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青葉笙子さんが先日亡くなった。93歳、大往生だ。
ほんの2年か3年前まで、歌謡祭にゲスト出演したり、
昭和歌謡大全集に出演して往時のエピソードを披露したりと
元気な姿を見せていた。明るくて可愛らしくて、ステキな人だった。

デビューは確か昭和11年だったと思う。
音丸を彷彿とさせるような細かい節回しの、
少しこもったような柔らかい発声で、日本調のヒットが多かった。
勝太郎など芸者出身の日本調歌手とはまた違う魅力があって、
よい意味でどこか田舎風の節回しで、郷愁を誘う歌声には
ファンも多かったことと思う。

上原敏と唄った鴛鴦道中が最大のヒットで、これは今もよく知られているが
ほかにも関の追分、千曲流れて、銃後だよりなど日本調のヒットを連発。
昭和16年に引退するも同22年に復帰、暫くヒットは出なかったが
ハイカラなビギンの曲調の七色の花が話題を呼び、
昭和27年には黒いトランク、夜汽車の窓でが久々のヒット。
昭和32年に再び引退するも昭和40年代の懐メロブームに乗り復帰。
テレビにステージに活躍したほか、各種懐メロ愛好会にも気軽に参加し
ファンとの交流を深めるなど、その気さくな人柄は広く親しまれた。

親交の篤かった上原敏を称える活動を展開し、
上原の遺骨を探しにニューギニアを訪問したりしたほか、
テレビ番組でもたびたび上原のエピソードを紹介していた。

平成に入っても精力的に活動したが、平成8年に脳梗塞で倒れ
後遺症で声が嗄れてしまった。それでも生来の明るさで、
「声を失っちゃったの」と言いながらトークでテレビ出演したり、
請われてステージに立ったりしていたようだ。
80歳代後半になっても若々しく、優しい笑顔が印象的だった。

気さくな人柄と楽しいお喋り、独特の歌声で長年に亙って
たくさんの人に元気を分けてくれた青葉笙子を偲んで、
往年の名曲を振り返ってみよう。

・関の追分
これは青葉笙子を代表するヒット曲で、大変人気を呼んだようだ。
最初の吹き込みは昭和12年で、これがコロナの盤にしてはよく売れたため
昭和13年に一部歌詞を改めてポリドールで再吹き込みしヒットしたとのこと。
12年盤ではわりとあっさり唄っているが、再吹き込み盤では
コブシをこれでもかというくらいに入れてより情感豊かに唄っている。
アレンジも再吹き込み盤の方が華やかで、よく練られている。
出来栄えは圧倒的に再吹き込み盤に軍配が上がるだろう。
いま一般に知られているのも再吹き込み盤の方。
高調子で節も難しいが、難なく唄いこなしており素晴らしい。
各節の終わりがあたかもまだ先に続くような音程になっており、
うまく余韻を残すことに成功している。

・鴛鴦道中
昭和13年に上原敏と掛け合いで唄った、最大のヒット曲。
今でもよく知られておりカラオケにも入っている。
戦後、上原敏亡きあと東海林太郎を相手に再吹き込みしたが、
4番の歌詞が不適切とされて改変された。
しかし青葉はその改変を快く思わなかったそうで、
後年のステージではいつもオリジナルの歌詞を唄っていた。
上原敏が唄ったパートも一人で唄い、いつも万雷の拍手。
平成に入ってもテレビ番組などで唄っていた。

・絵日傘娘
昭和12年の吹き込みで、ヒットはしなかったと思うが名曲。
日本橋きみ栄が唄いそうな、江戸情緒に溢れた歌詞と曲調だ。
関の追分のヒットで民謡調の吹き込みが多くなったが、
この手の唄もまた青葉笙子によく合っているように感じる。
コブシはおさえているが、高音を思う存分楽しめる。

・覗眼鏡くずし
からくりくずしと読む。昭和12年、巽四郎と一緒に唄っている。
すっかり姿を消した覗きカラクリを唄ったもので、
八百屋お七の口説の要点を4節にうまくまとめている。
絵日傘娘と同様、江戸情緒を感じられる佳曲だ。
はずんだリズムの速いテンポで、賑やかな伴奏がよく合っている。

・千曲流れて
昭和14年のヒット曲で、関の追分と並ぶ青葉の代表曲。
洋楽器が主だが琴や笛を効果的に使っており、和風の雰囲気をうまく出している。
なんといっても曲がよく、旅情に溢れた素晴らしい作品。
この頃になると青葉笙子独特の節回しが確立されており、
デビューしてたった3年とは思えない完璧な歌唱だ。
この唄は途中で音程が飛躍し高音が続く箇所があるが、
節回しは関の追分よりはまだ易しく、一般にも唄い易かっただろう。

・七色の花
昭和25年。ビギンのリズムのハイカラな曲で、異色作ということもあり
当時話題を呼び、そこそこのヒットになったようだ。
唄い方をガラリとかえており、青葉の新たな一面が見えておもしろい。
青葉は、裏面を吹き込んだ宮城まり子の方がこの歌に向いていると思い、
これを宮城に譲ろうとしたが、作曲家が青葉を立ててくれて
結局青葉が吹き込むことになったそうだ。
このエピソードからも、青葉の人柄の良さが伺える。

・御神火夜曲
昭和12年。小品だが調子のよい曲調で、洋楽器しか使ってないにもかかわらず
和風の感じをうまく生かした編曲がよく、また歌詞もほどよくご当地色を出した
わかり易い内容で、よくできていると思う。後年の吹き込みと比べると
青葉の唄い方・唄声に若々しさが溢れており、情感という点では
関の追分以降には及ばないが、よく唄っている。

・娘馬子唄
昭和16年に吹き込まれたが、残念ながら全く売れなかった。
スローテンポの歌曲で、峠の夕暮れの情景が生き生きと描写されている。
技巧的な曲で、一般の人が唄うにはあまり難しかったかもしれない。
間奏が長く1番と3番しか唄われていないが、本人は気に入っていたようだ。
ただ題名は不満だったようで、「○○追分とかだったらよかったのに
娘馬子唄では題名が平凡すぎる」と思っていた由。

・夢の蘇州
昭和13年の吹き込み。当時、支那の夜をはじめ大陸を舞台とした唄が
流行していたので、それに便乗して作られたようだ。
伴奏に琴が効果的に使われており詞もよいのだが、
曲は完全に日本調でチャイナメロディの雰囲気ではない。

・砂丘を越えて
昭和14年。この唄は青葉笙子にとっては異色作で、
伴奏に半音階を多用した異国情緒溢れる編曲。砂漠をゆくキャラバンが目に浮かぶ。
日本調のヒット曲と比較してみるとコブシをごく少なくして、
音程をなめらかに上り下りするような唄い方になっている。
内容に合わせて唄い方を工夫していることがよくわかる。

・夢の城ヶ島
昭和14年。月の城ヶ島はヒットしたが、こちらは売れなかった。
ゆったりとしたテンポの静かな曲調で、歌詞もよいが…
青葉は「月の城ヶ島はステージでよく唄ったがこちらはほとんど唄わなかった。
盛り上がりに欠けるので、いくらよい曲でもこういう唄はステージには合わないから」
というような内容を述懐している。ほかに城ヶ島新調という唄も吹き込んでいるが
3曲とも短調でどこか淋しい雰囲気。3曲とも佳曲だと思うが、
確かに関の追分などに比べると印象は薄い。

・元禄ぶし
日本橋きみ栄が吹き込んだ元禄くずしの姉妹曲。
昭和13年。仮名手本忠臣蔵の内容をかいつまんで3節にまとめている。
物語の内容を知らなければ全く意味がわからないが、当時は今以上に
歌舞伎や義太夫などの内容が人口に膾炙しており、どんな田舎であっても
忠臣蔵の筋くらいほとんどの人が知っていただろうから、
この唄の歌詞の意味もみんなが理解できたと思う。
絵日傘娘、覗眼鏡くずしと同様、江戸情緒溢れる名曲。
わりと速いテンポで、伴奏も賑やかなのでたとえ意味がわからなくても
雰囲気を感じながら、楽しく聴くことができる。

・佐渡の故郷
昭和16年。おけさの節回しをほんのりと匂わせながらも、
元唄とは全くかけ離れたオリジナルの節を展開している。
各節の終わりの部分が無伴奏になっており、そこで節をためて唄っている。
本人はこの部分が、唄っていて不安になるので嫌だったらしく、
作曲家に(冗談交じりだろうが)不満を漏らしたようだ。
しかし、何が不安だったのか不思議なほど、完璧に唄っている。
青葉の歌手活動はこの唄で一旦幕を下ろしたわけだが、
戦後に復帰して日本調を始め七色の花など新たな一面を見せ、
息の長い活動を見せたのは先に述べた通り。

・小夜の中山
昭和12年。東海道の名所、小夜の中山を舞台にした唄で、
これが後年の関の追分、千曲流れて、木曽の旅唄などといった、
一連の日本調・民謡調の曲につながる。
青葉の持ち唄は技巧的な節のものが多く、これはその中では比較的易しい方だが
それでも難しいことにはかわりがない。作曲家も青葉の個性を生かして
こういった曲を作ったのだろうが、あまり難しい唄が多すぎて
一般の人にはちょっと、口ずさんだりするのにはハードルが高かっただろう。
だが、あまり一般受けを狙って唄い易い曲、簡単な曲を出すよりも
こういう青葉笙子にぴったりの曲をたくさん作ってくれたおかげで、
何十年も経った今でも青葉笙子の魅力が燦然と輝いているのであり、
青葉笙子の素晴らしい音源の数々は本人の実力はもちろんのこと、
彼女に合った作品を提供した作詞家、作曲家によるところが大きいと感じる。

・木曽の旅唄
昭和15年。関の追分、千曲流れてとこの唄で、三部作になっているような感じがする。
短調の、哀愁に満ちたゆったりとした曲に、青葉の歌声がよく合っている。
これは青葉の持ち唄の中でも難曲中の難曲で、音域が広い上に
5連符の細かい節回しが次から次に出てきて、これでもかというほど技巧的。
本人も「調子の悪いときには唄えない、難しい曲ね」と語っている。
それでも、世間一般の青葉笙子のイメージによく合っていて、
自分も好きなので大切に唄っているというようなことを言っていた。

・紅葉しぐれ
昭和12年。山中を舞台とした唄で、山中節の節回しをほんのりと匂わすような曲。
音丸の米山三里と同様、民謡を下地にした名曲だ。
ただ、いかんせん節があまりに難しく、一般の人には到底唄いこなせない。
5連符の連続、高音への飛躍など、木曽の旅唄と匹敵する難しさ。
デビュー1年でこのような難曲を唄いこなしていることに驚嘆する。

・黒いトランク
昭和27年に放った久々のヒット曲で、戦前の日本調とは違い流行歌調。
コブシを抑え目にしているが、独特の節回しは健在。
8分音符+16分音符+16分音符のところにコブシを加えて、
5連符にしているのが目立ち、技巧的な唄い方。
やや音程が取りづらい箇所があり、一般の人が唄うには少し難しいかも。
失恋して夜汽車で故郷に帰る内容だが、哀愁を含みながらも明るい曲調で
青葉の明るい人柄や柔らかい歌声も相俟って、ほんの少しだけ、
明日への希望が感じられるような雰囲気。失恋して悲しい~というだけでなく
また一から頑張ろうという気持ちがほんのりと浮かび上がる名曲。

・夜汽車の窓で
昭和27年のヒット曲。これも戦前に吹き込んだ一連の日本調とは一線を画した
流行歌調、歌謡曲調の唄で、場面設定も黒いトランクによく似ている。
黒いトランクよりもこちらの方が節が易しいので、
おそらく一般の人々にも広く口ずさまれたことだろう。