印象を受ける。また、各節結びの「ヨーイ ヨーイ ヨーイヤナー」のところは、「ヨーイ」で切って、そこから「ヨーイヨーイ」と間延びした節で徐々にせり上げたかと思えば音程をさげていき、「ヤーナー」と静かに伸ばす。このあとにごく短い合の手が入るのだが、それがまた段前を思い起こさせるような賑やかな雰囲気で、次の文句との間のよいアクセントになっている。全体の構成が見事で、ある程度のまとまりがあることや強弱に富んでいることから推して、芝居の下座音楽として作られた唄なのではないかと考えられる。

堅田踊り「淀の川瀬」 佐伯市波越・石打・府坂・竹角(下堅田)、蒲江町屋形島(蒲江) <小唄、本調子>
(段前)
☆淀の川瀬の水車(合) 誰を待つやらくるくると(合)
 水を汲めとの判じ物 汲むは浮世のならいぞや
 ありゃあれ そりゃそれ 柄杓さんをまねく ヨーイ ヨーイ ヨーイヤーナー
☆一字千金二千金 三千世界の宝ぞや 教える人に 習う字の
 中にまじわる菅秀才 武部源蔵夫婦の者が
☆ここを尋ねて来る人は 加古川本蔵行国が 女房戸無瀬の 親子連れ
 道の案内の乗り物を かたえに控えただ親子連れ
☆かたえに直れば女房も 押しては言わぬもつれ髪 鬢の解れを なぜつける
 櫛の胸より主の胸 映してみたや鏡たて
☆映せば映る顔と顔 引けよ鈴虫それぞとは かねて松虫 ひなぎぬも
 手燭携え庭に下り 母様お越し召されたか
メモ:唄も踊りも情緒纏綿たる雰囲気で、堅田踊りの数多い演目の中でも出色のものである。扇子2本で踊り、現存する演目の中では最難関の踊りだろう。この踊りの前には一旦輪を崩しておき、「段前」に合わせて踊りながら坪に繰り込んでいく。そのときは2本とも半開き程度で、数呼間を出ないごく簡単な手振りで踊る。輪が立ち段前が終わったら、扇子を一斉に開く。ここからは2本とも開きっぱなしだがその所作の込み入っていること、覚えるのは容易ではない。ゆったりと扇子を返しながら進んでぐっと重心をさげてきめるところや、急に軽やかな手振りにかわるところの身のこなしの鮮やかなことといったら、さても見事な踊り絵巻に魅了されること請け合いだ。しかも、全員が同じ方向を向いて時計回りに踊っていたはずなのに、いつの間にか二人ずつペアで向かい合わせになるのが何とも面白い。どういうことかというと、「柄杓さんをまねく」のところで、右回りに反転してキメの所作をとる人と、前向きのままキメの所作をとる人とが交互になるのである。そして「ヨーイ、ヨーイ…」で、左右交互に両手を振りながら進むのだが、後ろ向きになっていた人はここで左回りにまわって、また前向きに戻る。ここが全く支障なく、後ろ向き・前向き・後ろ向き・前向き…と交互になるのは、いったいどういうことなのだろうか。「段前」で坪に繰り込む際に自分が奇数番目だったか偶数番目だったかを覚えておくのかもしれないが、それだけでうまくいくものだろうか。つくづく考えるに、或いは個別の輪踊りの体をなしてはいるも実際は「組み踊り」であって、予め2人ずつのペアを作っておいて、そのペアが順々に一列に並んで輪を作っているのかもしれない。はじめて見たらあっと驚く、たいへんよい踊りである。佐伯市内でもあまり知られておらず、記録映像等も今のところ図書館等には置かれていないためなかなか機会がないとは思うが、たくさんの方に紹介されればと思う。
(踊り方)
波越 右回りの輪(扇子2本)
・扇子はそれぞれ半開きで、坪の外で待つ。
(段前)
・右手を上げて内に払いながら、左足・右足・左足と継ぎ足で進む。
・左手を上げて内に払いながら右足、左足と進む。
・両手を右後ろに上げながら右足に踏み戻し、両手を左に流しながら左足に踏み戻し、再度両手を右後ろに上げながら右足に踏み戻してやや輪の内向きにて左足を浮かす。
・両手を横から振り上げて頭上に左右からかざしつつ、左足、右足と前に出て、両手を横から体側に下ろしつつ左足、右足とさがる。
・繰り返し
・右手を上げて内に払いながら、左足・右足・左足と継ぎ足で進む。
・反対動作
◇ここでそのまま冒頭に返る(所作がつながっている)。
これを繰り返して前に進みながら坪に繰り込んでいき、右回りの輪が立ったら◇の箇所にて三味線がチントンシャンで止まるので、両手の扇子を一気に振り開く(ここからはずっと開きっぱなし)。
(三味線)
・右足を輪の内向きに出しておき、右手をアケで、右側で下からゆっくり上げて扇子を手前に倒す。
・左手も右手の位置に揃えたら、両手をアケで体側に下ろして扇子を戻し、両手をすくうように高く振り上げつつ左足を小さく蹴り出して前に踏む。扇子を手前に倒しつつ両手を開き気味に下ろして右足を後ろに踏んで左足に踏み戻す。
・扇子を戻して両手をアケですくうように高く振り上げつつ右足を前に踏んで左足に踏み戻し、扇子を手前に倒しつつ両手を開き気味に下ろして右足を後ろに踏んで膝を曲げ、左足を伸ばす。
・扇子を戻して両手を体側に下ろし右足を左足に引き寄せる。
「淀の」 両手をアケに返す。両手をすくうように高く振り上げつつ左足を小さく蹴り出して前に踏む。両手を手前に返し、左手は肘を曲げて下ろして扇子を下向きにて腹にあて、右手は扇子を倒して右側にアケで下ろす(肘から先は完全に下ろさない)。このとき右足を輪の内向きに出す(加重せず)
「川瀬の」 右手の扇子を戻して、右側で下からゆっくり上げて扇子を手前に倒しつつ右足を右輪の向きに踏みかえる。左手も右手の位置に揃えたら、両手をアケで体側に下ろして扇子を戻し、両手をすくうように高く振り上げつつ左足を小さく蹴り出して前に踏む。扇子を手前に倒しつつ両手を右に下ろして右足を後ろに踏んで膝を曲げ左足を伸ばして輪の内向きになり、扇子を倒したまま両手を伸ばして左に低く流して止める。
「み」 両手を右側に戻して、右から左へ高く、山型に流す。このとき、左足を外八文字を踏むように左向きに踏み出して、右輪の向きに返る。
「ずぐる」 両手を左から右へ、右から左へと山型に流しつつ。右足から2歩進む。
「ま」 右足を輪の内向きに出し、 両手を右に振る。このとき、左手は肘から先だけを右に曲げて扇子を下向きにて腹にあて、右手は伸ばして、アケにてめいっぱい右に流す。
(三味線)
・左手はそのままに、右手を左上に振り上げ扇子で顔を隠しつつ右足を左足の前に踏みこみ、体を少し右に傾けてシナをつける。
・左足を前に抜いて踏み、右手の扇子を倒して右側にアケで下ろしつつ右足を輪の内向きに出す(加重せず)。
「誰を」 右手の扇子を戻して、右側で下からゆっくり上げて扇子を手前に倒しつつ右足を右輪の向きに踏みかえる。左手も右手の位置に揃えたら、両手をアケで体側に下ろして扇子を戻し、両手をすくうように高く振り上げつつ左足を小さく蹴り出して前に踏み、両手をアケで体の前に下ろす
「待つやら」 両手を高く振り上げつつ右足を外八文字を踏むように輪の中向きに踏みかえて膝を曲げ、左足を左に伸ばして出して、扇子を倒して両手を伸ばし左に低く流して止める。
。扇子を手前に倒しつつ両手を右に下ろして右足を後ろに踏んで左足をのばして輪の内向きになり、扇子を倒したまま両手を伸ばして左に流して止める。
「く」 両手を右側に戻して、右から左へ高く、山型に流す。このとき、左足を外八文字を踏むように左向きに踏み出して、右輪の向きに返る。
「る」 左手は肘から先だけを右に振って扇子を下向きにて腹にあて、右手は右に少し振ったらアケで頭の前にかざす。このとき、右足を右向きに踏み出す。
「くる」 手は動かさずに、左足から3歩歩いて右回りに1周する。
「と」 右足を輪の内向きに出し、右手を伸ばして、アケにてめいっぱい右に流す(左手は動かさない)。
(三味線)
・左手はそのままに、右手を左上に振り上げ扇子で顔を隠しつつ右足を左足の前に踏みこみ、体を少し右に傾けてシナをつける。
・左足を前に抜いて踏み、右手の扇子を倒して右側にアケで下ろしつつ右足を輪の内向きに出す(加重せず)。
「水を汲めとの」 右手の扇子を戻して、右側で下からゆっくり上げて扇子を手前に倒しつつ右足を右輪の向きに踏みかえる。左手も右手の位置に揃えたら、両手をアケで体側に下ろして扇子を戻し、両手をすくうように高く振り上げつつ左足を小さく蹴り出して前に踏み、右足を輪の内向きで後ろに踏んで膝を曲げ左足は伸ばし、扇子を手前に倒しつつ両手をアケで右に下ろして、そのまま左に低く流して止める。
「はん」 両手を右側に戻して、右から左へ高く、山型に流す。このとき、左足を外八文字を踏むように左向きに踏み出して、右輪の向きに返る。
「じも」 両手を左から右へ、右から左へと山型に流しつつ。右足から2歩進む。
「の」 同様の所作で、早間で右足から2歩進む。右足を輪の内向きに踏み戻し、左手は肘から先だけを右に振って扇子を下向きにて腹にあて、右手は右上にアケで高く上げながら左足を浮かす。
「汲むは」 両手をアケで体側に下ろして、両手をすくうように高く振り上げつつ左足・右足と早間で出る。扇子を手前に倒しつつ両手を開き気味に下ろして左足・右足とさがり、右膝を曲げて左足を伸ばす。
「浮き世の」 扇子を戻して両手をアケですくうように高く振り上げつつ左足・右足と早間で出る。左足、右足と早間でさがって輪の内向き、右膝を曲げて左膝を伸ばし、扇子を手前に倒しつつ両手をアケで右に下ろして、そのまま左に低く流して止める。
「な」 両手を右側に戻して、右から左へ高く、山型に流す。このとき、左足を外八文字を踏むように左向きに踏み出して、右輪の向きに返る。
「らい」 右足を輪の内向きに出し、 両手を右に振る。このとき、左手は肘から先だけを右に曲げて扇子を下向きにて腹にあて、右手は右側に下ろして扇子を手前に倒す。右手の扇子を戻して、右側で下からゆっくり上げて扇子を手前に倒しつつ右足を右輪の向きに踏みかえ、左手も右手の位置に揃える。
「ぞや」 下記のAとBが交互に、向かい合わせになる(Bの人が右に反転)。
 (A)両手をアケで体側に下ろして扇子を戻し、両手をすくうように高く振り上げつつ左足を小さく蹴り出して前に踏み、右足を後ろに踏んで膝を曲げ左足は伸ばし、扇子を手前に倒しつつ両手をアケで右に下ろして、そのまま左に低く流して止める。
 (B)両手をアケで体側に下ろして扇子を戻し、両手をすくうように高く振り上げつつ左足を蹴り出して右に回り込んで踏み反転、左輪の向きになり右足を後ろに踏んで膝を曲げ左足は伸ばし、扇子を手前に倒しつつ両手をアケで右に下ろして、そのまま左に低く流して止める。
「アリャアレ」 ここでAの人とBの人が同じ向きに戻る(Bの人が右に反転)。
 (A)両手を右側に戻して、左へ、右へ、山型に流す。このとき左足、右足と外八文字を踏む。
 (B)両手を右側に戻して、左へ、右へ、山型に流す。このとき、左足から2歩にて右回りに半周し、右輪の向きに返る。
「ソリャ」 左へ山型に流し、左足を前に踏む。
「ソレ」 右足を輪の内向きに出し、 両手を右に振る。このとき、左手は肘から先だけを右に曲げて扇子を下向きにて腹にあて、右手は右側に下ろして扇子を手前に倒す。右手の扇子を戻して、右側で下からゆっくり上げて扇子を手前に倒しつつ右足を右輪の向きに踏みかえ、左手も右手の位置に揃える。
「柄杓さんをまねく」 両手をアケで体側に下ろして扇子を戻し、両手をすくうように高く振り上げつつ左足を小さく蹴り出して前に踏み、扇子を手前に倒しつつ両手を右に下ろして右足を後ろに踏んで膝を曲げ左足を伸ばして輪の内向きになり、扇子を倒したまま両手を伸ばして左に低く流して止める。
「ヨーイ」 両手を右下から左上へと2回振り上げつつ、左足を出し(加重せず)、左足を小さく外八文字にて右輪の向きに進む。
「ヨーイ」 反対動作。
「ヨーイヤナー」 反対動作。両手をアケで体前に下ろし、高く振り上げつつ右足を外八文字を踏むように輪の中向きに踏みかえて膝を曲げ、左足を左に伸ばして出して、扇子を倒して両手を伸ばし左に低く流して止める。
(三味線)
・両手を右側に戻して、右から左へ高く、山型に流す。このとき、左足を外八文字を踏むように左向きに踏み出して、右輪の向きに返る。
・右足を輪の内向きに出し、 両手を右に振る。このとき、左手は肘から先だけを右に曲げて扇子を下向きにて腹にあて、右手は右側に下ろして扇子を手前に倒す。右手の扇子を戻して、右側で下からゆっくり上げて扇子を手前に倒しつつ右足を右輪の向きに踏みかえ、左手も右手の位置に揃える。
・両手をアケで体側に下ろして扇子を戻し、両手をすくうように高く振り上げつつ左足を小さく蹴り出して前に踏む。扇子を手前に倒しつつ両手を開き気味に下ろして右足を後ろに踏んで左足に踏み戻す。
・扇子を戻して両手をアケですくうように高く振り上げつつ右足を前に踏んで左足に踏み戻し、扇子を手前に倒しつつ両手を開き気味に下ろして右足を後ろに踏んで膝を曲げ、左足を伸ばす。
・扇子を戻して両手を体側に下ろし右足を左足に引き寄せる。
このまま、次の文句にかかる(○印に返る)。あまりに手数が多く覚えるのは容易なことではないが、よく見るといくつかのパターンの組み合わせになっている。その境目は「両手を山型に流す」の所作なので、そこを目安にするといくらか分かり易いだろう。



●●● おいち後家女 ●●●
 この唄は近隣に類似するものが見当たらないばかりか、各種唄本等を繰ってみても全く載っていない。おそらく酒席の戯れ唄の類だろう。首句の文句はある種の悪口唄とでもいえるもので、末尾の「うんと抱えた」を高く引っ張るところからは「お市さん」を小馬鹿にしたような雰囲気も感じられる。他の文句は近世調にて何でもよいが、「恋で身を病みゃ…」とか「様は今来て」「茶摘み頃かや」など、それなりに機微に富んだ文句も見られる。陽旋の簡単な節の中にも、「三年通うたヨ」の箇所で一瞬下に外すなどやはりお座敷風の味付けのされた節である。
 今は西野にしか残っていないが、おそらく大昔は、近隣の集落でも戯れ唄として唄う例があったのではないかと思う。

堅田踊り「お市後家女」 佐伯市西野(下堅田) <77・75一口、二上り、男踊り>
☆お市後家女にナー サー(ヤレサーコレサー) 三年通うたヨ(合)
 通うた ソージャロカイ コラかどめに子ができた おいち後家女
 ヤレコノ うんと抱えた ソレ(合) トコ(合)
☆鮎は瀬に棲む 鳥ゃ木にとまる
 人は 情けの下に住む おいち後家女 うんと抱えた
☆あなた百まで わしゃ久十九まで
 ともに 命のあるかぎり おいち後家女 うんと抱えた
☆様は今来て またいつ来やる
 明けて 四月のお茶摘み 頃かいな うんと抱えた
☆茶摘み頃かや わしゃ待ちきらぬ
 せめて 菜の葉の芽立つ頃 おいち後家女 うんと抱えた
☆様は三夜の 三日月様よ
 宵に ちらりと見たばかり おいち後家女 うんと抱えた
☆恋で身を病みゃ 親達ゃ知らず
 薬 飲めとは親心 おいち後家女 うんと抱えた
☆恋に焦がれて 鳴く蝉よりも
 鳴かぬ 蛍が身を焦がす おいち後家女 うんと抱えた
メモ:「高い山」ほどではないが簡単な所作の連続で、覚えやすい。両手を腰に当てて、ガニ股でオイサオイサと歩いていったり、左手を腰に当てて右手をかざし、ゆっくりと右に一回りする所作がいかにもおどけた感じがしておもしろい。お腹の大きな「お市さん」を揶揄するような所作が目立つ。昔はこの踊りになると、踊り手(当時は男性ばかり)のお腹に詰め物をし、女装をするなどめいめいに「お市さん」に扮しておもしろおかしく踊り、笑いに包まれたものだという。今は「お市さん」以外にもいろいろの仮装が出て、とても賑やか。である。この踊りの一つ前の「花扇」はとても難しいうえに仮装の準備をする人が踊りに加たらないためなんとも寂しい雰囲気だが、一転「お市後家女」になると大変な盛り上がりである。
(踊り方)
右回りの輪
・輪の中を向いて踊り始める。
「お市後家女にナー、サー」 左手で右の袖をとり、右手を右上に振り上げつつ右足を右に踏み、右手首を返して払いつつ左足をトン(加重せず)。それの反対、反対。ただし最後は左足をトンではなく、右足の前に交叉して右に踏み出す。
「ヤレサーコレサー」 両手を振り下ろして上体を大きく前に倒しつつ右足を右向きに踏み出し、両手を左上に振り上げて上体を起こしつつ左足・右足と早間にて右に回り込み、右輪の向きになる。両手を左に流しつつ左足を前に踏む。
「三年通うたヨ」 両手を右に流して右足を後ろに踏むと同時に左足を浮かせる。左手下ろして右手アケで上げ、右手下ろして両手フセで上げ…と両手交互に3回上下で、4回目は両手フセで上げ、両手を横に下ろして腰にあてる。このとき左足から5歩前に進む。
(三味線)
・両手を腰にあてたまま、ガニ股で右足から3歩前に進む。
「通うた、そうじゃろかい、コラ」 左手下ろして右手アケで上げ、右手下ろして両手フセで上げ…と両手交互に3回上下で、4回目は両手フセで上げ、両手を体側に下ろす。このとき左足から3歩前に進み、右足・左足で輪の中向きになり束足。
「かどめに」 左手で右の袖をとり、右手を右上に振り上げつつ右足を右に踏み、右手首を返して払いつつ左足をトン(加重せず)。それの反対。
「子ができた、お市後家女」 左手はかざしたまま、右手を腰にあてて、右足から6歩にて右に回り右輪の向きになる。
「ヤレコノ、うんと抱えた」 上体を大きく前に倒しながら両手を下ろしてかいぐりをしつつ、右足を左足の前に左向きに大きく踏み込み輪の外向きになる。左足を左にトンとつき、両手を腰にあてて左足を右足の右側に右向きに大きく踏み込んで上体を起こしつつ右にターンし輪の内向きになる。両手を腰にあてたまま、ガニ股で右足をチョン、チョンと出す(2回目で加重)。
(三味線)
・両手は腰にあてたまま、ガニ股で左足をチョン、チョンと出す(2回目で加重)。
・ガニ股で右足をチョン、チョンと出す。2回目のときに加重し、すぐ左足を左向きに踏みかえる。
・右輪の向きにて、体の前で1つ手拍子で右足を左足の前に踏みこみ、両手を下ろしつつ左足を輪の内向きに踏みかえる。
このまま冒頭に返る(末尾と冒頭の所作が連続しているのに注意)。



●●● 鍛冶屋の娘 ●●●
 下堅田北部と上堅田に「対馬」として残るのみだが、元は「鍛冶屋の娘」などと呼んだ流行小唄とのこと。しかし、古い唄本を繰ってみても該当する小唄が見当たらず、おそらく短期間の流行だったのだろう。「対馬」の文句を見てみると、2節目以降は77・75の文句を2節にまたがらせている。すなわち「ここの座敷はめでたい座敷/鶴と亀とが舞い遊ぶ」「竹に雀がしなよくとまる/とめてとまらぬ色の道」なのであって、こうなると首句の「われは対馬の鍛冶屋の娘」だけが独立しているのが何とも収まりが悪いし、意味も不明である。これは、おそらく「われは対馬の鍛冶屋の娘/かねの鎖で船つなぐ」等の下句が脱落したものなのだろう。生み字の連続で節を長く引っ張ってこねまわし、たいへん唄いづらい。特に「対馬の」のところは「つーーしーーー、いーーーーー/まーーー、あーーのーー」などと唄うような始末で、もはや一度聴いただけでは意味をつかみにくい。よほどの喉自慢・唄自慢ならばここが腕の見せ所とばかりに大張り切りで唄うかもしれないが、音頭泣かせといってもよいくらいに難しい節である。

堅田踊り「対馬」 佐伯市城村(上堅田)、宇山・汐月・江頭・泥谷(下堅田) <77・75一口、二上り>
☆われは ヤーレー 対馬の アーヤーレーサーテーナ 鍛冶屋の娘
 (ハーンーヤーハー ハリワッター ホイ カエガナイ)
☆ここの 座敷は めでたい座敷
☆鶴と 亀とが 舞い遊ぶ
☆竹に 雀が しなよくとまる
☆とめて とまらぬ 色の道
メモ:宇山や城村の踊り方は、前を向いて流すばかりなので「思案橋」よりは易しいが、同じ手の繰り返しばかりで覚えにくい。しかし、その難しさ・覚えにくさのわりに変わり映えのしない手が延々と続き、「思案橋」や「恋慕」にくらべると幾分、地味な雰囲気がある。泥谷ではまた違う踊り方だったようだが、残念ながら廃絶している。
(踊り方)
堅田北部・城村 右回りの輪
・右から交互に4回流しつつ、右足から4歩裏拍で進む。
・左手で右の袖をとって右手を上げて裏拍で右足に踏み戻す。右手・左手の順にアケですくい上げて両手を軽く握りつつ、左足を裏拍で前に踏み、右足・左足と早間で進む。
・右後ろに巻くように大きく流しながら、右足を裏拍で右後ろに右向きに踏み、左足・右足と早間でさがる。
・左から交互に3回流しつつ、左足から3歩裏拍で進む。
・左手で右の袖をとって右手を上げて裏拍で右足に踏み戻す。右手・左手の順にアケですくい上げて両手を軽く握りつつ、左足を裏拍で前に踏み、右足・左足と早間で進む。
・手は同じことの繰り返しで、足のみ反対で右後ろへ、足のみ反対で左前へ。
・手は同じことの繰り返しで、足のみ反対で右後ろへ。
・手は動かさずに、左足・右足と早間にて踏みかえ右輪の向きに直る。右手・左手の順にアケですくい上げて両手を軽く握りつつ、左足を裏拍で前に踏み、右足・左足と早間で進む。
・手は同じことの繰り返しで、足のみ反対にしつつ右後ろへ、左前へ。
・右後ろに巻くように大きく流しながら、右足を裏拍で右後ろに右向きに踏み、左足・右足と早間でさがる。
・左から交互に3回流しつつ、左足から3歩裏拍で進む。
・左手で右の袖をとって右手を上げて裏拍で右足に踏み戻す。右手・左手の順にアケですくい上げて両手を軽く握りつつ、左足を裏拍で前に踏み、右足・左足と早間で進む。
・手は同じことの繰り返しで、足のみ反対で右後ろへ、足のみ反対で左前へ。
・右後ろに巻くように大きく流しながら、右足を裏拍で右後ろに右向きに踏み、左足・右足と早間でさがる。
・左から交互に3回流しつつ、左足から3歩裏拍で進む。
・左手で右の袖をとって右手を上げて裏拍で右足に踏み戻す。左手から交互に4回、アケで振り上げては手首を返して招きつつ、左足から交互に3回その場にて踏み戻して右足を前に踏み出す。
・両手を左足に振り下ろしつつ左足を前から引き戻して踏み、両袖をとって右足・左足と早間で前に進む。
・両手を右から前に回しながら右足を後ろに踏み、左足を前に出して左手はアケで前に差し伸ばし、右手は右後ろから被いかぶせるようにして手拍子、打ち違えながら2回手拍子で都合3回(右手を見ると、2回目は上から下、3回目は下から上)。
・両手を左足に振り下ろしつつ左足を前から引き戻して踏み、両袖をとって右足・左足と早間で前に進む。
・両手を右に振りつつ右足を前から引き戻して踏み、左足・右足と早間で前に進む。
・両手を低く左から交互に4回振りながら、左足から交互に裏拍で4歩、小さく前に進む。
・袖を離して左から交互に3回流しつつ、左足から3歩裏拍で進む。
・左手で右の袖をとって右手を上げて裏拍で右足に踏み戻す。右手・左手の順にアケですくい上げて両手を軽く握りつつ、左足を裏拍で前に踏み、右足・左足と早間で進み束足、両手を体側に下ろす。
このまま、Aの冒頭に返る。

●この地域の「対馬」「思案橋」「恋慕」「左衛門」の覚え方●
 「対馬」は非常に間延びした音頭なので、文句との対応で踊りを覚えるよりは、上記の通りA~Fのブロックに分けた方が覚えやすい。よく見ると、E以外は全部、「4回(3回)流し→左手で右の袖をとって右手を上げる」までが共通している。この所作の約束として、「踊り始め(A)のみ右から4回流し」で、それ以外は「左からの3回流し」となっている。また、右手を上げた後は「すくって進む」か「4回招き」のいずれかになっており、ABCFが前者、Dが後者である(ABCFは「すくって進む」の回数が異なるだけで本質的には同じ)。いずれも、次の所作に移行するところの境目が「右後ろに巻いて流してさがる」になっている。これを「右・右」とみなせば、「踊り始め以外は左から3回流し」ではあるも「右後ろに巻いて流す」の後半から数えると「右から4回流し」と見ることができる。
 下堅田北部・上堅田の「対馬」「思案橋」「恋慕」「左衛門」は同じ所作の繰り返しが多く初めは覚えづらいが、パターンの組み合わせが違うだけである。なので、いくつかの基本パターンを把握しておれば丸暗記しなくても、案外あっさりと踊りについていける。「思案橋」には全てのパターンが出てくるので難しいが、これさえ踊れるようになれば他の踊りは容易だろう。



●●● 思案橋 ●●●
 この種の唄は大分県・福岡県・佐賀県にかけて広く残っている(おそらく熊本県・長崎県でも唄うところがあっただろう)。それらは、字脚が7・75のものと近世調(77・75)のものとに大別できる。ここに紹介する堅田踊りの「思案橋」は当然前者で、ほかに日若踊り(福岡県)や七山盆踊り(佐賀県)の「思案橋」、久住町で唄われた座興唄「若松様」などがある。また、古い流行小唄に「下関節」という唄がある。この唄は「思案橋トントントン」などと唄い出すが、文句をよく見てみると、7・75調の「思案橋」を基調としたものであることがわかる(それぞれ元唄とおぼしき文句(※印)を添えたので参照されたい)。
  流行小唄「下関節」 ※貞享年間に流行
  ○思案橋トントントン 越えてナ
   お宿にござんす ござんすか ソコセイ ソコセイ
   三里隔てし波の上 色と情を小舟に 乗せて 来るは誰ゆえ そ様ゆえ
   ※「思案橋越えて、来るは誰ゆえそ様ゆえ」
  ○北山バラバラバラ 時雨ナ 笠持て来い 降られ来た ソコセイ ソコセイ
   雨は降るとも濡るるとも ただ恐ろしきかざし風 とかいう間に 晴れてゆく
   ※「北山時雨、曇りなければ晴れてゆく」
  ○浅葱さっとしたは 嫌よナ 望みがござんす ござんする ソコセイ ソコセイ
   小雀 山雀 四十雀 唐松竹の幾千代も 恋に憂き茶の 葉の色に
   ※「浅葱は嫌よ、恋に憂き茶の葉の色に」
 この「下関節」は貞享年間(1684~1688)の流行とのことで、元唄としての7・75調の「思案橋」はそれよりも遡るだろう。これらに対して近世調のものは福岡県のうち遠賀川流域のかなり広範囲に亙って行われているほか、佐賀県の一部、大分県内でも日田・津江、耶馬溪方面に残っている。これらは7・75調のものより時代が下がると思われる。いま日田市殿町の「思案橋」の文句を引けば「思案橋ゅ越えて、来るは誰ゆえ そ様ゆえ」を首句とし、これだけ見れば7・75調だが、2句目以降は近世調となっており各節の連絡もない。また、同市夜明では首句が「行こか戻ろか思案橋越えて、来るは誰ゆえ…」となっており、これは明らかに「行こか戻ろか」を後付して近世調に揃えたと考えられる。ほかに広く唄われている「思案橋から女郎屋が近い、行こか戻ろか思案橋」「思案橋から酒屋が近い、寄ろか戻ろか思案橋」などの文句も一列に「思案橋越えて、行こか戻ろか思案橋」の変形である。また福岡県の一部では近世調の小唄からさらに変化し、77・77調あるいは75・75調の段物口説になっている例もある。しかし、近世調と1節2句の段物口説は親和性が高いため、この種の相互関係はさして珍しいことではない。いずれにせよ字脚の変化に伴い文句の広汎性がいや増している感があるも、逆移入ともいえる事象も見受けられる。堅田踊りの「思案橋」の文句を見ると「紫着せて、どちら姉やら妹やら」は、明らかに「姉と妹に紫着せて、どちら姉やら妹やら」の冒頭を省いただけのもので、おそらく後付の文句だろう。「宮島まわれば」も同様で、「安芸の宮島まわれば七里、浦が七浦七えびす」からと思われる。「この町に二人」の文句も突拍子もない感じがするが、或いはこれも「娘ざかりがこの町に二人…」など元になる文句があったのではあるまいか。ともかくも、足し算の野暮と引き算の粋とやら、紙一重の感がある。
 ところで、堅田踊りの「思案橋」は生み字だらけの上句をこれでもかとばかりにひっぱり、こね回して唄うのが大変難しく、堅田北部・大字長谷に伝わる10種類のうちでは「対馬」「左衛門」と三つ巴である。やや田舎風の印象を受ける節で、一節唄うごとにつく長い長い三味線も同じことの繰り返しが多い。

堅田踊り「思案橋」 佐伯市宇山・汐月・江頭・城山(下堅田)、泥谷(上堅田) <小唄、二上り>
☆思案橋ヤー(マダマダ) 思案ヤー 思案橋越えて(アードッコイ)
 行こか戻ろか思案(ソーレ) 思案橋
☆宮島 宮 宮島まわれば 浦が七里で七恵 七恵比須
☆北山 北 北山しぐれ 曇りなければ晴れて 晴れてゆく
☆この町に この この町に二人 どちら姉やら妹 妹やら
☆紫 むら 紫着せて どちら姉やら妹 妹やら
☆浦島 浦 浦島太郎 開けて悔しい玉手 玉手箱
メモ:この地域に伝わる手踊りの中では最も手数が多く、所作が込み入っており覚えづらい。踊りがなかなか揃わず、輪が小さくなりがちである。首句でいえば「思案橋越えて(アードッコイ)行こか戻ろか思案」の辺りがたいへん難しい。方向転換が忙しく足運びがややこしいし、よく気を付けて踊らないと手を間違えてしまう。思うに、この長い踊りがはじめに返るまでの間にキメの所作がなく、ひたすら流したり招いたりするばかりで全ての手振りがなめらかにつながっているため、余計に覚えにくくなっているのではないかと思う。最後に束足になるまで、動きがとまるところが一時もない。これは同地域の「恋慕」「お夏清十郎」「対馬」にも言えることである(左衛門は一応、半ばにキメがある)。「思案橋」と「対馬」はことさらに手が多く、しかも当てぶりとはいえいずれも生み字を引っ張る節なので音頭と踊りとの対応を把握し辛い。それで、結果的に4回流して4回すくって…など回数で覚えがちである。これは間違いの元になるし、楽しく踊ることから離れてしまいがちになるためよろしくないとは思うが、そうせざるを得ないほど入り組んだ踊りなのでどうしようもない。
(踊り方)
右回りの輪
「思案橋」 右から交互に4回流しつつ、右足から4歩裏拍で進む。
「ヤー」 左手で右の袖をとって右手を上げて裏拍で右足に踏み戻す。右手・左手の順にアケですくい上げて両手を軽く握りつつ、左足を裏拍で前に踏み、右足・左足と早間で進む。
「マダマダ、思案ヤー」 右後ろに巻くように大きく流しながら、右足を裏拍で右後ろに右向きに踏み、左足・右足とさがる。左から交互に3回流しつつ、左足から3歩裏拍で進む。左手で右の袖をとって右手を上げて裏拍で右足に踏み戻す。左手から交互に4回、アケで振り上げては手首を返して招きつつ、左足から交互に3回その場にて踏み戻して右足を輪の外向きに踏み出す。
「思案橋」 両手をフセで体前に引き寄せて軽く握りつつ左足を輪の外向きに踏みかえて、輪の外向きになる。左手で右の袖をとって右手をアケで上げ、軽く握ってフセに返す。このとき裏拍で右足を踏み、左足・右足と早間にて左回りに反転し輪の内向きになる。両手をフセで体前に引き寄せて軽く握りつつ左足を後ろに踏んですぐ右足に踏み戻す。右手で左の袖をとって左手をアケで上げ、軽く握ってフセに返す。このとき裏拍で左足を左に踏み、右足・左足と早間にて左に進む。
「越えて」 右に巻くように大きく流しながら、右足を裏拍で右に踏み、左足・右足と早間で右に進む(末尾にて左手は左腰にあてる)。左手は腰に当てたまま、右手のみ左に巻くように流しながら、足運びは反対に左に進む。右手を右、左と振りつつ、その場で右足・左足と裏拍で踏む。左手を腰から離して、両手を右に巻くように大きく流しながら、右足を裏拍で右に踏み、左足を右足の後ろに踏んですぐ右足に踏み戻して右輪の向きに戻る。
「行こか戻ろか」 左、右と流しつつ左足から裏拍で2歩進んで、両手を左に巻きつつ左足・右足と早間にて左に反転し左輪の向きになる。左に流して左足を裏拍で前に踏み、両手を右に巻きつつ右足・左足と早間にて右に反転し右輪の向きに戻る。右、左と流しつつ、右足から2歩裏拍で進む。左手で右の袖をとって右手を上げて裏拍で右足に踏み戻す。
「思案」 左手から交互に4回、アケで振り上げては手首を返して招きつつ、左足から交互に3回その場にて踏み戻して右足を前に踏み出す。両手を左足に振り下ろしつつ左足を前から引き戻して踏み、両袖をとって右足・左足と早間で前に進む。
「ヤー、ソーレ、思案橋」 両手を低く右から交互に6回振りながら、右足から交互に裏拍で6歩、小さく前に進む。袂をとったまま両手を右下に下ろすと同時にサッと右足を引き戻して踏む。両手を揃えて左後ろに3回振り下ろしながら左足から3歩前に進む。袖を離して右後ろに巻くように大きく流しながら、右足を裏拍で右後ろに右向きに踏み、左足・右足とさがる。
(三味線)
・右から交互に3回流しつつ、右足から3歩裏拍で進む。左手で右の袖をとって右手を上げて裏拍で右足に踏み戻す。右手・左手の順にアケですくい上げて両手を軽く握りつつ、左足を裏拍で前に踏み、右足・左足と早間で進む。右後ろに巻くように大きく流しながら、右足を裏拍で右後ろに右向きに踏み、左足・右足とさがる。
・上記を繰り返す。
・右から交互に3回流しつつ、右足から3歩裏拍で進む。左手で右の袖をとって右手を上げて裏拍で右足に踏み戻す。右手・左手の順にアケですくい上げて両手を軽く握りつつ、左足を裏拍で前に踏み、右足・左足と早間で進み束足になり、両手を横に下ろす。
このまま冒頭に返る。


●●● 恋慕 ●●●
 古い流行小唄に「恋慕ながし」という唄があり、末尾に「恋慕レレツレ」などの囃子のついたものが古い唄本に載っている。おそらくその唄の変化したもので、県内には堅田踊りと津鮎踊り(湯布院町)に、それぞれ「恋慕」の演目で残っている。他県でも唄い踊られたものかと思われるが、今のところ類似するものを見つけていない。
 節は、堅田踊りの「恋慕」の方が、津鮎踊りのそれよりもよりカッチリとまとまっている感じがする。
  盆踊り唄「恋慕」 湯布院町鮎川・津々良
  ○雉の(めんどり つつじが元よ 妻よ恋しとほろろうつ 恋慕)
   ソコ(ソーレワ恋慕 恋慕エー)
  ○名をば(隠して 恋慕の道は 色とまことに離れゆく 恋慕)
   ソコ(ソーレワ恋慕 恋慕エー)
 ここに津鮎踊りの「恋慕」を引いたが、2首とも古い唄本に散見される文句で、なかなかよい。ところが堅田踊りの「恋慕」の文句は、「船は出て行く…」や「咲いた桜に…」など通り一辺の、あちこちで耳にするようなものばかりである。「灘と女島は」にしても、「佐渡と越後は」の文句を地元の地名に置き換えただけであって、さして特筆するようなことはない。これは近世調の流行の弊害ともいえるもので、文句の汎用性の高さから、各地で行われる「一口口説」において通り一辺の文句に終始している例がよく見られる。堅田踊りの「恋慕」も、大昔は下記に示した現行の文句以外にも、いろいろな文句があったのではないかと思われる。

堅田踊り「恋慕」 佐伯市宇山・汐月・江頭(下堅田)、城村(上堅田) <77・75一口、三下り>
☆船は出て行く帆かけて走る 茶屋の娘は出て招く
 サー恋慕(恋慕 恋慕 ヤー恋慕や)
☆咲いた桜になぜ駒つなぐ 駒が勇めば花が散る
☆遠く離れて逢いたいときは 月が鏡になればよい 
☆恋に焦がれて鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が身を焦がす
☆灘と女島は棹差しゃ届く なぜに思いは届かぬか
メモ:陽旋で明るい雰囲気があり、のんびりした印象を受ける。ゆったりとした起伏に富んではいるも、細かい節回しが少なく唄い易い。踊りは、下堅田北部・上堅田に共通の10種のうち「思案橋」「左衛門」「対馬」と同系統のものだが、これらの中では最も易しい部類である。踊り手も多く、当分の間は伝承されるだろう。
(踊り方)
右回りの輪
・左手を腰にあて、輪の中を向いて踊り始める。
「船は出て行く、帆」 右手を左に巻くように流しながら、左足を裏拍で左に踏み、右足・左足と早間で左に進む。反対動作で右へ、左へ、右へ。
「かけて走」 右手・左手の順にアケですくい上げて両手を軽く握りつつ、左足を裏拍で前に踏み、右足・左足と早間で進む。手は同じに、足のみ反対動作で右へ。両手を左上に巻くように流しながら足のみ反対動作で、右輪の向きに進む。
「る、茶屋の娘は出て」 両袖をとって、両手を低く右から交互に10回振りながら、右足から交互に裏拍で6歩にて右回りに1周したらそのまま4歩進む。
「招く、サー」 袂をとったまま両手を右下に下ろすと同時にサッと右足を引き戻して踏む。両手を揃えて左後ろに3回振り下ろしながら左足から3歩前に進む。袖を離して右後ろに巻くように大きく流しながら、右足を裏拍で右後ろに右向きに踏み、左足・右足とさがる。
「サー恋慕、恋慕」 左から交互に3回流しつつ、左足から3歩裏拍で進む。左手で右の袖をとって右手を上げて裏拍で右足に踏み戻す。
「恋慕、ヤー恋慕や」 左手から交互に4回、アケで振り上げては手首を返して招きつつ、左足から交互に3回その場にて踏み戻して右足を前に踏み出す。両手を左足に振り下ろしつつ左足を前から引き戻して踏み、両袖をとって右足・左足と早間で前に進む。右足を蹴って右に反転する。
(三味線)
・左足・右足と早間で進んで左足を蹴り左に反転、右足・左足と早間で進む。
・袖を離して右後ろに巻くように大きく流しながら、右足を裏拍で右後ろに右向きに踏み、左足・右足とさがる。
・左から交互に3回流しつつ、左足から3歩裏拍で進む。左手で右の袖をとって右手を上げて裏拍で右足に踏み戻す。
・左手から交互に4回、アケで振り上げては手首を返して招きつつ、左足から交互に3回その場にて踏み戻して右足を前に踏み出す(末尾にて左手を腰にあてる)。
このまま途切れることなく冒頭に返る(冒頭の1歩目にて輪の中向きになる)。



●●● わが恋 ●●●
 これは端唄の「わが恋(三下り)」と同種のもので、元唄は藤本二三吉、南地力松、明石栄検みき光など多くの歌手のレコードが残っている。地域色のある節としては「鹿児島三下り」が新橋喜代三のレコードで広く知られている。戦前のレコードを聴いてみると唄い手によって節が違うがいずれも陰旋で、三味線の手も軽やかに、いかにも騒ぎ唄風の雰囲気がある。それに比べると、ここに集めた「わが恋」はテンポが遅く、陽旋で、おまけに三味線も本調子になっていて全体的におとなしい印象を受ける。
 なお、踊り唄としては堅田南部に伝承されているのみだが、座興唄としての「わが恋(三下り)」は県内他地域でも大衆されている。

堅田踊り「わが恋」 佐伯市府坂(下堅田) <小唄、本調子>
☆わが恋は(合) 細谷川の 丸木橋(合)
 渡るに怖し渡らねば(合) 可愛いトイチの手が切れる(ソレ)
☆わが恋は 住吉浦の 景色にて
 ただ青々と松ばかり まつはよいもの辛いもの
☆出てみれば 蝶が牡丹で 羽を休め
 猫めは日向で昼寝する 寝ては夢見る心地かな
☆初花が 夫の勝五郎 介抱して
 箱根の山を引く車 さても貞女な操かな
☆美津姫が 主を殺した 天罰に
 報いは親にこの通り 槍の穂先に手をかけて
☆奥山の 紅葉踏み分け 鳴く鹿の
 声聞く度に慕い来る 逢うてどうしょうこうしよう
メモ:府坂では右手に提灯のついた棒、左手には扇子を持って踊る。今は電池で光る提灯を使っており、なんともいえない風情がある。扇子は開きっぱなしで、クルクルと回したりはせずに、ゆったりとした所作ばかりである。簡単な所作ばかりだが、間の取り方が若干難しいところがある。
(踊り方)
A 府坂 右回りの輪(右手に提灯、左手に開いた扇子)
・提灯の棒を右肩に担いだ状態で踊り始める。
「わが恋は」 提灯は動かさずに、左手をアケで下から前にチョン、チョンと2回小さく振り上げる。そのとき、右足を2回出す(2回目で加重)。左手をアケで高く上げて右手前にチョン、チョンと2回振る。そのとき、左足を右足の前に輪の中向きに踏み出し、右足に踏み戻す。
(三味線)
・扇子をアケで左下に下ろしながら左足を前に踏む(右輪の向きに)。
・「わが恋は」の所作の繰り返し
「細谷」 扇子はアケで左下に下ろし、提灯を右肩から外して右に下ろしながら、左足を右足の横に踏み戻す。アケのまま、扇子の上に提灯がくるようにして両者を上げていきながら、右足から2歩右カーブして進み輪の内向きにて、1呼間待つ。
「川の」 扇子と提灯の位置関係はそのままに、半呼間で体前に下ろして右足に踏み戻す。扇子・提灯を上げながら左足から2歩進み左足を後ろにチョン、半呼間待つ。
「丸木」 右足を引き戻して踏み、扇子と提灯の位置関係はそのままに、体前右に流す。
「橋」 提灯を左に回して、棒が頭の上を越すようにして右肩に担ぐ。このとき、扇子も提灯との位置関係を保つように動かしていき、左端にて提灯と離して顔の前を通って右に持ってくる。足は動かさない。
(三味線)
・提灯は動かさずに、扇子を左下にアケで下ろし、右下にフセ、左下にアケ。このとき左足から3歩前に進む(3歩目は輪の中向きに踏む)。
「渡るに怖し」 輪の中を向いて提灯は右肩から外して扇子はアケにて、両者を左右から寄せて上げてゆき(前に来たときは扇子の上に提灯の位置関係)、そのまま丈夫にて左右に分かれて横に下ろす(扇子はアケのまま)。左右それぞれに外向きの輪を描くようにする。足は、手を上げていくときに右足を出して、下ろすときに戻す。
「渡らねば」 手の動きは同じことの繰り返しで、今度は左足を出して戻す。
(三味線)
・提灯の棒の上を越して扇子を右に振り、左足を右足の前に出す。
「可愛いトイチの」 すぐ扇子を戻し、左足を右輪の向きに踏む。扇子はアケで、扇子の上に提灯の位置関係を保ちつつ両者を上げながら、右足を前に踏み伸び上がって待つ(末尾にて位置関係を保ったまま扇子・提灯を体前に下ろす)。
「手が切れる、ソレ」 そのまま扇子と提灯を上げながら、右足の前に左足を輪の内向きに踏み込んで伸び上がって待つ(末尾にて左足に踏み戻す)。
(三味線)
・扇子と提灯の位置関係と高さを保ったまま、左上から交互に4回振りながら、左足から4歩進む。
・右足を引き戻して踏み、扇子と提灯の位置関係はそのままに、体前右に流す。
・提灯を左に回して、棒が頭の上を越すようにして右肩に担ぐ。このとき、扇子も提灯との位置関係を保つように動かしていき、左端にて提灯と離して顔の前を通って右に持ってくる。足は動かさない。
・提灯は動かさずに、扇子を左下にアケで下ろして左足を前に踏む。
このまま冒頭に返る。

堅田踊り「わが恋」 佐伯市竹角・波越(下堅田) <小唄、本調子>
☆わが恋は(合) 住吉浦の(ヤレソレヤレ) 夕景色(合)
 ただ青々と待つばかり(合) 待つは憂いもの辛いもの
☆わが恋は 細谷川の 丸木橋
 渡るに怖き渡らねば 可愛いトイチの手が切れる
☆奥山の 紅葉踏み分け 鳴く鹿の
 声聞く度に慕い来る 逢うてどうしょうこうしょうと
☆初花が 夫の勝五郎 介抱して
 箱根の山を引く車 さても貞女な操かな
メモ:府坂と同系統の節だが、一部異なる部分もある。波越では右手に扇子を持って踊る。同じ所作の繰り返しが多いが、間の取り方が難しい。
(踊り方)
B 波越 右回りの輪(右手に開いた扇子)
「わが恋は」 両手をアケで体側に下ろしつつ、右足を前に踏む。両手をすくうように高く振り上げつつ左足を小さく蹴り出して前に踏む。両手を手前に返し、左手は肘を曲げて下ろして腹にあて、右手は扇子を倒して右側にアケで下ろす(肘から先は完全に下ろさない)。このとき右足を輪の内向きに出す(加重せず)。右手の扇子を戻して、右側で下から上げて扇子を手前に倒しつつ右足を右輪の向きに踏みかえる。左手も右手の位置に揃えたら、両手をアケで体側に下ろして扇子を戻す。
(三味線)
・両手をすくうように振り上げつつ左足を小さく蹴り出して前に踏む。
・両手を左から右へ高く山型に流しつつ、右足で外八文字を踏む。
「紅葉踏み分け」 両手を右から左へ高く山型に流しつつ、左足で外八文字を踏む。右足を輪の内向きに出し、左手は肘から先だけを右に曲げて腹にあて、右手は伸ばしてアケにてめいっぱい右に流す。左手はそのままに、右手を左上に振り上げ扇子で顔を隠しつつ右足、左足と踏み直す。
「ヤレソレヤレ」 手は動かさずに、右足から早間の4歩にて右回りに1周する。
「夕げ」 右足を輪の内向きに出し、右手は伸ばしてアケにてめいっぱい右に流す(左手は動かさない)。
「し」 足はそのままに、右手を前に戻して扇子を手前に倒す。
「き」 左手をアケで前に振り上げつつ右足を後ろに踏み戻す。
(三味線)
・左手を腹に戻し、左足に踏み戻し、右手は扇子を倒したまま右側にアケで下ろす(肘から先は完全に下ろさない)。このとき右足を輪の内向きに出す(加重せず)。右手の扇子を戻して、右側で下から上げて扇子を手前に倒しつつ右足を右輪の向きに踏みかえる。
「ただ青々と待つばかり」 左手も右手の位置に揃えたら、両手をアケで体側に下ろして扇子を戻しつつ右足を前に踏む。両手をすくうように高く振り上げつつ左足を小さく蹴り出して前に踏む。両手を手前に返し、左手は肘を曲げて下ろして腹にあて、右手は扇子を倒して右側にアケで下ろす(肘から先は完全に下ろさない)。このとき右足を輪の内向きに出す(加重せず)。右手の扇子を戻して、右側で下から上げて扇子を手前に倒しつつ右足を右輪の向きに踏みかえる。同様に、両手を振り上げ、右手を右側で上げ、両手を振り上げる。
(三味線)
・両手を左から右へ高く山型に流しつつ、右足で外八文字を踏む。
・両手を右から左へ高く山型に流しつつ、左足で外八文字を踏む。
「待つは憂いもの辛いもの」 右足を輪の内向きに出し、左手は肘から先だけを右に曲げて腹にあて、右手は伸ばしてアケにてめいっぱい右に流し、左に戻して扇子を手前に倒す。扇子を戻して再度アケにてめいっぱい右に流し、左に戻して扇子を倒す(末尾にて右足を引き戻して束足になる)。
(三味線)
・両手を左から右へ高く山型に流しつつ、右足で外八文字を踏む。
・両手を右から左へ高く山型に流しつつ、左足で外八文字を踏む。
・左手は肘を曲げて下ろして腹にあて、右手は扇子を倒して右側にアケで下ろす(肘から先は完全に下ろさない)。このとき右足を輪の内向きに出す(加重せず)。右手の扇子を戻して、右側で下から上げて扇子を手前に倒しつつ右足を右輪の向きに踏みかえる。左手も右手の位置に揃えたら、両手をアケで体側に下ろして扇子を戻す。
・両手をすくうように振り上げつつ左足を小さく蹴り出して前に踏み、扇子を手前に倒しつつ両手を開き気味に下ろして右足を後ろに踏んで左足に踏み戻す。
・扇子を戻して両手をアケですくうように高く振り上げつつ右足を前に踏んで左足に踏み戻し、扇子を手前に倒しつつ両手を開き気味に下ろして右足を後ろに踏んで膝を曲げ、左足を伸ばす。
これで冒頭に返る。



●●● よしよし節 ●●●
 これは古い流行小唄で、今は廃っており端唄・俗曲として唄われることは皆無であるほか昭和初期の吹込みも見当たらないが、広く唄われた時代があった。元唄は各節に連絡がなく、ただ末尾を「ヨーシ、ヨーシ」と結ぶだけであったのが、仮名手本忠臣蔵のさわりを初段目から順々に並べた数え唄形式の文句が非常に流行し、全国に流布したとのこと。『民謡大観』を見ると京都や鹿児島など、方々で盆踊り唄あるいは座興唄として採集されている。
  堅田踊りの演目としては波越に「十二梯子」として残るのみだが、記録に残っていないだけで県内各地で座興唄として唄われていたことだろう。他県のものだと、京都の福知山市で行われた「鶴が岡踊り」が波越の節に近い。
  流行小唄「よしよし節」
  ○鶴岡なる紫宸殿 数多の兜のある中で 
   これが義貞さんの兜じゃと ササ 顔世が目利きでヨーシヨシ
  ○梅と桜の花くらべ 御使者の力弥さんに小浪が惚れて
   顔はほんのり照る紅葉 ササ 奥さん作病でヨーシヨシ
  ○歌の返事に師直が 塩谷さんに怨みが騒動の元よ
   こらえこらえしその余り 松の間の刀傷 ヨーシヨシ
  ○塩治判官高貞が 白木の三方に腹切刀
   力弥 由良之助まだ来ぬか ササ 只今参上でヨーシヨシ
  ○主の恨みの数々を 胸にひそめて由良之助
   家中なだめて解散す ササ これからお城の明け渡し
  ○一人とぼとぼ与市兵衛 オーイと呼びかけ定九郎が
   縞の財布の五十両 ササ 親の仇のヨーシヨシ
  ○十二梯子の二階より 上からお軽さんがのんのべ鏡 
   下じゃ由良之助文を読む ササ 縁の下九太夫がヨーシヨシ
  ○正月二日の初夢は 数多の公家衆が寄り集まりて
   沖を見晴らす天保山 ササ 宝の入船ヨーシヨシ

堅田踊り「十二梯子」 佐伯市波越(下堅田) <小唄、本調子>
☆十二梯子の二階より(ヤレソレヤレ) 上からお軽さんがのんのべ鏡
 下じゃ由良之助文を読む ささ 縁の下 九太夫がな ヨシヨシ
☆塩冶判官高貞が 白木の三方に腹切刀
 力弥 由良之助まだ来ぬか ささ 只今参上でな
☆鶴岡なる紫宸殿に 数多の兜のある中で
 これが高貞さんの兜じゃと ささ 顔世が目利きでな
メモ:陽旋ののんびりとした節で、文句がかっちりと乗っているため音引きが少なく、唄い易い。波越では文句が3~4節程度に限られ、しかも初段目から唄うこともせず「十二梯子の」が首句になっている。右手に畳んだ扇子を持って踊るが、昔は綾棒を持って踊ったようだ。途中で、扇子の両端を両手で挿んで高く上げ、縦に回すように繰る所作がある。ここがたいへん風変りで、他の踊りでは見られない。簡単な所作ばかりで覚えやすく、波越の踊りの中でも最も易しい部類だろう。
(踊り方)
右回りの輪(右手に畳んだ扇子)
・右手の扇子は右肩に乗せ、左手は左肩に乗せておく(※)。
「十二梯子の二階より」 手は動かさずに、左足・右足と左前に進んで右足に踏み戻す。右足・左足と右前に進んで左足に踏み戻す。同様に、左足・右足・左足、右足・左足・右足。3拍子にて進んでいく。
「ヤレソレヤレ」 両手を左右に下ろしてから中に寄せつつ上げて、扇子の柄を拝み手にて縦に持つ。このとき左足から3歩進んで束足。
「上から」 扇子の柄を右手、反対の端を左手で横倒しに持ち、右足を輪の中に出して両手を上げる(左足加重)。
「お軽さんが」 右足を右輪の向きに踏みかえて加重、扇子の持ち方はそのままに両手を下ろして、左足を前に踏んで両手を上げる。
「のんのべ鏡」 右足を輪の中に出して、扇子が縦(柄が上)になるように両手を高く上げ、扇子を見上げる(左足加重のまま)。
「下じゃ由良之助、文を読」 その場に留まり、両手の高さを保ったまま、右手を向こうに、左手を手前にゆっくり動かし始めて、そのまま扇子を縦に1回転させる。
「む、ササ」 扇子の持ち方はそのままに、両手を左下に勢いよく振り下ろしつつ右足を後ろに踏み、両手を上げつつ左足に踏み戻す。
「縁の下九太夫がナ、ヨーシ、ヨーシ」 扇子の持ち方はそのままで横倒しにして、両手を右上・右上、左上・左上と振り上げつつ、右足・左足、右足、左足・右足、左足と継ぎ足にて右回りに1周する。両手を府左上から右上へと谷型に振り上げつつ、右足を左足に引き寄せて束足。
(三味線)
・右手の扇子は右肩に乗せ、左手は左肩に乗せて(※)、右足から交互に4回、外八文字を踏む。
これで冒頭に返る。※印の所作だが、綾棒を首の後ろに左右に渡して、両手で端と端を持っていた名残ではあるまいか。

●●● 大文字かぼちゃ(その1) ●●●
 「大文字かぼちゃ」の唄は、これは数ある堅田踊りの音頭の中でも、特に遊郭の騒ぎ唄の雰囲気が色濃く感じられる曲調である。特に、堅田南部より採集されている「その1」のグループはその傾向が顕著。陰旋で、三味線の合の手も賑やかに、聴いていると大文字屋の賑わいが目に浮かぶ。
 この唄は「大文字かぼちゃ」とか「大文字屋」「かぼちゃ節」などと呼ばれた古い流行小唄で、宝暦初めより江戸および大阪で大流行したという。大文字屋とは、江戸は新吉原京町の大見世。楼主の市兵衛は最初河岸見世からのスタートだったが、遊女の惣菜を安価のかぼちゃばかりにするなどして金をため、京町に「大文字屋」を持つまでになった。それで「かぼちゃ市兵衛」という渾名で呼ばれ、おそらく最初は「ケチなやつ」との含みがあったかと思われるが、本人は、背が低くて丸顔の猿眼、愛嬌のある自分にぴったりの渾名だと気に入って「大文字屋かぼちゃ」と自称した由。そのうち「大文字かぼちゃ」の小唄まで作られ大流行、近隣在郷の子供までもが「ここに京町、大文字屋のかぼちゃとて…」云々と唄い囃し、本人も一緒になって「ここに京町…」云々と唄うような始末であったとか。
 とまれ、江戸や大阪で大流行したというこの唄も残念ながら端唄・俗曲として生き残ることはできず、今ではすっかり忘れ去られている。その忘れ残りが堅田踊りの演目として残っているわけだが、民謡緊急調査ではなんと「亥の子唄」としても同種の節が採集されている。おそらく座興唄としても唄われたことだろう。なお、どの集落でも「市兵衛」ではなく「一郎兵衛」となっているが、これは堅田に入って来たときには既にこうなっていたと思われる。

堅田踊り「大文字屋」 佐伯市府坂・竹角・石打・波越(下堅田) <小唄、二上り>
☆ここは京の町 大文字屋のかぼちゃとて その名は一郎兵衛と申します
 背は(合) 低うても ほんに見る目は猿眼 アラヨイワイナ サーヨイワイナ ソレ
☆ここに春駒 すすふる音に春めけば 狐はスココン今宵とな
 一夜は ほんに ほんにスココンと鳴き明かす
☆頃は三月 雛祭りじゃと村々に 娘は打ち寄り遊びます
 中に 色めく 中に色めく姉娘
☆四月八日は お釈迦の誕生と申します お茶の出花を頭から
 かくりゃ お釈迦は ほんにお釈迦は濡れ仏
○うちの五郎兵衛と 隣の五郎兵衛と よその五郎兵衛とな
 三つ 合わすりゃ ほんに三五の十五郎兵衛
○うちの茶釜と隣の茶釜と よその茶釜と
 三つ 合わすりゃ 三唐が唐金 唐茶釜
メモ:はずまないリズムであっさりと唄うが、その旋律は起伏に富んでいる。三味線はほとんど唄の節をなぞる程度だが、「背は」の後に入る合の手もよいし、各節末尾に入る長い三味線もなかなかよい。全体的に俗っぽい文句ではあるも、曲調からそれなりに洗練された印象を受ける。なお、三つ合わせの文句(○印)では、首句でいうところの「その名は一郎兵衛と申します」の節を飛ばして唄う。堅田南部では府坂で盛んに踊られている。手踊りで、わりと簡単そうに見えるが足と手の出し方が途中で逆になるのが紛らわしく、間違いやすい。しかし、子供も上手に踊っている。
(踊り方)
府坂 右回りの輪
1) 両手を右後ろに低く流しつつ、右足を後ろに引き加重し左足を軽く浮かす。
2~5) 左手下ろして右手アケで上げ、反対、左手下ろして両手フセで上げ、両手を体側に下ろす。このとき左足から前に進んで3歩目で輪の内向きになり、右足を前から引き戻して束足(右足に加重)。
6・7) 左下にて手拍子(右手を打ち下ろす)、もう一度手拍子で右手を右上に打ち上げて手首をクルリと返す(同時に左手で右袖をとる)。このとき、左下の手拍子にて左足を前に踏み、次の手拍子からは右足・左足、右足と継ぎ足で進む(早間にチョチョチョンと)。
8・9) 6・7の繰り返しにて、左回りに回り込んでいき反対向きになる。
10・11) 右手で左の袖をとり、左手を左上に上げて手首をクルリと返す。このとき、左足、右足・左足と早間にて左に回って元の向きになる(チョン、チョチョの拍子で)。
12・13) 左手で右の袖をとり、右手を右上に上げて手首をクルリと返す。このとき、右足、左足と出てすぐ右足に踏み戻す(チョン、チョチョの拍子)
14・15) 反対動作
このまま冒頭に返る。



●●● 大文字かぼちゃ(その2) ●●●
 こちらは陽旋で唄う。そのため、節の骨格は「その1」とそっくりそのまま同じなのに、田舎風の雰囲気が感じられる。軽やかなテンポで、うきうきとした雰囲気の楽しい唄である。とても人気が高く、堅田北部の各集落のほか上堅田でも盛んに踊られている。当該地域の「与勘兵衛」と同じく、各節末尾に唄囃子がつく。これも「その1」にて三味線で弾いているところに文句を乗せただけである。

堅田踊り「一郎兵衛」 佐伯市宇山・汐月・泥谷(下堅田)、長谷(上堅田) <小唄、三下り>
○うちのナー 一郎兵衛と隣の一郎兵衛と よその一郎兵衛とナー
 アラ三つ(コノセ) 合わすりゃ ほんに一・三が三郎兵衛とな
 アラヨイワイナ ヨイワイナ
 「一反畑のぼうぶらが なる道ゃ知らずに這い歩く
○うちの二郎兵衛と隣の二郎兵衛と よその二郎兵衛と
 三つ合わすりゃ ほんに二・三が六郎兵衛とな
 「やっとこやしまのほしかの晩 ほしかの晩なら宵から来い
☆ここはナー 京町大文字屋のカボチャとて その名は一郎兵衛と申します
 背は(コノセ) 低うても ほんに眼は猿眼
 アラヨイワイナ ヨイワイナ
 「一反畑のぼうぶらが なる道ゃ知らずに這い歩く
☆頃は 七月精霊の祭りだと精霊棚 くりたてくりたて飾り立て
 中で 坊主が ほんに衣に玉だすき
 「ごろごろ鳴るのはなんじゃいな 石臼雷猫の喉
☆四月 八日のお釈迦の祭りだと申します 新茶の出花を頭から
 かくりゃ その日の ほんにその日の祈祷になる
 「カラカラいうのは何じゃいな 墓参に嫁ごの日和下駄
メモ:元唄の首句「ここは京町…」云々からの派生である「うちの一郎兵衛と隣の一郎兵衛と…」云々を首句にしている。このような三つ合わせの文句は、昔から「はやことくずし」などと言って「よしこの節」や「ラッパ節」の変調として行われたものである。たとえば「ラッパ節」の「うちの茶釜は唐金唐茶釜、隣の茶釜も唐金唐茶釜、よその茶釜も唐金唐茶釜、三つ合わせて三唐が三唐金の三唐茶釜」などの文句は比較的よく知られている。「うちの一郎兵衛と…」云々もそれと同じ発想だが、「一三が三郎兵衛」とか「二三が六郎兵衛」などと九九の声も入れ込んであるのがおもしろい。三つ合わせの文句(○)の場合は、「ここは京町」の文句でいうところの「その名は一郎兵衛と申します」にあたる節をとばして唄う。踊りは男女別で、1中の輪が男踊り、外の輪が女踊り。6足の佐伯踊り(長音頭と同じ)なのだが、男踊りがたいへん派手で人目を引く。
(踊り方)
略 …長音頭の踊り方「A」を参照してください。



●●● 大文字かぼちゃ(その3) ●●●
 これは西野にのみ伝わっている節で、「その1」「その2」とは違い弾んだリズム(ピョンコ節)で唄う。陰旋だが「その1」とは節の骨格が異なり、より派手な感じの節である。三味線の弾き方も派手で、特に各節末尾の「アーヨイワイナ、サーヨイワイナ」の後に入る長い三味線は、早間に畳みかけるような感じでなかなか調子がよい。

堅田踊り「だいもん」 佐伯市西野(下堅田) <小唄、三下り、男踊り>
☆ここに京の町 大文字屋のかぼちゃとて アラその名は一郎兵衛と申します
 背は(ヤットセイ) 低うても ほんに猿眼 アーヨイワイナ サーヨイワイナ(ソレ)
☆頃は正月 若松様じゃと申します そりゃまたどうして申します
 枝も 栄ゆる ほんに葉もしげる
☆二月初午 すすふる音に春めけば 狐がスココン今宵から
 今夜 一夜が ほんに夜のこく
☆花の三月 雛祭りじゃと申します 姫女が喜ぶ節句ぞな
 今夜 一夜が ほんに夜のこく
☆四月八日は お釈迦の誕生と申します お釈迦の産湯を頭から
 かくりゃ お釈迦も ほんに濡れ仏
☆五月五日は ちまきに兜 飾り立て 子供の喜ぶ節句ぞな
 中で 杓ふる ほんに飴もふる
☆頃は六月 夏祭りじゃと宮々で 氏子がにわかに跳び遊ぶ
 中で 田主さんが ほんに稲を植うる
☆頃は七月 精霊の祭りと棚かけて 坊様たちゃ衣に玉襷
 中で 踊り子 ほんに音頭とる
☆頃は八月 八幡祭りと祝い込み その名はそうだと申します
 背は 高うて ほんに伊達男
☆頃は十月 亥子の餅は石で搗く 搗けども練れんと申します
 練れんはずだよ ほんに石じゃもの
メモ:2節目以降は12月数え唄になっていて、その文句を見ると田植、亥の子餅ほか田舎風の内容が多く含まれている。おそらく元唄にはない文句だろう。全部唄うと冗長になるので途中でやめてしまうことが多く、まだ九月・十一月・十二月を採集できていないばかりか、六月や八月なども聞き書きのため合っているか疑わしいが、一応参考のために聞き覚えた文句を全部載せてみた。西野に残る10種類以上の演目の中では比較的易しい踊りで覚えやすいこともあってか人気が高く、この踊りになるといつも二重三重の輪が立っている。
(踊り方)
西野 右回りの輪
・輪の中を向いた状態から
1) 両手をアケにて振り上げて軽く握り、左足を前に出す(加重せず)。
2) 両手をフセにて左に下ろし、左足を左に踏む。
3・4) 左手で右の袖をとり、右手を右上に振り上げつつ右足を右に踏み、右手首を返して払いつつ左足を左にトン(加重せず)。
5~7) 腰をかがめて手拍子2回にて、左足から早間に3歩で左回りに1回転しながら左に移動する(転ばないように気を付ける)。そのまま左手で右の袖をとり、右手を右上に振り上げつつ右足を踏む。結局、足運びのリズムはチョチョチョン、チョンとなる。
8・9) 3・4の反対動作
10~12) 左手で右の袖をとり、右手を右上に振り上げつつ右足を右に踏み、右手首を返して払いつつ左足を右足に寄せて踏み、両手を右に流して右足を右に踏む(ここで左に向きを変え、右回りの輪の向きになる)。
13~15) 左手下ろして右手アケで上げ、反対、左手下ろして両手フセで上げ、両手を体側に下ろす。このとき左足から3歩輪の向きに進み、4歩目にて輪の内向きにトンで束足(右足に加重)
このまま冒頭に返る。



●●● 高い山(その1) ●●●
 これは全国的に唄われた流行小唄で、ごく単純な節の戯れ唄である。昔は、三味線や端唄の稽古をする際に、ごく初級のものとして「岡崎女郎衆はよい女郎衆」の唄などと並んで広く親しまれていた。今は端唄・俗曲として唄われることは稀になっているも、その土地々々で郷土化し全国各地で俚謡として採集されている。大分県もその例に漏れず座興唄としてはかなり広範囲に亙って行われたが、盆踊りの音頭に転用しているのは堅田踊りのみ。「与勘兵衛」と同様に、堅田踊りの伝わる集落のほとんどに伝承されている。踊り方には集落ごとの差異が大きいが、一連の堅田踊りの中ではごく易しい方である。
 集落によって少しずつ節が違うが、元唄から大きく離れてはいない。ひとまとめにしても差し支えないような気がしたが、一応、大きく2つのグループにわけてみた。まず「その1」のグループはテンポがのろまで、弾まないリズムで唄う。これが最も元唄に近い。

堅田踊り「高い山」 佐伯市長谷(上堅田)、宇山・汐月・江頭・津志河内・小島(下堅田) <77・75一口、二上り>
☆高い山から谷底見ればヨ(ソコソコ)
 瓜や茄子の花盛りヨ アラソーレモ(合) アラも一つ
☆高い山からお寺を見れば お寺寂しや小僧一人
☆あの子よい子だ 牡丹餅顔で 黄粉つけたらなおよかろ
☆あの子見るとて垣で目をついた あの子 目にゃ毒 気にゃ薬
☆好いてはまれば泥田の水も 飲めば甘露の味がする
メモ:元唄の末尾につく「あっちもヨヤどんどんどん、こっちもヨヤどんどんどん」とか「アリャどんどんどん、コリャどんどんどん」などの囃子を省き、そこを三味線に担わせている。それでもずいぶん田舎風の印象を受ける唄である。手踊りで、所作がおとなしい。
(踊り方)
A 堅田北部・長谷 右回りの輪
「高い山から」 音頭の唄い出しから1呼間遅れて踊り始める。両手は体側に下ろしたまま動かさず、左足の前に右足を踏み、左足に踏み戻し、右足を踏みかえる(チョンチョンチョンと踏む)。これの反対、反対で小さく千鳥に進む。
「谷底」 左手アケにて前に上げ、チョンチョンチョンと3回上に招く。その際、左足を前にトン、トンと空踏みし3回目で加重。
「見ればヨ」 右手を左下に下ろし両手を小さくかい繰りしながら右足を左足の前に踏みすぐ左足に踏み戻し、両手をアケで上げながら手首を返し上がりきったところにてフセで軽く握って小さく横に開きながら、右足を後ろに引き加重する。
「ソコソコ」 両手を下ろしながら左足に加重する。
「瓜や茄子」 右手を右下から左上にアケで振り上げて手首を返し、フセで右下に下ろす。その際、左足の前に右足を踏み、左足に踏み戻し、右足を踏みかえる。
「の花」 左手アケにて前に上げ、チョンチョンと2回上に招く。その際、左足を前にトンと空踏みし2回目で加重。
「盛りヨ」 右手を左下に下ろし両手を小さくかい繰りしながら右足を左足の前に踏みすぐ左足に踏み戻し、両手をアケで上げながら手首を返し上がりきったところにてフセで軽く握って小さく横に開きながら、右足を後ろに引き加重する。
「アラソーレモ」~三味線~「アラも一つ」 左から交互に3流し、右に巻いて流す。このとき、左足から裏拍で4歩、左足・右足と早間、都合5呼間にて右回りに1周する。
(三味線)
・左から交互に2回流し、左に巻いて流す。このとき、左足から裏拍で2歩前に進み、左足を裏拍で左、右足・左足と早間で左前に進む。
・反対動作にて右、左と流して前へ、右に巻いて流して右前へ。
・左手は下ろして、右手をアケで振り上げて手首を返しフセで軽く握りつつ左足を前から引き戻して加重。
・反対動作にて右足を前から引き戻し、すぐに左手を下ろしながら左足を右足に引き寄せて束足になる。
このまま冒頭に返る。



●●● 高い山(その2) ●●●
 こちらは「その1」よりもテンポが速く、節回しがあっさりとしている。特に上句の唄い出しのところがずいぶん簡略化されているので「その1」よりもずっと易しく、簡単に唄える。

堅田踊り「牡丹餅顔(高い山)」 佐伯市西野(下堅田) <77・75切口説、三下り、男踊り>
☆ソレー 高い山から谷底見ればヨ(ソコソコ)
 瓜や茄子の花盛りヨ アラソーレワ(合) アラま一つ
☆高い山からお寺を見れば お寺寂しや小僧一人
☆恋で身を病みゃ親達ゃ知らず 薬飲めとは親心
☆ござれ話しましょ小松のかげで 松の葉のよに細やかに
☆あの子ぁよい子じゃ 牡丹餅顔で 黄粉つけたらなおよかろ
☆鮎は瀬に棲む 鳥ゃ木にとまる 人は情けの下に住む
☆あの子見るとて垣で目をついた あの子 目にゃ毒 気にゃ薬
☆好いてはまれば泥田の水も 飲めば甘露の味がする
メモ:「アラま一つ」の箇所が、「その1」では節をつけるのに対して西野では地口になっており賑やかな印象を受ける。西野に伝わる男踊りの中では最も易しく、覚えやすい。子供も上手に踊っているのを見かける。
(踊り方)
西野 右回りの輪
「ソレー 高い山から」 両手を後ろに組みながら左足を輪の向きに前に踏み、手はそのままに、右足、左足と早間で左前に進む。以下、手は組んだまま反対の足運びにて、右足、左足・右足と右前に進む。反対、反対で左前へ、右前へ。都合4回の継ぎ足にて千鳥に前に進んでいき、最後で両手をほどいて体側へ、
「谷底見ればヨ」 左手下ろして右手アケで上げ、右手下ろして両手フセで上げ…と両手交互に4回上下で、5回目は両手フセで上げ、両手を体側に下ろしてすぐ右に小さく跳ね上げる。このとき、左足から5歩でその場で右回りに1周してさらに右に回り輪の内向きになり、右足を踏むと同時に左足を浮かす。 ※この所作のときは片足を踏んだら反対の足を浮かすと同時に、その側の手を振り上げるようにして歩く。以下同様。
「ソコソコ、瓜や茄子の」 左手で右の袖をとりつつ右手を握りアケに返して肘から先を前に出し、反対、反対、反対。この手に合わせて輪の向きに前に進んでいく。左足を前へ、右足・左足と小さく前へ。これを反対、反対、反対で、継ぎ足の連続で進む。
「花盛りヨ」 左手下ろして右手アケで上げ、反対、左手下ろして両手フセで上げ、両手を体側に下ろしてすぐ右に小さく跳ね上げる。このとき左足から3歩前に進み、輪の内向きに右足を踏むと同時に左足を浮かす。
「アラソーレワ」~(三味線) 左手下ろして右手アケで上げ、反対、左手下ろして両手フセで上げ、両手を体側に下ろす。このとき左足から3歩輪の向きに前に進み、4歩目にて輪の内向きで束足(右足に加重)。
「アラま一つ」 左手をアケで前に振り上げ、手首を返して払うと同時に左足を前に小さくトン(右足加重のまま)。
(三味線)
・左手下ろして右手アケで上げ、右手下ろして両手フセで上げ、両手を体側に下ろしてすぐ右に小さく跳ね上げる。このとき、左足から小さく2歩さがって左足を後ろにトン(加重せず)。
・左手下ろして右手アケで上げ、反対、左手下ろして両手フセで上げ、両手を体側に下ろしてすぐ右に小さく跳ね上げる。このとき左足から輪の向きに3歩前に進み、輪の内向きに右足を踏むと同時に左足を浮かす。
このまま冒頭に返る。

堅田踊り「高い山」 佐伯市波越・石打・府坂・竹角(下堅田) < 77・75一口 、二上り>
☆高い山から谷底見ればヨ(合) 瓜や茄子の花盛り
☆高い山からお寺を見れば お寺寂しや小僧一人
☆あの子よい子だ 牡丹餅顔で 黄粉つけたらなおよかろ
☆あの子見るとて垣で目をついた あの子 目にゃ毒 気にゃ薬
☆好いてはまれば泥田の水も 飲めば甘露の味がする
メモ:波越の節は西野とそっくりで、踊り方も西野とやや似たところがある。ただし、こちらの方が手振りが複雑だし、最後にクルリと一回りするところが難しい。波越の踊りの中では簡単な方だが、何とも優雅な感じがしてなかなかよい踊りだと思う。
(踊り方)
波越 右回りの輪
・両手を腰に当てておく
「高い」 待つ。
「山から」 両手は腰に当てたまま、右足・左足、右足と継ぎ足で前に進む(チョチョチョンのリズムにて)。同様に、左足・右足、左足。3回目は右足・左足(最後の右足までいかない)。
「谷底」 両手を右に流し、左に流し(体の正面まで)、アケで肘を立て、下ろす。このとき、右足を前から右に引いて踏み、左足、右足と出て左足引き寄せて束足(左足加重)。
「見ればヨ、瓜や茄子の」 両手を右に流し、右足を前から右に引いて踏む。左手で右の袖をとりつつ右手を握りアケに返して肘から先をやや立てて前に出し、反対、反対、反対。このとき、左足を前へ踏み、右足・左足と小さく前へ。これを反対、反対、反対で、継ぎ足の連続で千鳥に進む。左に流して左足を前から引き戻して踏む。
「花盛り」 手を右に流し、左に流し(体の正面まで)、アケで肘を立て、下ろす。このとき、右足を前から右に引いて踏み、左足、右足と左前に進み左足引き寄せて束足(右足加重)。
(三味線)
・反対動作で右前に進む。
・反対動作で左前に進む。
・両手をアケで上げつつ右足を前から引き戻して後ろに踏み、両手を右に回しながら右足の前に左足をかぶせて回れ右をしながら右手を右腰に、左手を左腰に当て、右足・左足と素早く抜いてさらに回れ右をする(全く途切れずに、なめらかに右回りに1周する)。
・両手は腰に当てたまま、右足、左足と外八文字を踏む。
このまま冒頭に返る。



●●● 高い山(その3) ●●●
 こちらは「その2」に近いが、上句と下句の入りがずいぶん異なる。迷ったが、一応別グループ扱いとした。易しい節で、子供でも唄えるだろう。

堅田踊り「あの子よい子」 佐伯市黒沢(青山) <77・75一口、調弦不明>
☆あの子よい子じゃ牡丹餅顔じゃナ(ソレ)
 黄粉つけたらなおよかろナ イヤソーレワ(合) アラま一つ
☆今朝の寒さに笹山越えて 露で袴の裾濡らす
☆恋し小川の鵜の鳥見なれ 鮎を咥えて背を上る
☆高い山から谷底見れば 瓜や茄子の花盛り
☆あの子見よとて葦で目を突いた あの子目にゃ毒、気にゃ薬
☆高い山から握り飯ょこかいた からす喜ぶわしゃどうしょうかいな
メモ:波越の「高い山」に似通った所作が目立つが、こちらの方がテンポがゆっくりとしているのでまだ無理なく踊れるだろう。しかし西野や宇山などの踊り方にくらべるとずっと難しい。



●●● ご繁昌 ●●●
 陰旋のあっさりとした節で、宴席にて斉唱するのに向いていそうである。文句もおめでたい内容ばかりの寄せ集めであり、おそらく婚礼や新年会その他のお座で唄われた祝儀唄の類が三弦化したものだろう。テンポが軽やかだし三味線も賑やかで、うきうきした雰囲気がとてもよい。

堅田踊り「ご繁昌」 佐伯市西野(下堅田) <小唄、二上り、男踊り>
☆これな座敷はめでたい座敷 鶴と亀とが舞い遊ぶ(ドッコイ)
 これもお家の福となる おお、ご繁昌エー ソレ(合) トコ(合) ソレ
☆これなお庭に茗荷と蕗よ 茗荷めでたや蕗繁盛 これもお家の福となる
☆これなおうちに二又榎木 榎実ならいで金がなる これもお家の福となる
☆飲めや大黒 唄えや恵比寿 中で酌する宇迦の神 これもお家の福となる
☆年の始めに若水むかえ 長い柄杓で宝汲む これもお家の福となる
☆お前や百までわしゃ九十九まで ともに命のある限り ともに命のある限り
☆智慧の海山 唐高麗の 寄せ物細工 からくりの 夜毎走るが智慧くらべ
☆お前や釣竿わしゃ池の鮒 釣り上げられてお座敷の 酒の肴となるわいな
☆これなお庭に井戸掘りすえて 水はもちろん金が湧く これもお家の福となる
メモ:西野の唄い方では首句でいえば「めでたい座敷」の「めで」が地口になっており、そこが何とも力強く、いよいよおめでたさが増す感じがする。手拭踊りで、ずいぶん風変りな所作が目立つ。間合いの取りにくいところがあり、しかも足運びも忙しく、なかなか難しい。しかし西野に伝わる10種類以上の踊りの中では特に人気が高く、ハネ前の踊りということもあるのだろうがお年寄りから子供までよく踊り、2重3重の輪が立っている。あまり優雅な雰囲気ではないが派手だし、珍しさもあって人目を引く踊りである。
(踊り方)
西野 右回りの輪(細く畳んだ手拭)
・手拭の両端をそれぞれの手で持ち横に伸ばして(※手拭は握るのではなく伸ばした指の間で挟むとよい)、輪の中を向いた状態から
「これな座敷は」 腰をやや曲げて両手を低く下ろして左に2回巻いて左に置くように止める。このとき、左足から急いで3歩左に横移動して、左足の前に右足をトンとつく(加重せず)。手拭の落ち方はそのままで、右に低く2回巻いて右に置くように止める。このとき、足運びは反対動作で急いで右に移動する。
「めで」 左足を左に置き、両足肩幅に開いて手拭を横に伸ばしたまま両手をまっすぐ上に上げる。
「たい座敷」 1呼間休んでから、手拭は横に伸ばしたまま両手を右下へ、左下へと∞を描くように交互に6回振るが、最後は左下に大きく振ってすぐ右上に跳ね戻す。そのまま手拭を首にかける。このとき、足は1呼間休んでから右から交互に5歩その場で踏み6歩目の左足はトンとついて加重せず、手拭をかけるときにもう1度左足を踏み直して加重する。
「鶴と亀とが」 腰をやや曲げて両手をフセにて低く下ろして右に2回巻き右に置くように止める。このとき、右足から急いで3歩右に横移動して、右足の前に左足をトンとつく(加重せず)。反対動作で急いで左に移動する。
「舞」 首の両側から垂れた手拭の端を両手でとって頭を越して外しながら、右足を右に下ろして肩幅で立つ(左足に加重のまま)。
「い遊」 手拭は横に伸ばして両手を右下へ、左下へ、右下へと∞を描くように交互に3回振る。このとき、右足から3歩その場で踏む。
「ぶ、ドッコイ」 両手を上げて、手拭は頭の上を越して首にかける。このとき、左足から大きく2歩で体をかがめながら左に回り込み輪の外向きになる。
「これもお家の福とな」 両手を手拭から離して下ろし、両手を振り上げて「おーい」と呼ぶときの格好になる。このとき、左足を右足の前に交叉して大きく踏み込み、右に反転して輪の中を向き右足を右にトン(加重せず)にて、輪の中からやや右向きになる。同様に両手を下ろして右足を左向きに踏みかえては呼びかけの手振りで左足を左にトン(加重せず)にて、輪の中からやや左向きになる。さらに反対動作。
「る」 両手を下ろしつつ左に回り右回りの輪の向きになる(左足に加重)。
「おお」 前にて大きく手拍子で右足を前に踏み込む、
「ご繁昌エー、ソレ」 右足を後ろに引いて加重し反り返りながら左手、右手の順におもむろに腰に当て、空を見上げて威張り、末尾にて姿勢を戻しつつ左足に体重を移す。
(三味線)
・両手を揃えて右上にチョンチョンと小さく流し上げつつ、足は右左、右と急いで歩いて右に回っていく。その反対動作でさらに右に回っていく(その場で1周)。
・両手を右に流して右足を後ろに踏むと同時に左足を浮かせる。左手下ろして右手アケで上げ、右手下ろして両手フセで上げ…と両手交互に4回上下で、5回目は両手フセで上げ、両手を体側に下ろす。左足から5歩前に進み、輪の中向きに左足トンで束足(右足に加重)。
・両手を振り上げて「オーイ」の形にて左足を左向きにトンとつき(加重せず)左を向いて、左足を肩幅の位置に踏みかえて輪の中向きに戻る。ここは1呼間に押し込める。手拭を首にかけたまま左右の垂れをそれぞれの手で持ち、ピッと開いて閉じるのを3回繰り返す。手拭を開くときに右足を右向きにトンとついて(加重せず)右を向き、閉じるときに右足を肩幅に踏んで輪の中を向く。同様に足運びを反対、反対で左向き、輪の中向き、右向き、輪の中向き。
・右手で首の右側に下がっている手拭を左下にシュッと引き下ろして外し、左下に下りてきた反対側の端を左手でとり、両手で手拭を横に伸ばして持つ。このとき足は肩幅に開いて立ったまま、動かさない。
このまま冒頭に返る。

堅田踊り「智慧の海山」 佐伯市波越(下堅田) <小唄、二上り>
☆智慧の海山、唐高麗の(合) 寄せ物細工カラクリの(アラドッコイ)
 智慧と竹田の知恵くらべ アーそうじゃいな(ソレジャワナ ソレジャワナ)
☆お前や百までわしゃ九十九まで ともに白髪の生えるまで ともに白髪の生えるまで
☆恋し小川の鵜の鳥見やれ 鮎をくわえて瀬をのぼる 鮎をくわえて瀬をのぼる
メモ:西野の「ご繁昌」とほとんど同じ節だが、三味線の手がやや節が細かくてより華やかな印象を受ける。また、「ああそうじゃいな」の後の三味線が、西野のよりも少し短い。踊りは「ご繁昌」と同じく手拭を使うが、こちらの方がずっと易しい。
(踊り方)
波越 右回りの輪(細く畳んだ手拭)
・手拭を右肩にひっかけて、右肩前にたれた端を右手で持ち、右足を引いて待つ(右足加重)。
「智慧」 左足に加重する。
「の」 右足を前に踏み出しながら、右手で手拭を引き下ろし反対の端を左手でつかむ。
「うみ」 手拭を横に開いて左上に上げながら左足を前に踏み、両手を閉じて手拭をたるませながら左足を右足に引き寄せて束足(左足加重)。
「やま」 反対動作
「唐高麗の」 手拭を横に開き、両手を揃えて高く上げて左、右、右、左、左、右、左と小さく流す。このとき、左足、右足左足、右足、左足右足、左足、右足、左足と歩いてその場で右回りに1周する。
(三味線) 手拭の持ち方は同じ(左右に開く)で、下ろして右上へ2呼間で上げ、下ろしてから左上へ2呼間で上げる。このとき、右足、左足とゆっくり進む。
「寄せ物ざ」 左足に加重したまま右足を右前に出し、右手を右上に上げていき手拭を右側に立て、末尾にて右足に加重する。
「いく」 両手を下ろして手拭を横に開き左上に上げながら左足を前に踏み、両手を閉じて手拭をたるませながら左足を右足に引き寄せて束足(左足加重)。
「カラ」 そのまま待つ。
「クリ」 両手を下ろして手拭を横に開き右上へ2呼間で上げ、右足を踏み出す。
「の、アラドッコイ」 早間にて、両手を下ろして左上へ、下ろして右上へ。左足・右足と踏みかえる。
「智慧と竹田の」 手拭が頭を越すようにして首にかけながら(首にかかってからも前に垂れた両端を持ったまま)左足・右足と前に出て、手はそのままに左足、右足とさがる。
「知恵」 そのまま待つ。
「くらべ」 手はそのままに、早間にて左足、右足とさがる。
「アーそうじゃいな」 手拭の左端を後ろに外して(右肩にかかるようにする)、すぐに胸前でごく小さく手拍子1回。このとき、早間にて左足、右足と前に出る。そのまま早間にて左足、右足とさがると同時に両手フセで顔の上に跳ね上げて左足を浮かし、左足を下ろして加重。
「ソレジャワナーソレジャワナ」 両手を揃えて右上、右上、左上、左上と小さく流しながら、右足・左足、右足、左足・右足、左足と早間で右回りに半周する。
(三味線)
・そのまま、右、左と流しながら右から2歩でもう半周、都合1周にて元の向きに返る。
・両手を右に振って左手は曲げて胸に、右手は右にアケで伸ばす。その反対で左に振る。それに合わせて、右足、左足と外八文字を踏むように引き戻していく。
・もう一度、両手を右に振って左手は曲げて胸に、右手は右にアケで伸ばして右足を前に出し(加重せず)、右手を戻しながら右肩前の手拭を右手で持ち、右足を後ろに踏む。
※右足を後ろに踏んだらすぐさま、冒頭に返る。

堅田踊り「智慧の海山」 佐伯市谷川(青山) <小唄、調弦不明>
☆智慧の海山、唐高麗よ(合) 引き寄せられつ投げられつ(アラドッコイ)
 唄で(聞き取り困難) おお、ご繁昌エ
☆これな座敷はめでたい座敷 鶴と亀とが舞い遊ぶ これもご家の福となる 
☆そなた釣竿わしゃ池の鮒 釣り上げられてお座敷の 酒の肴になるわいな
☆これのお庭に茗荷と蕗よ 茗荷めでたい蕗繁盛 これもご家の福となる
☆祝いめでたや若松さまよ 枝も栄ゆる葉もしげる これもご家の福となる
メモ:西野や波越よりもずっとテンポがのろまで、いよいよおめでたさが極まる感がある。各節末尾の三味線の手は西野とほぼ同じで、波越とは異なる。手拭いを使う踊りが優美で、たいへんよい。西野とも波越とも違う踊り方だが、どちらかといえば西野のそれに近い(波越とは全く異なる)。足運びや手の振りは違っても、全体の骨格に類似点が多々認められる。西野の踊り方は男踊りで荒っぽい所作だが、谷川のものは西野の振りをより優美におとなしくしたようなものである。



●●● 本調子(その1) ●●●
 この唄は古い流行小唄で、藤本二三吉の吹き込んだ端唄「竹になりたや」と同種である。流行小唄・端唄としては全く廃絶しているも、全国各地で座興唄として採集されている。たとえば山形の「菊と桔梗」もこの仲間で、市丸がレコードに吹き込んだこともあり、この種の唄としてはこれが最もよく知られているだろう。堅田踊りの演目としては節の特徴からいくつかのグループに分けられる。最もオーソドックスなものを「その1」とするが、残念ながら「その1」のグループの演目は廃絶している。

堅田踊り「本調子」 佐伯市泥谷(下堅田)、蒲江町屋形島(蒲江) <小唄、本調子>
△オイヤ桶屋さん門中で 底つきなき輪を締めしゃんせ
 やっぱり本輪がよいわいな
☆ハイヤハー 船は出て行く帆かけて走る(アリャアリャアリャ)
 茶屋の娘が(合) 出て招く ヤー(合) ヤー(合) 招けど船は寄らばこそ
 思い切れとの風が吹く(イヤマダマダ) ソレソレソレ ホンカイナ(ハー)
☆竹になりたや紫竹の竹に もとは尺八 中は笛
 裏はそもじの筆の軸 思い参らせ候かしこ
☆文はやりたし書く手は持たぬ やるぞ白紙 文と読め
 書いたる文さえ読めないわしが まして白紙なんと読む
☆梅も八重咲く桜も八重に なぜに朝顔 一重咲く
 わしは朝日に憎まれて お日の出ぬ間にちらと咲く
☆ここは色街 廓の茶屋よ のれん引き上げ お軽さん
 由良之助さんわしゃここに 風に吹かれているわいな
☆鷺を烏と見たのが無理か 一羽の鳥さえ鶏と
 雪という字も墨で書く あおいの花も赤く咲く
メモ:泥谷では、今は全く踊られていないが、高齢の人の中には今でも踊りを覚えている人がようだ。「思案橋や本調子はほんとによい踊りだったのに、踊らなくなってしまい残念だ」というような内容を話してくれた人がいたのだが、難しい踊りだったらしいので復活させるのはなかなか難しいだろう。

堅田踊り「ほんかいな」 佐伯市波越(下堅田) <小唄、本調子>
☆船は出てゆく帆かけて走る(イヤマダマダマダ)
 茶屋の娘が出て招く ヤー(合) ヤー(合) ソイ
 招けど船の(アーヨイトセー) 寄らばこそ
 思い切れとの風が吹く(イヤマダマダ)
 ソーレソレソレ ほんかいな ヤー(合) ヤー(合) ソイ
メモ:泥谷の「本調子」と同じ唄だが、三味線の手が違う。こちらは「ヤレソレソレほんかいな」の後もチントンシャン、チントンシャンの繰り返しだけですぐ次の文句に入る。高調子の難しい唄で間合いが取りにくい。扇子踊りだった由。残念ながら廃絶している。



●●● 本調子(その2) ●●●
 こちらは「その1」を陰旋にして若干、間を詰めたものである。こちらの方がずっと易しく、覚えやすい。おそらく「その1」の方が元で、そこから新しい節が分かれたのが「その2」なのだろう。流行小唄あるいは端唄のそれとしては同種のものが見当たらないが、おそらく堅田にて「その1」から「その2」が派生したのではなく、同系統の別物として入ってきた可能性が高い。おそらく元唄の流行が短く、とうに廃ってしまっており採集の網にかからなかったものと思われる。
 今では西野に残るのみとなっているが、西野では盛んに踊られており当分の間は残っていくだろう。

堅田踊り「無理かいな」 佐伯市波越(下堅田) <小唄、本調子>
☆江戸に姉さん大阪に妹(合) 母は京都の(合) 島原に
 花じゃなけれども散り散りに 開けて悔しい玉手箱 思うてみさんせ無理かいな
メモ:綾棒を持って踊っていたらしい。残念ながら廃絶している。

堅田踊り「花笠」 佐伯市西野(下堅田) <小唄、本調子、女踊り>
☆菊も八重咲く桜も八重に(合) なぜに朝顔(ヨイトセ) 一重と咲く
 わしは一重に咲きかねて お日の出ぬ間にちらと咲く
 思うてみさんせ無理かいな ソレ
☆鷺を烏と見たのが無理か 一羽の鳥さえ鶏と
 雪という字も墨で書く あおいの花も赤く咲く 思うてみさんせ無理かいな
☆会いた見たさは飛び立つごとく かごの鳥かや ままならぬ
 かごの鳥ではなけれども 親が許さぬかごの鳥 思うてみさんせ無理かいな
☆竹になりたや紫竹の竹に もとは尺八 中は笛
 裏はそもじの筆の軸 思い参らせ候かしこ 思うてみさんせ無理かいな
☆文はやりたし書く手は持たぬ やるぞ白紙 文と読め
 書いたる文さえ読めないわしが まして白紙なんと読む 思うてみさんせ無理かいな
☆江戸にあねさん大阪に妹 母は京都の島原へ
 花じゃなけれど散り散りと 開けて悔しき玉手箱 思うてみさんせ無理かいな
メモ:波越の「無理かいな」と全く同じ唄だが、三味線が違う。全体的には陰旋だが、「菊も八重咲く」の文句でいうと「わしは一重に咲きかねて」のところが一瞬陽旋になるような音程を持っており、その響きがいかにもお座敷唄風である。「ほんかいな」と「無理かいな」は兄弟関係のようなもので、文句を互いに融通できる。その内容をみると「竹になりたや」とか「船は出ていく」などの通り一遍なものはともかく、「鷺を烏と」や「江戸にあねさん」などなかなか機微に富んだ文句もある。各節には連絡がなく、字脚が合えば何でもよい。おそらく昔はもっとたくさんの文句があったのではないかと思う。西野では今なお盛んに踊られている。昔は花笠などを使ったのだろうが、今は扇子2本で踊る。扇子は開きっぱなしで、同じ所作の繰り返しばかりなので覚えやすい。
(踊り方)
波越 右回りの輪(開いた扇子を2つ)
「菊も八重咲く」 右手はアケで扇子を右肩近くに引き上げ、左手はフセで扇子が水平になるように持って左前に低く伸ばしながら、左足を前に出す(加重せず)。もう1度同じ手で、左足を同じ位置に出して加重する。手を逆にして、右足(加重せず)、右足。同様に、左足(加重せず)、左足、右足(加重せず)。
「桜も八重」 左手は左肩近くに引き上げたまま動かさず、右手の扇子の面を立てて右、左、右、左と低く振る。このとき、その場にて右足から交互に4回、前から引き戻して踏む。
「に」 同様に左手は動かさず、右手を右に低く振り右足を踏む(半呼間)。
(三味線)
・右手はアケで扇子を右肩近くに引き上げ、左手はフセで扇子が水平になるように持って左前に低く伸ばしながら、左足を前に出す(加重せず)。もう1度同じ手で、左足を同じ位置に出して加重する(半呼間)。
・手を逆にして、右足(加重せず)、右足(ここは1呼間とる)。
※上記の左、左、右、右でその場で右に半周する。
「なぜに朝顔、ヨイト」 同様に、左、左、右、右でその場で右に半周、都合1周となる。そのまま続けて左、左、右(加重せず)と進む。
「セー、一重と咲く、わ」 両手の扇子の面を立てて、右から交互に6回、両手を低く振る。このとき、右足から交互に6回、前から引き戻して踏みながら小さく進む。
「しは一重に咲き」 両手を右側にアケで開き下ろしながら、右足を右向きに伸ばして出し(加重せず)て右を向き、上体を少し前に倒す。上体を起こしつつ両手を上げていきながら右足を左足に揃えて束に踏む。反対動作にて、左側に開き下ろしては上げる。同様に右側に下ろして上げ、左側に下ろして上げる。
「かねて」 いま、両方の扇子が顔の高さに上がっている。ここから、右の扇子は左に横八の字で半周回して再度アケに返したら谷を描くようにカーブしながら右肩外まで引き上げていく。左の扇子は、右に倒してフセにしたら左に小さく巻いて左下に伏せ伸ばしていく。両手の動きと同時に右足を後ろに引いて加重、右ひざを曲げて上体を後ろに傾けながら右向きから体をひねって腰を入れ、正面向きにて静止で決まる。
「お日の出ぬ間にちらと咲く」 半呼間遅れて、両手を顔の高さに上げながら左足に踏み戻す。先ほどと同様に両手を右側にアケで開き下ろしながら、右足を右向きに伸ばして出し(加重せず)て右を向き、上体を少し前に倒す。上体を起こしつつ両手を上げていきながら右足を左足に揃えて束に踏む。反対動作にて、左側に開き下ろしては上げる。同様に右側に下ろして上げ、左側に下ろして上げる。
「思うてみさんせ無理かい」 両手の扇子の面を立てて、右、右、左、右、左、右と両手を低く振る。このとき、右足、右足、左足、右足、左足、右足と前から引き戻して踏みながら小さく進む。
「な、ソレ」 左の扇子は、左に山型に振ってアケにしたら、そこから左肩近くに引き上げていく。右の扇子は、左に振ってそのまま右下に伏せ伸ばしていく。両手の動きと同時に左足を後ろに引いて加重、左ひざを曲げて上体を少し後ろに傾けながら左向きから体をひねって腰を入れ、正面向きにて静止で決まる。
(三味線)
・右の扇子と左の扇子を体前にて重ね合わせて水平に持ち、ごく小さく右、右と動かしながら右足・左足、右足と早間で前に進む。反対動作でさらに進む。
・扇子を重ねたまま、体前にてごく小さく3回手前に引く。このとき、右足から交互に3回、ごく小さく外八文字を踏む(末尾は半呼間)。
・右手はアケで扇子を右肩近くに引き上げ、左手はフセで扇子が水平になるように持って左前に低く伸ばしながら、左足を前に出す(加重せず)。もう1度同じ手で、左足を同じ位置に出して加重する(半呼間)。
・手を逆にして、右足(加重せず)、右足(ここは1呼間とる)。
このまま冒頭に返る(所作は交互で連続している)。



●●● 本調子(その3) ●●●
 これは「その1」「その2」とはずいぶん毛色が違っており、扱いに迷う。「その2」の節をのばして都節音階にしたらそれなりにこの節に近くなるような気もするので、一応連番としてみた。全体的に重々しい雰囲気の節で、音域が広くなかなか難しい。各節の結びをぐっとせり上げて引き伸ばすところが耳に残る。
 この唄は今では西野に残るのみとなっており、古い唄本など繰ってみても類似のものが見当たらないが、元は上方あたりの流行小唄なのだろう。

堅田踊り「花扇」 佐伯市西野(下堅田) <小唄、本調子、女踊り>
☆三五の月の乱れ髪(合) 兼ねて逢いたさ 見たさをば
 その日の契りカネつけて ソリャ(合) ソリャ(合)
 末はお前に任せる身じゃぞえ
☆熊谷次郎真実は 須磨の浦にて敦盛を
 打ちて無情を悟りしが 末は蓮浄法師となる身じゃぞえ
☆千鳥も今はこの里に いとし可愛いの源太さん
 鎧代わりに三百両 辛や無間の鐘つく身じゃぞえ
☆手樽の山に差し向い 茶碗引き寄せ二つ三つ
 たがやき水の香りぞや 顔に紅葉がちりちりぱっとえ
☆軒端を伝う鶯の いとし恋しに来たものに
 もとの古巣に帰れとは あまりつれなや情けないぞえ
メモ:文句を見てみると「千鳥も今は」「手樽の山に」の文句は元ネタを知らないと意味が通りにくいが、5首全てがよくできている。踊りは西野に伝わる女踊りの中でも難しい方で、輪がとても小さくなってしまう。せいぜい10人か15人程度しか踊っていないことが多い。扇子1本の踊りだが、扇子を2本使う「花笠」よりも難しい。何回も扇子を上げ下げして一回りするところや、後ろに傾くところなど所作がたいへん難しく、特に後者はただ傾くのではなく、体を捻じ曲げるようにしてシナをつけため、何ともいえない雰囲気がある。この所作だけでも見ものだし、扇子を勢いよくパッと開いたかと思えばすぐさま最初の手に返り、静かに両手を上げ下げするところなどもメリハリがあって、とてもよく工夫されている。一応輪踊りの体をなしてはいるが、これを少し工夫して組踊りにでもすれば、正面踊りとしても立派に通用すると思われる。
(踊り方)
西野 右回りの輪(右手に開いた扇子)
「三五の月の」 両手を右側にアケで開き下ろしながら、右足を右向きに伸ばして出して(加重せず)、上体を少し前に倒す。上体を起こしつつ両手を上げていきながら右足を左足に揃えて束に踏む。反対動作にて、左側に開き下ろしては上げる。同様に右側、左側。左手を腰に当て、扇子をアケに返して体前に引き寄せながら、右足を輪の中向きに伸ばして出して(加重せず)、上体を少し前に倒す。
「乱れ髪」 輪の中を向いて左手はそのままに、右足加重にて右手を巻くようにしてフセに返した扇子を前方高くにせり上げてかざしながら左足をトン、すぐさま左足を元の位置に踏み直してアケに返しながら引き戻し体前に寄せる。
(三味線)
・左手はそのまま、右足加重にて再度フセに返した扇子を前方高くにせりあげてかざし、左足をトンできまる。
「兼ね」 両手を体側に下ろし、左足を踏み直して右輪の向きに戻る。
「て逢いたさ」 両手をフセにて高く上げながら左足・右足と早間で進み、そのままアケに返して扇子の角に左手をあてて左に小さく動かしながら左足を前に踏む。扇子を両手で持ったまま右下に下ろしながら右足・左足と早間で進み、再度右下に扇子を下ろして左手を扇子から離して両手をそのままフセに移行しつつ右足を前に踏む。両手を高く上げながら左足・右足と早間で進み、そのままアケに返して扇子の角に左手をあてて左に小さく動かしながら左足を前に踏む。 ※「アケ」「フセ」と書いたが実際は、扇子の面が垂直になっている。
「見たさをば」 両手をフセ(扇子の面は垂直)に返して、右前から左右交互に4回流して右足から4歩進み、輪の中向きに右足を踏み込み左手は腰、扇子を高くせり上げてかざして左足トン、すぐに左足を踏み直す。
「その日の契り」 左手はそのままに、扇子をアケに返して体前に引き寄せながら右足を右前に踏み、 右手を巻くようにしてフセに返した扇子を高く上げてかざしながら左足を右前に踏み、同様に右足を右前、左足を右前、右足を右前。ここまでの5歩で右回りに3/4周し右輪の向きにて、右足が前に来ている。足は動かさずに、右手を巻くようにしてフセに返したら左手を腰から離し、両手をフセにてピッと開き上げる。
「カネつけて、ソリャ」 左手は腰に当て、扇子をアケに返して体前に引き寄せながら左足に加重して、上体を少し前に倒す。右手を巻くようにしてフセに返した扇子を前方高くにせり上げてかざしながら右足を輪の内向きに踏み、すぐさま左足に踏み戻して扇子をアケに返しながら引き戻し体前に寄せる。右足に踏み戻して、再度フセに返した扇子を前方高くにせりあげてかざし、左足をトンできまる。
(三味線)
・両手を下ろす。フセで上げて両手を外に巻いてアケにて体前に寄せる。このとき、左足を右輪の向きに踏み、右足を右後ろにトンでやや右前向きになる。
・再度、両手をフセからの外巻きにてアケで体前に寄せると同時に扇子を親骨1本残して畳む。このとき、右足、左足と右輪の向きに踏み束足になる。
「今はお前に任せる」 両手で袖をとって(右手は扇子を握り返して柄が上になるようにして袖と一緒に握る)、肘から先だけを左・右、右・左と振る。足も左足・右足、右足・左足と小さく進む。同様に、手と足を同じにして左から交互に7歩、小さく進む。
「身じゃそえ」 右足を後ろに引き、左手で右の袂をとりながら右手でぐっと右肩まで引き上げつつ右ひざを曲げて、後ろに傾いてきまる。このとき、上体を後ろに傾けながら右向きから体をひねって腰を入れ、正面向きになるようにすると格好がよい。
(三味線)
・一振りで扇子を開きつつ右足から早間で2歩進む。
・両手を右側にアケで開き下ろしながら、右足を右向きに伸ばして出して(加重せず)、上体を少し前に倒す。上体を起こしつつ両手を上げていきながら右足を左足に揃えて束に踏む。反対動作にて、左側に開き下ろしては上げる。
このまま冒頭に返る。実際には所作が連続している。



●●● 心中づくし ●●●
 このグループの盆踊り唄としては堅田踊りの「しんじゅ」、山路踊りの唄「酒宴づくし」、蒲江の「繁昌づくし」があり、ほかに県内他地域では白熊唄としても伝承されている。堅田踊りも山路踊りも上方由来とのことなので、上方の流行小唄か何かの転用なのだろうが、『音曲全集』シリーズの『俗曲全集』や『民謡大観』、また古い唄本などを繰ってみても、残念ながら同種の唄が見当たらなかった。全く正体不明ではあるが大分県だけで唄われたとは考え難い。他県では早々に衰退し、採集の網にかからなかっただけだろう。
 酒宴の騒ぎ唄にしてはやや大仰な感じがする節で、陽旋の中に一部陰旋化しているところがあったり、ことさらな音引きがあったりと唄うにはなかなか難しい。それでも、文句の内容をみると「しんじゅ」「酒宴づくし」「繁盛づくし」それぞれに「ものはづくし」の形態をとっているばかりか、「酒宴づくし」「繁盛づくし」は数え唄にもなっており、やはり騒ぎ唄の類が変化したものと思われる。

堅田踊り「しんじゅ」 佐伯市西野(下堅田)、蒲江町屋形島(蒲江) <小唄、三下り、女踊り>
☆(ヤレーソレーソレー ヤートーヤレーソレーヤー)
 十三鐘の春姫は(ハーソコラデセーイ) 鹿を殺せしその咎ゆえに
 今は(コラセイ) 十三鐘つく しんじゅ
☆かの源の頼光は 大江山なる鬼神を退治 今は都も収まる しんじゅ
☆かの源の義賢は 源氏白旗こまんに渡し すぐにその場で腹切る しんじゅ
☆大阪椀屋久右衛門 太い身代丸山通い 今は編み笠一つの しんじゅ
メモ:唄い出しの節が意表をついている。例えば「十三鐘つくしんじゅ」の後に三味線の長い合の手を挿んで「ヤレーソレーソレー、ヤートーヤレーソレーヤー」の囃子からの連続で「かの源の」と唄い始めるため、あたかも前の文句の節がまだ続いているかのように錯覚してしまう。主首でいえば「十三鐘の春姫は」のところが高調子で、しかもこれでもかというくらいに節を引っ張るので、ここが非常に唄いづらい。その後もなかなか難しい節が続き、引っ張り引っ張り唄って行ったかと思えば「今は」「十三」「しんじゅ」でそれぞれストンと切れるように止めるところに面白味がある。また、音程にはほんのりと典雅な雰囲気が漂う。踊りは手踊りで、手数が非常に多く80呼間程度にも及ぶ。全体的に間が取りづらく、音頭や三味線が少しでも間違えれば踊りが立ち往生してしまう。あまりに踊りが難しく、10人かそこらの、ごく小さい輪が立つのがやっとである。
(踊り方)
右回りの輪
「ヤレーソレーソレ」 左交互に流しながら、左足から3歩進む。
「エーヤートーヤレーソレー」 両手を右側にアケで開き下ろしながら、右足を右向きに伸ばして出して(加重せず)、上体を少し前に倒す。上体を起こしつつ両手を上げていきながら右足を左足に揃えて束に踏む。反対動作にて、左側に開き下ろしては上げる。
「ヤー、十三鐘の」 両手を右下・右下、左上・左上…と2回ずつを交互に6回出す(最後のみ左に流す)。このとき、右足・左足、右足と継ぎ足で、その反対、反対…と前に進んでいく。
「春姫は、ハソコラデセーイ」 右、左と流して右足から2歩進み、両手を右側にアケで開き下ろしながら、右足を右向きに伸ばして出して(加重せず)、上体を少し前に倒す。上体を起こしつつ両手を上げていきながら右足を左足に揃えて束に踏む。左足を左前に踏みかえて両手を左下に下ろしつつ上体を左にひねり、そのまま両手を右上に上げつつ左足を右向きに踏みかえて加重、右を向いて両手首を右上にて返して右足に加重、両手を静かに下ろしつつ上体を左にひねる。
「鹿を」 両手をアケで左上に上げて手首を返し、左足を右向きに踏みかえて加重し右足も右向きに踏みかえて静かに右下に伏せ流し、右足を元の向きに踏み直す。
「殺せしその咎ゆえに」 右手を右に差し伸ばし、左手をアケで左上に上げたら手首を返して、右手にかぶせるように静かに手拍子。このとき左足を前に踏み、右足を右前向きに出す。この反対、反対。両手を揃えて左、右と振り、左足・右足と外八文字を踏む(末尾にて右の袖を左手で取り輪の中向きに右手をアケで下ろす)。右の袖を左手でとったまま、輪の中向きに右足を踏み込んで、右手をアケ上げて手首を返してかざし、左足トンできまる。
「今は、コラセイ」 両手を振り上げて左足を左に出し、両手を左下に下ろしつつ右足を左足の前に交叉して上体を左にひねったらすぐ左足を抜いて左に出し、そのまま両手を右上に上げつつ左足を右向きに踏み、右を向いて両手首を右上にて返して右足に加重、両手を静かに下ろしつつ上体を左にひねる。
「十三」 両手をアケで左上に上げて手首を返し、左足を右向きに踏みかえて加重し右足も右向きに踏みかえて静かに右下に伏せ流し、右足を元の向きに踏み直す。
「鐘つくしんじゅ」 両手をアケで左上に上げて手首を返し、左足を右向きに踏みかえて加重し右足も右向きに踏みかえて静かに右下に伏せ流し、体を後ろに傾け上体を右にめいっぱいひねって後ろを見返り、正面向きに直る。
(三味線)
・胸前にて両手首を手前に軽く握りながら返して、アケで親指以外を伸ばすと同時に右足後退。手は同じで、左足後退。
・手拍子、右手を右腿におろし、左手を左腿におろす。
・両手を右上に振り上げながら右足の前に左足を踏み、両手を左下に下ろしながら左足の前に右足を踏む。
・アケで、左手、右手、両手の順に振り上げながら左足から交互にその場で蹴り出し、右に流して右足を前に踏む。
これで冒頭に返る。所作は連続しており、末尾から見ると、右から交互に都合4回流すことになる。

盆踊り唄「繁昌づくし」 蒲江町波当津浦(名護屋) <小唄>
☆さて正月は大黒の ハーソコラデセー 根松ゆずれし裏白飾る
 手まりオイナ 破魔弓オイナ 羽根突く繁昌
 ハーシテコイナー マッカショエ ヤトセ ハレバリヤン
☆二月小なる初子の日 子の日遊びといずこの人が 茶屋や酒屋や出店の繁昌
☆さて三月は大名衆の 日にも間もないお江戸の勤め 彼方此方や出代わり繁昌
☆四月小なる朔日に 戌の吉日麦刈り初めて 刈るも豊かや釜戸の繁昌
☆五月めでたや辰の日に 稲を刈る日に田を植え初めて 田植音頭でちょうとめ繁昌
☆さて六月はお祇園の 祇園祭りは中旬の頃 氏子賑わし芝居繁昌
☆さて七月は盂蘭盆の 先祖供養は精霊で送る 浴衣 折笠 踊り子の繁昌
☆さて八月はお彼岸の 羽織袴や麻裃で 彼岸参りはお寺の繁昌
☆九月めでたの百姓衆の 稲の実りの終いであれば 倉に詰めおく俵の繁昌
☆さて十月は初亥の日 亥の子祝いといずこの人が 餅を搗き搗きお祝い繁昌
☆さて霜月は大切な 神に神楽は太夫衆の手芸 秋が勇めば氏子の繁昌
☆師走めでたや大晦日に 飾るつるの葉お鏡餅に 揃うた笑顔は御家内繁昌
メモ:十二月数え唄になっていて、とてもおめでたい文句である。おそらく、かつては寄合や門付の祝儀唄としても唄われたのだろう。



●●● 初春 ●●●
 この唄は「智慧の海山」と同系統のような気もするのだが、節がずいぶん違うので一応別項立てとした。

堅田踊り「初春」 佐伯市黒沢(青山) <小唄>
☆明けて初春 初夢に(ヨーイ) 恋という字を帆にあげて お客を(ヨイセ)
 乗せます宝船 ハーヤレ イヤソレ ソレソレ ヨーイヤナー
☆もはや紋日の 如月の 客を待つ夜のその長さ 道理じゃ 今年は午の年
メモ:民謡緊急調査では2節しか採集されていないも、元は十二月数え唄になっていたのだろう。文句を見ると同じ十二月数え唄でも、「繁盛づくし」とは違って遊郭の雰囲気が色濃い。

●●● 祭文(その1) ●●●
 「祭文」は名実ともに大分県を代表する盆踊り唄だが、南海部地方においては添え物的な扱いである。字脚が75調になっており汎用性に乏しいことも遠因だろう。特に、ここに集めた「その1」のグループは、段物を口説く際、77調の中に75調が混じる箇所で地の音頭の入れ節として唄うことが多く、単独で「祭文」の節ばかりを繰り返していくことは少ない。例外としては、和讃であったり「おすみ」等といった75調の段物を口説く場合のみ、これを単独で長く唄うことがある。いずれにせよ踊り自体は地の音頭からの連続であって、この音頭固有の踊りがあるわけではない。
 一般に知られている「鶴崎踊り」のそれとは全く節が違うので、知らない人が聞いたら「祭文」だとわからないかもしれない。しかし節を分析してみると、所謂「臼杵踊り」の「祭文」をずっとのろまにして、節をこねまわしたものだとわかる。つまり海部地方の沿岸部に伝わる「祭文」の系譜をなすものであって、臼杵から津久見、上浦…と伝わっていったと推測できる。

盆踊り唄「祭文」 上浦町浪太(東上浦) <75・75段物>
☆アーこんなエー アーことが あろうとエー(ソレーソレ)
 アー正月二日の 初夢に(ヤーレ ヨーヤセー ヨーヤセー)

盆踊り唄「祭文」 上浦町浅海井(東上浦) <和讃>
☆アー一つやエー 二つ アー三つや四つ(アーヨイヤー)
 アー十にもならぬ幼子が(ヤーレ ヨーヤセー ヨーヤセー)
☆賽の 河原に 集まりて ただ父恋し母恋し

盆踊り唄「祭文」 佐伯市大入島(大入島) <和讃>
☆ソレー 南無阿弥エー陀仏 アラ阿弥陀仏ヨ
 南無阿弥陀仏 阿弥陀仏(ソレ ヨーヤセー ヨーヤセー)

盆踊り唄「野辺和讃」 蒲江町畑野浦(上入津) <和讃>
☆ソレ 一つや二つや三つや四つ
 十にも足らぬ幼子が(エーイエーイ エーイヤナー)
メモ:音頭の節は上浦とほぼ同じだが囃子は異なり、木立の節(その2のグループ)の囃子と共通である。

盆踊り唄「流し音頭」 蒲江町楠本浦(上入津) <和讃>
☆一つや二つや三つや四つ(ヨイヨイ)
 十より下の幼子が(ヨーイヨーイ ヨーイヤナ)
☆ひとたびシャバに生まれきて 綾や錦を着飾りて



●●● 祭文(その2) ●●●
 こちらは木立・畑野浦周辺に限られ、局地的な流行のようだ。「その1」よりも早間で、1節3句になっており節回しが変化に富んでいる。これの中句を抜けば「その1」にかなり近くなる。結局は「佐伯節」と「海部節」の関係性と同じことであって、「その1」も「その2」も広義で捉えれば同じものだと言えるだろう。

盆踊り唄「祭文」 佐伯市木立(木立)、蒲江町屋形島(蒲江) <75・75・75段物>
☆サドー 東西ヨー 南北おだやかに(ヨイヨイ) しずもりヨー 給えば
 尋常にヨー 所は都の大阪の(ヨーイヨーイ ヨーイヤナー)
☆京屋の娘におすみとて 年は三六十八で いま振袖の丸額
メモ:木立の盆口説は、「おすみ口説」など75調の繰り返しの段物の場合には「祭文」の節ばかりを繰り返して唄い、「お為半蔵」など77調に75調がときどき入る段物の場合には「長音頭」を地の音頭にして、「祭文」を入れ節にして唄う。今は「長音頭」は唄わず、「祭文」の繰り返しばかり。踊りは「長音頭」と同じく手踊り、「一つ拍子(扇子)」、「三つ拍子(扇子)」で、この音頭に固有の踊りがあるわけではない。

盆踊り唄「祭文」 蒲江町畑野浦・楠本浦(上入津) <75・75・75段物>
☆一つや二つや三つや四つ(ヨイヨイ) 十より下の幼子が
 一度娑婆に生まれ来て(ヨーイヨーイ ヨーイヤナー)
メモ:木立と畑野浦を隔てる入津峠は、新道が拓ける前は今のトンネルのはるか上にある旧トンネルを通っていた。その道はとても険しく、バスで片道1時間もかかったと聞く。それでも畑野浦は陸路で佐伯から蒲江に入る際の玄関口であり、木立との交流も盛んであったと思われる。それで、木立で行われている1節3句の「祭文」が畑野浦にも入ってきたのだろう。



●●● 祭文(その3) ●●●
 これは堅田踊りの「さえもん」で、県内に数ある「祭文」のバリエーションのどれにも類似せず、あまりに節が違う。或いは全く無関係かとも考えたが、唄囃子の末尾につく「ソレエーソレエー」がおそらく「祭文」の名残ではないかと思い、一応同系統として見ることにした。
 一連の堅田踊りの唄の中ではずいぶん田舎風の感じがするが、その実、とても難しい唄である。音引きばかりで生み字を多用し、しかも文節に関係のないところに「アラドッコイセ」の囃子が割って入るうえに字脚が一定でないので、その間合いを間違いやすい。特に難しいのは下句の箇所で、これでもかというくらいに引っ張り、こね回して唄う。この唄は三味線の引き方が音頭の節をなぞるような感じなのでまだどうにか拍子をとれるが、三味線が入らなければ正しい間合いで唄うのは困難を極めるだろう。しかも節の一つひとつに踊りの所作が割り当てられており、音頭がただの一節、また三味線がただの一撥間違えばたちまち踊りが立ち往生するような始末なので、節の巧拙はまだしも長短(間合い)だけは絶対に間違えられない。音頭・三味線が息を揃えて演奏するには、よほどの練習が必要と思われる。

堅田踊り「佐衛門」 佐伯市宇山・汐月・江頭(下堅田)、上城(上堅田) <小唄、二上り>
☆笛(アラドッコイセ) の音による(マダセー) 秋の鹿
 妻(アラドッコイセ) ゆえ身をば焦がすなり
 「ハーそこ言うちゃさえもんな たまりゃせぬ ソレエー ソレエー モットモ
☆小石 小川の 鵜の鳥見やれ 鮎 をくわえて瀬を登る
 「そこ言うちゃさえもんな たまりゃせぬ
☆恋 しゅござるなら 訪ねて来てみよ 信太 の森に住むではないか
 「そこ言うちゃさえもんな たまりゃせぬ
メモ:踊り方が難しく、宇山や江頭では省略することが多くなっている。
(踊り方)
右回りの輪
・右、左と流しつつ、右足、左足と裏拍で踏んで輪の内向きになる。
・両手をフセで体前に引き寄せて軽く握りながら、右足を後ろに引いて踏む。
A<ここから>
1) 右手で左の袂をとって左手を左上に上げつつ左足を裏拍で左、左手を軽く握りながら右足・左足で左に進む。
・両手をフセで体前に引き寄せ軽くにぎりながら、右足を後ろに引いて踏み、すぐ左足に踏み戻す。
1) 左手で右の袂をとって右手を右上に上げつつ裏拍で右足を右、右手を軽く握りながら左足・右足で右に進む。
2~6) 反対、反対…で左右交互に行き来する。
・右に巻くように流しながら右足を裏拍で右、左足・右足で右に進む。
・左に流しながら左足を後ろに引いてさがりつつ左に回って右回りの輪の向きになり、足はそのままで大きく右に流してきまる。
1~4) 左、右、左と流しつつ左足から裏拍で3歩前に進み、左手で右の袖をとり右手フセで引き上げつつ裏拍で右足に踏み戻す。
1~4) 左手をアケで振り上げて手首を返し、下ろしつつ裏拍で左足を踏む。以下交互に右、左、右。最後の右のときは前に踏む。
・両手を左下に振り下ろして両袖をとり、裏拍で左足を前から引き戻して踏み、早間で右足から2歩進む。
1~8) 両手を低く右から交互に振りながら、右足から交互に裏拍で8歩、小さく前に進む。
・袂をとったまま両手を右下に下ろすと同時にサッと右足を引き戻して踏む。両手を揃えて左後ろに3回振り下ろしながら左足から3歩前に進む。
B<ここまで>
・両手を右に巻いて流しながら右足を裏拍で右後ろ、左足・右足で輪の内向きになりつつ右に進む。
・両手をフセで体前引き寄せ軽くにぎりながら、右足を後ろ引いて踏み、すぐ左足に踏み戻す。
・A~Bを繰り返す。
これで最初に返る。結局1節の間に「A~B」を2回踊ることになる。

堅田踊り「祭文」 佐伯市下城(上堅田) <77・75小唄、二上り>
☆笛(アラドッコイセ) の音による(マダセー) 秋の鹿
 妻(アラドッコイセ) ゆえ身をば焦がすなり
 「ハーそこ言うちゃたまらぬ そこ残せ ソレエー ソレエー モットモ
☆鮎は 瀬に住む 鳥ゃ木にとまる 人 は情けの下に住む
 「そこ言うちゃたまらぬ そこ残せ
☆恋 しゅござらば 訪ねて来てみよ 信太 の森に森に住むではないかいな
 「そこ言うちゃたまらぬ そこ残せ



●●● 和讃 ●●●
 供養踊りの開始にあたって、またはハネ前に行われるもので、狭義の「盆踊り唄」には該当しないがここに紹介する。和讃の2句ごとに「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀」を挿む、音引きの多い難しい節である。この形態の採集例は少ないが、「祭文」の節で和讃を口説く例は方々で見られる。それは「祭文」の項で紹介している。

盆踊り唄「余念仏」 上浦町浅海井(東上浦) <和讃>
☆南無阿弥陀仏(南無阿弥陀仏 南無阿弥陀)
 これはこの世の(ことならず 死出の山路の裾野なる)
☆南無阿弥陀仏(南無阿弥陀仏 南無阿弥陀)
 賽の河原の(物語 聞くにつけても哀れなり)
メモ:供養踊りの開始にあたって唱える。踊りは伴わない。

盆踊り唄「地蔵和讃」 鶴見町羽出浦(東中浦) <和讃>
☆南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀
 帰命頂礼地蔵和讃 一つや二つや三つや四つ
☆南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀
 七つに足らぬ幼子が 一度娑婆に生まれ来て
☆南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀
 錦や綾を着飾りて 死して冥土に行くときは
メモ:供養踊りの最終に全員で唱え、踊りは伴わない。リンや鉦ではなく、わりと早間の太鼓に合わせて唱える。音引きの多い難しい節で、最後まで唱えるのに30分近くかかる。

盆踊り唄「念仏踊り」 本匠村山部(因尾) <和讃>
☆そもそも都の傍らに ルイシと申せし女人あり
 南無阿弥陀 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀
☆死するという字があらばこそ 呼べば我が家に在りしたが
 南無阿弥陀 南無阿弥陀仏 南無阿弥陀
メモ:「道掛け」の際に唱えていたが。廃絶している。「道掛け」の詳細は「地域別の特徴・伝承状況」を参照してください。



●●● サンサ節(その1) ●●●
 この唄は北海部・南海部・大野・直入地方に広く伝わっており、盆踊りの最終に「切音頭」として唄われることが多い。瀬戸内海沿岸に伝わる節で、「きそん」とか「サンサ節」として盆口説はもとより、作業唄としても唄われていた。いずれも近世調の文句で節回しの骨格は同じだが、詩形から数種類に分類してみた。
 まず「その1」は唄い出しで上句がひっくり返り、その半ばに唄囃子を挿む詩形のものである。これはずいぶん風変わりな印象を受けるが、県内に伝わる「サンサ節」の中では最も一般的である。

盆踊り唄「切音頭」 佐伯市臼坪(佐伯) <77・75一口>
☆ヤレー宮島はナー ウーンヨエーンエー エーイソレ宮島はナ(ヨイヨイ)
 安芸のエンエー(ヨーイヨーイサーンサ)
 「アーモさんさも今晩どなたも大きなご苦労じゃとな
 アー廻れば七里ナ ハ浦が ハ七浦 アー七えべす ハレバヨー
 (ヨーイヨーイサーンサ)
★ヤレー三度笠ナー ウーンヨエーンエー エーイソレ三度笠ナ(ヨイヨイ)
 様のエンエー(ヨーイヨーイサーンサ)
 様の三度笠 エーイコーノサーンサ(ヨーイヨーイサーンサ)
 「アーモさんさも今晩どなたも大きなご苦労じゃとな
 アー後から見ればナ ハしなよう ハござる アー笠の内 ハレバヨー
 (ヨーイヨーイサーンサ)
メモ:☆印の節と★印の節は基本的に同じだが、★の方が返しが一つ多い。

盆踊り唄「切音頭」 上浦町津井(東上浦) <77・75一口>
☆ヤレー切りましょうぞいエーイエー アーヤレここで切りましょうぞな(エイエー)
 ここでヨー(アラエーイエーイ ヨーヤーナー)
 ここでちゃんと切りましょ エンヤコーノサーンサ(アラエーイエーイサーンサ)
 「ヤレ太鼓も踊りも みんなよく揃うたぞナ
 お月を見やれな(ヤーレ お月ゃ山端でわしゃここに ヤーレコラセー)
☆宮島のエーイエー アーヤレ宮島はナー(エイエー)
 安芸の宮島はエー(アラエーイエーイ ヨーヤーナー)
 安芸の宮島はサマ エンヤコーノサーンサ(アラエーイエーイサーンサ)
 「ヤレ女子の木登り 危ないものぞえ
 まわりが七里ぞな(ヤーレ 浦が七浦 七恵比寿 ヤーレコラセー)
メモ:盆踊りのハネ前に地の音頭からこの唄に移行するが、踊り方はもとの踊りのまま続ける。

盆踊り唄「切音頭」 上浦町浅海井(東上浦) <77・75一口>
☆ヤレー五万石ヒンエーイエー ヤーレ五万石ナ(エイエー)
 臼杵ゃヨーナー(アラエーイエーイ ヨーヤーセー)
 アー臼杵五万石じゃな エーンヤコーノサーンサ(アラエーイエーイサーンサ)
 「ヤレ女子の木登りゃ危ないものだよナ
 ヤレ大豆にゃ切れて(ヤーレ 狭い臼杵に 豆詮議ヤーレコラセー)
メモ:盆踊りのハネ前に地の音頭からこの唄に移行するが、踊り方はもとの踊りのまま続ける。

盆踊り唄「切音頭」 蒲江町西野浦(下入津) <77・75一口>
☆走る船エーイエーイエーホー(ソレソレ)
 走る船ナー 沖ンオー(ソコジャ) ヨイヨイヨイヤセー
 走る船 エーイヤコーノサーンサー(エーンエーンサーンサ)
 「サンサのまことにナ
 ありゃどこの船 ソーリャ あれは紀州浦のみかん船 ヤレコリャセー

盆踊り唄「切音頭」 蒲江町深島・蒲江浦(蒲江) <77・75一口>
☆ヤレ五万石ヨーナ ヤレ五万石ナー
 臼杵ゃエー ソリャエイエイサンサ
 アー五万石 エイヤコノサンサ(エイエイサンサ)
 「ヨーサマまことにナ
 臼杵の城は ソリャ根から生えたか浮き城か ハレバエー
メモ:盆踊りの中入れ前・ハネ前に地の音頭からこの唄に移行するが、踊り方はもとの踊りのまま続ける。

盆踊り唄「切音頭」 蒲江町猪串浦・小蒲江(蒲江) <77・75一口>
☆ヤレー切りましょうかヨーエ 切りましょうかナーンウーン
 ここでヨーエ(ハラエーイエーイサーンサ)
 ここで切りましょうか エーイヤコーノサーンサ(ソラエーイエーイサーンサ)
 「ヤレ さんさマその声よう揃うたろな
 ア向かいで切ろうかソーレ ア向かい回れば 三里のまわり(ハーレバエー)
☆五万石 五万石 臼杵 臼杵五万石
 「さんさその声よう揃うたろな
 臼杵の城は 地から生えたか浮き城か
☆暗いのに 暗いのに 沖の 沖の暗いのに
 「さんさその声よう揃うたろな
 白帆が見える あれは紀州浦のみかん船
☆宮島は 宮島は 安芸の 安芸の宮島は
 「さんさその声よう揃うたろな
 まわれば七里 浦が七浦 七えびす
メモ:節を長く引っ張っており、難しい。

盆踊り唄「切音頭」 鶴見町羽出浦(東中浦) <77・75一口>
☆イエー切りましょか エイコノサンサ
 「サンサを揃えて本調子 アリャエイコノサンサ ヨーサンサ
 しっかり切りょ 若の松様がナー 枝も栄えて葉もしげる ヤレコノエー



●●● サンサ節(その2) ●●●
 唄い出しで上句がひっくり返り、下句の半ばに唄囃子を挿む。

盆踊り唄「切音頭」 鶴見町沖松浦(西中浦) <77・75一口>
☆エーイエーイエーイヤナ エイエーイ宮島ナ(ジャロージャロ)
 安芸のエー(エーイエーイエーイヤナ) 宮島まわれば七里ナ(ジャロージャロ)
 浦がエー(エーイエーイエーイヤナ) 七浦 ヤレコノサーンサ
 「サンサが揃うてその調子エーナ
 七えびす ヤレコノセー
メモ:上浦のものよりもテンポが速く、あっさりとした節で唄い易い。盆踊りのハネ前に地の音頭からこの唄に移行するが、踊り方はもとの踊りのまま続ける。

盆踊り唄「切音頭」 米水津村色利浦(米水津) <77・75一口>
☆エーイ エーイ エーイエ 秋の宮島ナ(ハヨイヨイ)
 安芸の宮島 まわれば七里(ハヨイヨイ)
 浦がエー エンヤエーイエーイ サーンサ
 「ソレさんさをはりあげて ソラ見事に エーンヤコーリャ サンサ
 浦が七浦 エンヤコリャ 七えびす ハーヨイヨイ
メモ:切音頭に移る前に、一旦踊りの輪を崩す。初盆家庭ごとに傘鉾(長い棹の先に蝙蝠傘をつけて故人の着物をかけ、遺品をつりさげたりしたもの)を出す。切音頭が始まると、傘鉾のぐるりにさげた線香に火をつけ、めいめいの傘鉾を先頭に、位牌・遺影を持った人、遺族、隣保班の人と続いて、坪を3周まわる。踊りがはねたら寄り道をせずに急いで家に帰り、お縁から仏壇の方へ傘鉾を捧げ入れ、着物を外す。

盆踊り唄「切音頭」 米水津村宮野浦(米水津) <77・75一口>
☆エー 咲いた桜になぜ駒つなぐ ヨイヨイ
 駒が勇めば ヤレコラセー オヤ エーイエーイエーイヤナー
 「イヤさんさを ヤートヤー つけたぞ
 駒が勇めばヤーレ 花が散る ヤレコラセー
メモ:色利浦と同様に、傘鉾を出す。宮野浦では傘鉾に提灯をさげる。



●●● サンサ節(その3) ●●●
 唄い出しで上句がひっくり返り、唄囃子は伴わない。

盆踊り唄「出し節」 蒲江町丸市尾浦(名護屋) <77・75一口>
☆ヤレ引いてきたがなヨー サヨンヨー 引いてきたがな鰯ゅヨー
 鰯ゅ引いてきたが ほんに塩がないサ 塩は大阪 アレ塩釜に ハレバエー
メモ:供養踊りの開始や音頭代わりに唄い、そのまま地の音頭に移行する。



●●● サンサ節(その4) ●●●
 唄い出しがひっくり返っているも、その箇所が文句の字脚に干渉していない。入れ節を挿み、その後から文句が始まる形である。変則的な詩形で、特に弥生町のものは複雑を極める。

盆踊り唄「切音頭」 弥生町井崎(上野) <77・75一口>
☆ヤレ切りましょうや ノホヨーホヨエ 切りましょうやノー
 ここで切ろうどちゃ エンヤガコーロノヨーサンサ
 「さんさが嘘でもないこと 心から真実実ぞいな
 アンアレーどうで高いのは
 「火の見櫓か富士山か 餅屋の娘の杵音高い ちぎり丸めてちょいと投げた
 高崎山かナ フーナーンアーエー 女郎町ゃ目の下に ハーリワエー
メモ:1節に2種類の入れ節が混じっている。前半の入れ節「さんさが嘘でもないこと…」は「その1」や「その2」のものと同種で、後半の入れ節「火の見櫓か…」は地口に近く、本調子甚句の字余りの類である。結局、唄い出しの「切りましょうや~ここで切ろうどちゃ」は文句の字脚に干渉しておらず、核になるのは「どうで高いのは高崎山か (3字欠)女郎町ゃ目の下に」である。

盆踊り唄「切音頭」 宇目町重岡(重岡) <77・75一口>
☆ソレ切りましょうなヨー ヨーヨイソーレーヨ 切りましょうな(アヨーイヨイ)
 「上で高いのを申すなら 一で英彦山か(ソレ)
  餅屋の娘の杵だこな 下で高いを申すなら(ソレ) 下で高いは尺間山
 アーさても見事な(オヤ) 臼杵様の城はナ
 地から生えたな 浮き城な ハレワイサーノサー
メモ:こちらの入れ節は近隣に広く行われる「どんさく」の節になっている。やはり唄い出しの「切りましょうな~」は文句の字脚に干渉せず、核にあるのは「さても見事な臼杵の城は、地から生えたな浮き城な」である。



●●● サンサ節(その5) ●●●
 唄い出しがひっくり返っておらず、上句の半ばに唄囃子を挿む。

盆踊り唄「切音頭」 蒲江町河内浦(蒲江) <77・75一口>
☆ヤレここで切ります
 ヤレ切りますナー ここでヨー ナーンヨーイヤヨイヤナ
 「アラなんでもしゃんと切る さんさを
 破竹の竹を ソレー 元は尺八半ば笛

盆踊り唄「切音頭」 蒲江町竹野浦(下入津) <77・75一口>
☆アーここで切りましょか エイヤコーノーサーンサ(エーイエーイサーンサ)
 「サンサオ まことにゃ(ホイ)
 臼杵の城じゃソーラ(松から生えた ホイ あの浮城じゃ ハーレバエーノエイ)



●●● サンサ節(その6) ●●●
 唄い出しがひっくり返っておらず、唄囃子を伴わない。最もシンプルで、おそらくこれが元々の節なのだろう。

盆踊り唄「切音頭」 蒲江町畑野浦(上入津) <77・75一口>
☆ヤレ 沖の暗いのに イヤコノサンサ 白帆が見ゆる ソーレ
 あれは紀の国みかん船 ハンレバエー
メモ:切音頭にかかると初盆の家の人が短冊をさげた竹を持ち、親類縁者がそのあとに着いてまわる。

盆踊り唄「祝い音頭」 蒲江町屋形島(蒲江)、丸市尾浦(名護屋) <77・75一口>
☆祝いめでたの若松様よサー 枝も ホイ 栄えて アー根も葉も茂る
 アーレバエー サーンヨーンヨーンヨーイヤナー

盆踊り唄「切音頭」 蒲江町丸市尾浦(名護屋) <77・75一口>
☆ここでしゃんと切れさんさの松のサエ 枝も栄えて葉もしげる ハレバエー
メモ:中入れ前・ハネ前に地の音頭に接続して唄う。踊り方はそのまま。



●●● マッカセ ●●●
 「マッカセ」は宇佐市が本場で、国東半島の北浦辺、下毛地方、玖珠・日田地方と大分県の北部から西部にかけて広範囲に伝承されている。大分市以南の地域からは一切採集されていないのに、『蒲江町盆踊口説集』には屋形島の項に「精霊送り」の呼称で記載がある。縁故関係等で伝わったと思われ、「精霊送り」の名からは、長洲の盆行事が思い浮かぶ。

盆踊り唄「精霊送り」 蒲江町屋形島(蒲江) <77・77・77段物>
☆国は奥州仙台のこと(ソレマッカセマカセ) 牡丹長者の(コラショイ)
 由来をきけば(ヤホーイコリャ) 四方四面に蔵建て並べ
 (ソレエー ヤートハリサテ ヤートホイ)



●●● 三重節 ●●●
 「三重節」は「三勝」の変調で、その名の通り三重町が本場である。三重町では「由来」と呼ばれており、近隣の野津町、臼杵市、犬飼町、千歳村等で広く「三重節」として親しまれている。南海部地方からの採集は屋形島に限られる。『蒲江町盆踊口説集』の屋形島の項に「二孝女踊り」の呼称で記載があり、やはり縁故関係等で伝わったと思われる。「二孝女踊り」の名はおつゆ・おときの「二孝女口説」からきており、これは川登を舞台としたので、野津町で非常にもてはやされた口説である。

盆踊り唄「二孝女踊り」 蒲江町屋形島(蒲江) <77・77段物>
☆人は一代 名は末代よ(ドッコイセー ヨーイヤセー)
 エー 虎は死しても皮をば残す(サンヤートセイセイ ヤレトコセー)



●●● 江州音頭 ●●●
 上浦町から佐伯市街にかけて「ごうし音頭」の名で伝承されている音頭で、これは江州音頭の転訛である。しかしその節は、江州音頭というより河内音頭「ヤンレ節」に近い。いずれにせよ関西で流行した音頭が当地に根付き、節回しが変化したものである。南海部の浦辺では昔、若い娘さんが関西の紡績工場に出稼ぎに行くことが多かったそうだ。おそらくその関係で、関西で流行していた音頭を覚えて持ち帰ったと思われる。これと同種の音頭が、大分市白木や中津市大新田などでも一連の盆口説のうちの一曲として残っている。
 思えば、県内には堅田踊りはもとより鶴崎踊り、津鮎踊り、山路踊りなど都会から入ってきたと思われる唄・踊りがずいぶんたくさん残っている。それらよりも時代は下がるがこの「ごうし音頭」もそうだし、座興唄としても「こつこつ節」「さのさ」「わが恋」「磯節」など都会の端唄や流行小唄に由来するものが多い。また作業唄や白熊唄としても「ドッコイセ節」「よしよし節」「兵庫音頭」「おやまかちゃんりん節」「なぜまま節」「高い山」「出雲節」の転用など枚挙にいとまがない。また「紅屋の娘」「青い芒」「三朝小唄」「関門小唄」などといった、昭和初期にレコードで流行した新民謡・新小唄の類の替え唄を郷土唱歌として唄った例も多い。県下全域ではやり唄を非常に好み、それなりにかみ砕いてふるさとの唄として取り入れてきた経緯が認められる。それは、都会の唄どころか近隣の土地で唄われる唄、縁故関係で聞き覚えたをも含む。県内の盆踊りがバリエーション豊かなのは、こうした土壌があってのことなのだろう。

盆踊り唄「ごうし音頭」 上浦町浅海井(東上浦) <77・77・77・77段物>
☆アー 今度豊前の小倉の町に(アラドッコイサイサイ)
 染屋九兵衛という人ござる もとは栄華で暮らしもしたが
 今は世に落ち憐れな者よ(ソリャー ヨイトヨーヤマカ ドッコイサーノセー)
メモ:浅海井では旧来の盆口説と区別している。二十三夜踊りで旧来の踊りのはねた後に余興的に踊られる。踊り方は本場のものとは全く違い、後ろに後ろにさがっていくおもしろい踊りである。簡単なうちわ踊りなので誰にでも踊れるし、節回しが軽やかで人気が高い。



●●● 与勘兵衛(その1) ●●●
 「与勘兵衛」は堅田踊りを代表する唄の一つで、堅田踊りの伝わる集落のほとんどに伝承されている(集落によって節や踊り方が異なる)。節が平易で浮かれた調子がおもしろいし、踊りも手数は多いが難しい所作がないので、今なお盛んに踊られている。元唄を探そうと思って『俗曲全集』をはじめ、古い唄本等をいろいろ見たのだが、類似する唄が見当たらなかった。おそらく上方で唄われた戯れ唄なのだろうがごく短期間の流行で、流行小唄としての採集からは漏れたのだろう。「よしよし節」である旨を何かの文献で読んだ覚えがあるが、節が全く異なる。おそらく波越の「十二梯子」が「よしよし節」であるのを、「よかんべえ」の響きから取り違えてしまったのだろう。三者の節を把握していれば、この説は明らかに誤りであるとわかる。
 ところで、今は一列に「与勘兵衛坊主が…」を首句とし、各節の末尾を「あら実、与勘兵衛」と結んでいる。しかし、結びの「よかんべえ」は、本来、「野干平」あるいは「良かんべえ」だったのではないかと推察される。首句では、「与勘兵衛坊主」なる人物が二人現れたが、一人は本物の「与勘兵衛」で、もう一人は「信太の森に住むではないかいな」と唄われている。これは「葛葉の子別れ」を引くことで、もう一人は狐の化身だと言いたいのだとわかる。そうであれば末尾は「野干平(やかんべい)」であろう。この文句においては、結局「狐」の異称である「野干平」が主であって、狐が化けた人の名を野干平に響きの似た「与勘兵衛」としたのではあるまいか。「葛葉の子別れ」の場面をさした「真実保名さんに…」の文句も唄われており、おそらく「与勘兵衛坊主が…」の文句はその前唄的な位置づけで、この二節がこの唄の本筋なのだろう。そして「今年は豊年満作じゃ…」云々ほかの文句は後補であって、その結びは「良かんべえ」の意と思われる。「よかんべえ」の響きに「与勘兵衛」「良かんべえ」「野干平」と三通りの意味を持たせているところがこの唄のおもしろいところである。
 数種類ある節の中でも「その1」は比較的のんびりしたテンポで、弾まないリズムで唄われる。レコード化された際にこちらの節が採用されたこともあり、比較的よく知られている。わりと唄い易い簡単な節だが、陽旋の中で首句でいうところの「森に」の「に」のみ陽旋から外しており、それなりに洗練された印象を受ける。各節ごとに「一反畑のぼうぶらが…」等の長囃子がつくのが特徴。

堅田踊り「与勘兵衛」 佐伯市宇山・江頭・汐月・津志河内・小島・泥谷(下堅田)、長谷(上堅田)、蒲江屋形島(蒲江) <小唄、二上り>
☆与勘兵衛坊主が二人出た(ソコソコ) 一人は確かな与勘兵衛じゃ
 一人ゃしんしん信太の 森に住むではないかいな アラ実 与勘兵衛
 「一反畑のぼうぶらが コリャ なる道ゃ知らずに這い歩く
☆今年は豊年満作じゃ 庄屋もめぼしも百姓も
 猫もねんねんねずみも 猫もねずみもすりこのバチかいよ
 「一反畑のサヤ豆が ひとサヤ走れば皆走る
☆木立の庄屋さんは何が好き 恥ずかしながらも唐芋好き
 今朝もねんねん寝起きから 赤い唐芋の焼き冷まし
 「お前家持ちわしゃ子持ち 下から持ちゃぐるもぐら餅
☆真実保名さんに添いたくば 榊の髷と偽りて
 七日なんなん七夜さ 怨み葛の葉と寝たならば
 「やっとこやしまの ほしかの晩 ほしかの晩なら宵から来い
☆私とお前さんの若い時ゃ 女郎か卵かと言われたが
 今じゃとんとん年が寄って 寺の過去帳にしっかとつけられた
 「一反畑のぼうぶらが なる道ゃ知らいで這いまわる
☆因尾の庄屋さんの町戻り 脇差ゃ割れたや 割れ豆腐
 それをつんつんつづらで それをつづらでしっかと巻きとめた
 「納戸に小屋かけ…
メモ:堅田北部(宇山・江頭・汐月)と大字長谷の各集落が全く同じ踊り方で、津志河・小島も堅田北部とほぼ同じだが、泥谷は異なる(基本的な足運びは似通っており同種ではあるが)。扇子踊りだが、扇子は始終開きっぱなしだし特別難しい所作もなく、堅田踊りの中では簡単な方である。
(踊り方)
A 堅田北部・長谷 右回りの輪(右手に開いた扇子)
「ソコソコ」 左足1歩前、右手を前にかざし上げて扇子を返す。
「与勘兵衛坊主が」 その場で右足に体重を戻し、(手の左右を入れ替えるように右手を下ろしつつ左手を前に突き出すように上げ、左手を下ろしつつ右手を前にかざし上げて扇子を返す)を2回。
「一人出た」 右手を下ろしつつ左手やや前に出し左足に加重、扇子フセで右手を左前に下ろして右足を左足の前に踏み込みすぐ左足に踏み戻し、右足を後ろに引き加重、両手フセの作円で上げ決まる。
「ソコソコ」 両手を下ろして左足に加重。
「一人は」 扇子の面を立てて右手を左に振り、左側にて扇子を軽く打ちつつ右足を左足の前に踏み込んですぐ左足に踏み戻し、両手を下ろして右足を引き戻して加重。
「確かな」 左、右と流しつつ、左足、右足と裏拍で踏んで進む。
「与勘兵衛じゃ、一人ゃ」 左に巻いて流しながら左足を裏拍で左、右足・左足で左前に進む。その反対で右前へ、反対で左前へ。
「アーしんしん信太の」 左手を左腰に当て、扇子は右肩に乗せ、その場でごく小さく右から交互に4回、外八文字を踏んで束足。
「森に住むではない」 早間にて右・左と流しながら右から2歩出て、右から交互に流しながら右足から交互に裏拍で4歩、その場で右回りに1周する。
「かいな、アラ実、与勘兵衛」 右に巻いて流しながら右足を裏拍で右、右足・左足で右前に進む。反対で左前へ、同様に右前へ、左前へ。
「一反畑のぼうぶらが」 右、左と流しつつ右足、左足と裏拍で進み、右に巻いて流しながら右足を裏拍で右、右足・左足で右前に進む。
「なる道ゃ知らずに這い歩く」 同様に、左、右と流して前へ、左に巻いて流して左前へ。
(三味線)
・右に巻いて流して右前へ、左に巻いて流して左前へ。
・両手を開き下ろして右足後ろに踏みすぐ左足に踏み戻し、扇子フセで右手を左前に下ろして右足を左足の前に踏み込みすぐ左足に踏み戻し、右足を後ろに引き加重、両手フセの作円で上げ決まる。
※このあと冒頭に返る際、一旦両手を下ろす。

B 津志河内・小島 左回りの輪(右手に開いた扇子)
(Aとほぼ同じ。省略)

C 泥谷 右回りの輪(右手に開いた扇子) ※Aと違い全ての足運びが表拍です
「ソコソコ、与勘兵衛坊主が」 両手を両側に下ろして左足をわずかに前に踏み、扇子フセで両手を左側で軽く交叉(扇子が前)して右足を左足の前に踏み込みすぐ左足に踏み戻して、右足を少し引いて加重、両手上げて作円にて決まる。その際、扇子はフセ→アケ→フセと右に横八の字にて最後のフセに移行するタイミングで上げ始める。左手はアケ気味にて上げ始め、半ばで手首を返してフセに移行し、両手が上がりきったところにてフセで揃うようにする。
「一人出た」 繰り返し
「ソコソコ」  両手を両側に下ろして左足をわずかに前に踏む。
「一人は」 両手を前に伸ばして扇子を軽く打ちつつ右足を前に踏んですぐ左足に踏み戻し、両手を下ろして右足を引き戻して加重、束足。
「確かな与勘兵衛じゃ、一人ゃ」 左手は腰に当てておく。扇子の面を立てて、右手を伸ばし気味にして胸の高さで左、右と振りつつ、その場で左足、右足と踏む。同様に、左・左、右・右、左・左。
「アーしんしん信太の」 左手はそのまま、扇子は右肩に乗せ、その場でごく小さく右から交互に4回、外八文字を踏んで束足。
「森に住むではないかい」 左手上・右手下から交互に上下して流しながら、右足から6歩、その場で右回りに1周する。
「な、アラ」 両手を右下から左下へ、フセで山型に流しつつ、右足を左足の前に踏みこむ。
「実、与勘兵衛」 扇子の親骨の中間程度の位置を両手でアケに持つ。左足から3歩小股で左前に進みつつ両手を上げていき、ストンと下ろす。その反対で右前へ。さらに反対で左前へ行くが、このときは3歩進んだら右足を右前向きに出し(左足加重のまま)、両手は下ろさずに高く構える。
「一反畑のぼうぶらが」 扇子の持ち方はそのままに右手を若干高くし、右に4回こね回すように仰ぐ。その際、右足を右前に踏んですぐ左足を右足の後ろに寄せて加重、右足を右前に踏み、左足に踏み戻し、右足に踏み戻す。全て小股。
「なる道ゃ知らずに這い歩く」 反対動作にて、足は左右、左、右、左。
(三味線)
・左手は腰に当てる。扇子の面を立てて、右手を伸ばし気味にして胸の高さで右・右、左・左と振りつつ、その場で右足・右足、左足・左足と踏む。
・両手を両側に下ろして右足を後ろに踏みすぐ左足に踏み戻し、扇子フセで両手を左側で軽く交叉(扇子が前)して右足を左足の前に踏み込みすぐ左足に踏み戻して、右足を少し引いて加重、両手上げて作円にて決まる。両手を交叉してからの所作は「与勘兵坊主が…」の箇所と同様。



●●● 与勘兵衛(その2) ●●●
 こちらは「その1」よりも平板な節で、その骨格は大きく違わないが野趣に富んだ印象を受ける。首句で言うところの「二人出た」の後に三味線の合の手が入る。三味線の手が全体的に早間で、賑やかである。

堅田踊り「与勘兵衛」 佐伯市波越・府坂・竹角(下堅田) <小唄、二上り>
☆与勘兵衛坊主が二人出た(合) 一人は確かな与勘兵衛じゃ
 一人ゃしんしん信太の 森に住むではないかいな アラ実 与勘兵衛
☆ソレ 今年は豊年満作じゃ 庄屋もめぼしも百姓も
 猫もねんねんねずみも 猫もねずみもすりこのバチかいよ
☆ソレ 木立の庄屋さん何が好き 恥ずかしながらも唐芋好き
 今朝もねんねん寝起きから 赤い唐芋の焼き冷まし
☆ソレ 真実保名さんに添いたくば 榊の髷と偽りて
 七日なんなん七夜さ 怨み葛の葉と寝たならば
☆ソレ 私とお前さんの若い時ゃ 女郎か卵かと言われたが
 今じゃとんとん年が寄って 寺の過去帳にしっかとつけられた
☆ソレ 因尾の庄屋さんの町戻り 脇差ゃ割れたや割れ道具
 それをつんつんつづらで それをつづらでしっかと巻きとめた
メモ:波越では、扇子を半開きで踊る。所作は易しいが、テンポが速いうえに継ぎ足を多用するので足運びがずいぶん忙しく、宇山の踊り方や泥谷の踊り方よりも覚えづらい。
(踊り方)
D 波越 右回りの輪(右手に半開きの扇子)
※この踊り方の「両手で扇子を持つ」とは、男雛の杓の持ち方に同じ。
「与勘兵衛坊主が二人出」 右手を上げて内に払いながら、右足を左足の前に左前向きに踏みすぐ左足を引き寄せ右足を右前向きに踏みかえる(早間でチョチョチョンと)。それの反対、反対で千鳥に進む。
「た」(三味線) 扇子をチョンチョンチョンチョンと4回叩きながら(右手を下へ、左手上へ~から交互に打ち違える)、左足から4歩で大急ぎで右回りに一周し、もう1回扇子を叩いて左足を前に踏み、右足に踏み戻して両手を開き上げて左足浮かす。
「一人は確かな与勘兵衛」 左足を前に踏み、両手を左下から上げて左フセ右アケで右に小さく捨てつつ、右足を前にトン(加重せず)。それの反対、反対にて継ぎ足3回で前に進む。
「じゃ」 右足を後ろに踏んで両手を開き上げて左足浮かす。
「一人ゃしんしん」 両手を両側に下ろして左足を前に踏み、両手で扇子を持って前に振り上げて右足を前に踏む。扇子から両手を離さずに前に下ろして左足に踏み戻し、そのまま両手を前に振り上げて右足を輪の内向きに踏み出す。
「信太の」 左手を扇子から離して両手を一旦下ろしてから前に振り上げ、両手首をクルリと返す。足は、左足から3歩、急いで左前向きに進む。
「森に住むでは」 右手の扇子と左手とを打ち違えてそのまま右手を上げて手首をクルリと返しながら、右足を右前向きに踏みすぐ左足を引き寄せ右足をさらに右前に踏みだす(早間でチョチョチョンと)。その反対動作で左手を打ち上げて手首を返し、左足・右足・左足と出るが、このときも右前に進んでいく。
「ないかいな、アラ」 両手を一旦下ろしつつ右足を左足の前に交叉して左前向きに大きく踏み出し、両手を振り上げて両手首をクルリと返しつつ右足を左前に踏み、体側にストンと下ろして左足引き寄せ束足(左足に加重)。
「実、与勘」 右足を前から引き戻して束足(右足に加重)、両手を右下から上げて左アケ右フセで左に小さく捨てつつ、左足を前にトン(加重せず)。それの反対。
「兵衛」 右足を後ろに踏んで両手を開き上げて左足浮かす。両手を下ろしつつ左足を前に踏む。
(三味線)
・両手を揃えて右上にチョンチョンと小さく流し上げつつ、足は右左右と急いで歩いて右に回っていく。その反対動作でさらに右に回っていき、反対向きになる(チョンチョンチョン、チョンチョンチョンと歩いて右に反転)。
・両手は高さを保ち、右、左、右、左と小さく捨てる。このとき、右足から3歩にて右に回っていき元の向きに戻り、4歩目は前にトン(加重せず)
・左足を前に踏む。右手はアケで、左手を扇子の上にフセ、ごく小さく下に2回振りながら、右手をトントン(加重せず)。右足を後ろに踏んで両手を開き上げて左足浮かす。
・両手を両側に下ろして左足を前に踏み、両手で扇子を持って前に振り上げて右足を前に踏む。(左手を扇子から離して)両手を両側に下ろして左足に踏み戻し、右足を後ろに踏んで両手を開き上げて左足浮かす。両手を下ろして左足を前に踏み、そのまま冒頭に返る。

堅田踊り「与勘兵衛」 佐伯市石打(下堅田) <小唄、二上り>
☆アーソレ 与勘兵衛坊主が二人出た(合) 一人は確かな与勘兵衛じゃ
 一人ゃしんしん信太の 森に住むのが白狐 アラ実 与勘兵衛 ドッコイ
☆今年は豊年万作じゃ 道ばた小草に米がなる
 道のこんこん小草に 道の小草に米がなる
☆木立の庄屋さんは何が好き 恥ずかしながらも芋が好き
 朝もねんねん寝起きから 赤い唐芋の焼き冷まし
☆私とお前さんの若いときは 女郎や卵と言われたが
 今はとんとん年が寄って 寺の過去帳にしっかとつけられた
☆真実保名さんに添いたくば 榊の髷など結うわしゃんせ
 いかなしんしん新玉も よもや嫌とは言わすまい
☆弁慶坊主は荒坊主 生竹へし曲げてヘコに差す
 いかなきんきん金玉も いかな金玉もたまりゃせぬ
メモ:波越の唄い方によく似ているが、こちらの方がややのんびりしたテンポである。右手にうちわを持って踊る。文句は他集落と少し異なっていて、細かい言葉遣いの違いだけでなく、「弁慶坊主は荒坊主…」などの珍しい文句も残っている。波越の踊り方に少し似ているところもあるが、こちらの方がずっとのんびりした踊り方である。うちわをクルリと回して高くかざし、左足をサッと引き寄せるようなキメの所作がある。それがまたこの唄のおどけた雰囲気によく合っていて、なかなかおもしろい。

堅田踊り「与勘兵衛」 佐伯市黒沢(青山) <小唄>
☆ソレ 与勘兵衛坊主が二人出た ヨイ(合) ソレ一人は確かな与勘兵衛じゃ
 一人ゃしんしん信太の 森に住むではないかいな イヤ実 与勘兵衛 ソレ
☆お前さんと私の若い時は 芸子や卵と言われたが
 今はとんとん年が寄って 寺の過去帳にしっかとつけられた
☆真実童子の母親は 榊の髷と偽りて
 安倍のやんやん保名に 安倍保名に恩返し
☆真実殿御と連れ添うて 道の千里も行くなれば
 野でもやんやん山でも 相寝枕は交わされる
☆木立の庄屋さんの町戻り 脇差ゃ鞘の割れたのを
 縄やかんかん葛や 縄や葛でしっかと巻きとめた
メモ:三味線の弾き方などは波越のそれによく似ている。「一人ゃしんしん信太の」のところを高調子に唄うのが下堅田とはずいぶん異なる。テンポがずいぶん早く、うちわを使った踊り方が非常に野趣に富んでいる。両手を高く振り上げてはくるりくるりと返しながら互い違いに継ぎ足で歩いたかと思えば、ちょうど狐が葉で顔を隠すようにうちわをかざして身をかがめるようにクルリと一回りするなど、所作が非常によく工夫されている。そう難しい所作はないが、継ぎ足の回数が節に沿うているので間違わないように踊るのは容易なことではない。よほど踊り慣れないと無理だろう。

堅田踊り「与勘兵衛」 佐伯市山口(青山) <小唄・調弦不明>
☆ソレ 与勘兵衛坊主は荒坊主(合) アレ生竹ゃへしゃいでヘコにかく
 いかなきんきん金玉も いかな金子もたまりゃせぬ(アラ実) 与勘兵衛(オヤ)
☆真実童子の母親は 榊の髷と偽りて
 安倍のやんやん保名に 安倍の保名に恩返し
☆木立の庄屋さんは何が好き 恥ずかしながらも唐芋好き
 寝てもさんさん覚めても 寝ても起きても芋が好き
☆因尾の庄屋さんの町戻り 脇差ゃ割れたや割れ道具
 それをつんつん葛で それを葛でしっかと巻きとめた
メモ:黒沢よりはテンポがのろまで、石打の節にたいへんよく似ている。踊り方の骨格は黒沢とよく似ているが、細部は異なる。やはりうちわを持って踊り、こちらも野趣に富んでいる。特に1節目でいうと「荒坊主」の後ろの三味線のところで、左足を浮かせて右足でいっけんけんをしながらひとまわりするところなど、まるで「かっぽれ」のような足運びで大変おもしろい。

堅田踊り「与勘兵衛」 佐伯市市福所(青山) <小唄・調弦不明>
☆ソレ 与勘兵衛坊主が二人出た ヨイ(合) 一人は確かな与勘兵衛じゃ
 一人ゃしんしん信太の 森に住むではないかいな
 アラ実 与勘兵衛(ソレ)(合) 与勘兵衛
☆木立の庄屋さんの町戻り 脇差鞘の割れたのを
 縄やつんつん葛や 縄や葛でしっかと巻きとめた
メモ:市福所もうちわ踊りである。ここの与勘兵衛は唄い方が変わっていて、各節のあとにつく長い三味線の手の末尾を拾って次の節に入る直前に「与勘兵衛」と唄う。踊り方は谷川と似たところもあるが、細かいところの差異が多々ある。独自性があって素晴らしい。

堅田踊り「与勘兵衛」 佐伯市谷川(青山) <小唄・調弦不明>
☆ソレ 与勘兵衛坊主が二人出た(合) ソリャ一人は確かな与勘兵衛じゃ
 一人ゃしんしん信太の 森に住むではないかいな アラ実 与勘兵衛(オヤ)
☆真実童子の母親は 榊の髷と偽りて
 安倍のやんやん保名に 安倍の保名に恩返し
☆与勘兵衛坊主は荒坊主 生竹へしまげヘコに差す
 それじゃきんきん金玉も それじゃ金玉もたまりゃせぬ
マモ:各節末尾の「与勘兵衛」の節回しがよそと少し異なる。
メモ:うちわ踊り。踊り方の骨格は黒沢や谷川のそれと似通ったところもあるが、右手と左手を段違いに振り分けて右右、左左と互い違いに振っていく所作は谷川独特である。この部分は足も右右、左左と単純だが、そうかと思えば3歩で急いで前に進むところもあり、音頭と三味線の節を完全に覚えていないと踊りこなせない。



●●● 与勘兵衛(その3) ●●●
 ピョンコ節というほどではないが若干弾んだリズムである。「その1」や「その2」と違い、「与勘兵衛坊主が二人出た」と「一人は確かな与勘兵衛じゃ」を全く同じ節で唄う。全体的に、田舎風の印象を受ける素朴な節である。なお「その2」とは違って「一人は確かな与勘兵衛じゃ、ハーイーヤ」の後にも三味線の合の手が入る。

堅田踊り「与勘兵衛」 佐伯市西野(下堅田) <小唄、三下り、男踊り>
☆ソリャー 与勘兵衛坊主が二人出た(合) 一人は確かな与勘兵衛じゃ ハーイーヤー(合)
 一人ゃしんしん信太の 森に住むではないかいな アラ実 与勘兵衛(ソレ)
☆今年は豊年満作じゃ 庄屋もめぼしも百姓も
 猫もねんねんねずみも 猫もねずみもすりこのバチかいよ
☆木立の庄屋さんは何が好き 恥ずかしながらも唐芋好き
 今朝もねんねん寝起きから 赤い唐芋の焼き冷まし
☆真実保名さんに添いたくば 榊の髷と偽りて
 七日なんなん七夜さ 怨み葛の葉と寝たならば
☆私とお前さんの若い時ゃ 女郎か卵かと言われたが
 今じゃとんとん年が寄って 寺の過去帳にしっかとつけられた
メモ:踊りは手踊りで、同集落の「高い山」よりは手数が多いが、簡単な所作ばかりでそう難しくない。ただし、下記の通り「6歩進んで7歩目で束足」とか、手は変わっても足の加重は交互になるばかりなのが連続して都合12歩などとなることもあり、たいへん間違いやすい踊りである。
(踊り方)
F 西野 右回りの輪
「ソリャー 与勘兵衛坊」 左手下ろして右手アケで上げ、反対、左手下ろして両手フセで上げ、両手を体側に下ろす。このとき左足から3歩輪の向きに進み、4歩目にて輪の内向きにトンで束足(右足に加重)。※この所作のときは片足を踏んだら反対の足を浮かすと同時に、その側の手を振り上げるようにして歩く。以下同様。
「主が」 左手はアケで前へ、右手は右上にフセで構える。同時に左足を左に出して両足を肩幅に開く。
「二人出た」 その場にて、左手アケ右手フセで手拍子、上下入れ替えて手拍子、入れ替えて手拍子。都合3回叩く。
(三味線)~「一人は確かな与か」 左手で右の袖をとりつつ右手を握りアケに返して肘から先を前に出し、反対、反対、反対。この手に合わせて輪の向きに進んでいく。左足を前へ、右足・左足と小さく前へ。これを反対、反対、反対で、継ぎ足の連続で進む。
「ん兵衛じゃ、ハーイーヤー」~(三味線) 右手アケで上げ、反対、反対…と両手交互に5回上下で6回目は両手フセで上げ、両手を体側に下ろす。このとき、左足から6歩でその場で右回りに1周してさらに右に回り輪の内向きになり、左足を引き寄せ束足(左足に加重)。
「一人ゃしんしん信太の」 左手で右の袖をとり、右手を右上に振り上げつつ右足を右に踏み、右手首を返して払いつつ左足をトン(加重せず)。それの反対、反対。
「森に住むではないかいな」 右手アケで上げ、反対、反対…と両手交互に5回上下で6回目は両手フセで上げ、両手を体側に下ろす。このとき、左足から6歩輪の向きに進み、7歩目にて束足(右足加重)。
「アラ実、与勘兵衛、ソレ」 左手で右の袖をとり、右手は握ってフセにて前、右後ろ、前、右後ろと振る(最後は後ろにはね上げるように)。このとき、左足を前に踏み、右に踏み戻し…と足はあまり浮かさずに交互に加重するが最後のみ左足を浮かす。
(三味線)
・左手下ろして右手アケで上げ、反対、左手下ろして両手フセで上げ、両手を体側に下ろす。このとき左足から3歩前に進み、4歩目にて束足(右足に加重)。
・左手で右の袖をとり、右手は握ってフセにて前、右後ろと振る(後ろは、はね上げるように)。このとき、左足を前に踏み、右に踏み戻して左足を浮かす。
・左手下ろして右手アケで上げ、右手下ろして両手フセで上げ、両手前に振り、両手後ろに振り上げる。このとき、左足から3歩進み、右足に踏み戻して左足を浮かす。
・左手下ろして右手アケで上げ、反対、左手下ろして両手フセで上げ、両手を体側に下ろす。このとき左足から3歩前に進み、4歩目にて束足(右足に加重)。
・右手は腰に当て、左手フセにて左前に出し小さく下に4回振る。このとき左足から4歩で右回りに1周する。
・左手下ろして右手アケで上げ、反対、左手下ろして両手フセで上げ、両手を体側に下ろして右に小さくはね上げる。このとき左足から3歩進み、4歩目にて輪の内向きで束足からすぐ左足を浮かす。このまま冒頭に返る。

4 盆踊り唄
※段物の全文は「盆口説」の記事を参照してください。

●●● 海部節(その1) ●●● ※海部
 上浦町および西上浦・大入島地区で唄われている節で、77調の段物を口説く際に地の音頭として唄う。77調の間に75の字脚が入る文句の場合は「祭文」を入れ節にする。四浦や保戸島で唄われている音頭と似通っている。

盆踊り唄 上浦町津井(東上浦) <段物>
☆アー島の始まりゃ 淡路の島よ(アーヨーヤヨーホー)
 アー国の始まりゃ 大和の国よ(ヤレー ヨーヤセー ヨーヤセー)
☆鐘の始まりゃ三井寺の鐘 滝の始まりゃ白糸の滝
メモ:囃子の末尾と次の句が少し重なっている。踊りは扇子踊りまたはうちわ踊りで、両者の所作は同じ。右回りの輪の向きから「6歩前に歩きながら扇子を3回下で軽くたたき、輪の中を向いて扇子をクルリと返して引き上げたりしながら継ぎ足を踏んで、その場で左に一回りしていく」というものだったと記憶している。

盆踊り唄 上浦町浅海井(東上浦) <段物>
☆春は花咲く青山辺の(アラヨーヤヨーホー)
 鈴木主水という侍は(ソイヤ ヨーヤセー ヨーヤセー)
☆女房持ちにて二人の子供 二人子供のあるその中に
メモ:津井の節と似通っているが、囃子の末尾と次の句は重ならない。踊りは扇子踊り・うちわ踊り(両者は同じ)がある。津井の踊り方とは異なる。
(踊り方)
右回りの輪の向きから
・右足から6歩前に歩く。このとき、1歩目と5歩目のときに扇子を下で軽き、3歩目のときは両手を下で軽く交叉する(うちわで踊るときは3回とも叩く)。6歩目(左足)のときに次の手の準備にかかる。以上、早間の6呼間。
・右足を後ろに引き戻しながら左手を前に軽く上げ、右手はフセで後ろに下げる(左足荷重)。右足から2歩で輪の内を向きながら、右手を顔の前に上げて(扇子は向こうに返して下向き)左手を寄せる。扇子を外回しで返しながら右足を踏み戻して右輪の向きに帰り、左足を前から引き寄せながら両手を顔の前に引き上げる(扇子は下向き・右足荷重)。左足を前に踏み次の手の準備にかかる。以上、早間の6呼間。
・繰り返し
・同じ所作で左に回り込んで後ろ向きになる。
・同じ所作で左に回り込んで元の向きに戻る。
これを繰り返していく。手数は多いが、結局3つ拍子で前に移動してはその場で同じことを4回繰返す(3回目と4回目で左に反転し一回り)ばかりで、覚えやすい。扇子を使う場合はきれいに踊るのが難しく、うちわの方がより踊りやすい。扇子でゆったりとシナをつけて踊るもよし、うちわで元気よく踊るもよし、それらが同時進行するというのはいかにも佐伯方面の浦辺の踊りの感あり。

盆踊り唄 佐伯市大入島(大入島) <段物>
☆国は豊州、海部の郡(ヨーヤヨーヤ)
 佐伯領とや堅田の谷よ(ソラヨーヤセー ヨーヤセー)
メモ:上句の節回しが上浦とはやや異なり、こちらの方が節を引っ張っておりやや技巧的な感じがする。扇子踊りや手踊りがある。このうち扇子踊りは津井の踊り方と似たところもあるが、保戸島の「まわり踊り」の所作も混じっている。よい踊りだが踊り方が難しいので、輪が小さくなっている。手踊りは飛び跳ねるように元気よく踊る人も多い。

盆踊り唄 弥生町(切畑) <77・77段物>
☆それじゃ皆様しばらくしばし(アヨーヤヨーホー)
 牡丹長者のおん物語(ヤーレ ヨーヤセー ヨーヤセー)
☆弓は袋に刀は鞘に 扇めでたや末広がりて



●●● 海部節(その2) ●●● ※海部
 鶴見町で唄われている節で、77調の段物を口説く際に地の音頭として唄う。77調の間に75の字脚が入る文句の場合は「祭文」を入れ節にする。「その1」よりは若干テンポが速い。

盆踊り唄 鶴見町羽出浦(東中浦) <段物>
☆国はどこよと尋ねたなれば(ヨイヨイ)
 国は豊州海部の郡(コリャー ヨーヤセー ヨーヤセー)
☆宇山なりゃこそ名所でござる 名所なりゃこそお医者もござる



●●● 海部節(その3) ●●● ※海部
 米水津村で唄われている節で、77調の段物を口説く際に地の音頭として唄う。昔よりテンポが速くなっており、「その2」よりもなお速い。上句の唄い出しが高調子で、上句・下句が対になっている。覚えやすい。

盆踊り唄 米水津村色利浦・宮野浦(米水津)、蒲江町屋形島(蒲江) <段物>
☆エー 扇エー めでたや末広がりて(ヨーヤヨー)
 エー 鶴は千年亀万年と(ハヨーヤーセー ヨーイヤセー)
☆祝い込んだる炭ガマの中 真名野長者の由来を聞けば
メモ:うちわ踊り。昔より音頭が速くなっており、それにつられてか跳ねるような所作が目立つようになったとのこと。



●●● 海部節(その4) ●●● ※海部
 蒲江地区の一部で唄われている節で、77調の段物を口説く際に地の音頭として唄う。77調の間に75の字脚が入る文句の場合は「祭文」を入れ節にする。節自体は起伏に富んでいるもテンポが遅めで、特に上句の入りを静かに唄い出すところなどなんともいえないよさがある。

盆踊り唄 蒲江町蒲江浦(蒲江) <段物>
☆月にエー(アーヨーイヤサー ヨーイヤサー)
 群雲 花には嵐(ソレ エーソレ)
 釈迦にだいばや太子に守屋(ソリャー ヤットセー ヤットセー)
☆さらば 皆さん御聞きなされ
「ソレ 世の中に 定め難きは無情のあらし(ソリャー ヤットセー ヤットセー)
☆散りて 先立つならいと言えど まして哀れは冥土と娑婆よ
「ヤレ 賽の河原にとどめたり 二つや三つや四つ五つ
「十より下の幼子が 朝の日の出に手に手をとりて
☆人も 通わぬ野原に出でて 山の大将はわれ一人かな
○待ったり待ったり待たしゃんせ(ドッコイ)
 私がちょっこり入れやんしょ(ドッコイ)
 私が入れるじゃないけれど(ドッコイ)
 あんまり音頭がかわゆさに(ドッコイ)
 わたしがトンサク入れ拍子(ドッコイ)
 京から比丘尼が三人来て(ドッコイ)
 先の比丘尼も物言わぬ(ドッコイ)
 後の比丘尼も物言わぬ(ドッコイ)
 中なる比丘尼の言うことにゃ(ドッコイ)
 盆がすれたら 大漁豊年万作じゃが合点か
 おうさて合点じゃ(ソリャー ヤットセー ヤットセー)
☆ありゃ 嬉しや入れ節貰うた 貰うた入れ節お礼のために
メモ:多くの外題が伝わっているが、いずれも77調の中に75調が入るものである。75調の箇所では祭文(「印)を挿んでいたが、近年は地の音頭ばかりを通して唄っている。そのため75調の部分の文句を飛ばしたりしているようだ。興が乗ればイレコ(○印)を挿むことがある。この入れ節は「どんさく」と呼ばれる節で、名護屋方面にかけて盛んに行われている。踊りは「一本踊り」と「二本踊り」があり、今は「二本踊り」ばかりが延々と踊られている。これは両手に日の丸扇を持って踊るもので、扇子は開きっぱなしだし手数も少なく、易しい。両手を高く振り上げながら1人あて2本の扇子を一斉に翻し、反転しながらゆったりと踊るので優雅な印象を受ける。しかも踊り手が非常に多いため踊りの坪にはどうかすると4重5重の輪が立ち、一斉に日の丸扇を翻す様はまるで波が立つかのような光景で、まことに壮観である。

盆踊り唄 蒲江町深島(蒲江) <段物>
☆佐伯エー(アーヨーイヤサー ヨーイヤサー)
 領土や堅田の谷よ(ソレ エーソレ)
 堅田谷でも宇山は名所(ソリャー ヤットセー ヤットセー)
☆名所 なりゃこそお医者もござれ
 医者のその名は玄隆院と



●●● 海部節(その5) ●●● ※海部
 蒲江地区の一部と名護屋地区で唄われている節で、77調の段物を口説く際に地の音頭として唄う。77調の間に75の字脚が入る文句の場合は「祭文」を入れ節にする。起伏に富んだ、のろまで力強い節がとてもよい。後囃子の唄い方が特徴的で、「ヨーイヤ、セーヨーイヤセ」の「セー」で急に力強く高調子に唄うのがおもしろい。

盆踊り唄 蒲江町小蒲江(蒲江) <段物>
☆島の始まり淡路が島よ(ヤラナー ヨヤナー)
 寺の始まり天王寺でらよ(ソラヨーイヤ セーヨイヤセ)

盆踊り唄 蒲江町猪串浦(蒲江) <段物>
☆三里間は馬子唄でやる(ヤリャナー コラ)
 ときに三太が馬子唄上手(ソラヨーイヤ セーヨイヤセ)
☆三太唄えば駒まで勇む 道で唄えば毛草がなびく
☆どんどどんどと鳴る瀬も止まる
「ヤレ 滝からヨ(ヨイヨイ) 落ちる水とても(ヨイヨイ)
 なりを静めて聴くよな唄よ(ヨーイヤ セーヨイヤセ)
☆空を舞い行く鳥つばさえも 羽がい休めて聴くよな唄よ
メモ:猪串浦は蒲江地区だが、音頭の節が蒲江浦とは全然違う。名護屋地区の節とほぼ同じ共通だが、こちらの方がテンポが軽やかで、下句の頭3字を詰めて唄うところが異なる。

盆踊り唄 蒲江町越田尾・森崎浦・野々河内浦・坪浦(名護屋) <段物>
☆国の始まり大和の国よ(ヤラサー コラ)
 滝の始まり白糸の滝(セノヨーイヤセー ヨーイヤセー)
☆島の始まり淡路が島よ 寺の始まり天王寺寺よ

盆踊り唄 蒲江町丸市尾浦(名護屋) <段物>
☆親の仇を 娘が討つを(アリャセー コリャセ)
 国に稀なき世に珍しや(ソリャヨーイヤ セーヨーイヤセー)
☆どこのことよと尋ねてきけば 国は奥州や仙台様よ
○待て待て待て待たしゃんせ(ドンゴイ) 何なにからやりましょか(ドンゴイ)
 つくつくぼうしでやりましょか(ドンゴイ) 港々に船が着く(ドンゴイ)
 船には櫓もつきゃ船頭つく(ドンゴイ) 船頭のドタマにゃ鉢巻がつく(ドンゴイ)
 船頭のお腰にゃ紐がつく(ドンゴイ) 船頭のお腰にゃ金がつく(ドンゴイ)
 その金めがけて女郎がつく(ドンゴイ) その女郎めがけてカサがつく(ドンゴイ)
 そのカサめがけて医者がつく(ドンゴイ) 女のお腰にゃ紐もつく(ドンゴイ)
 じいさんばあさん杖をつく(ドンゴイ) まだあるあるまだござる(ドンゴイ)
 若い衆にゃ合点だ(ソリャヨーイヤ セーヨーイヤセー)
○沈堕が滝の科人は 落て口ばかりが十二口
 十二の落て口ゃ布引の 上には大日観世音
 下には大蛇が七頭 その滝落ちる科人は
 落てりゃ大蛇のままとなる まだあるまだあるまだござる
 若い衆は合点だ
☆ここで切ろうか向かいで切ろか 向かい廻れば三里が一里
メモ:丸市尾浦の音頭はテンポがとても遅い。下句の囃子の、「ヨーイヤ」で一息おいて「セー」と高調子に引っ張るところが、いよいよ仰らしい感じがする。太鼓の叩き方も、ワクはほとんど叩かずにゆったりしたテンポで叩いており、全体的に遅いテンポの中にどっしりとした力強さが感じられる。外題はたくさんあるが、最も盛んに口説かれているのは「志賀団七」である。今は77調の繰り返しばかりのようだが、おそらく昔は75の字脚を入れ節にする口説もしていたと思う。踊りは、昔は「畑野浦(はたんだ)踊り」「宇目踊り」などたくさんあり10種類を数えたとのことだが、今は「たもと踊り」ばかりである。これは右手に日の丸扇を持つ踊りで、なかなか難しい。扇子は始終開きっぱなしだが、たもとを押さえながら扇を引き上げてはクルリと反対に返す所作が何とも優雅で、見るだけでも楽しめる踊りである。おそらく「たもと踊り」の名もこの所作からなのだろう。所作が難しいうえに、手数も多い。初見でついていくのは難しいだろう。ところで志賀団七を口説くため「団七踊り」と呼ぶことがあるが、世間一般に言う「団七踊り」とは三人組の竹刀踊りである。丸入市尾浦の「団七踊り」とは、あくまでも「団七口説」に合わせて踊る「たもと踊り」であって、組踊りは伝わっていない。

盆踊り唄 蒲江町葛原浦(名護屋) <77・77段物>
☆ときの大将が正宗公よ(アリャセー コリャセー)
 家臣片倉九十郎と呼び(アラヨーイヤ セーヨーイヤセー)
☆支配なされし川崎街道 つくる百姓に名は与茂作と
○待ちなされ待ちなされ(ドンゴイ) 私がとんしゃく入れ拍子(ドンゴイ)
 立つ立つ尽くしで申すなら(ドンゴイ) 正月門には待つが立つ(ドンゴイ)
 二月初午市が立つ(ドンゴイ) 三月三日にゃ雛が立つ(ドンゴイ)
 四月八日にゃ釈迦が立つ(ドンゴイ) 五月お節句にゃ幟立つ(ドンゴイ)
 六月祭典旗が立つ(ドンゴイ) 七月七夕笹が立つ(ドンゴイ)
 八月九月の頃となりゃ(ドンゴイ) 秋風吹いて埃立つ(ドンゴイ)
 十月出雲に神が立つ(ドンゴイ) 霜月寒さで雪雲が立つ(ドンゴイ)
 十二月とぞなるなれば(ドンゴイ) 借銭取りが門に立つ(ドンゴイ)
 というて音頭取りをよこわせた(アラヨーイヤ セーヨーイヤセー)
メモ:現状は不明だが、図書館で民謡緊急調査の音源を聴いてみたところ珍しいことに三味線が入っていた。ただ唄の節をなぞるだけではなく、あしらい程度だがそれなりに工夫された手で、なかなか雰囲気が良い。

盆踊り唄 蒲江町波当津浦(名護屋) <77・77段物>
☆国は坂東 下野さかい(アレバセーコレバセー)
 那須与一の誉れの次第(ハーセイヤセー コレバエー)




 これから先の「海部節」は堅田踊りの演目で、三味線がつき早間になっているし、節が「その5」までのものとはずいぶん異なる。しかし元をたどれば同系統のものかとも思われたので、一応連番で分類することにした。

●●● 海部節(その6) ●●●
 上堅田地区および下堅田地区の一部に伝わっている「那須与一」の音頭で、節の上り下りがなめらかな、情緒纏綿たるよい節である。字脚が77調で固定されているので入れ節はしないが、ときどき上句の頭を引っ張るなどして変化を持たせることもある。

堅田踊り「那須与一」 佐伯市城村(上堅田)、宇山・汐月・江頭(下堅田)、蒲江町屋形島(蒲江) <77・77段物、二上り>
☆月は清澄 日は満々と(アリャナー コリャナー)
 おごり栄ゆる平家の御代も(アリャ ヨイトナー ヨイトナー)
☆勇む源氏の嵐にもまれ 散りてはかない平家の連よ
メモ:扇子踊り。その場にとどまって扇子を一斉に上下に繰るところなど、狭い坪で大人数で踊るとなかなか壮観である。 扇子は開きっぱなしだし同じ所作の繰り返しばかりで易しそうな感じだが、実際に踊ってみると間合いをとるのが非常に難しいうえに下句の囃子の箇所で反転して弓を引くようにきめるところの所作も難しく、踊りが揃いにくい。
(踊り方)
右回りの輪(右手に開いた扇子)
「アリャヨイトナー」 左足から2歩で左回りに反転、右足を後ろに引いて加重、弓引きできまる。
「ヨイトナー」 左足から2歩で左回りに反転、右足を後ろに引いて加重、弓引きできまる。
「月は清澄日は満々と」 左足を前に踏んで右足を引き寄せつつ、右手を前にかざし上げて扇子を返す。手の左右を入れ替えるように右手を下ろしつつ左手を上げながら右足を後ろに踏み戻す。その場に留まり、そのまま両手を交互に上げ下げする。左足に踏み戻し、右足をその前に踏みつつ扇子をフセで左前に下ろし、右足を後ろに踏み戻して両手上げて作円できまる。
「アリャナーコリャナー」 半呼間遅れて、左・右と流して前に進む。
「おごり栄ゆる平家の御代も」 上句と同じ。

堅田踊り「切音頭」 佐伯市岸河内(上堅田) <77・77段物、二上り>
☆月は清澄 日は満々と(コラセイ ソコセイ)
 おごり栄ゆる平家の御代も(ヨイトナー ヨイトナー)
メモ:大字長谷のうち城村のものは宇山と全く同じ節だが、岸河内のものは少しだけ節が異なる。



●●● 海部節(その7) ●●●
 西野にのみ伝わっている「男だんば」の音頭で、「その6」をまだ速くしてやや平板にしたような節である。こちらの方が唄い易い。字脚は77だが、数か所に入れ節を挿み変化を持たせる。

堅田踊り「男だんば」 佐伯市西野(下堅田) <77・77段物、二上り>
☆国は関東 下野の国(アラセ)
 那須与一という侍は(ヨイヤセー ヨーイヤセ)
☆なりは小兵にござ候えど 弓矢弓手に名は万天と
☆のぼせ給いしところはいずこ 四国讃岐の屋島が沖で
☆源氏平家の御戦いに どちも勝負がつかざるゆえに
☆平家方なる沖なる船に 的に扇をあげたるていよ
☆あれは源氏に射よとの的よ
「九郎判官それご覧じて 那須与一を御前に召され(ヨイヤセー ヨーイヤセ)
☆与一御前にあいつめければ 九郎判官仰せしことに
☆与一あれ見よ沖なる船は 的に扇を立てたるていよ
☆なれが力で射てとるならば 弓の天下を取らしょうものに
☆かしこまったと御前を下がる 与一その日の出で装束は
☆常に変わりていと華やかに 嘉珍明石の錦を召さる
「白糸緋縅の鎧着て 青の名馬を駒引き寄せて
☆手綱かいとりユラリと乗りて 小松原より波打ち際を
☆しんずしんずと歩ませければ 四国讃岐の屋島が沖は
☆風も激しく波高ければ 的の扇も矢に定まらぬ
☆そこで与一が観念深く 南無や八幡那須明神よ
☆どうぞこの的 射させて給え 祈請かくれば屋島が沖は
☆風も治まり波鎮まりて 神の功力か矢に定まりて
☆切りて放せば扇の的は 風に誘われ二舞い三舞い
☆沖の平家が船端叩く 陸の源氏は箙を叩く
「那須の高名 数多かれど 与一功名はまずこれまでに
メモ:采配(房飾りのついた長い棒)を振り回したりかついだりしながら踊る。簡単な踊りだが、よく似たパターンを交互に繰り返していくので紛らわしい。その違いは、棒を振り下ろすタイミングが早間の1呼間速い・遅いの差であり、ほかは同じである。一見して非常に分かりにくく、初見で輪に入ってもどうにかついていけるかもしれないが、いつ棒を振り下ろすのかまごついてしまうだろう。。



●●● 海部節(その8) ●●●
 西野にのみ伝わっている「女だんば」の音頭で、「その7」とよく似た唄だが節が異なる。こちらの方がややテンポが遅く、節が細かい。字脚は77だが、数か所に入れ節を挿み変化を持たせる。

堅田踊り「女だんば」 佐伯市西野(下堅田) <77・77段物、二上り>
「東西 東西 東西南北静まり給え(ヨイヤセー ヨーイヤセ)
☆人の浮き伏し我が身の上は(アラセ)
 たとえがたなき四池の里の(ヨイヤセー ヨーイヤセ)
「お梅伝治がさよいこい衣
☆さてもお梅はいかなる生まれ 目許口許 顔立ちのびて
☆ことに鼻筋 五三の器量 笑顔楊貴妃さてかみの上
☆心島田で人あいぐすね むかし松風 村雨などと
☆たとえがたなき四池の里の 草に育てし見目とも見えず
☆お梅十四の冬籠りより 伝治心はおりおり心
「ほうびき戻りにそれこなさんと 交わす枕の夜は長かれと
☆思いながらもただ恐ろしゅて 顔に紅葉はちりちりぱっと
☆恋の蕾の開いた夜は 人の色香も匂いの梅に
☆伝治心は鶯の鳥 つけて廻すが月夜も闇も
☆親の許さぬ比翼の契り かかるためしは あな気の毒や
「これのお申し伝治さん お顔見るのも今宵が限り
☆わけも言わずにただ殺してと 怨み涙は五月の雨に
☆伝治驚きこは何事と 様子語れとはや泣きじゃくり
☆ほんにお前に知らせはないか わしはそもじの兄八郎様が
「妻にせんとて今日夕暮れに えこんおさまる吉日定め
☆眉を直せと鏡のいはい それと聞くより気も針箱の
☆底を叩いた私が心 愛しこなたと言うことならぬ
☆狭き袂に石拾い込み まもの池にと最期を急ぐ
☆伝治引きとめこれお梅どの どうも言われぬ嬉しい心
☆死ぬるばかりが心中でもなし 江戸や薩摩に行く身でもなし
☆同じ四池の水飲むからは 時節松風また転び寝の
☆忍び逢う夜もありそう梅の 沖の鴎や磯千鳥
「それと聞くよりなどをして やがて嫁入りしゅうことさ
メモ:「男だんば」よりずっと易しい。たった8呼間の手踊りで同じことの繰り返しである。ただし左腕をまっすぐ左にアケで伸ばしておいて、右手を上げて手首をクルリと返し、まるで蓋をするように左手に重ねるところ(その反対もあり)などなかなか優雅な感じがする。



●●● 海部節(その9) ●●●
 青山地区の「織助さん」の音頭で、「ヨーヤセ」か「祭文」が三弦化したものかと思われる。ただ、もしそうだったとしてもあまりに節が変化しており、確証はない。もしかしたら全く無関係かもしれないが、一応、「海部」のグループに入れてみた。1節ごとに三味線の長い合の手が入り、囃子言葉はない。一応段物の様相を呈しているが、その合の手の末尾がストンと切れるので小唄風の雰囲気もある。易しい節だがそれなりに洗練されており、いかにも堅田踊りらしい音頭である。なお、この唄は堅田踊りの本場、下堅田地区には全く伝わっていない。記録にはないが、大昔は下堅田南部でも行われたものだろう。

堅田踊り「織助さん」 佐伯市山口(青山) <75・75段物、調弦不明>
☆たとえ織助死んだとて 何が卒塔婆に立てらりょか
☆織助さんはなぜ遅い 草鞋が売れぬか盆の宵
メモ:手拭いの両端に近いところを持ち横に張って、唄の文句に合わせて右に左に振りながら行ったり来たりする。この部分の足運びが、前に出した足を伸ばして地面をたたくような感じで、ちょっとほかの踊りとは毛色が異なっている。途中で一回りしたかと思えば手拭いをクルリクルリをねじ回すなど、非常に複雑である。また、各節末尾につく長い長い三味線の手の箇所では左手を話して、右手で手拭いを長く持って大きく振り回しながら右に左に反転していくところなど、優美を極める。

堅田踊り「織助さん」 佐伯市市福所(青山) <75・75段物、調弦不明>
☆たとえ織助死んだとて 何が卒塔婆に立てらりょか
メモ:手拭い踊り。山口とは踊り方が全く異なり、足で地面をたたくような足運びはしない。また、市福所では左回りの輪で踊るが、踊り方も左回りに適したものになっている。三味線の手のところで手拭いを振り回していくところなど、長く垂らした手拭いをくるりと高く巻き上げていくのが優美でたいへんよい踊りである。



●●● 佐伯節(その1) ●●●
 下堅田・上堅田地区で唄われる「長音頭」のうち、もっともオーソドックスな部類の節回しのものを集めた。三味線も軽やかに、節の上下も忙しく、賑やかな音頭である。かつては5字の字脚が入るところで「落とし」「大落とし」「さわ節」等、別の節を挿んで口説いていた。ところが違う節を挿むのは音頭も三味線も難しいし、今は短時間しか踊らないこともあり、地の音頭を繰り返すばかりになっている。そのため5字の字脚の箇所では生み字が生じている。

堅田踊り「長音頭」 佐伯市宇山・江頭(下堅田) <段物、二上り>
☆佐伯領とや堅田の谷よ(ハドッコイセー) 堅田谷でも宇山は名所
 名所 なりゃこそお医者もござれ(セノセー ヨーイヤセー)
☆お医者その名は玄了様と これはこの家の油火の 明る 行灯もまたたく風に
メモ:通常、外の輪が「女踊り」で内の輪は「男踊り」である。この「男踊り」がなかなかおもしろく、スキップをするように足を蹴り蹴り、あっちにこっちに飛び跳ねて歩くため非常に荒っぽい感じがして、おとなしい「女踊り」との対比も見事である。ただし昔は「長音頭」の踊りには男女の別はなく、みんな現行の「女踊り」を踊っていたという。一連の小唄踊りの一つとして「一郎兵衛」がありその踊りは「長音頭」と同じだが、この「一郎兵衛」のときには男女別に踊っていた。それがいつしか「長音頭」のときにも男女別に踊るようになったと聞いたことがある。おそらく「長音頭」の短縮化に伴う変化だろう。
(踊り方)
A 堅田北部・長谷 女踊り 右回りの輪
1・2) 左に流しながら左足を前に踏み、手拍子で右足・左足と踏み右に回って輪の内向きになる。
3・4) 輪の内向きで、右に流しながら右足を右に踏み、手拍子で左足を右足に寄せて踏む。
5・6) 左に流しながら左足の前に右足を交叉して踏み左にターンして右輪の向きに戻り、手拍子で左足を前に抜いて踏み右に回って輪の内向きになる。
7~9) 右から交互に流しながら、左輪の方向に右足から3歩進む。
10) 両手を左に巻き込むようにして、左足・右足と素早く踏みかえて左にターンして右輪の向きに戻る。
11~12) 左から交互に流しながら、左足から2歩進む。
13) 10と同じで、左輪の向きになる。
14~15) 11~12と同じ
16) 10と同じ

堅田踊り「長音頭」 佐伯市長谷(上堅田) <段物、二上り>
☆佐伯領とや堅田の谷よ(アラドッコイセ) 堅田谷でも宇山は名所
 名所 なりゃこそお医者もござる(ドッコイサノセー ヨーイヤセー)
☆お医者その名は玄了様と これはこの家の油火の 明る行灯もまたたく風に
メモ:城村辺りのものは宇山と比べて少しテンポが速く、囃子も違う。踊り方は全く同じ。

堅田踊り「長音頭」 佐伯市岸河内(上堅田) <段物、本調子>
☆扇めでたや末広がりて(アラドッコイショ) 鶴は千年 亀万年と
 祝い込んだる炭窯の中(セノセー ヨーイヤナー)
☆真名野長者の由来を聞けば 夏は帷子 冬着る布子 一重二重の三重内山で
メモ:大字長谷の中でも、城村と岸河内では節が僅かに異なるし、三味線の調弦も異なる。

堅田踊り「長音頭」 佐伯市西野・波越・石打・府坂・泥谷・津志河内・小島(下堅田) <段物、二上り>
☆消ゆる思いは玄了様よ(ヨイヤセー) 一人息子に半蔵というて
 幼だちから利口な生まれ(ヨイヤセー ヨーイヤセー)
☆家の伝えの医者仕習うて 匙もよう利き見立ても当たる 堅田もとよりご城下までも
メモ:節は宇山のものとよく似ている。16足の踊り方が一般的だが、泥谷や津志河内の踊り方は手数が多い。集落をまたぐ大きな盆踊り大会のときに同じ輪で踊ると前後がぶつかるので、泥谷や津志河内の踊り方と16足の踊り方とは輪を別にする必要がある。
(踊り方)
B 西野 右回りの輪
1・2) 左に流しながら左足を前に踏み、手拍子で右足を前に踏みすぐ左足に踏み戻す。
3・4) 右に流しながら右足を輪の内向きに踏み、手拍子で左足を前に踏みすぐ右足に踏み戻す。
5・6) 左に流しながら右輪の向きに左足の前に踏み、手拍子で右足・左足と踏み右に回って左輪の向きになる。
7~16) 略・宇山の踊り方参照
C 泥谷 右回りの輪
1~4) 略・西野と同じ
5・6) 1・2と同じ
7) 両手を背中に回して手拍子で右足を後ろに踏む。
8) 両手を左に打ち上げて流しながら左足を前に踏み、輪の内向きに回る。
9~18) 略・宇山の7~16参照
※泥谷では手を流す高さが西野や宇山よりも高い。また、左に素早くターンする箇所では両手を左に巻き込むのではなく手前に巻き込むようにする。
D 津志河内 左回りの輪
1・2) 左に流しながら左足を前に踏み、手拍子で右足を後ろに引き戻す(左足荷重)。
3・4) 反対動作
5・6) 1・2と同じだが、末尾にて両手を前に振り上げる。
7) 両手を軽く握り高い位置で前後に開きながら(左手は前へ・右手は後ろに引く)、右足を後ろに引き戻す(左足荷重)。
8~9) 右から交互に流し上げながら、右足から2歩進む。
10~11) 両手を右に流し上げつつ右足を前方輪の内向きに踏み、左に回り込んで両手を左足に下ろしながら右輪の向きに左足を踏むと同時に両手を前に振り上げる。
12) 7と同じ
13~16) 右から交互に流し上げながら、右足から4歩進む。
17・18) 両手を右に流し上げつつ右足を前方輪の外向きに踏み、左に回り込んで両手を左足に下ろしながら左輪の向きに左足を踏むと同時に両手を前に振り上げる。
19) 7と同じ
20~25) 略・宇山の7~16参照(輪の向きは逆に読み替える)

堅田踊り「大文字」 佐伯市柏江(下堅田) <段物>
☆淵にヨー 身を投げ刃で果つる(ヨイトセ) 心中情死は世に多かれど
 鉄砲腹とは剛毅な最期(ヨイトサノセー ヨーイヤナー)
メモ:節は泥谷のとほぼ同じだが、三味線が賑やか。宇山や城村のように男女別の踊りがあり、外の輪が女踊り、内の輪が男踊りである。女踊りは扇子を持ち、クルクルと回しながら踊る。男踊りはうちわを持ち、飛び跳ねるように踊る。男女ともに、他集落の「長音頭」よりも1呼間短く、15足で一巡する。ところで「大文字」の呼称は、おそらく「大文字屋かぼちゃ」からと思われる。「大文字屋かぼちゃ」の唄は上方の古い流行小唄だが、堅田踊りとして「一郎兵衛」とか「だいもん」「大文字屋」などと呼び他集落に広く残っている。踊り方もいろいろあるが、宇山や城村の「一郎兵衛」は「長音頭」と同じ踊りである。このことから推して、大昔は柏江でも「大文字屋かぼちゃ」が唄われていたが廃絶し、踊り方の呼称として「大文字」が残ったと考えるのが妥当だろう。
(踊り方)
E 女踊り 右回りの輪(右手に開いた扇子)
1) 両手を左上に流しながら左足をトン、扇子を内に回しながら左足を前に踏み出す。
2) 扇子を返して左手と扇子を軽く合わせながら右足・左足と若干右にカーブして進む。
3) 両手を右上に流しながら右足をトン、扇子を回しながら右足をやや輪の内向きに踏む。
4) 扇子を返して左手と扇子を軽く合わせて右後ろに流しながら、左足を右足の後ろに踏んですぐ右足に踏み戻す。
5・6) 1・2と同じ
7) やや右向きで両手を低くフセで作円で右足を後ろに引きやや輪の内向きにトン、扇子を内に回して両手を下ろしながら右足をやや輪の外向きに踏みかえる。
8・9) 7の反対、反対
10) 4と同じ
11・12) 左・右と流しながら左足から2歩進む。
13) そのまま左に反転、左輪の向きになる。このとき、右手を右側から振り上げて顔の上に扇子をかざし(フセ)、同時に左手は右側から左側に下ろして伸ばす。左足が前、右足が後ろになっており、やや体を後ろに傾けて中空を見上げるようにして決まる。
14) 右に流しながら右足を左足の前に踏む。
15) 4の所作で左に回って右輪の向きに戻る。



●●● 佐伯節(その2) ●●● ※海部
 下堅田・上堅田地区以外の「長音頭」のうち、オーソドックスな部類の節回しのものを集めた。三味線を使わない分、その節回しがより自由奔放な印象を受ける。特に5字の字脚が入る箇所で「祭文」等を入れ節にするところの節回しがよく工夫されており、地の音頭となめらかに接続されている。

盆踊り唄「長音頭」 佐伯市木立(木立) <段物>
☆帯はヨー 当世きょうろく緞子(ヨイヤヨー)
 三重にまわして(ドッコイ) 吉弥でとめて ホホンホー
 とんと叩いて後ろにまわす(セノセー ヨーイヤナー)
☆やがて 支度もみな調えば 名残惜しそに わが家を出づる 今宵十日の月代さえも
☆西の 尾上にはや傾いて
「サドー暗さも 暗し後ろ田の(ヨイヨイ) ここをヨ 通れば思い出すヨ
 過ぎし五月の田植には(ヨーイヨーイヨーイヤナ)
「村の 娘御うち連れて 茜の たすきの華やかに 菅の小笠の一そろい
「くけし 深紅の紐しめて 緑の 早苗かかえ帯 誰を想いに痩せ腰の
「濡れて 植えたる稲さえも 秋は 実りて穂をかざし 末は世に出てままとなる
「同じ 月日の下に住む わしと お前はなにゆえに 育ちもやらぬしいら穂の
「実りも せいで果るつかと
☆いえば 半蔵がさて申すには 言うて返らぬ みな徒事だ 何を悔やみて啼く時鳥
☆啼いて 飛び行く声聞けお為 死出の山路や 冥土の旅の 道を教えてまず先に立つ
☆お為 あれ見よ白山峠 人の名に呼ぶ 城山峠 今宵二人の剣の山よ
☆さあさ 急ごと気を励まして 急ぎゃほどなく 城山峠 ここがよかろと柴折り敷いて
☆銚子 盃はや取り出して 半蔵飲んでは お為には差し お為飲んでは半蔵には差し
☆しばし 名残の酒酌み交わす これがこの世の 限りと思や さすがお為は女子の情け
☆そこで お為がさて申すには こんな儚き 二人の最期
「これなる ことがあろとてか 正月 二日の初夢に 私の差したるかんざしが
『サドー抜けて あなたの脇腹に(ヨイヨイ) しっかとヨ 立ちたる夢を見たヨ
 夢か浮世か浮世が夢か(セノセーヨーイヤナー)
☆早う 覚めたや無明の眠り もうしこれいな 半蔵さんよ 走り人なら追手にかかる
☆もしも 追手にかかりたなれば 嫌な宇山に帰らにゃならぬ 短い夏の夜は更けまする
☆心中 急ごな半蔵様よ お為悔やむな まだ夜は深い
「今鳴る 鐘は柏江の 柏江 寺では江国寺 江国寺さんの鐘の音
「また鳴る 月は汐月の 汐月 寺では真正寺 真正寺さんの鐘の音
「また鳴る 鐘は佐土原の 佐土原 寺では正明寺 正明寺さんの鐘の音
「また鳴る 鐘は城村の 城村 寺では天徳寺 天徳寺さんの鐘の音
「また鳴る 鐘は常楽寺 五か所の 鐘も鳴り建てる 東は白む東雲の
「夜明けの 烏もかおかおと
☆心中 急ごな半蔵さんよ 言うて半蔵は 気を励まされ 二尺一寸さらりと抜いて
『これなる 光る名剣が 花の お為に立とうと思や 抜いた刀をはや取り落とす
☆さても 卑怯な半蔵さんよ 妻と思えば 刃も立たぬ 親の敵と思うて斬りゃれ
☆言えば 半蔵も腰入れかえて 落ちた刀を また拾い上げ 花のお為を大袈裟に切る
☆死んだ お為に身をなんかけて お為待て待て一人じゃやらぬ 予て用意の銃取り直し
《ソレー火縄に 火をつけて火鋏で(ヨイヨイ)
 どんとヨ 放つがこの世の別れ(セノセーヨーイヤナー)
☆残る 哀れは堅田の谷よ 古く伝えて 今日までも 今もとどまる比翼の塚よ
メモ:木立では、77調の段物は「長音頭」と「祭文」で、75調の段物は「祭文」で口説く。南海部地方の盆口説きの特徴として77調の段物にはところどころに75調が入るので、77調の部分は「長音頭」で口説いておいて、75調の部分では「祭文」を入れ節にするのである。それを分かり易く例示する目的もあるが、「お為半蔵」の口説の文句がとてもよいので道行の場面以降を紹介したいと思い、特別にかなりの分量を掲載した。木立では堅田踊りのように三味線を使ったりせず太鼓伴奏のみだが、それでも2つの節を行ったり来たりしながら口説くのはなかなか難しい。それで、今は75調の繰り返しの「おすみ」を「祭文」で口説くばかりで、「長音頭」は唄われていない。「三つ拍子」は手数が多く、柏江の「大文字」の扇子踊りよりも、また津久見や保戸島、上浦の扇子踊りよりもずっと難しい。畳んだ扇子を持って左右にブラブラと流しながら前に出て行き、扇子を引き上げてクルリと返したりしながら進んで左回りにターンして後ろ向きになると同時に扇子を引き上げながら開く。両手で扇子を持って肩のあたりで、左右にクルリクルリとゆっくり横8の字に回しながら前進後退で、両手を上げて扇子を回したり弓を引いたりしながら一回りし、元の向きに返って扇子を畳む。ウロ覚えだが、こんな踊りだったと思う。確か「祭文」に合わせて踊った場合、唄と踊りがピタリと合っていたように記憶している。別項で説明するが木立の「祭文」は1節が長いので、それに合わせるとなると踊りの1タームが30呼間以上にもなる。

盆踊り唄 佐伯市臼坪(佐伯) <77・77・77段物>
☆頃は 寛永十四年どし(ドッコイショー) ハ父の仇を ハ娘が討つは
 今は世に出てあら珍しや(ヨイヤセー ヨーイヤセー)
☆今は世に出てあら珍しや 国はどこよと尋ねて訊けば 国は奥州仙台の国
☆国は奥州仙台の国 時の城主にゃ正宗公と 家老片倉小十郎様よ
メモ:臼坪の節は頭3字を高調子で長く引っ張り、堅田踊りのそれと比べるとやや技巧的な唄い方である。踊り方は「団七踊り」と「手踊り」がある。いずれも、1節3句のうち3句目を次の節の1句目に返して唄う。これは他地域のものと大きく違う特徴であり、この唄い方だと1節に都合2句ずつしか文句が進まないため、文句を少ししか覚えていなくてもそれなりに長く唄うことができる。

盆踊り唄 直川村下直見(直見) <77・77・77段物>
☆そこで叔母上申せしことにゃ(ハヨイトセー) 明日は日がよい船出をしましょ
 そこで 叔母上餞別なさる(ハヨイトセー ヨーイヤナー)
☆小判を百両盆には載せて これは亀井に餞別なさる 表 羽二重裏縮緬の
☆仕立おろしの大振袖は これはお汐に餞別なさる そこで 叔母上申せしことに
☆まだお汐は幼少なほどに 船の乗り降り気をつけなされ 道の 辻々その宿々を
「ヤレ そうして六部というものは 日に七軒の修行して 晩の七つに宿をとり
 朝の五つに宿を立ち これが六部の道として(ハヨイトセー ヨーイヤナー)
☆さらばさらばと暇となりて そこで兄妹船乗り込んだ そこで 兄妹船から招く
☆おばば両手で丘から招く 見える間は手招きなさる 急ぎゃ ほどなく四国に着いた
「四国の島では伊予の国 伊予の国では岩屋山 かずらぜんじゅうや せり割りの
 二十一小屋 十六羅漢 札所札所にゃ札うち納め
☆奥の院までおまいりなさる 急ぎゃほどなく四国も済んで 四国 しまえば大阪上る
メモ:図書館で伝承の盆口説の音源を聴いてみたところ、三味線を使わないので田舎風ではあるが、地の音頭の部分は堅田踊りのそれと似通っていた。ところが75調の入れ節(「印)が独特で、変化に富んでいる。その部分の唄い出しは明らかに「祭文」の節なのだが、そこから先はまるで「出雲節」の字余り部分のような節の繰り返しになっていて、地の音頭に返る手前でまた「祭文」に戻っているようだ。例示した文句の中には入れ節が2つあるが、その尺が異なっているのに囃子が末尾にしかないのは、そういう理由である。地の節の中に「祭文」が入って、さらに「祭文」の中に違う節が入っているという、3重構造の入れ節と見ることもできる。とても技巧的な手法で、特に入れ節の部分は間合いが難しい。

盆踊り唄 宇目町重岡(重岡) <77・77・77段物>
☆エーイエー あまた寄りたる皆様方よ(アドッコイセー ドッコイセー)
 少し静まり(アラソコジャイ ソコジャイ) これ聞きなされヨ ここに
 孝女の口説がござる(セーノ ヨイトマカセー)
☆国は豊後の大野の郡 日向の境の 山一重越し 村は 重岡字名は敷倉
○エーイエーさま方よ待ちなされ(ヨイショ)
 私はもとより入れ好きで 道の三里もあるところ(ヨイショ)
 わざわざこれまで入れに来て 入れずに帰るはあと惜しや(ヨイショ)
 つくつく尽くしをちょっとやろな 港々にゃ船が着く(ソレ)
 船にゃ櫓がつく船頭つく 船の船頭さんにゃカカがつく(ヨイショ)
 と言った調子で若い衆の ちょいと目をさます(ヨーイヨーイ ヨーサンサ)
メモ:音頭の節は直見のものと似通っているが、囃子の入り方等に注目すると、大野地方の「八百屋」「佐伯踊り」に近い雰囲気も感じられる。間を隔てる三国峠や旗返峠、梅津越はいずれも難路だが、宇目はかつて大野郡に属していた。おそらく堅田の「長音頭」が宇目経由で大野地方に伝わり「八百屋」「佐伯踊り」として広まったのだろう。イレコ(○印)の節回しが南海部地方で一般的に行われるものとは大きく異なり、ずいぶん早間で変化に富んだ節になっているのも、野津の「三重節」の入れ節に似通ったところがあり、やはり大野方面の流れであるといえるだろう。

盆踊り唄 宇目町小野市(小野市) <77・77・77段物>
☆エーイエー 佐伯領とや堅田の谷よ(アドッコイセー ヨーイヤサー)
 堅田谷でも(アラソコジャイ ソコジャイ) 宇山は名所 名所
 なりゃこそお医者もござれ(セーノ ヨーイヤナー)
メモ:節は重岡のものと大同小異で、やはり大野地方の節の特徴が感じられる。「うちわ踊り」も「棒踊り」も佐伯踊りの一種だが、沿岸部の踊りとはずいぶん異なる。殊に「棒踊り」は変わっていて、両端に房飾りのついた細長い棒を両手に持ち、右の棒で左の棒を叩いたはずみに左をクルクルと高速で回したり、その反対で右を回したりしながら進んでいき、途中でクルリと反転し後ろ向きになる部分も同様である。この、両手に棒を持って打ち合わせながら踊るものは久住町や玖珠町などでも見られるが、それらよりもずっと技巧的である。

盆踊り唄 弥生町井崎(上野) <77・77・77段物>
☆国は筑前 遠賀の町よ つごう庄屋の太郎兵衛さんは 何につけても不足はないぞ
☆不足なければ世に瀬がござる 子供兄弟持ちおかれして 兄が亀松 妹のお塩
メモ:これは県教委による民謡緊急調査からひいたものである。おそらく本来は囃子を伴うのだろうが、演唱者が一人で唄ったために省略したのだろう。

盆踊り唄 本匠村笠掛(中野) <77・77・77段物>
☆盆の踊りとさて申するは(アヨイヤヨーイ) それはもとより 謂れがござる
 釈迦の御弟子の目連様が(アヨイトセー ヨーイヤヨーイ)
☆悟りを開いた知識であれど これな母人 業人なれば 死して冥土へ成仏できぬ
メモ:このうちうちわ踊りは最も一般的なもので、うちわを叩きながら前を向いたり後ろを向いたりして横にずれていくような踊り方であったと記憶している。一般的な佐伯踊りとはずいぶん違っていた。



●●● 佐伯節(その3) ●●● ※海部
 下堅田・上堅田地区以外の「長音頭」のうち、節が大きく変化しているものを集めた。特に上句の節の変化が目立つ。

盆踊り唄 鶴見町沖松浦(西中浦) <77・77・77段物>
☆ここがよかろとゴザ打ち拡げ(アリャナー ソーレワヨイ)
 銚子 盃 はや取り出して お為 飲んでは(ソコ)
 半蔵に差して(ヨイヤセノセー ヨーイヤセ)
☆半蔵飲んではお為に差して 差しつ差されつ差し酒盛りよ そこで二人が夢あいしぬる
「ヤレー こんなことがあろうとえ 正月二日の初夢に(エーイエーイエーイヤナ)
《私のさしたる簪の(ジャロー ジャロ)
『ヤレー 簪抜けてお前さんの 腹に立ちたる夢を見た(ヨイヤセノセー ヨーイヤセ)
☆明けりゃお寺の 鐘が鳴る
「今鳴る鐘はどこの鐘 今鳴る鐘は柏江の
《柏江お寺の江国寺
「また鳴る鐘はどこの鐘 また鳴る鐘は汐月の
《汐月お寺の真正寺
「また鳴る鐘はどこの鐘 また鳴る鐘は常楽寺
《下城お寺の天徳寺
「また鳴る鐘はどこの鐘 また鳴る鐘は御城下の
《殿様屋敷の養賢寺
☆さしも五か所の早撞き流す 心中急がにゃ夜が明けまする 言えば半蔵は言葉にならで
☆二尺一寸すらりと抜いて 花のようなるお為とならば なんと刃が当てらりょものか
☆言うて刃を早取り落とし そこでお為が早申すには 早く斬らんせ卑怯なことよ
☆妻と思えば刃は立たぬ 親の仇と思うて討って 言えば半蔵はまた立ち上がり
☆落とす刀をまた取り上げて お為体にただ一太刀よ 死んだお為に腰うちかけて
「火縄に火をつけ火鋏に トンと撃ったがこの世の別れ
《光も高き行灯の
☆灯す明かりの消えゆくごとく とろりとろりと成仏なさる 残る哀れは堅田の谷よ
☆今も残れる比翼の塚に お為半蔵が心中の口説 聞くも涙の語り草
メモ:沖松浦の盆踊りはハネ前に切り音頭を唄うほかは長音頭ばかりで、お為半蔵を最初から最後まで延々と口説いている。この口説は南海部地方・北海部地方・大野地方から宮崎県にまで広く流布しているが最後まで口説くことは稀で、その意味でも沖松浦の音頭は貴重である。なお堅田踊りで口説かれるお為半蔵と上浦町や北海部地方、大野地方で口説かれるお為半蔵は文句が違い、後者は旧お為半蔵と呼んでいるが、鶴見町のものはそのどちらとも文句が異なる。伝承の過程で変化したというよりも、底本が異なるのだろう。77調の部分は佐伯節だが、堅田踊りのそれとは節がずいぶん変化している。また75調の部分は祭文(「印)と、もう一つ別の節(《印)が交互になるように唄っており、変化に富んでいる。それを示すために、特別に長く紹介した。3つの節がなめらかにつながるようによく工夫されていて、祭文から地の音頭に返る場合、下句の囃子から地の音頭に戻している。節の変わり目は文句の字脚に依拠しており、これをソラでやるとなるとなかなか難しいと思う。現行の踊りは「三つ拍子」といって、これは3回うちわを叩くことからそう呼んでおり佐伯踊りの変形だが、足運びがややこしくて覚えにくい。足運びにも増して難しいのが手振りで、うちわの柄の付け根近くをつまむように持ち、クルリクルリとすばやく返しながらこね回すようにして、独特のシナをつけながら踊る。見様見真似ではとうていものにならない所作で、上手な人が踊ると大変見事である。全体的に身のこなしが軽やかなのに優雅な雰囲気があり、とてもよい。
(踊り方)
右回りの輪(右手にうちわ)
1~6) 右手を左前に振り下ろしつつ右足を前に踏み込み、左足に踏み戻し、右足を引き寄せて束足でうちわを叩き、左足を少し前に踏む。これを3回繰り返して前に進む。
7・8) 右手を上げながら右足から早間に2歩出てうちわを返し、右手を前から後ろに振り下ろすと同時に弾みをつけて右足を蹴り出し裏拍で踏んで両手を前に振り出しうちわを返す。
9) 両手を引き寄せてうちわを返しながら左足を引き戻し、すぐ右足に踏み戻す。
10) 左手を左に下ろし右手をアケで振り上げながら左足を前に踏む。
11・12) 手は同じ所作を繰り返しながら、右足を表拍てトン、トンのすぐ裏拍で前に踏む。
13・14) 左に流しながら左足前に踏み、右手を振り下ろし左手上げながら弾みをつけて右足を蹴り出して裏拍で踏んで左に回り込む。
15) 両手を引き寄せてうちわを返しながら左足、右足とさがって束足で、左回りの輪の向きになる。
17~18) 13~15と同じ所作で左に回って右回りの輪の向きに戻る。ただし最後の右足は引き寄せるだけで体重は載せない。

盆踊り唄 蒲江町河内(蒲江) <77・77・77段物>
☆言えば亀井のさて申すには(ヨイヤナーヨイヤナー)
 もうしこれいな妹のお汐 今日の
 日もまた早や高七つ(ヨイサノヨー ヨイサノヨー)
☆もうちと行からや妹のお汐 言えばお汐のさて申すには 何と言わんす兄上様よ
「ヤレ 小倉の町の叔母さんが 言わしゃんしたを忘れたか
『ヤレ もとより六部というものは 日に七軒の修行して
 晩の七つに宿とるものよ(ヨイサノヨー ヨイサノヨー)
☆朝の五つに宿立つものよ 泊めるところでお泊りなされ 言えば亀井もその気になりて
☆笈をなおせよ妹のお汐 持ちてなおすは床の間内よ
『高燭台に火をつけて 兄が音頭で連念仏よ
☆宿の亭主も連念仏よ 一夜たつのも間のないものよ そうこうする間にその夜も明ける



●●● 佐伯節(その4) ●●● ※海部
 上入津・下入津地区で唄われている節で、こちらは1節2句になっている。もとの1節3句の節の中句と下句を半ばで繋いだようなもので、これは宇佐方面の「マッカセ」が、旧宇佐市のほぼ全域で1節3句で唄われているのに対して安心院・院内では1節2句で唄われているのと同じような変化である。その分やや単調になってはいるも、こちらの方がずっと易しい。

盆踊り唄 蒲江町畑野浦(上入津) <段物>
☆お為そりゃ言うなもう後事よ(ヨイヤセ)
 暗いあぜ道急いで通る(アーヨイヤセー ヨイヤセ)
☆差して行くのは中山峠 山の頂上にゴザ打ちはえて
☆銚子盃はや取り出だし 差いつ差されつさん酒盛りよ
☆夜中酒盛り夜明けの心中 館々は鶏の声
「ソレ 今鳴る鐘は柏江の お為の宗旨の江国寺(エーイエーイエーイヤナ)
「また鳴る鐘は城村の 半蔵が宗旨の天徳寺
『東は白む横雲の 夜明け烏はカーカーと鳴く(アーヨイヤセー ヨイヤセ)
☆もうしこれいな半蔵様よ(ヨイヤセ)
 追手かかれば死ぬことでけぬ(アーヨイヤセー ヨイヤセ)
メモ:木立から伝わってきた「長音頭」が変化したのだろう。75の字脚のところは祭文を入れ節にする(「印)。踊りは1種類で、うちわを持って踊る。

盆踊り唄 蒲江町尾浦(上入津) <段物>
☆国は豊州海部の郡(ヨイヤセー)
 佐伯領とや堅田の谷よ(ヨイヤセー ヨイヤセー)

盆踊り唄 蒲江町楠本浦(上入津) <段物>
☆二尺一寸落しに差して(アラナー ヨイヤンセ)
 シャナラシャナラと月日を送る(アヨイヤセー ヨイヤセ)
☆親の譲りの医者し習うて かかる病気はみな半蔵様
「ソレ 行き来の人が立ち戻り
 あれが宇山の半蔵様か(ヨーイヨーイヨーイヤナ)
☆半蔵よいものよい若いもの 褒める言葉がつい仇となる
○音頭取りゃしばらく待たしゃんせ(ヨイ) 私が合の間を喋りましょ(ヨイ)
 なんなんからやりしょか(ヨイ) 何をやろうも語ろうも(ヨイ)
 はやはや胸に出合わぬが(ヨイ) 今こそ出合うた入れ節を(ヨイ)
 アー西行が 西行が(ヨイ) 四国西国廻るとき(ヨイ)
 豆腐の三角に蹴つまづき(ヨイ) こんにゃく背骨を足に立て(ヨイ)
 向かうを通る姉さんよ(ヨイ) これに薬はないものか(ヨイ)
 それには薬もだんだんと(ヨイ) 山で掘ったる蛤と(ヨイ)
 磯部に生えたる松茸と(ヨイ) 牛の上歯に馬の角(ヨイ)
 氷の黒焼き湯で溶いて(ヨイ)
 それで直らにゃわしゃ知らぬ(アヨイヤセー ヨイヤセ)
☆貰うた貰うたぞ入れ節貰うた 貰うた入れ節 粗末にゃならん

盆踊り唄 蒲江町西野浦(下入津) <段物>
☆淵に身を投げ刃で果つる(ソーソー)
 心中情死は世に多かれど(ヨイヤセーヨイヤセー)
メモ:棚の周りに二重の輪を立て、中の輪ではうちわを持って踊る「中踊り」が踊られるが、これはめいめいが一人で踊る。その外側ではみんなで輪の中を向き、手をつないで行ったり来たりする「輪踊り」が踊られる。この手をつなぐ踊りはかつて滋賀県の一部でも見られたという。近年の新作踊りでは稀に見られるも、伝承のものとしては非常に珍しい。「中踊り」はやや難しいので踊り手が少ないが、「輪踊り」は大きな輪が立っている。

盆踊り唄 蒲江町竹野浦河内・高山・元猿(下入津) <77・77段物>
☆アー 佐伯ヨーホー 領土や堅田の宇山(アリャナー ヨイヤナー)
 アー 宇山なりゃこそ名所もござる(ヨーヤセー ヨヤセー)
メモ:一山越えた蒲江浦の音頭とは節が全然違って、ずいぶん軽やかな印象を受ける。僅か数呼間の易しい踊りで、子供でも踊れる。輪の中を向いてうちわを引き上げるところなど、臼杵方面の浦辺で踊られるもの(大浜や板知屋のうちわ踊り)に似通ったところがある。



●●● 佐伯節(その5) ●●●
 柏江のみに伝わる音頭で、一般的な「佐伯節」の亜種といってよいだろう。下句の囃子のあと、少しだけ三味線の合の手を挿んで次の文句を唄い始めるなど洗練されているが、陰旋化しておりやや暗い雰囲気で、地味な印象を受ける。

堅田踊り「兵庫」 佐伯市柏江(下堅田) <77・77・77段物>
☆月は清澄 日は満々と(ヨイヨイ) おどり栄ゆる平家の御代も
 勇む平家の嵐に揉まれ(ヨーイーヤセーノ ヨーイーヤセ)
メモ:通常、この踊りで輪を立てる。また「大文字」のときのように男女別に輪を立てることはせず、みんな同じ踊り方で踊る。手踊り。
(踊り方)
F 右回りの輪
1) 両手を左上に流しながら左足をトン、左足を前に踏み出す。
2) 両手首を手前に返し、両手を合わせて(音を鳴らさない)下ろしながら右足・左足と若干右にカーブして進む。
3) 両手を右上に流しながら右足をトン、右足をやや輪の内向きに踏む。
4) 左手アケ、右手フセで両手を合わせて(音は鳴らさない)そのまま右後ろに流しながら、左足を右足の後ろに踏んですぐ右足に踏み戻す。
5・6) 1・2と同じ
7) 両手を高い位置からで右上に流して右後ろを見返りながら、右足を後ろに引きやや輪の内向きにトン、右足をやや輪の外向きに踏みかえる。
8・9) 7の反対、反対
10) 4と同じ
11・12) 左・右と流しながら左足から2歩進む。
13) 4の所作で左に回って左回りの輪の向きになる。
14・15) 11・12と同じ
15) 4の所作で左に回って右回りの輪の向きに戻る。

1 佐伯市の盆踊り 地域別の特徴・伝承状況

(1)上浦町
・浦ごとに合同供養踊りを行う。今はせいぜい23時頃にはお開きになるが、以前は夜半を過ぎても踊っていた。一部に二十三夜様の踊りが残っている。
・坪には立派な音頭棚、精霊棚をかける。音頭棚には短冊をたくさんつけた竹をくくりつけたり、盆提灯を吊ったりと賑やかにしている。精霊棚の辺りには茣蓙を延べるなどして、初盆家庭の人などが座れる場所を広くとっている。
・太鼓は、ワク打ちをあまり挟まずにゆったりと力強く叩く。
(浅海井浦)
・浅海井、浪太それぞれ8月15日に合同供養踊りをする。浅海井のみ、23日には地蔵踊り(二十三夜様)をしており盛況。
・供養踊りの冒頭に「余念仏」を唱える。盆口説は「音頭(ヨーヤセ節)」「祭文」、ハネ前には「切音頭」があるほか、「どんさく」のイレコもある。77調と75調の入り混じる段物では、77調のところを地の音頭で口説き、75調にかかるところで「祭文」を入れ節にする。「地蔵和讃」などは「祭文」で口説く。踊りは「三つ拍子」で、うちわか扇子を持って踊る。盆足を引き引きひとまわりする踊り方は、手数が多いものの同じことの繰り返しが多く覚えやすい。これとは別に、地蔵踊りのハネ前には「ごうし音頭」も余興的に踊られている。口説と太鼓。
(津井浦)
・8月15日に合同供養踊りをしており盛況。
・盆口説は「音頭(ヨーヤセ節)」「祭文」、ハネ前には「切音頭」がある。77調と75調の入り混じる段物では、77調のところを地の音頭で口説き、75調にかかるところで「祭文」を入れ節にする。うちわ踊り・扇子踊り(所作は共通)は浅海井とは踊り方が異なり、津久見方面と共通の所作が見られる。提灯踊りもあり、めいめいに好きな踊り方で同時進行で踊る。口説と太鼓。
(最勝海浦)
・浦ごとに合同供養踊りをしている。昔は地蔵踊りもあった由。
・盆口説は「音頭(ヨーヤセ節)」「長音頭」「祭文」、ハネ前には「切音頭」がある。踊りは提灯踊り、うちわ踊り、手踊り(三つ拍子)、扇子踊りがあり、めいめいに好きな踊り方で同時進行で踊る。扇子踊りは衰退している。口説と太鼓。

(2)佐伯市
・市街地を中心に、「佐伯音頭」「佐伯小唄」「ばんば踊り」等の音源に合わせて踊る形態が多くなっているが、下堅田・上堅田・青山・木立・西上浦・大入島など周縁部には旧来の盆口説あるいは「堅田踊り」が伝わっている。
・「堅田踊り」の伝わる上堅田・下堅田・青山地区では1坪弱程度の低い音頭棚を設け、音頭取り・三味線弾きが上がる(太鼓の位置はところにとって異なる)。それ以外の地区では通常の形の音頭棚(櫓)に音頭取りが上がり、下で太鼓を叩く。ただし音源を流すばかりになった地域では、櫓の上に太鼓を据える例も見られる。

a 佐伯地区
・自治会あるいは校区ごとに合同供養踊りを行う。各種イベントやお祭りの寄せ踊りもあり、盛況。
・音源を流してそれに合わせて太鼓を叩き、踊る形態の盆踊りばかりになっている。旧来の盆口説は「長音頭」「ごうし音頭」が僅かに残る程度。
(臼坪)
・かつて、「長音頭」の口説で手踊りと団七踊りが踊られていた。音頭の節が、堅田方面とは若干異なる。

b 鶴岡地区
・自治会ごとに合同供養踊りを行うほか、地区全体の盆踊り大会もしており盛況。
・旧来の盆口説は衰退し、「佐伯音頭」等の音源を流してそれに合わせて太鼓を叩く形態の踊りばかりになっている。

c 西上浦地区
・浦ごと、集落ごとに合同供養踊りをする。
・盆口説は「音頭(ヨーヤセ節)」「長音頭」「祭文」、ハネ前には「切音頭」がある。77調と75調の入り混じる段物では、77調のところを地の音頭で口説き、75調にかかるところで「祭文」を入れ節にする。「地蔵和讃」などは「祭文」で口説く。うちわ踊り・扇子踊りがあるが踊り方は同じ。これらとは別に「ごうし音頭」もある。口説と太鼓。

d 八幡地区
詳細不明

e 大入島地区
・かつては浦ごとに合同供養踊りをしていたが、人口が減少し近年は衰えるばかりで、島内のわずか2集落に残るのみになっていた。コロナを経て、島全体で保存会を組織し合同で供養踊りをするようになった。
・盆口説は「音頭(ヨーヤセ節)」「祭文」、ハネ前には「切音頭」がある。77調と75調の入り混じる段物では、77調のところを地の音頭で口説き、75調にかかるところで「祭文」を入れ節にする。「地蔵和讃」などは「祭文」で口説く。踊りは手踊りと扇子踊り、団七踊りがある。扇子踊りは西上浦のものとは異なる。難しい踊り方で、踊れる人が少ない。団七通りは3人組の棒踊りで、保戸島の団七踊りは「大入島から伝わった」らしい。今は手踊りばかりである。手踊りは動きが大きく、米水津の踊り方のように飛び跳ねるようにして前後に行ったり来たりする踊り方である。その踊り方の骨格は西上浦や浅海井の踊り方と似通ったところもあるが、大入島ならではの独自性があり、記録・保存が望まれる。口説と太鼓。

f 上堅田地区
・集落ごとに合同供養踊り・風流しの踊りをしている。一部では地蔵踊りもする。
・旧来の踊りは堅田踊りで、三味線・音頭の伝承者が減少し、音源を利用するところが増えている。演目は下堅田北部と共通で、「高い山」「与勘兵衛」「お夏清十郎」「恋慕」「思案橋」「一郎兵衛」「対馬」「佐衛門」「那須与一」「長音頭」の10種類の中からいくつかを踊る。「与勘兵衛」「お夏瀬十郎」「那須与一」が扇子踊りで、ほかは手踊り。「長音頭」以外は小唄である。口説と太鼓、三味線。
・「恋慕」「思案橋」「対馬」「佐衛門」は手数が多いし同じ所作の繰り返しが長く、覚えづらい。全体的に見て所作がおとなしく、優美な印象を受ける。殊に「那須与一」「思案橋」「恋慕」などがところの名物といえるだろう。「与勘兵衛」「お夏清十郎」「那須与一」が扇子踊りで、ほかは手踊り。また「一郎兵衛」のみ男踊りと女踊りに分かれており、女踊りは「長音頭」の踊りと共通である。結局、音頭も踊りも10種類ということになる。近年は「長音頭」のときにも男女別に輪が立っているが、これは「長音頭」の短縮化に伴うものだろう。
(蛇崎)
・合同供養踊りをする。
・「佐伯音頭」等の音源に合わせて踊るのが主になっており、堅田踊りは「長音頭」が残るのみ。
(久部・中山・下城)
・それぞれ合同供養踊りをする。
・堅田踊りの際も音源を使用する。10種類のうち「対馬」「佐衛門」等は省略することがある。
・「佐伯音頭」等の余興の踊りでは二重に膨れ上がった踊りの輪も、堅田踊りになると一重の輪が立つのがやっとになっている。
・堅田踊りでは右回り、余興の踊りでは左回りの輪を立てる。
(上城)
・8月23日に地蔵踊りをしている。城村はもとより中山や久部、下堅田北部からも大勢加勢があり盛況。
・堅田踊りの際は音源を使わずに、三味線・太鼓・音頭により10種類すべてを踊っている。「高い山」「与勘兵衛」「お夏清十郎」などでは二重の輪が立つが、「対馬」「佐衛門」になると一重の輪が立つ程度。また、「思案橋」「那須与一」は踊りが揃いにくい。
・調弦の時間を利用して「佐伯音頭」「ばんば踊り」等の音源を流して余興の踊りをする。「佐伯音頭」で輪を立てたら「高い山」「与勘兵衛」…と踊っていき、9番目の「佐衛門」の後に中入れ。後半はお為半蔵の「長音頭」で、昔は長時間踊ったのだろうが今はせいぜい10分程度で切っている。
・堅田踊りでは右回り、余興の踊りでは左回りの輪を立てる。
(岸河内・大越)
・それぞれ合同供養踊りを行う。
・堅田踊りは「高い山」「与勘兵衛」「お夏清十郎」「一郎兵衛」「切音頭」「長音頭」の6種類が残る。「切音頭」は城村の「那須与一」と同種。また「長音頭」の三味線はよそが大抵二上りなのに対して本調子で弾く。外題も、よそは大抵「お為半蔵」だがここでは「炭焼き小五郎」を口説いている。口説と太鼓、三味線。

g 下堅田地区
・集落ごとに合同供養踊り・風流しの踊りをしている。一部では地蔵踊りもしている。地区全体で「堅田踊りの夕べ」も開いており盛況。
・当地区は堅田踊りの本場中の本場で、地域ごとに演目が異なりバリエーションに富んでいる。具体的に見れば北部(宇山・江頭・汐月)、津志河内・小島、柏江、泥谷、西野、波越、石打、府坂、竹角の9グループに分けられ、グループが違えば同じ外題の演目であっても音頭の節や文句、三味線、踊りがそれぞれ異なる。これは当地域が天領・藩領の入り混じっていたことに起因し、上方由来の音頭・踊りを集落ごとに工夫し、役人をもてなす際に披露したとのことである。ところが、このバリエーションの豊富さが却って音頭・三味線・踊り手の減少に拍車をかけているのが現状で、最盛期には全体で40種類以上を数えた演目も年々少なくなっている。全体的に見て北部3集落の踊りは今なお盛んだが(北部3集落および上堅田の各集落で互いに加勢ができるため)、それ以外の集落は年々踊りの輪が小さくなるばかりである。
(宇山)
・8月15日頃に合同供養踊りをする。
・演目は上堅田と共通で、「高い山」「与勘兵衛」「お夏清十郎」「恋慕」「思案橋」「一郎兵衛」「対馬」「佐衛門」「那須与一」「長音頭」の10種類(詳細は上堅田地区の項を参照)。一重の輪がやっと立つ程度で、特に「思案橋」「対馬」「佐衛門」は踊れる人が減り輪が小さくなるばかりである。どの踊りもよいが特に「那須与一」の扇子踊りが優美で、狭い坪で一斉に扇子を上下に繰ってはクルリと反転して弓を引く様は壮観であったが、だんだん踊りが揃わなくなってきている。口説と三味線、太鼓に合わせて踊る。
・調弦の時間を利用して「佐伯音頭」「ばんば踊り」等の音源を流して余興の踊りをする。
・堅田踊りでは右回り、余興の踊りでは左回りの輪を立てる。
(江頭)
・8月24日に地蔵踊りをする。
・演目は宇山と共通だが、すべて音源を使用している。
(津志河内)
・合同で供養踊りをする。
・演目は「高い山」「与勘兵衛」「お夏清十郎」「長音頭」など5種類程度で、北部の踊りとよく似ている。ここは「長音頭」の踊り方がよそとずいぶん違い25足という手数の多さであり、初めに返るまでに左に二回りする。やや難しいが、盆足を踏む踊り方は近隣の「長音頭」には見られないものであり、優美な手振りがところの名物となっている。
・堅田踊りのときも左回りの輪を立てる。
(柏江)
・合同で風流しを兼ねた供養踊りをする。以前は8月16日に固定していたが、令和5年は8月14日に実施した。集落規模の割に人出が多く、盛況。
・現行の演目は「兵庫節」「大文字」「茶屋暖簾」の3種類。「兵庫節」は手踊り、「茶屋暖簾」は手拭い踊り。「大文字」は女踊りと男踊りがあり、女踊りは扇子踊りで外側の輪、男踊りはうちわ踊りで内側の輪。「兵庫節」「大文字」は所謂「佐伯節」の系統で、後者はよそでいう「長音頭」である。小唄踊りの類は「茶屋暖簾」を残すのみとなっている。堅田踊りの伝わる集落の中では、最も演目が少ない。明治末期の頃はほかに「鶯」「奴踊り」「待宵」「本調子」「夜盗頭」なども盛んに踊られていたとのことだが、文句や踊り方等の記録がなく、詳細不明。口説と三味線、太鼓(茶屋暖簾のときは拍子木)。
・3種類の踊りの中でも「茶屋暖簾」は柏江名物で、浴衣の袖をくるりと返したり、手拭いの端を肩にひっかけて反対の端を拝み手で持ち継ぎ足でジグザグに進んだりする所作が優美を極める。「大文字」の扇子踊りも派手で、柏江の踊りは昔から近隣でも評判だったという。
・かつて、棚の上は音頭取りや三味線で超満員、「大文字」の音頭も今のように同じ節を繰り返すのではなく、要所に「さわ節」「落とし」「大落とし」など違う節を挿む唄い方をしていた。また、外題は現行の「お為半蔵」以外にも「小五郎」「白滝」等があった。踊りの輪も何重にもなり深夜まで踊っていた由。今でも音頭・三味線ともに数名ではあるが後継者がおり、特に「茶屋暖簾」は唄い方が難しいが、音源は使っていない。
(泥谷)
・合同で風流しを兼ねた供養踊りをする。後日、観音様の踊りもするが、そのときは仮装も出る。
・現行の演目は「与勘兵衛」「様は三夜」「伊勢節」「お夏清十郎」「長音頭」の5種類。「長音頭」のみ手踊りで、よそで一般に踊られる16足の踊り方より2つ手拍子が多く、18足で踊る。あとの4種類はすべて扇子踊り。平成初期まではほかに「思案橋」「対馬」「本調子」を、さらに古くは「一郎兵衛」も踊っていた由。「長音頭」以外は小唄。口説と太鼓、三味線。
・泥谷の踊り方は足運びが細やかで、扇子を両手で高く持ちクルリクルリとねじ回していくなど優美な所作が目立つ。その中で「伊勢節」は派手な踊り方で、所作が易しいし、音頭も賑やかなので人気が高いようだ。
・音頭、三味線ともに後継者がおり、踊りも中年以上の女性ばかりだがどうにか一重の輪が立っている。昔は棚の上が音頭取り・三味線弾きで満員で、坪には二重三重の輪が立っていたとのこと。
・現行の5種類は全て二上りなので調弦のための間が空くこともなく、「佐伯音頭」その他の余興の踊りを挿むことはない。
(西野)
・合同で観音様の盆踊り大会をする。公民館の坪を万国旗で飾り、賑やかな雰囲気。
・現行の演目は「男だんば(男踊り)」「女だんば(女踊り)」「牡丹餅顔(男踊り)」「しんじゅ(女踊り)」「与勘兵衛(男踊り)」「花笠(女踊り)」「だいもん(男踊り)」「花扇(女踊り)」「お市後家女(男踊り)」「きりん(女踊り)」「小野道風(男踊り)」「ご繁昌(男踊り)」に余興の「長音頭」を加えて13種類。「男だんば」は総のついた棒、「花笠」は扇子2本、「花扇」「きりん」は扇子1本、「ご繁昌」は手拭いを使い、残りは全て手踊り。かつてはほかに「いろは(女踊り)」「新茶(男踊り)」「浮名(女踊り)」「チョイトナ(男踊り)」「帆かけ(女踊り)」も踊り、合計18種類を数えていた。全部踊ると3時間程度かかったとのこと。「男だんば」「女だんば」「長音頭」が口説で、残りが小唄。
・西野の踊りは、余興の踊り以外は全て男踊り・女踊りに分かれている。全部の踊りが男女別になっているのは西野だけで、上方の役人をもてなす際に坪で男踊りを踊ったかと思えば座敷で女踊りを踊り…というふうに、交互に踊って少しでも変化のつくように工夫した名残とのこと。近年まで男女別に踊っていたが輪が立たなくなってきたので、今は全て男女一緒に踊っている。また、現行の踊りは男踊りが7つ、女踊りが5つなので、「花笠」を2回踊って男踊り7つ・女踊り6つとして両者がが交互になるようにしている。
・男踊りと女踊りの対比がおもしろく、「牡丹餅顔」や「お市後家女」の田舎風の所作や、「花笠」「花扇」の体を後ろに傾けてシナをつける所作、「ご繁昌」の反復横飛びなど非常にバリエーションに富んでいる。全ての踊りを完全に覚えるのは容易なことではない。「牡丹餅顔」「花笠」「だいもん」「ご繁昌」では二重の輪が立つが、「しんじゅ」「きりん」「花扇」のときにはとても小さな一重の輪がやっとなっている。昔は上手な人が何人もいたというが、世代がかわって全種類踊れる人が少なくなってきている。
・踊りにもまして難しいのが音頭・三味線で、後継者難に直面している。殊に「しんじゅ」「きりん」「花扇」「いろは」「浮名」は端唄風の節回しで、間の取り方が難しい。かつては棚の上に上がりきれないほどの人数がいたという三味線弾きも皆無になってしまい、一時期は音頭もいなくなり、音源に合わせて太鼓のみ叩いていた。近年、音頭のみ復活したが、やはり三味線弾きがおらず、音源にかぶせて唄っている状態である。
(波越)
・8月16日に風流しの盆踊りをしていたのだが、平成28年頃より休止している様子。かつては8月24日に地蔵踊りもしていた。
・平成22年の時点で「南無弥大悲」「高い山」「与勘兵衛」「わが恋」「十二梯子」「芸子」「智慧の海山」「淀の川瀬」「お竹さん」「長音頭」の10種類が残っていた。「与勘兵衛」は親骨1本開いた扇子、「わが恋」は左手に開いた扇子・右手に畳んだ扇子(おそらく提灯の代替)、「十二梯子」は畳んだ扇子(おそらく綾棒の代替)、「芸子」は開いた扇子、「智慧の海山」は手拭い、「淀の川瀬」は開いた扇子2本、「お竹さん」は親骨1本開いた扇子2本を持ち、残りは手踊り。昔は「大文字山」「ほんかいな」「無理かいな」も踊り、合計13種を数えた。これは西野に次ぐ多さである。「長音頭」以外は小唄。
・ところの名物は「淀の川瀬」で、その優美なことといったら堅田踊りの中でも白眉かと思われる。この踊りの前に一旦輪を崩し、全員が退場しておく。そして「段前」という、短いフレーズを繰り返す賑やかな三味線に乗って、簡単な所作で踊りながら坪に繰り込み、輪を立てていく。このとき、扇子は半開き程度。段前が終わると同時に一斉に扇子を振り開き、それから先はゆったりとした美しい所作の当て振りが続く。そして各節の終わりの方で、同じ輪の中で前向きの人・後ろ向きの人…と交互になり、向かい合わせになってキメ。囃子に入れば、後ろ向きの人がクルリと反転し、また全員同じ向きに進んでいくのである。盆踊りらしからぬ手の込みようで、結局は輪踊りの体をなした組踊りと見てよいだろう。この、半ばで前後が互い違いに向かい合わせになる所作は「お竹さん」でも出てくる。ほかにも「十二梯子」の、畳んだ扇子を高く両手で挟み持ちゆっくりと回す所作や、「智慧の海山」の畳んだ手拭いをクルリクルリと巻き込んでいっては開く所作など、興趣に富んだ踊りが多い。
・踊り手のほとんどが中高年以上の女性ではあったが、集落規模と踊りの難度を考慮すればそれなりに多く、一重の輪が立っていた。音源を使わずに三味線弾き・音頭取りともに数名が棚に上がっていたが、こと音頭に関しては節が難しく高調子の唄が多いためやや難渋している様子であった。その後の経緯は定かではないも、あの難しい踊りではいよいよ伝承に難渋したであろうことは想像に難くない。
・波越は堅田きっての「踊りどころ」として名高いところで、その背景には歌舞伎芝居が盛んであったことが大きいようだ。そのためか「淀の川瀬」や「十二梯子」等の芝居がかった唄や、「芸子」「我が恋」に見られるようなぞめき唄の類など、都会の流行小唄・座興唄の吹き溜まりの感がある。
(石打)
・合同で供養踊りをする。
・演目は「高い山」「与勘兵衛」「様は三夜」「淀の川瀬」「大文字山」「お竹さん」「竹に雀」「団七棒踊り」「お染久松」「長音頭」の10種類を数えたが衰退著しく、今は「お染久松」「与勘兵衛」「長音頭」など数種類を残すのみとなっている。「お染久松」は手拭いを、「与勘兵衛」はうちわを持って踊る。「長音頭」以外は小唄。口説と太鼓、三味線。
・現行の踊りの中では「お染久松」が目を引く。手拭いを左に振って端を肩にひっかけながらクルリと左に回り込む所作や、両手を振り上げる所作など、派手な中にも粋な風情があって大変よい。トンチの利いた文句や浮かれた調子の節回し、賑やかな三味線もよく、ところの名物である。
・踊り手の減少が著しく、中年以上の人が数名しか踊っていない。小さな一重の輪も立つか立たないかといった程度で、しかも踊りが難しいため輪が乱れがちである。音頭取りや三味線弾きは棚の上に3名程度おり、音源は使っていない。
(府坂)
・合同で供養踊りをする。
・演目は「高い山」「与勘兵衛」「大文字山」「小野道風」「淀の川瀬」「坊さん忍ぶ」「数え歌」「わが恋」「お染久松」「大阪節」「長音頭」の11種類だが、この全てが残っているかどうかは不明。「大文字山」「わが恋」は現存を確認している。「わが恋」は左手に扇子、右手に提灯をさげた棒を持って踊る。その提灯は電球つきで、淡い光が美しい。「長音頭」以外は小唄。口説と太鼓、三味線。
・「わが恋」の、提灯をクルリと回してかつぐ所作がよい。一方で「大文字山」は、片手を振り上げては返して継ぎ足の連続で、千鳥に進んでいくところなど浮かれ調子もおもしろく、両者の対比が見事である。
・集落規模のわりに踊り手は多い。子供もよく踊っている。音頭取りや三味線弾きも棚の上に数名おり、音源は使っていない。
(竹角)
・少なくとも平成20年以降は、盆踊りを休止している模様。
・演目はかつて「与勘兵衛」「大文字屋」「小野道風」「淀の川瀬」「坊さん忍ぶ」「数え唄」「わが恋」「お染久松」「大阪節」「長音頭」の10種類を数えたが、伝承状況は不明。

h 青山地区
・集落ごとに合同供養踊りをしていたほか、かつては下堅田の「堅田踊りの夕べ」と同じく、青山地区全体の盆踊り大会もあった。その盆踊り大会には各集落が一堂に会して3種類ずつ順繰りに踊りを披露し、全体では新民謡の踊りを数種類踊っていた。下堅田と同じく、同じ外題の演目でも踊り方が集落ごとに全部異なり、非常にバラエティに富んでいたのだが、それが却って伝承の困難さに拍車をかけたことが推察される。近年は旧来の盆踊りは下火になって、新民謡の踊りが主になっているようだ。
・幸いにも、youtubeに青山の盆踊りの昔の映像がupされている。それを拝見する限り、演目や節・踊り方は下堅田南部(波越・石打・府坂・竹角)のものと似通ったところがあり、堅田踊りの文脈で語られるべきものである。青山独自の所作や節回し、文句もありたいへん貴重なものであるのに、一般に「堅田踊り」というと下堅田・上堅田のものとされ、ややもすると青山が等閑視されているきらいがあるのが惜しまれる。今後、民俗調査・研究といった学術的な領域においても堅田踊りが注目される機会はきっとあると思うが、その際には調査対象にぜひ青山を含んでいただきたいと切に願う。
(黒沢)
・演目は「あの子よい子(高い山)」「与勘兵衛」「数え唄」「坊さん忍ぶ」「小野道風」「初春」「長音頭」などがあった。このうち「あの子よい子」「数え唄」は手踊り、「与勘兵衛」はうちわ踊りで、ほかは不明。いずれも手の込んだ所作でたいへん難しい。特に「あの子よい子」は、波越の「高い山」と共通の所作もあるが、足運びがより複雑である。全体的に見て概ね下堅田南部と共通の演目が目立つ(踊り方は違う)が、「初春」は下堅田には残っておらず、青山のみに伝わっていた演目である。「長音頭」以外は小唄。口説と太鼓、三味線。
(山口・市福所)
・演目は「織助さん」「小野道風」「与勘兵衛」「長音頭」などがあった。このうち「織助さん」は手拭い踊りで、この演目は音頭も踊りも、上堅田・下堅田には残っておらず記録にもなく、青山のみに伝わっていたものである。手拭いを振り回すような所作が非常に優美で、複雑な足運びの軽やかさもあいまってところの名物といえるだろう。文句は段物だが1節ごとに長い間奏(三味線)が入り、半ば小唄踊りの様相を呈している。「小野道風」は手踊り(小唄)、「与勘兵衛」はうちわ踊り(小唄)。口説と太鼓、三味線。
(谷川)
・演目は「智慧の海山(ご繁昌)」「小野道風」「与勘兵衛」「長音頭」などがあった。このうち「智慧の海山」は下堅田の波越でも踊られていたほか、今も西野に「ご繁昌」の名で残り盛んに踊られている。いずれも手拭い踊りだが三者三様、踊り方が大きく異なる。谷川のものは、波越や西野よりもずっとのろまなテンポで、手拭いをクルリクルリと回すなど非常に優美であるうえに、足運びが複雑で難しい。「小野道風」は手踊りで、これも西野の踊り方とはまったく異なる。「与勘兵衛」はうちわ踊りで、石打や波越の踊り方に少し似たところもあるが細かいところはずいぶん異なる。口説と太鼓、三味線。

i 木立地区
・地区全体で合同供養踊りをしている。竹灯籠などでグラウンドを飾り、賑やかな雰囲気である。大きな一重の輪が立ち、盛況。かつては集落ごとに実施していた。
・盆口説は「長音頭」「祭文」、ハネ前には「切音頭」があった。「お為半蔵」など77調と75調の入り混じる段物では、77調のところを地の音頭で口説き、75調にかかるところで「祭文」を入れ節にする。「おすみ」など75調の段物は「祭文」で口説く。前者は唄い方が難しく、今は「おすみ」を祭文で口説くばかりになっている。踊りは「一つ拍子」(扇子踊り)、「三つ拍子」(扇子踊り)、手踊りがあり、めいめいに好きな踊り方で同時進行で踊る。口説と太鼓。
・当地域の「木立扇子踊り」は、堅田踊りや小半の扇子踊り、丸市尾浦の扇子踊りなどと並んで非常に手の込んだ踊りで、近隣にも評判である。殊に「三つ拍子」は複雑を極める。扇子を親骨1本だけ開いて踊り始めて、途中で後ろ向きになって扇子を開き、右に左に流しながら弓を引き引き左に回り込んでいき、扇子を畳む。ここまでの手数が30呼間を下らず、覚えるのに容易ではない。
・加藤正人先生『続ふるさとのうた』によれば、踊り方があまりに難しいため扇子踊りは昭和30年頃に一時途絶えたとのこと。これを惜しむ声が高まり、高齢者に教えてもらいながら練習を重ねて、昭和50年代に復活して今に至っている。このような経過をたどっているためか伝承に熱心で、若い人でも上手に踊っている。
・余興として、音源を流して「ばんば踊り」「佐伯音頭」等も踊るが、徐々にこちらの比重が増してきている。旧来の踊りがあまりに難しく、やむを得ないことと思われる。



(3)鶴見町
・盆口説は地の音頭が「ヨーヤセ節」か「佐伯節」で、「祭文」を入れ節にする。ハネ前は「切音頭」。踊りは「三つ拍子」のうちわ踊り、扇子踊り、提灯踊り等がある。扇子踊りはほぼ廃絶している。
・うちわ踊りは今なお盛んに踊られているも、ヒラヒラとうちわをこね回しては盆足を踏んでいくのが大変難しい。一目見ただけではとてもついていけないような手振りは優美を極め、昔は集団就職などで都会に出た鶴見町出身の人が夏のイベントなどで「三つ拍子」を披露すると、拍手喝采を浴び称賛されるのが常であったという。ところが時代の流れで、飛び跳ねるような荒っぽい踊り方をする人が多くなった地域もあり、「最近は踊りが崩れてしまい、昔の踊りとは変わってしまった」云々の声も聞かれるとのこと。

a 西中浦地区
・浦ごとに合同供養踊りを行う。今はせいぜい23時頃にはお開きになるが、以前は夜半を過ぎても踊っていた。
・坪には立派な音頭棚、精霊棚をかける。音頭棚には短冊をたくさんつけた竹をくくりつけたり、盆提灯を吊ったりと賑やかにしている。
(吹浦)
・昔は初盆供養以外にも、お大師様、お地蔵様など7夜ほど踊っていた。今は、2晩連続で踊るのみ。
・踊りはうちわ踊りと手踊り。昔は八百屋踊り、団七踊りもあった。音頭は共通。
(沖松浦)
・音頭棚のすぐ横には木造の、非常に立派な精霊船を据えている。
・「お為半蔵」を最初から最後まで、全部口説いている。本場の下堅田地区では既に全文口説くことはなくなっており、貴重である。地の音頭は「佐伯節」の類で所謂「長音頭」だが、75調の箇所では「祭文」を入れ節にしている。その節の繋ぎ方が巧みで、なめらかに繋がるようよく工夫されている。踊りは「三つ拍子」のうちわ踊りを残すのみとなっており、扇子踊りと提灯踊りは廃れている。口説と太鼓。

b 中浦地区
・浦ごとに合同供養踊りを行う。今はせいぜい23時頃にはお開きになるが、以前は夜半を過ぎても踊っていた。
(羽出浦)
・地の音頭は「ヨーヤセ節」で、75調の箇所では「祭文」を入れ節にしている。口説と太鼓。
・踊りがはねたら、全員で「地蔵和讃」を唱える。和讃というよりは御詠歌に近く、技巧的な節である。伴奏に太鼓がつき賑やかだが、踊りは伴わない。

c 東中浦地区
大島以外は現状不明
(大島)
・合同で供養踊りをする。かつては3夜連続で踊っていた。
・旧来の盆口説・踊りが残ってるかどうかは不明。



(4)米水津村
・浦ごとに合同供養踊りをする。昔は4年に1回実施し、4年分の初盆供養をまとめて行っていた(ヨリ年には実施せず、翌年に持ち越していた)。その後2年に1回になり、近年は毎年輪を立てている。 ※ヨリ年=旧暦のうるう年
・初盆家庭は傘鉾を出す。これは長い竿の先に蝙蝠笠をつけて、その開いた傘に個人の着物をかけ、さらに遺品をつりさげたりしたもので、依代の役割を果たすという。ハネ前30分頃、「切音頭」にかかる前に宮野浦では傘鉾にさげた提灯に灯を入れ、色利浦では傘鉾にグルリとさげた線香に火をつける。切音頭が始まるとめいめいの傘鉾を先頭に、位牌・遺影を持った人、遺族、隣保班の人と続いて、3周まわる。そして踊りがはねたら寄り道をせずに急いで家に帰り、お縁から仏壇の方へ傘鉾を捧げ入れ、着物を外すとのことである。
・宇佐方面の「庭入」とはまるで様式が異なるも、傘鉾を出すという点は共通である。もとをただせば、同じ発想のものだろう。
・地の音頭は所謂「ヨーヤセ節」で、75調の字脚では「祭文」を入れ節にする。ハネ前には「切音頭」を口説く。踊り方はただ1種類、うちわ踊りを残すのみとなっている。口説と太鼓。



(5)蒲江町
・浦ごとに合同で供養踊りをする。かつては数夜連続で踊るのが当たり前だったが、今は一晩のみで済ませるところが多くなっている。
・盆口説の節は浦ごとに違うが、所謂「ヨーヤセ節」の変調であることが多い。踊り方については、扇子踊り、二本扇子、うちわ踊り、手つなぎ踊りなど多彩を極める。
・坪には立派な音頭棚、精霊棚をかける。音頭棚には短冊をたくさんつけた竹をくくりつけたり、盆提灯を吊ったりと賑やかにしている。

a 上入津地区
・浦ごとに合同で供養踊りをする。かつては数夜連続で踊っていたが、今は一晩のみで済ませる。
・地の音頭の節が蒲江地区とは異なり、木立地区の「長音頭」の節を簡略化して1節2句にしたような節を繰り返す。77調に75調が混じる段物では、75調の箇所は「祭文」を入れ節にして唄う。口説と太鼓。
(畑野浦)
・かつては8月14日に初盆供養踊り、15日に先祖供養踊り、17日に観音様踊り、21日に地蔵踊りをしていた。8月14日にこの4つの踊りを全て集約して行う。
・口説は「お為半蔵」の音頭と、「野辺和讃」の祭文で2時間近くかかるので他の外題は出ない。踊りは1種類のみ(うちわ踊り)。口説と太鼓。
・ハネ前、切音頭にかかると初盆の家の人が短冊をさげた竹を持ち、親類縁者がそのあとに着いてまわる。米水津の傘鉾の行事と同様の意味合いと思われる。
(尾浦)
・昔は8月14と15日に踊ったが、今は14日のみ。人口が減少し、年々踊りの輪が小さくなるばかりだという。ヨリ年は「お大師様踊り」として踊り、翌年、2年分の新仏供養踊りをする。
・現行の踊りは1種類のみ。昔は2種類あった。口説と太鼓。
・ハネ前には、遺影抱いて鉦をならしながら音頭棚の周りを回る。
(楠本浦)
・昔は8月14日と15日に踊ったが、今は14日のみ。
・現行の踊りは1種類のみ(うちわ踊り)。口説と太鼓。

b 下入津地区
・浦ごとに、または集落ごとに合同で供養踊りをする。
・上入津地区とは音頭の節が異なる。
(西野浦)
・4つの集落が合同で、神仏の位牌を寄せて西野浦全体の供養踊りをする。仲川原集落のみ、8月15日に観音様踊りもする。かつては4つの集落がそれぞれ別個に、14日から7夜連続で踊っていた。
・西野浦の盆踊りは独特の形態を持ち、音頭棚の周りに二重の輪を立てる。中の輪ではうちわを持って踊り、これを「中踊り」という。外の輪ではみんなで手をつないで行ったり来たりする「輪踊り」が踊られる。「中踊り」の踊り手が減り、今は「輪踊り」ばかりになりつつある。口説と太鼓。
(竹野浦河内)
・3つの集落でそれぞれ供養踊りをしている。竹野浦河内では8月14日に供養踊りをして、15日には地区のお祭りで踊る。元猿では8月14日に供養踊りをする。昔は2晩連続で踊り、初盆の家でも踊っていた。
・昔は数種類の踊りがあったが、今はごく簡単なうちわ踊りばかりになっている。口説と太鼓。

c 蒲江地区
・浦ごとに、または集落ごとに供養踊りをする。
・音頭の節は所謂「ヨーヤセ節」の系統だが、浦ごとに異なる。
(蒲江浦)
・合同で供養踊りをする。2夜連続で踊っている。
・地の音頭は米水津のものよりもゆったりとしており、やや節が細かい。以前は5字のところで「祭文」を入れ節にしていたのだが、今は5字の箇所をとばして口説き、入れ節は聞かれなくなっている。中入れ前・ハネ前には「切音頭」を唄う。踊りは2種類、いずれも扇子踊りで「一本踊り」と「二本踊り」とがあるが、近年は「二本踊り」ばかりになっている。「二本踊り」は扇子2本を使う踊りで、手数は少ないし扇子も開きっぱなしなので易しい部類ではあるも、右に左に反転しながら両手を高く仰ぐ所作がなかなかよい。口説と太鼓。
・狭い坪に三重、四重の輪が立つ。中央の音頭棚からは万国旗や盆提灯等を巡らし、賑やかにしている。坪の片隅には精霊棚が設けられ香灯の絶え間を知らない。狭い坪でめいめいに2本の扇を一斉に仰いでいくので、まるで音頭棚の周りが波打っているような優美さがある。
(河内)
・かつては8月14日から3夜連続で踊った(順に初盆供養踊り・先祖供養踊り・山の神踊り)が、今は14日に集約している。
・音頭と踊りは蒲江浦と共通。口説と太鼓。
(深島)
・8月14日と15日に踊る。
・音頭と踊りは蒲江浦と共通。口説と太鼓。
・島の人口は50人足らずだが、帰省した人も加わり踊りの輪を立てている。
(猪串浦)
・合同で供養踊りをする。
・地の音頭の蒲江浦とは全く違い、名護屋地区の節と共通。音頭代わりその他で適宜「どんさく」という75調のイレコを挿む。ハネ前には「切音頭」を唄う。口説と太鼓。
(越田尾)
・初盆の家の坪か、またはその近くの空き地等で踊る。
・音頭と踊りは猪串浦と共通。口説と太鼓。
(屋形島)
・合同で供養踊りをする。
・『蒲江町盆踊口説集』には、屋形島の盆口説として地元のもの以外にも宇佐の「マッカセ」や野津の「三重節」、堅田踊りの「那須与一」「しんじゅ」「淀の川瀬」「本調子」、丸市尾浦の「祝い音頭」、森崎浦の「繁昌づくし」、畑野浦の「祭文」など、他地域由来のものが掲載されている。現状は不明で、或いはこの地の音頭本に掲載されていただけで実際に唄い踊ったわけではないのかもしれない。

d 名護屋地区
・浦ごとに合同で供養踊りをする。
・地の音頭の節は所謂「ヨーヤセ節」の系統だが、蒲江浦とは全く異なる。テンポがずっと遅く、音引きが多いし音域も広く、やや難しい。77調に75調が入り混じる段物の場合、75調の箇所では「祭文」を入れ節にする。また、音頭代わり、ハネ前その他には「どんさく」という75調のイレコを挿む。また、輪立ての「出し」やハネ前の「切音頭」は他地域と同様「サンサ節」の類だが、よそに比べると単純な節である。
(葛原浦)
・現行の踊りは扇子踊り1種類のみ。口説と太鼓。
・踊り方が難しく、年々踊りの輪が小さくなるばかりである。
(森崎浦)
・8月14日に初盆供養の踊りを、16日は先祖供養の踊りをしている。
・踊り方が難しく、年々踊りの輪が小さくなるばかりである。口説と太鼓。
(丸市尾浦)
・8月14日にお寺で供養踊りをして、16日には広場で踊る。16日は多少くだけた雰囲気で、余興的として「佐伯音頭」「炭坑節」「蒲江音頭」などを音源に合わせて踊ってから、口説の踊りに移行する。
・昔は「畑野浦(はたんだ)踊り」「宇目踊り」など、合計10種類を数えた。今は「たもと踊り」「どんさく踊り」の2種類しか踊られていない。このうち「たもと踊り」は扇子踊りで、所作が難しい。堅田踊りや木立の「扇子踊り」等に匹敵する優美さで、ところの名物といえるだろう。口説と太鼓。
・踊り方が難しいので年々踊りの輪が小さくなるばかりだが、それでも16日には二重の輪が立っている。
(波当津浦)
・8月7日頃から練習して13日は本番の練習、14日は供養踊り、15日は仮装踊り、16日にも踊っている。
・昔は10種類の踊りがあったが、今は4種類を踊っている。また、16日の踊りの際には必ず「繁盛づくし」が唄われる。これは段物口説の音頭とは全く異なり、堅田踊り「しんじゅ」や山路踊り「酒宴づくし」等と同系統のもので、もとは三弦唄である。口説と太鼓。
・この地域は人口の減少が著しく踊りの輪が年々小さくなっているが、町内のほとんどの地域の盆踊りが一夜ないし二夜に集落されてきた中で一夏に4回は輪を立てている。踊り熱心な土地柄なのだろう。



(6)弥生町
・集落ごとに合同で供養踊りをする。ほとんどの集落で既に廃絶しているようだ。
・旧来の盆口説が下火になり、「佐伯音頭」「弥生小唄」等の音源に合わせて踊ることが多い。
・地の音頭は「長音頭」または「ヨーヤセ節」の類で、77調に75調の混じる段物では75調の箇所で「祭文」を入れ節にする。ハネ前は「切音頭」を唄う。踊りは「三つ拍子」のうちわ踊り。



(7)本匠村
・村全体で盆踊り大会をする。かつては集落ごとに供養踊りをしていた。
・村の盆踊り大会では「本匠音頭」ほか新民謡の音源を流して踊るばかりで、旧来の踊りは「長音頭」のうちわ踊りが残るのみ。ただし小半の「扇子踊り」「団七踊り」も伝承されており、イベントなどで披露される機会がある。いずれも音源を流しており、盆口説の伝承は途絶えているようだ。

a 中野地区
(笠掛)
・合同で供養踊りをしていた。
・地の音頭は「長音頭」で、77調に75調の混じる段物では75調の箇所で「祭文」を入れ節にする。踊りは「三つ拍子」のうちわ踊りで所謂「佐伯踊り」の類だが、堅田方面の踊り方とはずいぶん違う。
(小半)
・合同で供養踊りをしていたが、小半の盆踊りは踊り方が難しく、少子高齢化が著しい中で伝承者が減少し休止状態となっている。
・地の音頭は「長音頭」で、77調に75調の混じる段物では75調の箇所で「祭文」を入れ節にする。踊り方は「八百屋踊り」「三つ拍子」「団七踊り」などがある。「八百屋踊り」や「三つ拍子」は扇子踊りで、どちらも佐伯踊りの系譜であり左足・右足と素早く踏みかえて方向転換しながら一回りするところと、継ぎ足3つのところなどに面影が色濃く残る。特に「三つ拍子」は、一見して佐伯踊り(堅田踊りでいうところの長音頭)だとすぐ分かる。「八百屋」の方はもう少し技巧的で、途中で畳んだ扇子をかいぐりしては低く開いての繰り返しにて出て、後ろに踏んだかと思えばパッと一振りで大きく開くところが、ちょうど佐伯踊りでいうところの3つ拍子のところにあたる。これらの扇子踊りは、ひところは木立の扇子踊りや堅田踊りと肩を並べるほどの評判を呼び、別府に招かれて踊りを披露したりしたこともあった。「団七踊り」は他地域と同様、3人組の棒踊りである。常に中の者が前か後ろ、互い違いに打ち合う形式のものであって、大野郡にこれと類似した踊り方の団七踊りが残っている。

b 因尾地区
(山部)
・初盆の家を門廻りで踊っていた。
・昭和35年頃までは、供養踊りの開始にあたって「道がけ」という行事をしていた。笛・太鼓・鉦の伴奏で和讃を唱え、4人の女性が扇子を持って念仏踊りを踊っていた。それがすむと一般の盆踊りに移行していた。



(8)直川村
・村全体で盆踊り大会をする。かつては集落ごとに供養踊りをしていた。
・村の盆踊り大会では「直川音頭」「佐伯音頭」等の新民謡の音源を流して踊るのが主だが、旧来の盆口説による踊りも行われている。
・地の音頭は「長音頭」で、77調に75調の混じる段物では75調の箇所で「祭文」を入れ節にする。75調が長く続くところでは「祭文」の中にさらに違う節(出雲節の字余りに近い)を挿む。ハネ前は「切音頭」を唄う。口説と太鼓。



(9)宇目町
・集落ごとに合同供養踊りをするが、下火になってきている。かつては町全体の盆踊り大会もあった。
・地の音頭は「長音頭」で、77調に75調の混じる段物では75調の箇所で「祭文」を入れ節にする。音頭代わりなどには75調の繰り返しのイレコを挿む。ハネ前には「切音頭」を唄う。
・旧来の盆口説・踊りも残っているが、新民謡「宇目音頭」や民謡「宇目の子守唄」の音源を流して踊ることの方が多くなっている。

a 小野市地区
・集落ごとの供養踊りは数か所に残るのみとなっており、お祭りのときなどに踊る機会の方が多い。
・旧来の踊りは「うちわ踊り」「棒踊り」で、めいめいに好きな踊り方で同時進行で踊る。盆口説が下火になり、新民謡「宇目讃歌」の音源を流して旧来の踊りを踊ることもある。「棒踊り」は房のついた棒を1本ずつ両手にもち、振り回しながら踊る。昔は「竹刀踊り」もあった。

b 重岡地区
・集落ごとの供養踊りは衰退著しいとのこと。



2 海部の盆口説について

 この地域の盆踊りでは、堅田踊りを除いて、口説の字脚によって地の音頭と「祭文」を切り替え、ハネ前に近世調の一口口説「切音頭」を唄うことが多い。このうち地の音頭としては「ヨーヤセ」等の囃子をもつ1節2句の盆口説と、所謂「長音頭」つまり1節3句の盆口説(佐伯節)が広く唄われており、それらは一般に音頭の符牒を持たずに段物の外題を援用して「鈴木主水」や「白滝」などと呼ぶ傾向にある。そこで比較の助けになればと思い、この特徴を持つ盆口説は下記において項目名に「海部」と付記することにした。
 まず1節2句の節については、大分市田ノ浦以南の沿岸部で広く唄われている。のろまなテンポで、無理のない節回しなので唄い易い。この種のものは浦ごとに節回しが異なるが、ある程度は地域ごとにグループ分けすることができる。広義に見れば大野・直入地方の「三つ拍子」「二つ拍子」「左さし」の類も同種と思われる。大分県の南半分で広く唄われた古い盆口説と考えることができる。
 次に1節3句の節は所謂「佐伯節」で、これは堅田谷の「長音頭」が本場である。方々で節を変えながら南海部地方はおろか、大野地方でも「佐伯節」「八百屋」として広く唄われているほか、宮崎県でも方々で唄われたという。この踊りは「三つ拍子」の「佐伯踊り」だが、これは「佐伯節」の伝承地域のみならず、たとえば津久見の「三勝」、臼杵の「祭文」その他方々で盛んに踊られている。「佐伯節」「佐伯踊り」の往時の流行のほどが覗われるし、「堅田踊り」が佐伯周辺のみならずいかに広範囲に影響を及ぼしたかを端的に示しているといえるだろう。
 一応、統一的な呼称がないと分類するうえで不便なので、1節2句のものを「海部節」、所謂「長音頭」つまり1節3句のものを「佐伯節」とし、その旨を付記する。ただし1節2句のものであっても「佐伯節」を簡略化したことが明らかであれば、「佐伯節」と呼ぶことにする。



3 堅田踊りの音頭について

 堅田踊りについては、別に特集記事を設けたいと考えている。ここでは佐伯市の盆踊り全部を取り上げるので、分かりやすいように堅田踊りの音頭には曲名に「堅田踊り」と記す。

↑このページのトップヘ