夢の浮橋

下記3点に内容を絞って一から出直しです。 民俗・文化風俗や伝承音楽の研究に寄与できればと思っています。 ・大分県の唄と踊りの紹介 ・俚謡、俗謡、新民謡の文句の蒐集 ・端唄、俗曲、流行小唄の文句の蒐集

2011年12月

この口説は大分県内ではあまり聴かれないが、佐伯市西野に伝わる堅田踊り「女だんば」で口説かれている。


お梅伝治

「東西 東西 東西南北静まり給え
人の浮き伏し我が身の上は たとえがたなき四池の里の
「お梅伝治がさよいこい衣
さてもお梅はいかなる生まれ 目許口許 顔立ちのびて ことに鼻筋 五三の器量
笑顔楊貴妃さてかみの上 心島田で人あいぐすね むかし松風 村雨などと
たとえがたなき四池の里の 草に育てし見目とも見えず お梅十四の冬籠りより
伝治心はおりおり心
「ほうびき戻りにそれこなさんと 交わす枕の夜は長かれと
思いながらもただ恐ろしゅて 顔に紅葉はちりちりぱっと 恋の蕾の開いた夜は
人の色香も匂いの梅に 伝治心は鶯の鳥 つけて廻すが月夜も闇も
親の許さぬ比翼の契り かかるためしは あな気の毒や
「これのお申し伝治さん お顔見るのも今宵が限り
わけも言わずにただ殺してと 怨み涙は五月の雨に 伝治驚きこは何事と
様子語れとはや泣きじゃくり ほんにお前に知らせはないか わしはそもじの兄八郎様が
「妻にせんとて今日夕暮れに えこんおさまる吉日定め
眉を直せと鏡のいはい それと聞くより気も針箱の 底を叩いた私が心
愛しこなたと言うことならぬ 狭き袂に石拾い込み まもの池にと最期を急ぐ
伝治引きとめこれお梅どの どうも言われぬ嬉しい心 死ぬるばかりが心中でもなし
江戸や薩摩に行く身でもなし 同じ四池の水飲むからは 時節松風また転び寝の
忍び逢う夜もありそう梅の 沖の鴎や磯千鳥
「それと聞くよりなどをして やがて嫁入りしゅうことさ

那須与一の口説は県内各地の伝承されているが、その文句はいろいろある。ここで紹介するのは、佐伯市西野に伝わる堅田踊り「男だんば」で口説かれるもの。近隣の宇山周辺の堅田踊り「兵庫節」で口説かれる那須与一とは文句が全く異なっており、こちらは国東半島一円で口説かれているものや、下関の平家踊りで口説かれているものに比較的近い。

那須与一

国は関東 下野の国 那須与一という侍は なりは小兵にござ候えど
弓矢弓手に名は萬天と のぼせ給いしところはいずこ 四国讃岐の屋島が沖で
源氏平家の御戦いに どちも勝負がつかざるゆえに 平家方なる沖なる船に
的に扇をあげたるていよ あれは源氏に射よとの的よ
「九郎判官それご覧じて 那須与一を御前に召され
与一御前にあいつめければ 九郎判官仰せしことに 与一あれ見よ沖なる船は 
的に扇を立てたるていよ なれが力で射てとるならば 弓の天下を取らしょうものに
かしこまったと御前を下がる 与一その日の出で装束は 常に変わりていと華やかに
嘉珍明石の錦を召さる
「白糸緋縅の鎧着て 青の名馬を駒引き寄せて
手綱かいとりユラリと乗りて 小松原より波打ち際を しんずしんずと歩ませければ
四国讃岐の屋島が沖は 風も激しく波高ければ 的の扇も矢に定まらぬ
そこで与一が観念深く 南無や八幡那須明神よ どうぞこの的 射させて給え
祈請かくれば屋島が沖は 風も治まり波鎮まりて 神の功力か矢に定まりて
切りて放せば扇の的は 風に誘われ二舞い三舞い 沖の平家が船端叩く
陸の源氏は箙を叩く
「那須の高名 数多かれど 与一功名はまずこれまでに

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