前回の続き


「稗搗き節」 昭和32年2月
 島倉千代子の唄った民謡の中でも出色の出来。稗搗き節は宮崎県の山間部、椎葉村で唄われていた作業唄で、昭和20年代後半の頃より赤坂小梅、照菊、美ち奴、神楽坂はん子などの人気歌手が次々にレコードに入れている。地元で作業唄として唄われた節とは違うが、照菊の唄った節が一般によく知られていると思う。島倉千代子の稗搗き節も照菊の節に近いが、ずっとテンポを落としてより田舎風の雰囲気を出しており、唄の内容によく合っている。
 伴奏は三味線や笛、胡弓で、鳴り物は一切使っていない。どこか端唄風の三味線の節がとてもよく、「庭のさんしゅの木~」の節の後に長い間奏が入り「那須の大八~」の節で終わる。たった二節しか唄っておらず「鈴の鳴るときゃ~」や「おまや平家の~」の文句は省いているが、特に後者は、この音源に限っていえば省いて正解だったと思う。
 島倉千代子独特の細かい節回しと張りのある高音、練られた編曲。数ある稗搗き節のレコードの中でも、屈指の完成度だと思う。編曲された「民謡」でありながら、「俚謡」らしさがあってとてもよい。

「里子月夜」 昭和32年2月
 島倉千代子の「母もの」のレパートリーは「東京だヨおっ母さん」にとどめをさすが、「ほかにも「里子月夜」や「かるかやの丘」「子別れ吹雪」等、忘れがたい名曲が多い。中でも「里子月夜」は、大ヒット曲というわけではなく知名度はやや劣るが、古くからのファンの中ではかなり人気の高い曲だと思われる。私などのようにリアルタイムでこの曲を知らない世代でも、一度聴けば誰でも心を動かされるような永遠の名曲だと思う。残念ながら後年、テレビで披露する機会はなかったようだがステージでは唄うこともあったそうで、特に刑務所慰問等ではリクエストがとても多かったとのこと。
 生みの親と育ての親。二人の母親の間で揺れ動く子供の心情をうまく表現している。場面展開も見事で、たった三節、三分半の歌の中にドラマがある。昭和32年といえば、戦争で親を亡くしたり、または貧困のため里子に出されたり、その他いろいろの事情で、この歌と同じような境遇の人は今よりもずっと多かったことと思われる。その時代を知っている、その時代に生きていた島倉千代子が歌えばこその名曲であって、今の歌手が歌っても、ただの「お涙ちょうだい」になってしまいそうな気がする。
 唄い方も見事で、高音の出し方に無理がないし、「ひもじかろよと」のところ等、ところどころで歌詞の内容に合わせて唄い方をそれとなく工夫しているのがわかる。完璧な歌唱で、二十歳前の娘さんが歌っているとはちょっと思えない。

「お姉さんと呼んだ人」 昭和32年3月
 同名映画の主題歌で、大ヒットではないがそれなりに売れたのだろうと思う。映画の内容を全く知らなくても、自分なりに内容を解釈できるような歌詞である。
 唄の主人公が子供だった頃に優しくしてくれていた「お姉さんと呼んだ人」、その人が「負けてはいけない」と励ましてくれたとき、実際はその「お姉さん」も何か辛い境遇にあったのだろう、そういうことが、今自分がそのときの「お姉さん」と同じくらいの年になり、失恋等何か辛い思いをして、今気づいた…というような内容の歌だと思って聴いている。「きれいだった花嫁姿」も、本意ではなかったのかもしれない。
 いろんな解釈ができる歌詞ではあるが、なかなか複雑な心情を説明的になることなく、場面を順々に追っていく過程でそれとなく表しているのはお見事。デビューから2年が建ち、唄い方もずいぶん変わってきている。「この世の花」の頃と比べると高音の出し方に無理がないし、低音もよく出ている。



たった3曲しか紹介できませんでしたが疲れました、次回に続きます