高熊山は守江湾を見下ろせる景勝地で、桜が植えられ、かつては公園として整備されていた。帯刀伝照翁が庵を建てて講を開き、昔は信者も多かったとみえる。庵は落雷で全焼し寂れたが、今も頂上に弘法大師像が残っている。

高熊山由来

国は豊後の速見の郡 かたち優れた御山がござる その名高熊 名高き山よ
山の頂上一字の寺と 高さ一丈弘法大師 遥か下界に臨まれ給う
香の煙は信者の手向け 鐘の響きは遠くに聞こゆ 眺め豊かに四国を臨み
鶴見・由布山 湯の香に煙り 浮かぶ白帆は夕日を受けて 春の桜は霞とまがい
夏は緑に若草萌えて 秋は八千草 花咲き乱れ 冬は雪見のあの都山
豊州公園名付けて呼ばる さても御山の由来を述べりゃ 北杵築とて麓の村に
ここに一人の石工がござる 姓は帯刀 名は伝平と 今は昭和の奇人の一人
彼が十四の幼き頃に 通う学校のその帰り道 俄か襲った大暴風雨
渡る小川の石踏み外し 川の流れに押し流されて 今は一命危うきところ
岸に生えたる柳の枝に 辿り着いてぞ命を拾う 子供時代は腕白盛り
隣近所の子供を集め そっと持ち出す火縄の銃よ ああかこうかと珍し顔に
知らぬ扱いするその内に 起る銃音野山に響く 煙薄れて辺りを見れば
神の御加護か仏の慈悲か これは不思議に怪我人出でず 出でて隣村石工の弟子に
心一つに技術を積めば 年は進みて二十と五歳 船部村にて石割工事
流行盛んな舶来火薬 不意に炸裂大石小石 数多四方に吹き飛び散れば
避くる暇も手段もなくて 気絶したるか気がつき見れば 又も不思議にその五体には
かすり傷だに負わずに過ぎし 一度ならずに二度また三度 越ゆる危難は仏の功力
ここに思いを致せし彼は 仕事合間に念仏唱え 石を叩いて仏を刻む
南無や大師の遍照尊 弘法大師を信仰なさる 石工修行も非凡な手腕
今は近藤その名は高い 明治終わりの或る夏頃に 八坂河畔に砂利取りすれば
砂利の中より小さな仏 仏掘り出し暫しが程に 土にひれ伏し唱名称え
心静かに考えみれば 一度ならずに二度また三度 すでに一命危なき所
日毎毎日健在なさる 一に仏の御加護なれば まして今日このところにて
掘りて出でたるこの仏像は 吾に授けし仏の心 深く心に信心込めて
妻を伴い御四国巡り 八十八ヶ所御札を収め 仰ぎ唱える御詠歌こそは
「帰命頂礼遍照尊 今に大師はましまして
後の衆生を助けんものと 代々に孝徳を残さし給う 八十八ヶ所巡礼終わり
明日は故郷に立ち帰らんと 寺に宿りて夕べの勤め 勤め終わりて蝋燭見れば
昼は不思議に流れし蝋が 見事固まり弘法大師 姿鮮やか現れ居れば
桐の小箱に納めて帰る 帰る早々同志を募り 時は大正十四の年に
数多私物をさらりと出して 眺めの豊かな高熊山へ 寺を建てたり桜を植えて
高さ一丈の大師の像を ここに建立信心すれば 付近に数多の信者が増える
北杵・八坂に朝田に山香 要所要所に八十八の 四国遍路をなぞらえ作る
安置なしたる弘法様は 今も苔むし徳霊あらた 伝平氏にも頭を丸め
名をも伝照と改めおりて 命重ねて八十有余 生きていながら葬式すまし
今年新盆仏で帰る 盆は嬉しや仏に逢わる 逢うて語ろう高熊由来